交渉

 ルークはこの一刻の間、欠伸をかみ殺すのにかなりの労力を必要としていた。



 ようやく始まったタガルノとの直接交渉だったが、予想通り、いや予想以上にタガルノ側は一切の戦闘行為に対してしらばっくれて、とにかく知らぬ存ぜぬを押し通そうとしていた。

 アルス皇子によると、タガルノ側の交渉に出て来ている面子は、いつもと殆ど変わっておらず、マイリーが出て来ていないと分かった後は、特にひどい態度なのだと教えられた。

 一刻以上の時間を割いて、ようやくタガルノ側の主張が終わったが、要するに突発的な交戦となった深夜の一件以外は全く知らぬ事であり、言いがかりも甚だしい、といった感じだった。

 その深夜の交戦でさえ、狼の突然の襲撃から助けを求めて逃げた兵士達に対する、非人道的で一方的な攻撃だと、ファンラーゼン側の態度を一方的に非難したのものだった。



 黙ってタガルノ側の主張を聞いていたルークだったが、とうとう最後には堪えきれずに、態とらしく小さく吹き出した。

「何を無礼な! 神聖な交渉の場を何と心得るか! 新兵如きが黙っていろ」

 タガルノ側の代表の一人が、その態度に怒ったように吐き捨てる。

 正式な代表者であり、竜騎士であるルークに対して余りの言い様だが、ルークは怒る事も無く肩を竦めた。

「いや、話には聞いていたがこれ程とはね。自分で言っていて恥ずかしく無いのかと思ったら、つい笑ってしまいました。大変失礼を致しました」

 芝居染みたセリフと共に、態とらしく頭を下げてみせる。



 それは明らかな挑発だった。



「礼儀も知らぬ若造が、黙っていろ!」

 見事に煽られた別の者も、怒鳴るようにそう言って机を叩いた。

「彼は、正式な我が国の代表者の一人です。あまり無礼な言葉は慎まれますようお願いしたい」

 静かな怒りを込めたアルス皇子の言葉に、タガルノ側の者達は鼻で笑う。

「どうやら我々の間には、大いなる見解の相違があるようですね。とにかく、一つずつ順に事実確認をしていきましょう」

 これも態とらしくため息を吐いたルークがそう言って、書類を手に立ち上がった。



 立会人として同席しているのは、隣国であるオルベラートのレイズリー外交官だ。

「ファンラーゼン側の主張をどうぞ」

 レイズリー外交官に会釈したルークは、静かな声で話し始めた。



「事の起こりは、過日、九の月の十九日。我が国の第十六番砦からの報告でした。タガルノからの攻撃を受けている。との知らせに、我ら竜騎士隊が急行。現地で見たのは砦全体を覆う余りにも不自然な霧でした。これについてもご存知ありませんか?」

「知らぬ。自然現象まで我が国の仕業にされては堪らん」

 吐き捨てるようなタガルノ側の言い分を聞き、ルークは後ろの兵士に合図を送った。

 連行されて来たタガルノの将校達を見て、彼らが絶句する。

「可笑しいですね、それでは彼らが嘘をついている事になる。彼らはそれぞれ部隊を率いる将校ですが、霧が出て、砦が混乱状態に陥ったら攻撃するように命令されていたそうですよ」

「霧が出ただけで、混乱状態に? 情けないな」

 嘲るような言い方にも一切反応せず、ルークは逆に嬉しそうにこう言った。

「我が軍の兵士たちは優秀ですからね。視界が悪い中で攻撃されても、不用意に剣は抜きませんよ。同士討ちの危険が高くなりますからね」

 ルークは確信していた。霧が発生する直前の矢による攻撃を見たという見張りの兵士達の証言は幻覚だと。

 タガルノ側は幻覚による同士討ちを狙ったのに、ファンラーゼン側の兵士達は、霧が出た事により一切の反撃を放棄してとにかく砦の中に逃げ込んだのだ。

 それは、戦い慣れた兵士達の冷静で的確な判断だった。

「その後、我々が不自然な霧を全て吹き飛ばしました。それにより、彼らは攻撃の機会を逸し、そのまま国境横の森の中に深夜まで留まる事になった。ここにいる彼らは、自主的に我々の所に逃げて来てくれたのですがね」



 既に、彼らには亡命の意思を確認し皇王の了承を得ている。最近のタガルノ側の将校達の忠誠心は、美味しい食事と命の保証の前には瓦解する程度のものだったようだ。

 視線を逸らして、タガルノの代表者達を見ようとしない将校達に、タガルノ側は怒りに顔を真っ赤にしていた。



「その直後の、十八番砦からの救援要請。この攻撃についても知らぬと仰られるか?」

「当たり前だ。知らぬ」

「我が方の被害も相当なものでした。しかし、これを行なったのはあなた達タガルノの兵士ではありませんでしたね」

 当然だと言わんばかりの彼らの前に、ルークは足元の箱からとんでもない物を取り出して目の前に置いた。



 それは、マイリーのミスリルの剣が貫いたままの、巨大なガーゴイルの頭だった。

 明るい中で見る異形のそれは、到底現実の物とは思えない程だ。



「な……何だこれは」

 恐らく初めて見るのであろう異形のそれに、その場は静まり返った。

「我が国の手の者からの報告で、当日同時刻。十八番砦横のタガルノ側の国境横の森の中で異変が起こっていました。当日の、地震のような大きな地響きは記憶にあるのでは?」

 顔を見合わせた彼らも、それには同意した。

「レイズリー外交官及び、ロニー外交官にもご同行頂いて、現地を確認しました。大掛かりな召喚魔法の跡を確認しております。これも知らぬと?」

 ロニー外交官とは、タガルノ側がファンラーゼンに派遣している外交官で、ファンラーゼン側は密かに蝙蝠と揶揄している。日和見主義ですぐに我が身の保身に走る。今では完全にファンラーゼンに籠絡されているのだ。

