荷造りと剣の意味

「レイ……それは……」

 言い淀むタキスに、レイは小さくうなずいた。

「分かってる。でも……ちゃんと、お別れを言いたいんだ。それに、あれからどうなってるのか……自分のこの目で見ておきたい」

 しばらく誰も、言葉を発する事が出来なかった。




「何だ、どうした?」

 鞍と手綱をまとめて抱えたギードが、開いたままの扉の向こうから、妙な雰囲気を察してそっと声を掛けた。

「あ、ギードありがとう。それ、気に入ってたから持って行けるって嬉しい」

 いつものように笑ったレイが振り返る。

 箱詰めをしていたタキスが、入って来たギードから無言で鞍を受け取った。

 目線で何かあったのか伺うギードに、タキスは小さく首を振った。

「後で話します。それより、この二本の棒はどうするんですか? 箱には入らないですよ?」

 袋に入れられた金剛棒を見て、ロベリオが手を出した。

「ああ、それは俺の鞍の横に取り付けて持って行きますよ。ちゃんと、予備の武器を取り付ける箇所が付いてるんですよ」

 タキスもいつものように振る舞っているのを見て、皆、何事もなかったように作業に戻った。



 黙っていたユージンが、肩を竦めて横の戸棚に置かれたリュックを見て、そのリュックの隣に置かれていたミスリルの短剣に目を留める。

「これって、この前、砦に来た時に身に付けていたよね。もしかして……もしかしなくてもミスリルだよな、やっぱり。これは凄い」

 持ち手部分全体に彫り込まれた、繊細な彫刻を見て驚きの声を上げる。その声に振り返ったレイが嬉しそうに頷いて、立ち上がってユージンの隣に行きミスリルの剣を手に取る。

「ギードが作ってくれたんだよ。すっごく綺麗なんだよ」

 ユージンが驚いてギードを見ると、その視線を受けてギードが大きく頷いた。

「ミスリルの剣は、彼が竜騎士となった時に陛下から下賜されると聞きました。ですが、それまで身を守る剣は必要でしょうからな。短剣ならば、将来的にも予備の剣としても使えましょう。自分で言うのもなんですが、中々に良く出来ました」

