栗がいっぱい
『寝てるね』
『寝てるね』
『起きるかな?』
『起きるかな?』
『どうする?』
『どうする?』
枕に顔を埋めて熟睡しているレイの頭に座って、シルフ達が楽しそうに相談している。そろそろいつもなら起こしてやる時間なのに、あまりに気持ち良さそうに眠るレイを見て、シルフ達は起こして良いか考えたようだ。
「レイ、そろそろ起きてくださいよ」
その時、タキスが扉をノックして入って来た。
『おはよう』
『おはよう』
『よく寝てるよ』
『寝てるよ』
口々にそう言うシルフを見て、タキスは笑ってずれた毛布を戻して掛けてやった。
「お疲れみたいですね。まあ、今日ぐらいはゆっくり寝かせてあげましょう」
笑ってそう言い、頬にキスしてから静かにそっと部屋を出て行った。レイの頭の上でそれを見送ったシルフ達は、嬉しそうにレイの胸元や髪の毛に潜り込んで一緒に眠る振りをした。
「あれ? レイはどうした?」
一人で居間に戻って来たタキスに、竃の前にいたニコスが振り返って不思議そうに尋ねた。
「お疲れのようなので、今日ぐらいは休ませてあげましょう」
ギードとニコスは顔を見合わせて頷き合った。
「茹でたてを食べさせてやりたかったけど、じゃあこれは俺達が頂口としようか。レイが起きて来たらまた茹でてやるよ」
そう言って、ニコスは茹でた栗の入った大きな籠を置いた。
机の上には、いつものパンや薫製肉が並んでいる。野菜のたっぷり入ったスープを入れて、各自の前に置く。
精霊王へのお祈りの後、皆食べ始めた。
茹でた栗は、皮ごと半分に切ってスプーンですくって食べるタキス、手にしたナイフで、外側の硬い皮と中にある渋皮を丸ごと豪快に剥いて口に入れるギード、ナイフを使って硬い外側の皮を剥き、それから綺麗に渋皮を剥き半分に切って食べるニコスと、それぞれの個性が出る食べ方で秋の味覚を楽しんだ。
「レイは、どうやって食べるかのう」
「楽しみだな。それから、いくらそのままで保存が効くと言っても食べきれないくらいにあるから、甘露煮や渋皮煮、砂糖漬けなんかも作ってやるよ。それなら、いざとなったら持たせてやれるだろ」
「それなら、保存用に干し栗も作ってやれ。あれも美味いぞ」
「干し栗? それは知りませんね。どんなものですか?」
ニコスが不思議そうに栗を剥きながら顔を上げた。
「おお、まあ冒険者の間では常識だが、さすがにお貴族様は食べんか」
皮ごとの栗を手にしてギードは苦笑いしている。
「この栗を生のまま天日に干してしっかり乾燥させてから炒る、もちろん皮ごとな。それからワシが知ってるやり方は皮を
「天日で干すなら相当時間が要りそうだ。最低でも十日以上は干さないと、炒った時に中に残った水分で爆ぜるだろうからな。しかしそれなら相当硬かろう。どうやって食べるんだ?」
「乾燥豆と変わらんよ。水につけておいて、戻ったら煮るなり焼くなり好きに出来る。もう火は通っているから、そのまま口に入れれば長い事楽しめるぞ」
「成る程、それなら料理にも応用出来そうだな」
黙々と栗の皮を剥きながら、ニコスは教えてもらったやり方を復習して、どうやるか段取りを頭の中で考えていた。
空腹で目が覚めたレイは、目の前で自分を覗き込んでいたシルフに挨拶して、違和感に部屋を見渡した。
「えっと……僕、また寝坊したみたいだ」
『おはようおはよう』
『お寝坊さん』
『お寝坊さん』
そう言って笑うシルフ達にキスして手を振ると、もぞもぞと起き出してとにかく顔を洗った。
着替えて居間に行ってみると、居間には誰もいなくて、机の上にはおそらくレイの分であろういつもの平たい鍋とお皿が置いてあった。
平たい鍋の蓋の上には、火蜥蜴が眠そうに座っている。
「皆は何処? 畑仕事はもう終わってるから厩舎かな?」
火蜥蜴に話しかけていると、足音がして三人が戻って来た。
「えっと、おはようございます。寝坊しちゃってごめんなさい」
「おはよう、お疲れだったんだから、今日ぐらい寝坊しても誰も怒らないさ」
ニコスがそう言って、レイの肩を叩いて台所に向かった。
「俺達は今から昼ご飯だよ。一緒に食べよう。レイ、いつものお皿を出してくれるか。お前の分はスープもあるからな」
返事をしたレイは、慌てて言われたお皿を取り出して机に並べた。
レイの分だけちょっと豪華な昼食の後、茹でた栗が机の上に置かれた。
「好きなだけ食べて良いぞ。ナイフを使うなら、これを使え」