 これに関しては本当は完全に言いがかりだが、ルークはこの件に関しては譲歩するつもりは一切無かった。

「我らが落としたのは、このガーゴイルが合計二十一匹。これは闇の眷属の中でも下位の妖魔ですが、ある程度の力量の者達が力を合わせれば、召喚は可能です」

「な、何を……」

 実際には、タガルノ側にこれほどの召喚魔法を行える術者は、表向きはいない。



 そして、もう一つの切り札をルークは叩きつける。



「当日深夜、あなた方が突発事態による不本意な交戦だと言った戦いがありました。その翌日。二十日目昼過ぎ。事は起こりました。我々は、これが一番重大な侵略行為であると考えております」

「はて、何のことですかな?」

 しらばっくれるタガルノの者達に、もう一つの証拠の品を見せる事にした。

「ずいぶんと優秀な術者をお持ちのようですね。我が国にご招待したいぐらいだ」

 態とらしくそう言って、背後に建てられた天幕の覆いを外させる。



 交渉は、国境の緩衝地帯である広い場所に、屋根だけのテントを張り、丸見えの状態で行われている。

 天幕が外され現れた巨大なそれに、皆、目を奪われた。



 そこには、巨大なグレイウルフが横たわっていた。

 その巨大な死骸を目の当たりにして、タガルノ側に動揺が走る。

 ルークはもう一度態とらしいため息を吐いて、兵士達に横に置かれていた大きな袋を持って来させた。

「中に何が入っているか、あなた方はご存知の筈だ」

「はて、なんの事やら……」

 完全に動揺して目が泳いでいる彼らの前に、ルークは自ら袋の口を開いて、彼らのすぐ側にそれを袋ごと放り出した。

 その場にいた、ルークとアルス皇子以外の全員が、口元を覆って悲鳴を上げた。

 袋から転がり出たそれは、腐りかけ崩れかけた哀れな屍人ゾンビの成れの果てだった。

「それは前回の戦いで亡くなられたタガルノの兵士ですね。屍人ゾンビとなって、このグレイウルフと共に我が領土を侵略しました。当然、戦って全て退けました。ここに三体確保しました。タガルノ軍の認識票を身につけていますね。ご確認願います」

 腐臭漂う中、平然とルークがそう言い遺体を指し示した。

「何と哀れな者達でしょう。忠義を尽くして命尽き果て、精霊王の御許に旅立つ事すら許されず、死してなお兵士として召喚されて戦わねばならぬとは。せめて安らかな眠りを彼らに与えられよ」

 恐怖とパニックで完全にへし折れた彼らの意思を、ルークはさらに追い込んだ。

「どうなされた? あなたの国の、大事な兵士達ですよ?」

 真っ青な顔で、彼らはまるで壊れた玩具のように首を振った。

「ど、どうか……もうご勘弁を……」

「何の事ですか? 別にあなた方を虐めている訳ではありません。どうぞご確認ください、と、そう申し上げているだけです」



 完全に、その場はルークの独壇場だった。

 交渉相手の格が違う事を、タガルノ側は身に染みて思い知らされたのだった。



 屍人ゾンビの遺体は、ファンラーゼンの兵士達によって袋に戻され封印された。

 シルフ達と光の精霊達がその場の空気を浄化してくれた為、ようやく息が出来るようになったタガルノの代表である彼らに、もう反撃するだけの気力は欠片も残されていなかった。




「いや全く、素晴らしかったよ。あれ程一方的な交渉は、私も久し振りだ」

 書類作成の為にレイズリー外交官立会いの元、ファンラーゼンの外交担当の官僚達がタガルノと最後の詰めの作業を行うので、一旦アルス皇子とルークは席を外し、用意された砦の外に張られた天幕の中で食事をとっていた。

 感心しきりのアルス皇子だったが、ルークの表情は晴れなかった。

「どうしたルーク。見事だったぞ。自分の仕事を誇ると良い」

 しかし、ルークは大きなため息を吐いてフォークを置いた。

「あんなの、俺がワルだった頃にやっていたのと変わりありませんよ。無理矢理も無理矢理、詭弁もいいところだ。思い出したら吐き気がしますよ」

「自分の仕事を卑下する事は無い。ルークはもっと外交を高尚なものだと思っているようだが、外交なんて所詮はあんなものだ。互いの言い分を言い合い、とにかく言い負かした方が勝ちなんだよ」

 顔を上げたルークは、情けなさそうに首を振った。

「まさか今になって、昔のやり方を踏襲する事になるとはね……」

「感謝してるよ。私一人では到底あそこ迄踏み込めなかっただろう。ありがとうルーク」

「あんなのでお役に立てたなら、良かったです」

 苦笑いしてフォークを手にすると、また食べ始めた。それを見て笑ったアルス皇子も、食事を再開したのだった。




 その日の内に正式な書類がまとめられ、両国代表のサインが記されて、一連の戦いは全面的なタガルノ側の賠償で決着を見たのだった。

 それは、タガルノ側に、ルークをマイリー以上の存在として、鮮烈な印象を残した記念すべき日となった。

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