墓参り

 昼食の後、カナエ草のお茶といつものお茶を入れて休んでいる間、レイは何度も居間の天井や台所を見上げて回り、そして窓から見える小さな景色に見入っていた。

「そろそろ出掛けましょうか」

 タキスの声に、レイも頷いて立ち上がった。

「たった、一年なんだね。僕がここに来て……」

 いつも座っていた椅子の背もたれを撫でながら小さな声で呟いた。

「激動の一年でしたね。これから先の人生が、貴方にとってより良いものでありますように」

 タキスがそう言って、そっと額にキスしてくれた。

「ありがとう。ここでの事、絶対に忘れないよ」

 頬にキスを返して、レイは笑った。心の底から、笑える自分が嬉しかった。




 手分けして、荷造りした箱を上の草原に持って上がる。他にもニコスが用意してくれた袋と箱を、それぞれの箱の上に紐で括り付けた。

 ロベリオとユージンが、それぞれの竜の背に箱を持って上がり、金具に取り付ける。ギードがくれた金剛棒のセットも、ロベリオが自分の鞍に取り付けて持ってくれた。

 その間に、家畜と騎竜達を連れて降りた。

「元気でね。僕を乗せてくれてありがとう」

 それぞれの騎竜達と別れを惜しみ、最後にポリーの首に抱きついた。全部分かっているかの様に、ポリーは喉を鳴らして優しく甘噛みしてくれた。




「それでは行くとしよう」

 草原に上がってきた四人を見て、ブルーがそう言って伏せてくれたので、いつものように四人が並んでブルーの背に乗った。

 ゆっくりと上昇し、上空で止まる。ロベリオの乗ったアーテルと、ユージンの乗ったマリーゴールドがそれに続いた。

「ふむ。空からでは、家の様子はあまり見えんな」

 ギードの呟きに、レイは小さく笑った。

「いいよブルー、行こう」

 そう言って首を叩いた。

「良いんですか?」

 後ろから聞こえたタキスの声に、レイは前を見たまま頷いた。

「全部覚えてるもん」

 その言葉を聞いたブルーは、何も言わずにゆっくりと森の泉に向かって出発し、二頭の竜がその後を追った。



 三頭の竜は、ブルーの棲家である泉に到着した。木々の隙間から、ゆっくりと泉の砂地に降り立った。

「話には聞いていたが、本当に青と白しか無い世界だな」

「でも、とても綺麗だよ……」

 竜の背から降り立ったロベリオとユージンは、驚きのあまり呆然と辺りを見回しながらそう言った。

 深い緑の森の中にあって、ここだけがまるで別世界の様だ。




 こんこんと湧き出る水が、降り立った二人の足元を濡らす。

「竜達に水を飲ませてやれ。ここの水はとても良き水だ」

 ブルーの言葉に我に返った二人が、竜達の首を叩き、竜達は嬉しそうに水源に首を突っ込んで水を飲み始めた。

「これは美味い。こんな美味い水は初めてだ」

「身体に力があふれてくる。何だこの水は?」

 竜達もそう呟くと、また水を飲んだ。

「ガーネットとオパールもそう言って喜んでたね」

 レイの言葉に、ブルーはそっと頬擦りして喉を鳴らした。

「全員に、順に連れてきて飲ませようと思っている。ここの水は特別だ。竜達の力になるだろう」

 驚くレイに、ブルーはまた喉を鳴らした。

「王都で我が暮らす事になる場所にも、この水脈から水を引いて来るつもりだ。しかしさすがに遠いからな、我でもすぐには出来ぬ。なので、早いうちにここの水を皆に飲ませてやりたいのだ」

 その声を聞いて、それぞれ泉の水を飲んでいたロベリオとユージンがブルーの側に来た。

「ラピス。それって、何か意味があるのか? 単に美味い水だから飲めって事以外に?」

 ロベリオの言葉に、ブルーは顔を上げて振り返った。

「そうだ。ガーゴイルやグレイウルフ、ましてや屍人ゾンビが出たという事は、諸悪の根源は間違いなく闇の属性を持っている。光の加護のある強い力のあるここの良き水は、将来的に考えても絶対に我らに必要だ」

