ニコスのパンケーキ

『寝てるね』

『寝てるね』

『でも起こしてって』

『言われた言われた』

『言われた言われた』

『どうする?』

『どうする?』

『起こすの?』

『起こすの』


 一人のシルフが、眠るレイの額に降り立ち前髪を引っ張り始めた。それを見て他の者達も頬を叩いたり髪を引っ張ったりし始めた。

「うう……待って、眠い……」

 今朝は冷え込んでいて、室内はかなり寒い。

 ぼんやり目を開いたレイは、毛布から顔を出しただけで思わずまた引っ込んでしまった。

「寒い……何これ……」


『駄目駄目』

『起きるの』

『起きるの』

『初雪だよ』

『初雪だよ』


 去年のどか雪を思い出して、レイは飛び起きた。

「ええ、待ってよ! まだ厩舎も竜舎もそのままだよ。皆は無事なの?」

 ベッドから飛び降りて服を脱ぎながら叫ぶレイに、シルフ達は一斉に首を振った。


『ちょっとだけ』

『ちょっとだけ』

『すぐに溶けるよ』

『溶けるよ』

「あ、そうなの? なら良かった……寒っ!」

 シルフ達の声に安心して我に返り、うっかり一気に寝巻きを脱いでしまった事に気付いて、震え上がるレイだった。




「おはようございます。今朝は寒いね」

 身支度を整えて居間に行くと、ニコスがいるだけで他には誰もいなかった。もしかして雪掻きなのかと慌てたが、すぐに足音がしてタキスとギードが戻って来た。

「おはようさん。外は少しだけど雪が降って霜が降りてるぞ」

 鍋をかき混ぜていたニコスが振り返って応えてくれた。

「ああ、おはようございます。起こしに行こうと思っていたのに、自分で起きてくれましたね」

 部屋に戻って来たタキスにそう言われて、レイも振り返った。

「おはようございます。外は初雪なんだって?」

「ああ、おはようさん。まあ降ったのは、ほんの少しだよ。去年と違って今年の冬は、ゆっくり始まったみたいだな。厩舎と竜舎の様子を見て来たが、あらかた吹き飛ばされて積もると言うほどでは無いな。まだ、こっちの家の扉が開くから大丈夫じゃ」

