ルークとマイリー

「ルーク、どうしたんですか?」

「夜は哨戒任務はしないって聞きましたけど」

「もしかして、何かあったんですか?」

「僕達は何も聞いてませんけど……」

 その朝、食堂で食事をしていたヴィゴは、遅れてやってきた若竜三人組から質問責めにあった。

「待て待て、一体なんの話だ?」

 全く話が見えずに首を傾げて聞き返すと、三人は顔を見合わせて揃って口を尖らせた。

「さっき、朝食前にルークがガンディに連れられて何処かから戻って来たんです。それでガンディが俺達に、ルークは午前中休ませるから、って」

「食事も部屋に運ばせてました。何かあったんでしょうか?」

 ロベリオとユージンの言葉に、ヴィゴは何となく事情を察知した。

「ああ、もう始まったのか。大丈夫だ、気にしなくて良い。すまんが哨戒任務は俺も入るから、しばらくルーク抜きで行うぞ」

「それは構いませんが……大丈夫ですか? ルークに何か問題でも?」

 心配そうな三人を見て、ルークがいつも言っていた言葉を思い出した。

「成る程な。これがいわゆる経験の差。って事か」

 一人納得して食事を再開したヴィゴを見て、三人は慌てた。

「待ってください。ヴィゴ、一人で納得しないで。俺達にも分かるように説明してください!」

 ロベリオの大声に、周りにいた兵士達が何事かと振り返る。

「……すみません、大声出して」

 座ったロベリオが素直に謝って頭を下げると、周りの者達も何事もなかったかのように食事を再開した。

「後で説明してやる。とにかく先に食事をしろ」

 返事をして食事を取りに行った三人の後ろ姿を見て、ヴィゴは小さく笑った。

「あいつらがルークの年齢になった時に、どう育ってくれるか楽しみだ。そうか、それは俺の責任だな。さて、どこから教えるべきかな? 全く、人を育てるのは難しいな」



 食事を終えたヴィゴと若者達は、一緒にマイリーの様子を見る為に病室に来ていた。

「あれ、殿下。どうされたんですか?」

 廊下に出て、小さな窓から外を見ていたアルス皇子に気付いて、ロベリオが声を掛けた。

「ああ、もう食事は終わったのか」

「はい、頂いて来ました。殿下は?」

「ああ、私も頂いたよ。今のところタガルノ側に動きは無いが、まだしばらく哨戒任務は続けてくれるか。ロベリオとユージンにはアメジストを付ける。ヴィゴはタドラと組んでくれ。カーマインを付けるから、交代で三つの砦全体を周回してくれ」