「ガーゴイルですと!」

 突然、ギードの叫び声が泉に響いた。

「其方はガーゴイルの恐ろしさを知っておるな」

 ブルーに見つめられ、ギードは何度も頷いた。真っ青になったギードに、驚いたレイが駆け寄る。

「何故! 何故結界に守られた清浄なるこの国で、ガーゴイルやグレイウルフ、ましてや屍人が現れるのですか!」

 レイの腕に縋る様にしてギードがまた叫び、二人の竜騎士を見た。

「まさか、マイリー様がミスリルの鎧を身につけていて尚、重傷を負われたと理由というのは……」

「そうです。巨大なガーゴイルの鉤爪を足に受けたんです」

 ロベリオの言葉に、ギードは濡れるのも構わず膝をついた。

「何という事だ。悪夢が現実になろうとは……」

 膝をついたまま、ギードはレイを抱きしめた。その時、ギードが震えているのをレイは初めて見たのだった。

「大丈夫だよギード。落ち着いて」

 話がよく分からなかったが、とにかく縋り付くギードの背中を撫でてそう言い続けた。

「落ち着けドワーフよ。ひとまず危険は去った。しかし、今後対策を考える必要が出来た。この水はそれに必要なのだ」

「そ、そうでしたか……レイよ。どうか気を付けて。蒼竜様が一緒なら其方に害が及ぶ事は万が一にも無かろうが、ガーゴイルの鉤爪は本当に危険ですぞ」

「ガーゴイルを知っているんですか?」

 ロベリオとユージンが驚いてギードを見た。

「私は、隣国のオルベラートの鉱山跡に仲間達と潜った時、ガーゴイルと出くわしたことが一度だけございます。ミスリルの剣と、精霊使いが三人おりましたので、なんとか仕留めることができましたが……こちらにも怪我人が出て、その場は一旦撤収いたしました。今思い出しても足が震えますぞ」

「オルベラートにも出るんですか?」

 また驚く二人に、ブルーが答えた。

「地下は闇の力が強くなる。ましてや放置された鉱山跡には闇の気配が容易く棲みつく。オルベラートでは、冒険者達がこぞってそんな鉱山跡に潜っておるぞ。しかし、あくまでそれは地下での話。オルベラートもしっかり要石たる王が守っておるからな。地上は安全だ」

 納得した二人が、大きなため息を吐いた。

「分かりました。貴方には色々と教わる事がありそうです。どうか、物知らずの我らにご教示ください」

「我とても、この三百年の間の世界の出来事は知らぬ。お互い様だな。よろしく頼む」

 ブルーの答えに二人も笑顔になった。




 泉を出発した一行は、次にレイの母親の墓に来ていた。

 墓守の赤リス達は、上空に竜の影が現れた途端、木の葉の中に隠れていなくなってしまった。

 母さんの墓の周りは秋の雑草が生い茂り、後ろに植えたキリルの木は、小さいながらも鈴なりの実を付けていた。

「母さんが大好きなんだよ。良かったね。うまく根付いてくれて」

 キリルの実を摘みながら、レイがそれを口に入れて笑った。

「へえ、キリルってこんな風に成るんだね」

 ユージンが感心した様にキリルの木を見ている。

「草は刈らなくて良いか?」

 ブルーの言葉にレイは頷いた。

「この方が赤リス達が隠れられるでしょ。良いよ、このままで」

 キリルの枝をひと枝折って、母さんのお墓の前に置いた。

「母さん、あのね……以前報告したでしょう。今からブルーと一緒にオルダムに行くんだよ。しばらく帰れないと思うけど……寂しくないよね」

 タキスが背後に立ってその背中をそっと叩いた。

「お母上のお墓は私達がお守りしますよ。心配いりません」

「うん、よろしくね」

 下がったレイに替わって二人が墓の前に立ち、それぞれに深々と頭を下げた。

「レイルズのお母上様、初めてお目にかかります、オルダムで竜騎士を務めておりますロベリオと申します。貴女のご子息と同僚になります。とても楽しみです。どうか、彼のこれからを見守ってやってください」

