ルークの計画と待つ者達
「出来ました。こんなもんで、どうでしょうかね?」
綺麗な字で書かれた書類の束を手渡されて、マイリーはそれを受け取りながら内心驚いていた。
数日前に、とにかく一度まとめてみろと言ったが、まさかここまで具体的にまとめてくるとは思っていなかったのだ。
「目を通すから、ちょっと時間をもらえるか」
書類をめくりながらそう言うマイリーに、ルークは照れたように笑って立ち上がった。
「お願いします。まだ穴だらけだと思うんですけど、何か気付いたら教えてください」
「分かった」
そう言ったきり、無言で書類に目を通すマイリーを見てルークは一礼して静かに扉を閉めた。
「ちょっと休んでこよう。頭が煮えそうだ」
大きなため息を吐いて、休む為に自分の部屋に向かった。
もう間も無く、タガルノとの直接交渉が始まる。今回はファンラーゼン側の被害も前回の比では無い。
十八番砦の壊滅と、マイリーの負傷。人的被害だけでも相当なものだ。
しかし、今回はタガルノ側からの直接の侵略行為とも言えるものは、ラピスに教えられて駆けつけた竜騎士隊が戦った、北の国境付近での深夜の一戦のみだ。
しかし、あれは森狼の群れに遭遇して起こった突発的なもので、侵略の意図は無いと言うのがタガルノ側の言い分だ。
国境すぐの森の中に一個中隊を隠している時点で、何をか言わんやだが、言い訳としては筋は通る。
そこでルークは、徹底的に今回の一連の流れを検証するところから始めた。
まずは事の発端になった、十六番砦からの救援を求める知らせ。
「タガルノからの攻撃を受けている」
と言うものだったが、しかし実際には霧に包まれていただけで、タガルノの兵士達の影も形もなかった。
そこで、人をやって十六番砦の兵士達に聞き込みを行なった。
すると不思議な事に、見張りの兵士達が口を揃えてこう言ったのだ。
「霧が立ち込める寸前に、ものすごい音とともに矢が雨のように降って来たのを見た」と。
しかし、実際にはそんな事実は無く、砦の中にはタガルノの矢など一本たりとも落ちてはいなかった。当然怪我人もいない。
十七番砦ではそのような事実は無い。
そして、霧が晴れた直後の十八番砦に現れた異形の者達。
ガーゴイルの群れは、僅かの時間に十八番砦の者達を惨殺して回った。
駆けつけた竜騎士達によってガーゴイルは一掃されたが、恐らくボスだったのであろうあの巨大なガーゴイルは、明らかに、始めからアルス皇子を狙っていた。
マイリーの咄嗟の行動が無ければ、あのガーゴイルの爪を受けていたのはアルス皇子だったのだ。
ガーゴイルは全て煙になって消え去ったが、一つだけ残ったものがあった。
それは遺体の回収中に発見された、マイリーのミスリルの剣だった。
それを発見した兵士によれば、地面に突き刺さったその剣は、見た事のない異形のものを貫いていたのだと言う。
至急第四部隊の術者が呼ばれ、それを見た術者が竜騎士隊に知らせて、アルス皇子とタドラが
フレアの凝固の術によって剣ごと固定された
そして、ファンラーゼン側が切り札として持つのが、黒衣の者達によって届けられたタガルノの将校達だ。
尋問の結果聞き出せたのが、霧による撹乱の後一斉攻撃に移る段取りだった事。しかし、何故か霧が晴れてしまい、結果として攻撃のタイミングを逸したまま部隊ごと放置された事。
恐らく、霧による撹乱攻撃が失敗した為に、彼らの部隊は切り捨てられたのだろうと考えられた。
そしてその後現在に至るまで、タガルノ側からの攻撃は一切無い。
交渉の場に引きずり出せたとしても、何処まで認めさせるかは客観的に見てかなり難しかった。
ルークがまとめた書類には、それをタガルノに全面的に認めさせるための詭弁とも言える攻略法が、綿々と綴られていた。
