駐屯地での朝練

 翌朝、いつもの時間より少しゆっくり起きたレイは、ウォーレンの用意してくれた白服を着て、ルークと一緒に朝練の為に訓練所に向かった。

 二人が広い訓練所に入ると、その場にいた全員が一斉に直立して敬礼した。

「ああ、構わないよ。続けてください」

 ルークの言葉に、敬礼を解いた兵士達は、またそれぞれに訓練の続きを開始した。

 柔軟体操をしている者達、広い室内の端を列になって走る者達、中央では、棒術の訓練をしている者達もいる。

 レイも、まずはルークと二人で身体をほぐす柔軟体操を始めた。

「昨日は朝練だけで、その後は殆ど身体を動かせなかったからね」

「そうだな。竜の背中に乗ってて、地上の移動は竜車だったしな」

「ギルドでは、ひたすらジグソーパズルをやってたもんね」

「あれは面白かったな」

「うん、楽しかった。僕、あれなら持って帰りたいぐらい!」

「あれの問題は、やってると時間を忘れるって事だな」

 足を伸ばして開いた状態で向き合って座り、お互いの腕を引っ張り合いながら、のんびりとそんな話をしていた。

「あ! ねえ、良い事思い付いた。マイリーのお土産にあのパズルを一つ譲って貰えないかな。療養中で退屈してるんでしょう?あれなら、ベッドの上で座ってても出来るよ」

 レイの言葉に、立ち上がったルークも笑って頷いた。

「あれなら、確かにマイリーも好きそうだな。でも、彼がやるなら最低でもあれの倍以上の数は必要だぞ。絶対、あれなら見ただけで色分けもせずに直ぐに嵌めるぞ」

「ええ! そんな事……」

 驚くレイに、ルークは呆れたように肩を竦めた。そのまま肩を回し始める。レイも同じく肩を回した。

「彼なら出来るよ。以前、王都で流行った木製の複雑な組み木細工、丸や四角の形になってて、複雑な形に分解するやつ、知ってるだろう?」

「僕、あれからも何度かやらせてもらったけど、結局、組み木細工は一度も仕上がらなかったよ」

 思い出したら、また悔しくなって来た。

「あれを分解出来ただけでも大したもんだよ。だけどさ、マイリーはその組み木細工をな……」

「どうしたの?」

 何となく、ルークの言わんとしている事が分かったが、あえて聞いてみる。

「手に取って、ぐるっと回して一通り見た後、あっという間に分解してそのまま組み立てたんだよ。見ただけで、構造を理解して分解して組み立てちゃったんだよ」

「それは……凄いかも」

 呆気にとられるレイに、ルークはため息を吐きながらもう一度肩を竦めた。

「挙句に、それを見ていて驚く俺達に、何て言ったと思う?」

「何て言ったの?」

「俺には、どうしてお前達が分からないのかが分からない、って!」

「それって……」

「本気で喧嘩売られてると思ったぞ」

「僕なら、それを言われたら泣くかも」

「あ、お前はタドラと同じ意見だな」

 最後に大きく伸びをしてから、顔を見合わせて同時に吹き出した二人だった。




「ルーク様! お久しぶりです」

 その時、ルークに話しかけて来たのは、彼とさほど歳の変わらないであろう大柄な青年だった。

 癖の強い赤毛を短く刈り込んだ彼は、ヴィゴを彷彿とさせるほどの見事な体格をしていた。

「おはよう、サディ。今はこっちにいるんだな」

「はい、一昨年からこちらで、キルガス司令官に鍛えて頂いてます」

「そっか、一昨年からって事は……そろそろ戻るのかな?」

「どうなんでしょうか? ここは飯も美味いし居心地は悪く無いですよ」

「おうおう、行きたく無いって拗ねてた奴の台詞とは思えないな」

 からかうように笑って、その大きな背中を叩いた。

「レイルズ、紹介するよ。彼はサディアス。伯爵家の一人息子でね。俺の訓練所の同期生」

 伯爵家というのがどれくらい偉いのかよく分からないが、わざわざルークがそう言うという事は、恐らく偉い人なのだろう。そう見当をつけて、レイは改めて彼を見た。

「レイルズ・グレアムです。よろしくお願いします」

「初めまして。サディアス・グレンダールです」

 握ったその手は、幾つも硬いタコの出来た、分厚い大きな手だった。

「レイルズ、彼は棒術の名人なんだ。せっかくだから相手してもらえよ。棒術は、特にいろんな人と手合わせする方が良いからな」

 目を輝かせるレイを見て、サディアスはルークを振り返った。

「まだ、訓練を始めたばかりと聞いていますが?」

「大丈夫、棒術と格闘術はある程度は基礎は出来てるから、全くの素人じゃ無いよ。まあ、新兵程度の技術はあると思って貰えば良い」

「それは楽しみだ。なら早速一手お願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 そう言ってレイは辺りを見回し、棒が何本も掛けられた壁に走った。