 目を細めたギードはそう言って、レイの隣に来てミスリルの剣を鞘の上からそっと撫でた。

「見てみてよ。ギードの作ってくれた剣」

 レイが鞘ごと手に取ってユージンに渡そうとした。

 ギードが慌てたように何か言いかけたが、ロベリオが目配せして黙らせる。小さく頷き、ギードは黙って二人を見守った。

 少し後ろでタキスとニコスも不安そうに、手を止めて話をする彼らを見守っていた。




 差し出されたミスリルの剣を受け取ろうとしないユージンに、レイは不思議そうに首を傾げる。

「えっと、どうしたの?」

 側に来たロベリオが、そっとレイの肩を叩く。

「レイルズ、ちょっといいか。大事な事を教えてやるよ」

 真剣な口調に、慌てたように頷いたレイがロベリオに向き直った。

「はい、何ですか?」

 ロベリオは、レイが右手に持ったミスリルの剣をそっと撫でる。

「今、それをユージンに渡そうとしたよな」

「うん。えっと、駄目な事だった?」

「駄目って訳じゃ無いけど、ちょっと軽率だぞ」

「どうして?」

 全く分かっていないレイに、ロベリオとユージンが小さく笑った。慌てたようにギードが頭を下げる。

「申し訳ありません。砦に行く際に慌ててその剣を渡しました故、剣を持つ者の心得まで話しておりませんでした。本当ならば、一番に話さねばならない事でしたのに……」

 ギードの背中を叩いて頷いたロベリオは、もう一度レイに向き直った。

「剣を持つ者が、手にした剣を人に渡すって事は、自分の命をその人に渡すのと同じ意味を持つ。分かるか?」

 驚いたようにレイは自分の持った剣を見て、ユージンを見た。視線を受けてユージンも頷いた。

「俺が悪人だったらどうする? それを受け取った瞬間に、丸腰になった君にその剣で斬りかかるよ」

「ユージンはそんな事……」

「しないって言い切れるか?」

 正面から見つめられて、レイは疑う事なく頷いた。余りにも素直に頷かれて、ユージンは小さく吹き出す。隣では、ロベリオとギードが頭を抱えている。

「でも、意味は分かりました。そっか、迂闊に初対面の人とかに簡単に渡しちゃ駄目なんだね」

「そうだよ。それからもう一つ。ちゃんと意味が分かった上で渡すのなら、それはその人物を心から信頼している証になる。ましてや、その渡した人物に剣を抜かせるなんてね」

 ロベリオがギードを見ながらそう言うのを聞いて、以前ヴィゴがここに来た時に、ギードに剣を渡して抜かせたのを思い出した。

「それって……?」

「ええ、そうです。ワシは感動で足が震えましたぞ。まさか、竜騎士様から直々に剣を見せて頂ける日が来ようとは、ましてや、その剣を抜かせて頂けるなど。人生最高の体験をさせて頂きましたぞ」

 嬉しそうに話すギードの顔は、その時の事を思い出して紅潮していた。




「それじゃあ、改めて、見せてもらえる?」

 ユージンの言葉に、レイは大きく頷いた。

「うん、どうぞ見てください。とても綺麗なんだよ。もちろん、ロベリオも見てください」

 笑顔のレイに、改めて二人は剣を受け取り見せてもらう。

「この彫刻……本当に凄いよな」

「確かに、短剣でここまで作り込まれてるのは、俺も初めて見たよ」

 握る為のつかと、手を保護するためのつばと呼ばれるガードの部分まで、全体に彫り込まれた見事な細かい蔓草模様を見て、二人は感心しきりだった。

 ユージンがそっと鞘から短剣を抜いた。紛う事なきミスリルの輝きが、部屋の灯りに反射して煌めきを放った。

 呼んでもいないのに、シルフ達が周りに現れて、嬉しそうに周りを飛び回ってミスリルの剣を撫でた。

「見事なラインだ。バランスも完璧だよ」

 そう言って一旦鞘に戻してロベリオに渡した。両手で受け取ったロベリオも、そっと剣を抜いた。

「確かに、初心者でも持ちやすいバランスのいい短剣だね。これは素晴らしい。ロッカに見せたら嫉妬するかもな」

「確かに、出来たら鞘だけでもロッカに作らせてやってよ」

 笑ってそう言うと、鞘に収めてレイに返す。

「剣を人に渡す時は、こんな風に横向けに柄の側を左にして渡す。受け取った側が右に柄があるようにするんだ。間違っても剣先を相手に向けないようにね」

「鞘に入っていても、剣先を相手に向けるのは、抜いてるのとほぼ同じ意味だからね」

「それって絶対駄目だよね」

 頷いて慌てたように言うレイに、二人は肩を竦めた。

「まあ、喧嘩売るつもりじゃ無ければ普通はしないよ、そんな事。それからもう一つ。剣の柄を相手に向けて渡すってのは、また別の意味を持つからね。普段は絶対にしないように」

「どう言う意味があるの?」

 無邪気に聞き返すレイを見て、ロベリオはその頭を抱えてぐしゃぐしゃに撫で回した。

「こんどゆっくり教えてやるよ。言っておくけど、こんな感じで何から何まで決まりだらけで、それを全部嫌でも覚えるんだからな。覚悟しとけよ」

「うわあ。絶対無理! 僕、泣いて森のお家に帰ります!」

 ロベリオに揉みくちゃにされたレイの悲鳴に、その場にいた全員が同時に吹き出したのだった。






 なんとか荷造りも終わり、箱は手分けして玄関の扉の横に置かれた。金剛棒の入った袋も箱の上に一緒に置かれた。

 一旦居間に戻る時に、ニコスがロベリオにそっと話しかけた。

「あの、ちょっとお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ、何ですか。俺に分かる事でしたら何でもお答えしますよ」