一通り目を通したマイリーは、天井を向いて両手で顔を覆った。
込み上げてくる笑いを堪えることが出来ず、とうとう声に出して笑った。笑いは止まらず、横向きになってひきつけを起こしたように笑い続ける。
丁度その時、ガンディと医療兵達が、湿布を変える為に部屋に入って来た。
「ど、どうした! 大丈夫か!」
横向きになって顔を覆っているマイリーを見て、驚いたガンディと医療兵達が慌てて駆け寄ってくる。
「ああ、ガンディ……大丈夫ですよ。ちょっとね……」
まだ笑いを残した顔でそう言ったマイリーを見て、ガンディは首を傾げた。
「大事無いなら良いが、一体どうした?」
必死で笑いを堪えたマイリーは、ガンディを見て堪える間も無くまた吹き出した。
驚く医療兵達には構わず、上を向いたマイリーはしみじみと呟いた。
「引きこもりの
何の事を言っているのか分かったガンディの驚く顔を見て頷いたマイリーは、視線を上に向けて空中に向かって話しかけた。
「ああ、シルフ、すまないが殿下をお呼びしてくれ。至急相談したい事があるとな」
治療が終わってしばらくしてからアルス皇子が部屋に来たので、マイリーはまずは先程ルークが置いていった書類をアルス皇子に見せた。
無言で目を通したアルス皇子も、全て読み終えた後、さっきのマイリーと同じように顔を覆って吹き出した。
「これは凄い。しかし、確かにこれ以上の策は無いな」
「ある意味、これはルーク程の修羅場を潜って来た者でないと言えない言葉ですね。もう少し煮詰める必要はありそうですが、俺は大筋ではこれで良いと思います。実際、初めての交渉の場に彼を連れて行けば、恐らくタガルノ側は彼を新人だと見て舐めてかかるでしょう。好きなだけ思わせてやれば良い。それで、これをぶちまけた時の奴らの反応がどうなるか……想像しただけで笑いが出る」
「お前は安心してゆっくり休んでくれ。必ず、交渉でありったけの物をもぎ取って来てやる」
二人は頷きあうと、差し出した拳を無言でぶつけ合った。
緊張状態の続く国境とは違い、蒼の森では平和な毎日が続いていた。
すっかり朝晩冷え込むようになったこの数日、長袖に着替えたレイは家畜達と騎竜達の世話をしてから、庭の薬草園で、タキスに教えてもらいながら薬になる葉の収穫作業を手伝っていた。
この薬草園には、柵が設けられて隔離された一角がある。ここにはタキス以外は絶対に入ってはならないと教えられていて、レイもここには入った事は無い。中にある植物は、それ程変わったものでは無いと思うのだが、ここにあるものは、全て強い毒のある植物だと聞かされて心底驚いたのだ。
タキスは今、手袋をはめてある木の実の収穫をしている。聞けば、これは他のものと調合して止血剤として用いられるそうだが、これ単体では非常に強力な毒性があり、棘のような綿毛に素手で触ると炎症を起こすのだと聞かされた。
「以前言ってたもんね、人間の身体に役に立つものが薬と呼ばれて、害になるものが毒って呼ばれるって。でも、毒でも使い方次第では薬になるって事だね」
「そうですよ。どんなものであれ、使い方次第で毒にも薬にもなります。ちゃんとした知識があれば、使いこなせますよ」
カゴいっぱいに収穫した種を袋に入れながら、そう答えたタキスは肩に座ったシルフに笑いかけた。
「これが以前説明した、止血剤として使う事が出来るトウワタと呼ばれる低木樹のきつい綿毛のついた種子です。比較的森でも自生している事が多い植物ですので、知っていて損はありません。ただし、毒性が強いので容量を間違うと非常に危険です」
今、タキスはニコスから渡された古代種のシルフに、自分の持っている薬の知識を教える事に必死だった。