「よろしくお願いします!」

 それぞれに選んだ棒を持って向き合ったが、やはり彼にも全く隙が無かった。

 攻めあぐねていると、サディアスはニヤリと笑って指で手招きをした。

「遠慮無く打って来い!」

 大声でそう言われて、レイは覚悟を決めた。

「お願いします!」

 そう叫んで、思いっきり正面から上段に打ち込む。

 当然、止められるのは計算のうちだ。そのまま打ち返されて棒が弾かれそうになったが、必死で握って堪えた。

「もう一度!」

 そう叫んで、今度は中段に横から打ち込んだ。

 即座に立てた棒に弾かれたが、そのまま足を狙ってもう一度下段に打ち込む。当然払われたが、手首を返して横に飛びながら、もう一度横から力一杯打ち込む。ロベリオに教えてもらった二重攻撃だ。

 驚きに目が見開かれたが、残念ながら、レイの渾身の一撃も当然のように止められてしまった。

 一旦、後ろに飛んで距離を取る。

「驚いた。新兵どころか戦士として十分の腕だぞ。これは」

 サディアスは、そう言って満面の笑みになった。

「ならば、こちらも遠慮無くいかせてもらおう」

 そう叫ぶと一気に攻勢に出た。



「うわわわ!」

 突然の嵐のような早い打ち込みに、レイは悲鳴をあげながら必死になって受け続けた。機会があれば打ち返そうと狙っていたが、残念ながら全くそんな隙は無い。

 あっという間に、壁際まで追い詰められてしまう。

 覚悟を決めて、思いっきり打ち返しそのまま前に出る。阻まれる事も計算に入れて、打ち返した棒を、床のわずかな段差に当てて高跳びの要領で棒を支えに思いっきりと跳んで、彼の後ろに着地した。

