旅立ち
「落ち着いたか? それでは行くとするか」
ようやく顔を上げたレイにブルーが優しくそう言い、小さく頷いたレイは、黙って見てくれていた三人を振り返り、照れたように笑った。
「ありがとう。送るよ、行こう」
顔を見合わせた三人は、何も言わずに頷いてブルーの背に乗った。
いつもの様に、四人並んで。
ゴドの村のあった場所から石の家まで、空から真っ直ぐに行くと、本当にあっという間だった。
「こんなに近かったんだね……」
小さな声で呟いたレイの声に、タキスは堪らなくなって後ろから力一杯抱きしめずにはいられなかった。
いつもの上の草原に降り立ったブルーの背から、四人が順番に降りる。
続いて降り立ったロベリオとユージンは、竜の背に乗ったまま黙って四人を見つめていた。
ニコスが、肩から掛けていた斜めがけの鞄をレイに手渡した。
「これは、三人で道中の夕食に食べておくれ。レイの好きな生ハムもたっぷり入ってるからな。こっちの水筒には蜂蜜入りのカナエ草のお茶が入ってる」
「ありがとう。ニコスの作ってくれるお弁当は最高に美味しいからね……」
笑って受け取ると、ニコスの頬にキスを贈った。キスを返してもらうと、照れたように笑って大事そうに鞄を抱えた。
「レイ、身体に気を付けて……いつでも、いつでも帰ってきてくれて良いんですからね」
タキスが、そう言ってもう一度レイを抱きしめた。
「うん、もちろん。言ったでしょう、僕の家はここだよ」
抱きしめていた腕を解いたタキスは、正面からレイを見つめた。
レイが小さく頷き、タキスの頬にキスを贈る。タキスも小さく頷き、レイの頬にキスを返した。
ギードが右手を差し出して笑った。
レイは素直に握り返した。いくつもタコのできた、頼もしい硬くて大きな手を。
「達者でな。どこに行っても身体には気をつけろよ。それからこれだけは言うておく。我らの事、普段は忘れてくれて構わん。いや、忘れるべきだ。其方にはこれから先、長い人生が待っておる。その舞台となる場所はここでは無い。いつ迄もここに心を残してはいかん」
その言葉に驚いたように顔を上げたレイに、手を離したギードはにっこりと笑った。
「だが良いか。もしも長い人生の中で……万一、万々が一其方が世界中を敵に回し石もて追われる様な事になったとしても、無条件で其方の味方をする者がここに三人いる事を、どうかその時には思い出してくれ」
「ギード……幾ら何でも、例えが物騒に過ぎます」
呆れた様なタキスの言葉に、ギードはまた笑った。
「もちろん分かっておるわい。だが、人生は長い……本当に何があるか分からんでな」
肩を竦め小さく笑って、自分よりも大きくなったレイを見上げた。
「レイよ、覚えておきなされ。何があっても死ぬ事を自ら選んではなりませぬ。どんなに見苦しくとも足掻いてしがみついて見せなされ。人生、生き延びた者が勝ちじゃぞ。我らは皆、それだけは身に染みて知っておる」
「そうですよ、レイ。どんなに辛くても、必ずどこかに希望はあります。どうかそれを忘れないで……」
「うん……うん。忘れないよ」
そう言って、もう一度三人を順に抱きしめてキスを贈った。
「それじゃあ行くね。皆も元気で」
顔を上げたレイは、そう言って笑うと、伏せてくれていたブルーの背に乗った。
三人がゆっくりと後ろに下がり、見上げた。
「ありがとうブルー、行こう」
そっと首を叩く。
「分かった。ならば行くとしよう」
そう言うと、大きく翼を広げてゆっくりと上昇した。二頭の竜も後に続く。草原では見上げた三人が、並んで手を振っている。
名残を惜しむ様に、草原の上空を旋回した後、三頭の竜は一気に東に向かって飛び去って行った。
三人は、その姿が空に紛れて見えなくなった後も、いつまでも東の空を見つめ続けていた。
「良い人達だったな」
「そうだな。見習わないとね」
ロベリオとユージンはそう言って、自分たちの後ろを飛ぶレイを振り返った。
彼は、前を向いたまま泣いていた。
声を出さずに、しゃくり上げながら歯を食いしばって泣くまいとしていたが、あふれる涙は頬を濡らして止まる事が無かった。
二人は顔を見合わせて、そのまま前を向いた。