「いくつかあの子に、頂いた絹で服を作っております、今出来上がっているものは、持って行けるよう大きな鞄に入れてあるのですが、まだ生地が沢山あるので、今後作った物を勝手に届けて良いものかどうかお聞きしたくて……」

「ああ、帰る時にマティルダ様が持たせてくださった絹ですね。構いませんよ、いつでも届けてやってください。届け物をされるのなら、ブレンウッドのドワーフギルドに頼むのが一番確実で早いと思いますよ。オルダムの竜騎士隊本部宛に届けて頂けたら、確実に本部に届けられます。差出人の名前を明記してくだされば、誰宛などの個人名は入れても入れなくても構いませんよ」

「ご配慮感謝します。それではお言葉に甘えて、後程、届けさせて頂きます」

 嬉しそうなニコスに、ロベリオも笑顔になった。

「故郷からの荷物って、嬉しいらしいですよ。遠慮せずにどんどん送ってやってください。俺はオルダムに家があるから分からないけど、部隊には色々な地方から出て来ている者も多いですからね。よくそんな話を聞きます」

「ありがとうございます。そう言って頂けたら送り甲斐があります」

 顔を見合わせて、頷き合った。




 ロベリオとユージンは、それぞれ部屋から自分の剣を持って来てギードに見せていた。

 ユージンの剣の方が、ロベリオの剣よりも少し短く細い。それでも短剣とは全く違うその重さに、ギードはまた顔を紅潮させて、満面の笑みを浮かべていた。

「初めて見せてもらったのも、二人の剣だったんだよ。あ、まだタドラの剣は見せてもらってないや」

「じゃあ、向こうに行ったら見せてもらえよ。タドラのは、俺達の剣よりもかなり細身の綺麗な剣だぞ」

 嬉しそうに頷くレイに、二人は笑って剣を置いた。




 居間では、大人達はそれぞれに軽く酒を楽しみ、レイの前にはリンゴのジュースが置かれていた。

 和やかに話をしていたが、何と無く言葉が途切れて沈黙が部屋を満たす。

「僕、そろそろ眠くなってきた。もう寝てくるね」

 残りのジュースを飲んだレイが、そう言って立ち上がり、いつものようにタキスにキスをした。

「おやすみなさい。明日も貴方に蒼竜様の守りがありますように」

 タキスがそう言って額にキスを返す。

「おやすみなさい、明日もタキスにブルーの守りがありますように」

 それから、順にニコスとギードにも同じようにきちんと挨拶して、ロベリオとユージンにも同じように挨拶してから居間を出て行った。



「ラピスの守りなんだ」

 キスされた頬をさすりながら、ロベリオが感心したように呟く。隣でユージンも照れたように笑っていた。

「以前、ブレンウッドの街へ初めて買い出しに行った時に、レイにお休みの挨拶をしたんですが、精霊王の守りがありますようにと、言ったら、その後ちょっと不安になりまして……」

「どうして? 精霊王の守りがありますようにって、普通に休む時のあいさつですよね?」

 不思議そうに尋ねる二人に、ニコスは首を振った。

「あの、悪夢の襲撃のあった夜、彼は母親とそう言ってお休みの挨拶をしたそうです。突然その事を思い出したらしく、それは駄目だと言って真っ暗な中で飛び起きて震えていました。それで、ならばこうしましょうと言って蒼竜様に守って頂く事にしたんです。それ以来、我が家ではお休みの挨拶は蒼竜様にお守り頂く事になりました」

 顔を見合わせた二人は納得したように頷いた。

「いい事聞いた。ラスティに教えておかないとな」



 森での最後の夜は、こうして静かに更けていった。

 レイは、いつもと同じように湯を使い、寝巻きに着替えてベッドに潜り込んだ。

「お休み、シルフ……明日もいつも通りに起こしてね……」

 枕を抱きしめてそう呟くと、目を閉じた。

 ベッドの枕元には、何人ものシルフ達が現れて、代わる代わる眠る愛しい彼に何度も何度もキスをしていた。

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