「了解しました。それではロベリオとユージン、先に出てくれ。タドラはすまないが俺と一緒に来てくれ。事務仕事も片付けないとな」

「了解です」

 ロベリオとユージンが、タドラの肩を叩いて敬礼してからいなくなった。

「マイリーは? どんな様子ですか?」

 病室の扉を見ながらヴィゴが尋ねると、アルス皇子は笑って頷いた。

「どっちかって言うと、無理やりにでも休ませる方法を考えた方が良さそうだ。ちょっと具合が良いからって、ルークと二人して徹夜したらしいからな。今はよく眠ってるよ」

「やはりそうですか。全くあいつは……自分が怪我人だって事を忘れないようにする為にも、例の薬の量を控えてもらうべきでは?」

 二人は顔を見合わせて同時に吹き出した。それを後ろで聞いていたタドラは、呆気に取られている。

「ええ? 徹夜ってどういう事ですか?」

「説明してやるから、一緒に来い。まずは仕事が先だ」

 ヴィゴの言葉に頷いて、アルス皇子も一緒に、砦の中にある竜騎士専用の事務室に向かった。




「お腹空いた……」

 部屋で休んでいたルークだったが、盛大に空腹を訴える音に目が覚めて、大きく欠伸をしてからベッドから起き上がった。

「シルフ、今何時? 鐘は幾つ鳴ってた?」

「さっき、午後の一点鐘の鐘が鳴ってましたよ」

 その声に驚いてルークは顔を上げた。

「ああ、おはよう」

「食事の準備は出来ています。食べてください」

「……怒ってる?ケヴィン」

 上目遣いに、いつも砦で世話になる自分と同い年のケヴィンを見て、ルークは小さな声で聞いた。

「おやすみなさいと言って寝たはずの方が、意識を取り戻して間も無い重傷の方と徹夜したと聞かされた私の気持ちなど、問題ではありません」

「やっぱり怒ってる」

「怒ってません! ……心配してるだけです」

 大きなため息を一つ吐いて、ケヴィンは首を振った。

「顔洗ってくる」

 苦笑いしたルークは、起き上がって洗面所に姿を消した。その後ろ姿を見送ると、着替えの準備をしながら小さな声で呟いた。

「ようやくお怪我が治ってきたっていうのに、本当にいつも無茶ばかりなさるよな。ジル……お前の苦労がよく分かるよ」




 目を覚ましたマイリーは、昨夜よりも更に痛みが殆ど無い事に心底驚いていた。

「ちょっとくらいなら、起きられそうだな……」

 肘を使って上半身を起こしてみる。枕から頭が浮いて、これなら起きられそうだと内心思った時、突然世界が回った。

 視界が暗転して、堪えきれずにそのままベットに倒れる。堪らず、呻き声を上げて頭を押さえた。

「駄目か……貧血は、まだそれ程解消されてないみたいだな」

「何をやっとるか全く。言っておくが、まだ絶対安静なんだぞ! お前は!」

 薬の入った箱を持ったガンディに怒鳴られて、マイリーは笑って誤魔化した。

「大きな声はやめてください。傷にひびく」

「そう思うなら怪我人らしく大人しくしておれ。気持ちは分かるが、もうちっと我慢出来んかのう……」

 呆れたような声に、ようやくめまいの治ったマイリーは黙って目を開けた。

 ガンディは、机に薬の包みを取り出して数を数えている。

「それが例の薬ですか?」

「そうじゃ。包み一つが一回分で、他の薬に混ぜて使う」

「それだけで使うんじゃ無いんですね」

 少し横に顔を向けて、並べられた薬の包みを見ながら尋ねた。

「これはまさしく劇薬じゃからな。容量を間違うと危険なので、こうやって一つずつ計って分けておる」

「一包み幾らぐらいになりました?」

 紅金剛石の値段を知っている身からすれば、聞かずにはいられなかった。

「別にこれ全部が紅金剛石では無いぞ。でもまあ……普通の薬と比べるのが虚しくなるような、とんでもない値段になるだろうな」

 肩をすくめるガンディを見て、マイリーも笑うしかなかった。

「有難い話だ。とにかく、冗談抜きで痛みが殆ど無いのは本当に有難いですよ。お陰で頭は無事です」

 立ち上がったガンディは、側に来て無言でマイリーの額を叩いた。

「体調は思考にも影響する。そんな事知らぬお前でもあるまいに。いい加減にしろ! 何なら次回は、普通の薬だけで治療してやろうか?」

「やめてください。そんな事されたら本気で泣きますよ」

 ふざけるマイリーを横目で睨むと、椅子に戻って大きなため息を吐いた。

「そう思うなら、怪我人らしく大人しく寝ていろ」

 その時、ノックの音がして第二部隊の兵士と衛生兵が食事を乗せたワゴンを押して入って来た。

 机の上の薬の列を見た彼らは、手早く予備の机を取り出して組み立て、そこにガンディの分の食事を並べ、マイリーの分は、ベッドに取り付けられる小さな机をセットしてそこに並べる。

「失礼します」

 動けないマイリーを二人掛かりで抱き上げて、背中に大きなクッションを置いて身体を起こし、衛生兵達が甲斐甲斐しく食事の世話をしてくれた。

 マイリーも、自分の今の状態が分かっているので、文句も言わずに素直に世話になっていた。




 食事を終えたルークは、自分も哨戒任務に出るつもりで事務所に顔を出したが、アルス皇子に別室に呼ばれて正式に命令された。

 マイリーから、交渉術について学ぶようにと。

「急がせるようで申し訳ないが、頑張ってくれ。正直言って、タガルノとの交渉の相手は私一人では手に余る」

「了解しました。どこまで出来るかは分かりませんが、出来るだけの事はします」

「頼むよ」

 短い言葉には、多くの想いが詰まっていた。ちゃんとそれを理解したルークも、黙って敬礼を返した。



 誰もが分かっていたのだ。マイリーの抜けた穴が大きすぎる事を。



「まだ、教えを請えるだけマシだと思ってますよ。例の薬がなかったら、仮に命が助かっても、激痛と貧血でそれどころじゃ無かったでしょうからね」

「レイルズとラピスに感謝、だな」

 アルス皇子の声に、ルークも同意するように頷いた。

「それでは、付け焼き刃で申し訳ありませんが、交渉開始までには何とか策をまとめます。また報告します」

 そう言って、いつも使っている机に座ると、猛然と紙に何かを書き始めた。時々シルフが現れてルークに何かを耳打ちしては、すぐにいなくなった。

 夕方まで、ルークは延々とその作業を続けた。それはまるで、いつもマイリーがやっているのと変わらない光景だった。

 アルス皇子も、そろそろ城から到着した外交担当の交渉係の者達との打ち合わせに追われた。




 少し離れた机で、ヴィゴとタドラは幾つかの書類仕事を片付けていた。

 その合間に、ヴィゴからルークの役割について聞かされて、納得したように頷いた。

「僕達も、もっと頑張らないといけませんね。せめて、重傷のマイリーを徹夜させるなんて事が無いようにしないと」

「期待してるぞ。まあ、これは性格的なところもあるから、別に全員がルークと同じになる必要も無い。お前は、お前にしか出来ない事をやってくれれば良い」

「僕にしか出来ない事……そんな事、あるでしょうか? 正直言って、まだ自分に何が出来るかなんて、分かりませんよ」

「お前達も、皆それぞれに頑張ってると思うがな」

 それはヴィゴの正直な気持ちだったが、タドラは黙って首を振った。

「僕は……今でも、自分が竜騎士で良いのかって思ってます。役立たずの僕なんかに、何が出来るんだろうって……」

「言ったはずだぞ。お前は役立たずなんかじゃ無い。無闇に自分を卑下するのはやめろ。お前は、大切な俺達の仲間だ」

 真剣なヴィゴの言葉に、タドラは思わず書いていた書類から顔を上げた。ルークとアルス皇子も手を止めてこっちを見ている。

「そうだぞ、言っただろう。自分なんか、って自分を卑下する言い方はやめろって」

 ルークの言葉に、タドラは泣きそうな顔で頷いた。

「大切な仲間だよ。忘れないで。君は役立たずなんかじゃ無い」

 真剣なアルス皇子の言葉にタドラはもう一度頷いた。

「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで、僕がどれだけ救われてるか……」

 俯いて照れたように笑って、誤魔化すように書類を手にし整えた。

「レイルズが来たら、末っ子卒業ですからね。頑張らないと」

「そうだな、お前にとっても初めての弟分だ。しっかり面倒見てやらないとな」

 からかうようなヴィゴの言葉に事務所は小さな笑いに包まれたのだった。



 それは凄惨な戦いが一段落した後の、戦士達の束の間の平和な時間だった。

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