板と一緒に小さなナイフとスプーンが置かれた。
レイは頷いて嬉しそうに栗を半分に切ってスプーンで掬って食べ始めた。
「お、レイはタキス方式だな」
笑ったニコスにそう言われて、レイは不思議そうにタキスを見た。彼もレイと同じように半分に切って食べている。
「ワシは丸ごと剥いて食うのが好きだな」
豪快に皮ごと一気に剥くのを見て、レイは驚いて感心したように言った。
「そっか、ギードは力があるからそのまま剥けるんだね。外側の皮って硬いから危ないって言われて、以前食べた時は切ってもらってこうやって食べたよ」
「この前、外で食べた栗は、切り目を入れて焼いたからそのまま手で剥けたもんな」
「栗って他にどんな食べ方があるの?」
茹でてもらった栗は、この前食べた時よりも甘みが増しているような気がした。
「さっきギードと話してたんだけど、甘露煮や渋皮煮、砂糖漬けも美味しいぞ。後、ギードに教えてもらった干し栗ってのも作ってみるよ、色々食べてみて、好きなのを選んでくれ」
「楽しみ! あ、じゃあ皮を剥かないとね。手伝うよ」
「よろしくな。栗は美味しいんだけど、仕込むのに手間がかかるよ」
嬉しそうなレイに、新しい栗を切りながら、ギードも笑って頷いた。
「でも、年に一度の貴重な森の恵みの収穫だからな。大事に頂くとしよう」
「これからしばらくは、おやつは茹で栗と焼き栗だな。好きなだけ食べて良いぞ」
ニコスも笑って頷いた。
「しっかり食べろよ。育ち盛り」
ギードが切った栗をレイの前に置きながらまた笑った。
「あはは。その台詞、ロベリオ達にもいつも言われた」
それを聞いて、タキスとニコスも堪えきれずに吹き出したのだった。
午後からは、水につけてあった栗の皮を剥く作業を手伝った。タキスは薬草園へ、ギードは作業をしたいからと自分の家に戻って行った。
黙々と皮剥きの作業をしていると、籠を持ったタキスが戻って来た。
「おやおや、ずいぶん沢山剥けましたね。これは全部甘露煮にするんですか?」
レイの背後から覗き込んだタキスが、不思議そうにそう聞いた。
「いや、幾つかは刻んで明日のパンに入れようと思ってね。今から下ごしらえをするよ」
「それは初めてですね。どうするんですか?」
レイの手元を覗き込んで、まだまだ栗があるのをみて、タキスもナイフを手にレイの隣に座った。
「これを少し水に晒してから、細かく刻んで炊いてお砂糖で甘みをつけてからすり潰してペーストにするんだ。それを練りこんでパンにする。簡単で美味しいぞ。他にも色々あるから、しばらくは変わったパンが出るぞ」
「美味しそう! 楽しみにしてるから、手伝える事があったら言ってね」
嬉しそうに指先を真っ黒にしながら、レイはそう言ってせっせと栗の皮剥き作業を続けていた。
「それから、レイの好きなお菓子もな。栗は色々なお菓子があるんだよ。俺も作るのは久し振りだ」
お菓子と聞き目を輝かせるレイを見て、二人は笑うしかなかった。
「そんなに栗好きだとは知りませんでしたね。知っていたら、去年もありったけ用意してあげたのに」
「そうだよな。結局ギードがほとんど食べてたよな」
「今年はいっぱい食べるもんね」
「しっかり食べろよ、育ち盛り」
からかうようなニコスの言葉に、三人は同時に笑い合ったのだった。
「水から茹でるんだね」
剥いて水に晒した栗を、大きな鍋に入れて水をたっぷり入れてから火にかけるニコスを見て、レイは感心したように呟いた。
「栗は茹でるのに時間がかかるからな。これでしばらくそのままにしておいて、こっちの準備をしよう」
ニコスがそう言って、見慣れない瓶を取り出した。
「これはタキスの薬草庫からもらった、クチツグミの実だよ。地方によっては、クチナシとも言うな」
「これはこの辺りでは取れませんので、乾燥したものを買いますよ」
瓶を手にしたタキスの言葉に、レイも手の中のそれを見つめた。
「どうやって使うの?」
数粒取り出して、板の上に置いた。ナイフで半分に切ってから更に細かく刻む。終わったら、それを小さな布の袋に入れた。
「レイ、鍋の加減を見ますから、後これだけ、同じように刻んでもらえますか。硬いですから怪我には気をつけて、手を切らないようにね」
返事をしたレイは、先ほどニコスがしていたように、出してあったクチツグミの実を細かく刻んだ。