レイが旅立つ日が目前まで迫っている今、何であれできる事はやってあげたかったのだ。
そんな事など露知らぬレイは、柵の向こうで言われた通りに薬草の収穫作業をご機嫌でしていた。
「あ、ブルーだ!」
その時、薬草園に影が差し上空に大きな見慣れた姿が現れた。
庭の横の坂道に降り立ったブルーは、首を伸ばして薬草園にいるレイに頬擦りした。
「今日は何をしておるのだ?」
レイの手元を覗き込んで、興味津々で尋ねる。
「これは全部薬になるんだって。えっと、これが止血で、こっちが炎症止め。それで、こっちが……何だっけ?」
「それは、痛み止めですね。以前貴方が成長痛の時に飲んでいたでしょう。あれの主原料です。乾燥させて、砕いた葉を煮出してその液を煮詰めて作りますよ」
「……なんだって!」
「おいおい、ずいぶんと適当な記憶だな」
隣の畑で、キャベツの畝の雑草を引いていたニコスが、笑いながら顔を上げた。
「だって、自分で作った事無いもん!」
「知識として知っていても、実際に使った事が無ければ確かに難しいな」
ブルーの言葉に、レイも笑って頷いた。
「しかし、せっかく知識の豊富な先生が目の前にいるのだから、覚えておいて損は無いと思うぞ。知識と技術は邪魔にはならんからな」
大真面目なブルーの言葉に、レイも笑って頷いた。
「村長がいつも行ってた言葉だね。うん、頑張って覚えるよ!」
そう言って、また葉っぱを千切る作業に戻った。
時々、タキスに質問しながら、その日は一日中薬草園での作業を続けたのだった。
「竜騎士達から、何か言って来たか?」
レイがニコスと一緒に、収穫した物を一旦家に持って行った時、ブルーがタキスにこっそりと尋ねた。
「早ければ今月中にも初雪が降りそうですからね。そろそろ何か言ってくるかと思っているのですが、今の所何もありません」
種の入った袋の口を縛りながらそう言うタキスは、不安そうにブルーを見上げた。
「蒼竜様は何かご存知ですか? まだ竜騎士様方は、国境にいらっしゃるのでしょうか」
「タガルノとの交渉が始まっているようだ。なかなかに面白い事になっておるぞ」
「面白い?」
「
「それは何よりです。ですが、交渉がまとまれば……いよいよ、その日が来るのでしょうね」
袋を手押し車に積んだタキスの言葉に、ブルーは目を細めた。
「其方達との縁が切れる訳では無い。会いたければいつ也と連れて来てやるから、心配するな」
小さなため息を吐いて、タキスは笑った。
「旅立つ雛鳥を見送る親は、どれだけ大丈夫だと思っていても、分かっていても寂しいものなのですよ。これも親の権利です。寂しがるぐらい好きにさせてください」
目を瞬いたブルーは、面白そうにタキスを見下ろした。
「成る程。寂しがるのは親の特権か……確かにそうだな。分かっていても寂しいものは寂しいな。ならば好きなだけ別れを惜しむが良い」
そう言って、タキスの背中にそっと頬擦りした。
「其方達に誓おう。我が主と常に共にある事を。何があろうとも決して側を離れぬ。レイのいる場所が我のいる場所だ」
「……ありがとうございます。どうか、どうかあの子の事、よろしくお願いいたします」
差し出された大きな顔にそっと抱きついて、レイがいつもしているように、その大きな額にキスを送った。
「大丈夫、大丈夫……」
大きな頭に抱きついたまま、何度もそう呟くタキスの肩は小さく震えていた。
周りに集まって来たシルフ達が、慰めるようにその髪を撫でて何度もキスを送っていた。
ブルーは、タキスの気がすむまでじっとそのまま喉を鳴らし続けた。
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