 ギードが笑ってそう言うと、部屋を見回した。

「お二人はまだのようだな。シルフ、すまんが様子を見て来てくれるか?」


『着替えてた』

『着替えてた』

『もう来る』

『もう来る』


 何人かのシルフが、ギードの言葉に嬉しそうにそう答えた。

「おお、そうか。なら起こしに行かなくても良いな。ニコス、薫製肉はこれを切るのか?」

「ああ、朝はそっちの生ハムを切ってくれ。レイ、サラダはいつもの戸棚にあるから、生ハムと一緒に盛り合わせてくれるか」

 ふわふわ炒り卵を作っているニコスにそう言われて、レイは元気に返事をして戸棚からウィンディーネの姫が座っているサラダを取り出した。

「姫、いつもありがとうね。盛り付けるからもう良いよ」

 笑って声をかけると、姫は頷いていなくなった。

「あ、スープ用のお皿も出しておいてくれるか」

「分かった。小さいほうでいいのかな?」

 サラダのお皿を一旦机に置き、戸棚からスープカップを取り出した。二人の分は、少し柄が違う別のカップを出して並べた。




「おはようございます。すごく寒いね」

「おはようございます。起きて、寒くてびっくりしたよ」

 丁度その時、笑いながら昨夜と同じ普段着の服装の二人が入って来た。

「おはようございます。外は初雪が降ったらしいよ」

 サラダを取り分けながら、顔を上げたレイが嬉しそうに報告した。

「だってね。シルフ達から聞いたよ。アーテルとアンバーは上の草原で大喜びだったみたいだぞ」

 ロベリオが座りながら笑ってそう言い、隣に座ったユージンも笑って頷いている。

「えっと、そんなに喜ぶって事は、オルダムって雪は降らないの?」

 ちょっと考えて、質問した。

「いや、全く降らない訳じゃないけど、積もる程降るのは……年に数回程度だよな」

「そうだね。どちらかと言うと、冬場は風が強いんだよ。竜の鱗山から吹き下ろす風が凄いからね。雪は吹き飛ばされちゃうんだ」

「確かに、冬のオルダムの風はきついですからな」

 冬のオルダムを知るギードの言葉に、タキスも大きく頷いている。

「特に北側の街道筋から吹く風は、旅人泣かせって言われてる。だから、冬場はわざわざ迂回して、別の街道を通って行くぐらいだもんね」

 そんな二人を見たユージンが、そう言って両手で腕を抱えて震えてみせた。

「でも、この辺りの冬とは比べ物にならないくらい楽ですよ。良かったですねレイ。今年は雪かきしなくて済みますよ」

 カトラリーを並べていたタキスがそう言ってくれたが、これから冬支度の重労働があるのに気付いて心配になった。

 薫製肉と炒り卵を盛り合わせたお皿を各自の前に置きながら、レイは心配そうにタキスを見た。

「ごめんね。手伝えなくて。無理しないでね」

 一瞬、目を閉じたタキスは、大きく息をしてレイの背中を力一杯叩いた。

「心配いりませんよ。忘れているようですから言っておきますが、今まで何年も私達だけでやって来たんですよ。去年はレイが来てくれて、ちょっと楽させてもらったのだと思っておきます」

 今の気持ちを上手く言葉に出来なくて、レイはタキスの背中に抱きついた。

「忘れないよ。ここで教えて貰った事……全部、全部僕の宝物だよ」

 驚いたタキスがもう一度深呼吸して、背後から抱きつくレイの腕を叩いた。

「愛してますよ。私達の大切な大切な息子。旅立ちの日に、涙は不似合いですよ」

 背中に顔を埋めて、レイは小さく何度も頷く事しか出来なかった。




 豪華な朝食の後、食後のお茶を飲みながらレイは目の前に出された栗の甘露煮を見つめていた。

「レイ、昨日の荷物を入れた箱に、作った色んな栗の瓶を沢山詰めておいたからな。向こうに行ってもしばらく食べられるぞ」

「うん……ありがとう。大事に食べるよ」

 最後の一粒を口に入れて、ちょっとだけ出た涙をこっそり拭いて隠した。



 いつものように、家畜と騎竜達を上の草原に連れて行くと、大岩の隣で、二頭の竜とブルーが並んで丸くなっていた。

「おはよう、ブルー。もう来てくれていたんだね」

 駆け寄って大きな頭にキスをするレイを、タキス達は無言で見つめていた。

「うむ、少し雪が降ったのでな。気になって早めに来てみた。あいつらも雪に大はしゃぎだったようだぞ」

 素知らぬ顔の二頭の竜だったが、草原のあちこちの草が剥がれているのを見て森の住民達は笑うしかなかった。

「うわあ、すみません。もしかして、これって草原の草を荒らしちゃったんじゃないか!」

「そうだぞ。お前達、駄目だろ。これは家畜達が食べる大事な草なのに。これからもっと寒くなるのにどうするんだよ」

 慌てたようにロベリオとユージンが頭を下げる。しかし、タキスは笑って草原を指差した。

「大丈夫ですよ。それどころか、草を起こしてくれて有難いです。根っこが張ってまた元気になりますよ。ここは冬の間も日当たりが良いし、早朝の風のおかげで雪がほとんど積もらないんですよ。なので冬の間も草はどんどん育ちます」

「そうなんですか。良かった」

「冷や汗かいたよ。ご迷惑かけたかと思って本気で焦ったよな」

 焦る二人に、タキスが背中を叩いて笑っていた。

 いつものように厩舎と竜舎の掃除を手分けして行い、草原に上がってブラシをかけたり、拭いてやったりした。二人は興味津々で三人とレイが手慣れた様子で作業するのを邪魔しないように見ていた。