「クチツグミの実は、味もしないし香りも殆ど無いんだけど、綺麗な黄色い色が出るんだよ。こんな風に食べ物だけじゃなく、生地や毛糸も染められるんだ。これも綺麗な黄色い色になる」
ニコスはそう言って、刻んだクチツグミの実が入った袋を鍋に入れた。
そのまま茹でていると、どんどん茹で汁が黄色く染まっていった。
「すごい! 本当に黄色くなったね」
「その間に、こっちの鍋に蜜を作るんだ。良いお砂糖を沢山頂けたからな。有り難く使わせてもらうよ」
そう言って片目を細めるニコスに、レイも嬉しそうに笑った。
「マティルダ様から頂いたお砂糖だね」
「濁りの無い、本当に綺麗なお砂糖だったからな」
鍋を揺すりながらニコスも嬉しそうだ。
茹で上がった栗は、一旦茹で汁から出してまた別の鍋に入れる。その鍋に出来上がった蜜を流し入れて、もう一度火にかけて煮込んでいく。
「これはそのまま置いておいて、蜜の甘みを中まで染み込ませるんだ。明日、瓶に詰めたら完成だ」
「これってもう食べられるの?」
鍋の中で黄色く煮えた栗を見て、目を輝かせるレイに苦笑いしたニコスは一つ小皿に取ってくれた。
「構わないけど、まだ、あんまり甘く無いと思うぞ」
「綺麗な黄色になったね」
受け取った栗を見て、嬉しそうにそう言うとレイは一口で食べてしまった。
「甘くて美味しいよ! すっごく柔らかくて最高!」
そう言って、目を輝かせて空のお皿を差し出すレイの顔には、もっとたべたい! と大きく書かれているのが見えるようだった。
「そんなに食べて大丈夫か?」
そう言って笑いながら、またいくつも取り出してやるニコスだった。
夕食には、いつものパンと、栗のペーストが入った甘いパンが用意されて、レイはご機嫌で栗のパンをいくつも平らげたのだった。
「作った甘露煮を入れても、また違うのが出来るからな。また今度作ってやるよ」
頷いて嬉しそうに食べるレイを見て、皆も笑顔になるのだった。
「あれ?珍しいね。栗?」
机の上に置かれたそれを見て、ロベリオが嬉しそうに笑ってそう言った。
休憩室の机に置かれた栗は、切り目を入れて炒ってあるもので、簡単に皮が剥けるようになっている。
「先ほど来た補給部隊から届きました。一番生りの栗だそうですから、どうぞお食べください」
第二部隊の兵士がもう一つの皿を出しながら、そう言った。
その皿の栗は、綺麗に皮が向かれている茹でた栗だ。
「今だけだもんね、これが食べられるのは」
座って皮を剥きながら、それぞれ嬉しそうに栗を口に入れた。
「はいどうぞ」
ユージンが、炒った栗の皮を剥いてお皿に入れてルークの前に置いた。もう一つの皿に、茹でた栗も並べて置いた。
ルークは、休憩室でも書類の束と格闘している。
「ありがとう、ユージン」
指でつまんで炒った栗を口に入れながら、顔も上げずにそう言うルークを見て、二人は小さくため息を吐いた。
容体は落ち着いているが、まだベッドから起き上がる事も出来ないマイリーの代わりに、ルークは城から来た外交担当の者達と、アルス皇子と一緒に仕事をしている。
慣れない事に戸惑う様子も見せていたが、数日で、もうこの光景が日常になりつつあった。
「マイリーが、いかに沢山仕事してたかよく分かるよ」
一段落したらしく、大きく伸びをしながらルークがぼやくのも、日常になりつつあった。
「俺達に手伝えることがあったら、何でも言ってくれよな」
「ありがとう。とにかく今はここに竜騎士が健在であることを、タガルノに見せつける事も重要だからな。哨戒任務は任せるよ」
「了解! ヴィゴとタドラが戻ったら俺達が出るから、ルークも無理しないで」
「ああ、大丈夫だよ。大した事はして無いから」
笑うルークだったが、疲れているように見えるのは気のせいでは無いだろう。
「ちょっと休んでくる。あとはよろしく」
そう言い残して、書類の束を持って部屋を出て行ったルークを見て、二人は肩を竦めた。
「全部任せるのは申し訳ないけど、話を聞く限り、俺達には無理そうだよな」
「そうだよね。俺も心配したらヴィゴにも言われたよ。今は各自が自分に出来る事をしてくれって」
「そうだな。じゃあ俺達は俺達の仕事をしよう」
そう言って二人も立ち上がって外に出て行った。
誰もいなくなった部屋では、シルフ達がつまらなさそうに、お皿に残された栗の皮を突いて遊んでいるのだった。
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