「レイルズのお母上様、同じく竜騎士を務めておりますユージンと申します。彼と共にこれから先、共にこの国を守っていきます。どうか、この地にて彼を見守ってください」

 もう一度頭を下げた二人は、そっとミスリルの剣を軽く抜いて戻した。

 聖なる火花に、シルフ達が現れて輪になって墓の周りを踊っていた。


『ミスリルの守りをここに』

『ミスリルの守りをここに』

『聖なる火花が放たれた』

『ここは更なる聖なる場所』


 振り返ったユージンとロベリオが手招きするので、レイは不思議そうに隣に並んだ。

「そのミスリルの剣、半分ぐらい抜いて力一杯戻してごらん」

 ロベリオに、ベルトに取り付けられたミスリルの剣を指差してそう言われ、レイは教えられた通りに後ろ手に半分ほど抜いて勢いよく戻した。

 高くて軽い金属音がして、その直後にまた何人ものシルフが現れた。


『綺麗な火花』

『ミスリルの火花』

『とても綺麗』

『綺麗綺麗』


「その剣には守護石が付いていないから結界を張る事は出来ないけど、ミスリルの火花は聖なるものだからね。お母上への贈り物になるよ」

「うん、ありがとう」

 お墓の上でまだ回っているシルフ達に笑いかけて、一行はその場を後にした。




 岩場が散らばる広い草原に出た一行は、ゆっくりと目的の場所に降り立った。

 話には聞いていたが、あまりにも粗末なその墓に、二人は戸惑いを隠せなかった。

 しかし、顔を見合わせた二人は揃って腰の剣を抜き、目の前に横向きにおいて片膝をつき深々と頭を下げた。後ろでは二頭の竜も頭を下げて鼻先を地面に付けた。

「我ら全ての竜騎士の恩人であるエイベル様に心からの感謝を。どうか安らかなる眠りを貴方に。精霊王の御許にて我らを守り給え」

 声を揃えてそう言うと、改めて深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

 少し涙ぐんだタキスの言葉に、二人は立ち上がって剣を戻した。

 また聖なる火花が放たれて、シルフ達が喜ぶのを皆無言で見ていた。

「エイベル、僕、オルダムに行くよ。君のお墓はオルダムにもあるもんね。また会いに行くよ」

 そう言って笑いかけると、胸を張って笑って先程と同じ様にミスリルの剣を抜いて戻した。

 高く軽やかな金属音が、静かな草原に響いた。

「エイベル。王都でのレイを見守ってやってくださいね。また会いに来ますよ」

 しゃがんで話しかけるタキスの後ろで、ニコスとギードも静かに頭を下げた。



 立ち上がったタキスは、振り返ってレイを見つめた。

「本当に、行くんですか? 辛いものを見る事になりますよ」

 しかし真っ直ぐにタキスを見たレイは、無言で頷いた。

 皆、無言のままそれぞれに竜の背に乗った。

「行こうブルー。僕のいた村に」

 ゆっくりと上昇するブルーに、二頭の竜が続いた。




 目的の場所までは、空を飛んで行けばすぐだった。




 しかし、そこは文字通り廃墟だった。焼け落ちて崩れた家々は、まだそのまま放置されている。

 一番大きな建物だった村長の家だけが辛うじてその原型を留めていが、屋根は落ち、窓も無くなっていた。

 村のはずれに降り立った一行は、あまりの惨状に言葉も無かった。

 レイは黙って歩き始める。慌てて皆後を追った。

「この建物が、村長の家。共同作業をする時や、勉強もここでしたんだよ。エドガーさんの家はこっち」

 その隣の、レイが指差す焼け落ちた家には、廃材の下に確かに炉の跡が見えた。

 ギードが唸り声をあげて膝をつく。レイは黙ってその背中を優しく撫でた。

「僕の家はここだよ」

 少し歩いて、辿り着いたそこは、わずかに壁の跡が残っているだけで何一つ残っていなかった。

「本当に何にも無くなっちゃったんだね」

 いっそ、怖くなるほど普通に話すレイを、タキスは思わず後ろから抱きしめた。

「泣いて良いんですよ。誰も、誰も笑ったりしません」

 黙って首を振った。

「もう泣かないって決めたんだ。ずっと皆にお別れを言いたかったの。それから……謝りたかったんだ。見捨てて逃げて、ごめんねって」

 レイを抱きしめたタキスは、涙を堪えられなかった。自分の背中で声を殺して泣くタキスに、レイは小さく笑ってそっと腕を撫でた。

「どうして、タキスが泣くんだよ」

「貴方が……貴方が泣かないからです!」

 そう叫んで、もう一度力一杯抱きしめた。隣ではギードも涙を堪えている。

 ニコスは、レイとタキスを横からそっと二人まとめて抱きしめた。その反対側を、ギードが声を上げて泣きながら抱きしめた。

 レイは、一度も泣く事無く、黙って三人が泣き止むまでじっとしていた。

「ありがとう。皆の為に泣いてくれて」

 ようやく涙が収まった三人に、それぞれキスを返して振り返った。




 畑のあった村はずれの場所には、墓が掘られている。

 しかし、それぞれの墓に名前は無く、無名の石が置かれていた。唯一エドガーだけに名前が彫られていたのは、ギードが確認出来たからだろう。

 墓の横に作られた立て札には、村人全員の名前が書かれていた。

「僕と母さんの名前もあるよ……」

 苦笑いするレイを、またタキスが無言で抱きしめた。

「人数が合わないって書いてあるね」

 立てられた看板には、遺体の数と村人の数が合わなかった事、恐らく行方不明の女性と子供は攫われたのであろう、と書かれていた。

「何か情報をお持ちの方は、ブレンウッドの守備隊までって書いてあるよ」

「其方が出立したら、次にブレンウッドに行った際に報告しておこう。子供を一人保護したとな」

「うん、お願い」

 小さく頷いたレイは、またミスリルの剣で聖なる火花を放った。

 ずっと黙って見ていたロベリオとユージンも、揃ってミスリルの剣で聖なる火花を散らした。

「ここに浄化の術をかけておこう。村人達の魂が安らかであるようにな」

 ブルーの言葉に、レイは小さく頷いた。

「ありがとうブルー。ごめんね、ちょっとだけ……ちょっとだけ、こうしててくれる……」

 差し出された大きな頭にそっと抱きついた。




 黙って、無言のままそうしているレイに、誰も何も言えずに、黙って見守っていた。

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