「俺達は何も見てないし聞いてないよ。好きなだけ泣くと良い。ただし今だけだ。王都に着くまでには、ちゃんと泣き止んでおけよ」
レイの耳元で、ロベリオの優しい声が聞こえた。
「うん……ありが……と……」
なんとかそう言うのが精一杯だった。そのすぐ後、レイは声を上げて思いっきり泣いた。誰に遠慮する事も無く、気がすむまで泣いた。
ゆっくりと東に向かって飛行を続ける三人だったが、秋の日暮れは早く、あっという間に夕焼けは姿を消し、気づけば、あたりはすっかり暗闇に覆われていた。
「さすがに、真っ暗な中を飛ぶのは嫌だよな」
そう言ったロベリオが光の精霊を呼び出して、三頭の竜の前を飛ばした。辺りが照らされて明るくなる。
レイは、胸元のペンダントを見て、小さく呟いた。
「そうか、光の精霊さんがいれば暗くても怖くないね」
『呼んだ?』
『照らせば良いの?』
『良いよ』
『良いよ』
『良いよ』
不意にペンダントが跳ねて、五人の光の精霊達が辺りを嬉しそうに飛び回った。
大きな五人の精霊達は、明るさを増して飛んで行き、前を飛ぶロベリオの光の精霊達と一緒に辺りを照らしてくれた。
「おお、すごい。あれ? もしかして光の精霊……増えた?」
「本当だ、前は三人だったよね」
驚く二人に、レイは慌てて頷いた。
「えっと、そうなの。増えました」
「あはは、お前、そんな簡単に言うなよな。光の精霊は、普通は、仲良くなっても中々一緒にはいてくれないんだぞ」
その隣では、まだ自分の光の精霊を持たないユージンも笑って頷いていた。
「相変わらず、やる事が桁外れだよな」
苦笑いして、呆れた様に顔を見合わせる二人だった。
「ところで、そろそろ腹が減ってきたぞ。どうする? どこか降りられそうな所ってあるかな?」
ロベリオの言葉に、ユージンも頷いた。レイも言われてみればお腹がかなり空いている。
二人を見て頷くと、ロベリオは空中に向かって話しかけた。
「シルフ、このあたりは降りても大丈夫か?」
すると、何人ものシルフ達が現れて首を振った。
『ここは危険』
『下には森狼達がいる』
『もう少し先に平原があるよ』
『そこは安全』
「だってさ、じゃあ案内してくれるか。そこで、ニコスの作ってくれた夕食を頂こう」
光の精霊達と並んで飛ぶシルフに導かれて、一行は少し高台になった平原に出た。
念の為光を強くして辺りを確認してから、三頭の竜は平原に降り立った。
光の精霊達は、竜の頭や翼に座って辺りを照らしてくれた。お陰で、ランタンは必要ないくらいに明るくなっている。
「えっと、何があるのかな?」
鞄を下ろして中身を取り出すと、ちゃんと三つの包みが出てきた。
「これが、一人分って事なんだろうね」
二人に包みを手渡して、レイは丸くなったブルーの足に座った。
ロベリオが、荷物から簡易のコンロを取り出して手早くお湯を沸かし、ユージンが用意してくれていた携帯用のポットに、カナエ草のお茶の葉を入れた。
「レイルズはコップって持ってる?」
ユージンの言葉に、レイは首を振った。
「ニコスが水筒を用意してくれてあるから、僕はこれを飲むよ」
「寒くないか? 暖かいの飲みたいだろ?」
「俺、もう一つ持ってるから、これに入れてやれよ」
荷物の中から、ロベリオが金属製のカップを取り出した。
「ありがとう。確かにちょっと寒くなってきたよね」
ニコスがくれたマントは、肩から首のあたりは暖かいが、これだけ冷えてくると、長時間の飛行は確かに身体が冷えている。
鞄に入れてくれていた蜂蜜を入れた暖かいお茶は、冷えた身体に染みるほど美味しかった。
「あ、僕の好きな生ハムだ」
涙を誤魔化すようにパンを齧って嬉しそうに笑うレイを見て、二人も包みを開けるとそれぞれパンを食べ始めた。
しばらくの間、三人とも無言で黙々と食べていた。
「しかし、本当に美味しいよな。何が違うんだ?」
二つ目のパンを食べながら、ロベリオがしみじみと呟く。隣では、ユージンも食べながら大きく頷いている。
「そう言えばレイルズ、この前帰る時に携帯食持って行ったろ。あれ、食べたかい?」
ユージンの言葉に、レイは口の中の物を飲み込んでから大きく頷いた。