「やるな!」

 即座に振り返った彼の打ち込んでくる棒をまた必死で返しながら、レイは後ろに転がって距離を取った。

 動きが止まると、一気に汗が吹き出て息が切れる。



 一瞬、集中力が途切れた。



 あっと思った時には、棒を弾き飛ばされていた。勢い余って後ろに吹っ飛ぶ。咄嗟に受け身をとって無様に倒れるのは防げた。

 直ぐに手をついて転がって距離を取ったが、残念ながら素手で敵う相手では無かった。

「……参りました」

 悔しいが負けを認めて、両手を上げて降参を宣言する。

 立ち上がったレイの前でサディアスが棒を引いてくれた瞬間、爆発したような大歓声が響いた。

 驚いたレイは、飛び上がって咄嗟にサディアスの腕にしがみついた。

「な、何ですか?」

 一体何事かと慌てたが、突然サディアスに抱きしめられた。

「素晴らしい! 訓練開始早々でこれだけ出来るとはな。これから先、どこまで強くなるか楽しみでならんぞ」

 満面の笑みでそう言われて、背中を思いっきり叩かれた。

 見ると、訓練所は兵士達で埋め尽くされていた。白服の兵士だけでなく、一般兵士や第二部隊の兵士、よく見るとキルガス司令官まで、兵士と一緒になってこっちを見ている。

「えっと……」

 どうしたら良いのか分からなくなって、思わずルークに助けを求めた。

「お疲れさん。冷たいお茶を用意してあるから少し休め。それにしても腕を上げたな。これだけ出来るなら、そろそろヴィゴと手合わせしてもらえそうだぞ」

 その言葉に、レイは目を輝かせた。

 ヴィゴに、まずはルークと対等に打ち合えるぐらいにまで頑張れと言われて、まだ一度も直接相手をしてもらった事が無いのだ。

「はい!」

 元気に返事をして、サディアスの腕を離した。

「そうだな。これならヴィゴ様も受けてくださるだろう」

 彼にもそう言われて、レイはもう一度嬉しそうに返事をした。



 差し出されたお茶を飲みながら、レイは今になって腕が痺れていることに気が付いた。もう一杯入れてもらったお茶が手の中で波立っているのだ。

「腕が痺れてるや。零さないようにしないと……」

 しかし痺れが酷くなってきて握力がなくなりかけて、慌てて口でグラスを咥える。

「ふーく……たひぃけへくらはい……」

 自分でも何を言ったのか分からなかったが、どうやらルークには通じたようで、横からグラスを持ってくれた。そのままゆっくりと飲ませてくれる。

「ありがとうございます。零すところだった」

 照れたように笑うと、頭を揉みくちゃにされた。

「お疲れ様でした。いやあ見事でしたぞ。まさかこれほどの腕前とは。恐れ入りました。これは、将来が本当に楽しみですね」

 キルガス司令官にもそう言われて、照れる事しか出来なかった。

「褒めてもらえたって、ニコスに報告しないと」

 小さくそう呟いて、もう一杯入れてもらったお茶を今度は両手で零さないように持って、ゆっくりと飲み干した。



 少し休憩をしてから、一般兵士に混じって乱打戦に入れてもらった。

 乱打戦とは十人以下の人数で行い、複数の者達が相手を決めずに打ち合うのだ。

 同時に複数を相手する事もあり、はっきり言って実戦さながらの状態になる。

 青あざを作るのは当たり前だし。下手をすると怪我をする。なのでこれが出来るのは、ある程度以上の腕の持ち主だけだ。

 五人と一緒にやらせてもらう事になった。

 最初は戸惑ったが、これはニコスとギードと一緒にやっていた、三人の格闘訓練と同じである事に気が付いた。

 常に視野を広く持ち、自分の周りを常に確認する事。出来る限り全員を視野に入れ、無理な場合は、背後に気を配る。そして時には第三者を利用して身を守る。

 レイは、出来るだけ全員と打ち合うように心掛けた。

 結局、彼は一度も倒される事無く時間切れになった。

 息を切らす兵士や大きな痣を作っている兵士もいたが、レイは息も切らしていなかった。



「乱打戦って初めてやりました! すっごく面白い」

 目を輝かせてルークとサディアスにそう言うレイに、戦った兵士達は揃って苦笑いしている。

「いや、面白いって……」

「俺なんて、必死で逃げるしか無かったぞ」

「レイルズ様、全員と打ち合ってたよな……」

「あれで乱打戦が初めて?」

「あり得ないだろう……しかも、あれで未成年って……」

 兵士達が小さな声で話しているのを、司令官は面白そうに見ていた。

「ありがとうございました!」

 そろそろ戻るように言われたレイは、打ち合ってくれた五人に頭を下げた。

 座り込んでいた兵士達が、慌てて立ち上がり揃って直立して敬礼してくれた。

「ありがとうござまいした!」

 兵士達も口を揃えてそう言ってくれた。




 一旦部屋に戻って汗を流して竜騎士見習いの服に着替えてから、食堂でルークや司令官、サディアスと一緒に食事をした。

「あれ? ここは人数が少ないね?」

 訓練所にあれだけの兵士がいたのに、食堂にいるのはサディアスが着ているような、立派な制服を着た者達ばかりで、一般兵士の姿が一人もいない。

「ここは、士官用の食堂なんだ。この駐屯地は大きいからね。一般兵士と士官用で食堂が違うんだ」

 驚いてルークを見ると、彼は笑っている。

「まあ、こっちの方が俺はゆっくり出来るから有難いよ」

「僕は見習いだけど、こっちで良いの?」

「お前は……いい加減、自分の値打ちを覚えろよな」

 呆れたようにそう言われても、困ってしまうレイだった。


『主様は可愛い』

『大好き大好き』

『強くて可愛い』

『可愛い可愛い』


 机の上のポットやお皿に座ったシルフ達に口々にそう言われて、レイは喜んだらいいのか、それとも可愛いは訂正してもらうべきなのか、本気で悩んでしまった。

 隣では、シルフ達の声を聞いたルークが必死で笑いを堪えている。

「もう知らない!」

 肘でルークを突き、顔を見合わせてレイも堪えきれずに笑った。



 少し離れた窓枠に座ったブルーのシルフは、そんなレイを愛おしそうにずっと見つめていた。

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