 最後のポリーを拭き終わって濡れた布をバケツに戻しながら、レイはニコスにそっと小さな声でお願いした。

「あのね、最後にニコスのパンケーキが食べたいな。駄目?」

 バケツを持って振り返ったニコスは、笑って頷いた。

「実は、そう言うんじゃないかと思って昼ごはんに用意してあるんだ。甘いパンケーキも良いけど、パンケーキは食事にもなるんだぞ」

 驚いて目を見開くレイに、ニコス笑ってバケツを手に取った。

「って事で、俺は準備があるから先に戻るよ。レイはどうする? 一旦戻るか?」

 振り返った林と大岩は、吹き寄せられた雪に半分近く埋まっている。

「もう、あそこは使えないね。じゃあ戻るよ。もう少し片付けておきたいし」

「あの部屋は、あのまま置いておくから、散らかってても気にしなくて良いぞ」

 ニコスの言葉に、小さく頷いたレイは、振り返って竜達の所にいた二人に声を掛けた。

「ロベリオ、ユージン、お世話は終わったから下に降りるよ」

 手を上げて立ち上がる彼らを見て、レイは自分の使っていたバケツとブラシの入った籠を持った。



 ニコスが台所に戻り、なんとなくそれ以外の全員がレイの部屋に集まる。

 戸棚の中にあった細々とした物や夏服の整理をしていて、レイはふと顔を上げてギードを見た。

「ねえギード。これ、どうしたら良い? 返したほうがいいよね?」

 引き出しから取り出したのは、布に包んであった大きなミスリルの原石だ。

 包みを開いて現れたその虹色の輝きに、それを見たロベリオとユージンの二人が無言になる。

 レイはそれに気付かず、その塊を手にギードのところに持って行った。

「いや、それは持って行きなされ。それほどの原石なら、それだけで装飾品としての価値もございますからな。向こうに行ったら、下に敷く台を探せばよい。オルダムならば、木工細工で良い物が沢山ありましょうからな」

「良いの?」

「もちろん。それは其方に差し上げたものですからな」

「ありがとう、気に入ってたから嬉しい。それに沢山あるって言ってたもんね」

 頷いて、その塊を無造作に布で包んでリュックに入れるレイを見て、顔を見合わせた二人は同時にギードを振り返った。

「あれって、ミスリルの原石ですよね?」

「あれが沢山あるって……? 一体どうしたんですか?」

「えっとね、これはギードの鉱山で採れた物なんだよ。すごいでしょ」

 振り返ってそう言う無邪気なレイの言葉に、二人は驚いて顔を見合わせた。

「それってもしかして……ヴィゴとマイリーが言ってたアレ?」

「個人所有の鉱山で最近発見された、新たなミスリル鉱山?」

 もう一度振り返った二人は、ギードが苦笑いしながら頷くのを見て同時に悲鳴を上げたのだった。



「うわあ、美味しそうな良い香り!」

 レイの声に、皆笑顔になる。

 荷造りも終わり、早めの昼食の為に居間に戻った一同は、机に置かれたパンケーキに目を奪われた。

 大きめのお皿にそれぞれ三枚ずつ扇状に並べられたパンケーキには、焼いてソースで絡めた肉団子やレタス、芋のサラダなどが彩りよく盛り付けられていた。

「はいこれが最後の一つ。さあどうぞ召し上がれ」

 レイの前に置かれたのは、一番大きなパンケーキのお皿だった。

「デザートじゃ無くてって、こう言う意味だったんだね」

 真っ赤なキリルのジュースがそれぞれの前に置かれる。

「まだ食べられそうだったら、デザート用のパンケーキもあるぞ」

「食べる!」

 食べる前から即答するレイに、その場にいた全員が吹き出したのだった。

 それぞれ、精霊王へのお祈りの後、食べ始めた。

「これは美味しい。言ってたもんな、ニコスの作るパンケーキは美味しいって」

「うん。最後に食べてもらえて良かった。ふわふわなんだよ」

「確かにこれは美味い。レイルズが自慢するだけの事はある」

 口の肥えた二人にも、ニコスのパンケーキは大満足だったようだ。



「本当に食べられるか? お腹と相談しろよ」

 ニコスはそう言ったが、レイは笑顔で頷いた。

「大丈夫。甘い物は入るところが違うんだって」

 その言葉にロベリオとユージンが吹き出している。

「それって、嘘つき男爵が言ってた言葉だよな」

「大丈夫。甘い物は別腹と申しましてな。ってね」

 レイも笑って大きく頷いた。

「本当だと思うよ。お腹いっぱいだと思っても、甘い物は食べられるもん!」

 断言するレイに、皆苦笑いしていた。

「好きなだけ食べろ、育ち盛り」

「そうだぞ、育ち盛り」

 二人にからかわれて舌を出すレイを見て、タキスとギードは笑うのを堪えられなかった。



 レイのところには小さめの三段重ねのパンケーキが置かれた。

 パンケーキの上には真っ白なクリームと、栗のペーストをたっぷりと絞り出してあり、ちょっとした山になっている。横には綺麗に切った果物と、キリルの砂糖漬けが飾られていた。

 他の人達のパンケーキは小さな二段重ねで、同じように飾り付けられていた。

 手早く各自にお茶が入れられたが、その間中レイは目の前のパンケーキから目を離せなかった。

「これってもしかして……母さんの砂糖漬け?」

「ええ、これで最後ですよ。お母上も一緒に見送ってくださいますよ」

 ニコスの言葉に、レイはあふれる涙を堪えることが出来なかった。

「ありがとう。最高のパンケーキだ……」

 お皿の端に座ったシルフ達が、レイの肩に飛び移り、代わる代わるその濡れた頬にキスを贈るのだった。

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