「うん食べたよ。味があるって知らなくて一番手前のを食べたら、定番の一番評判の悪いのだったみたい」
それを聞いた二人が、食べながら吹き出した。慌てたように口を押さえて必死に笑いを堪えている。
「食ってる最中に笑わせるなよ。それでどうだった?」
「初めての携帯食の感想は?」
飲み込んでお茶を一口飲み、落ち着いた二人が目を輝かせてレイを見る。
「えっと、口の中の水分を全部持っていかれました」
また同時に吹き出す。
「携帯食を食べる時には水は必須だからな」
「それで、味はどうだった?」
「えっと……実は別に普通に食べました。まあ、味も素っ気もないボソボソだったけど、しっかり噛んだら穀物の甘みがあったし……まあ、美味しいとは……言えないけど、ね」
「おお、それはすごいぞ」
「俺は初めて食べた時、本気で虐められてると思った」
「俺も思った。絶対嫌がらせされてるって」
笑う二人を見て、レイは首を傾げた。
「あれって、いつ食べるの?」
「まあ、例えば今みたいに遠出する時。出撃前に、急いで腹拵えする時なんかにも食うよな」
「そうだね。後は、出かける時の標準装備ってのがあってね。その中にもあの携帯食が入ってるよ」
「ちなみに、今もそこに入ってるぞ」
足元に置いた、荷物を指差して笑っている。
「これが一泊以上する時の標準装備。見てみるか?」
食べ終わっていたレイは、頷いてロベリオのところに行った。ブルーも興味津々で後ろから首を伸ばして見ている。
「毛布と下に敷く厚手の布。これは防水になってるから、地面が濡れてても大丈夫なんだぞ。こっちは雨用の装備。防水でフード付きの長いマントになってる。今使ってる簡易コンロと携帯用のポットとカップは、竜騎士隊には必須だ。他にも、薬とカナエ草のお茶の詰め合わせ。こっちの缶には塩が入ってる。携帯用食器とカトラリー、ナイフもあるぞ。それで、これが話題の携帯食」
ロベリオが指差すそこには、確かに見覚えのある小さな包みが並んでいた。
「今回は、泊まらせてもらう事が前提だったから持ってきていないけど、簡易のテントもあるよ。一泊の装備の時には普通は持って行くね」
二人の説明に、レイは何度も頷いて取り出してくれた毛布を手にした。その毛布は、巻いてしまうととても小さくなるように出来ていた。しかし触ってみると意外に薄いが暖かそうだ。
食器やカトラリーも、どれも小さく作られているが案外使いやすそうだ。
「夏場と冬場で、若干変わるけど、まあ大体こんな感じかな。普段は、もっと簡単なのがまた別にあるよ。さすがに毛布は無い」
「すごいんだね。よく考えて作られてる感じがする」
感心したようなレイの言葉に、ブルーも後ろから覗き込みながら頷いている。
「こういった装備は、どんどん改良されて良くなっておるな。我が知っている頃に比べたら、格段に使いやすそうになっておるぞ。良かったな、レイ」
手早く荷物を片付けながら、ロベリオも笑って頷いていた。
「さてと、それじゃあ行くとするか。忘れ物は無いようにな」
取り外した荷物をまた鞍に取り付けると、三人はそれぞれ竜の背に乗った。
「うう、寒い」
ゆっくりと上昇するブルーの背の上で、レイは小さく身震いをした。手足が冷えてかなり寒い。
すると、指輪から火蜥蜴が出て来て、レイの腕を通って胸元に潜り込み、いつかの雪かきの時のように、お腹の辺りを暖めてくれた。
「暖かくなったよ。ありがとうね」
胸元から得意げに顔を出した火蜥蜴を撫でてやり、レイは顔を上げた。
光の精霊に照らされた一行は、満天の星の下を東に向かって飛行を続けた。
「ほら、見えてきたぞ。ようやくの到着だ」
ロベリオが指差す方角には、いくつもの灯りが一面に輝く場所があった。
煌々と明かりに照らされた城と幾つもの塔や建物。そしてそれを取り巻く貴族達の屋敷群。また、幾つもの光が並ぶオルダムの街並みを、レイは空の上から言葉も無く見つめていた。
「ようこそオルダムへ」
「そうだぞ。待ってたんだからな」
二人の声に、レイはただ頷く事しか出来なかった。
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