家族
軽く湯を使って、着替えてから居間に戻ったレイは、出された温かいお茶を見てあふれる涙を堪える事が出来なかった。
三人は、何も言わずに黙ってレイが泣き止むまで待ってくれた。
「ごめんね……」
ようやく涙が落ち着いたレイは、照れ臭そうにそう言って笑った。
「無事に帰って来てくれたんだ。もうそれだけで良いよ」
ニコスの言葉にまた新たな涙が出てきた。誤魔化すように目をこすりながら笑った。
「家族って良いね」
それは、自然と出た心の底からの言葉だった。
そしてふと思った。マイリーにはこんな風に、親身になって心配してくれる人はいるのだろうか、と。
いつもの豪華な夕食を食べてから、レイは、リュックの中に入れてあった残りのマフィンと携帯食を取り出した。
「これね、帰る時に貰ったの。えっと、味は期待するなって、ヴィゴに言われたよ」
それを聞いたギードが、堪える間も無く吹き出した。
「懐かしいな。冒険者時代にはよく世話になったぞ。しかしまあ確かにその通りだな。これを美味いと言う奴に、ワシは未だ
ニコスとタキスは、不思議そうに携帯食を手に取って見ている。
「小さいな。一食で幾つぐらい食べるんだ?」
「そうですね。この大きさなら、最低でも五、六個は必要そうですね」
レイは、タキスの手から携帯食を取って笑った。
「これ、ちょっと遅いお昼に食べたんだけど、一つでお腹いっぱいになったよ」
驚く二人に、ギードも頷いた。
「ただし! 絶対に水は必要だぞ」
「本当にそうだよね! 僕、知らずにそのまま食べたら、口の中の水分ありったけ全部持っていかれたよ」
二人はそう言って同時に吹き出した。
「おやおや、そうなんだ? って事はこれは雑穀か。炒って水分を飛ばして飴で固めてあるんだな。うまく出来てるな。確かにこれなら腹は膨れそうだ」
「この中なら、ナッツのがまだ一番食べられるぞ」
幾つかある携帯食を見ながら、ギードがそう言ったので、レイは驚いて携帯食を手に取った。
「え? 待って、これって種類があるの?」
「そうだぞ。気付かんかったか? ほれ、ここに書いてあるだろうが」
言われてよく見れば、包み紙の端に、ナッツ、林檎、栗 、蜂蜜、黒砂糖と、確かに書いてあった。
「ええ! じゃあ僕が食べたのって、何味だったんだろう?」
首を傾げるレイを見て、ギードはもう一度改めて携帯食を見た。
「ワシが知ってる味は全部あるぞ。って事は、恐らくレイが食べたのが一番味の無い、定番のやつだろうな」
「それってもしかして……」
「ワシの個人的意見だが、一番不味いと思うぞ」
「うわあ、僕平気で食べちゃったよ」
吹き出すギードを見て、レイはため息を吐いた。
「まあ良いや。一番不味い筈のを普通に食べられたって事は、他は美味しく……食べられるかな?」
「何なら、明日の朝にでも食べてみれば良かろう?」
ギードがそう言ってナッツの携帯食をレイに渡すと、ニコスが笑いながら別の携帯食を手に提案した。
「じゃあこうしよう。五個あるなら、四等分して明日の朝に全員で一つずつ食べ比べてみよう。俺もちょっと、どんな味なのか興味があるからさ」
「おう……今になって、またこれを食べる日が来ようとはな。ワシは知っておるからどっちでもいいが、まあ皆が食べると言うなら付き合うぞ」
という事で、レイのお土産(?)の携帯食は明日の朝、皆で食べる事になったのだった。
レイがおやすみを言って部屋に戻った後、居間は妙な沈黙に包まれた。
「レイは、マイリー様の具体的なお怪我の容体については、師匠から聞かなかったのでしょうか?」
「分からんが、知っておったら真っ先にお前に言いそうなもんだがな」
タキスの言葉に、ギードも同意するようにそう言った。
「それにしても、腿の腱を断ち切られるって、どれだけ深く切られたんだよ」
三人は、シルフを通じてガンディからマイリーの具体的な怪我の状態を聞いていた。
そして、マイリーの怪我により受け入れ側の人員に変化が生じる可能性が高いので、レイのオルダム入りする予定が前後するかもしれないとも言われていた。
「何であれ、我らがする事は一つだ。ここにいる間はいつも通りに。そうだろう?」
無言で頷いた二人だった。
「飲みたい気分です。ギード、頂いても?」
グラスを手にタキスが振り返った。
「そうじゃな、無事に帰って来てくれたんだ。祝杯をあげる位はマイリー様も許してくださるだろうさ」
それを聞いたタキスは、苦笑いしながら首を振った。
「マイリー様ならきっとこう仰いますよ。そんな事で遠慮せず、気にせず好きに飲んでください。ってね。ああ、でもその前に、師匠に知らせておきます。レイが無事に戻りましたとね」
シルフを呼び出して伝言を頼むタキスを見て、ニコスはつまみのチーズを切り分けた。
それから、戸棚から頂き物の30年物のウイスキーを取り出して、三人はささやかな祝杯をあげたのだった。
一方、部屋に戻ったレイは、ベッドにうつ伏せになったまま無言で泣いていた。
声を上げたら皆に心配をかける。でも、泣かずにはいられなかった。
ちょっと怖いところもあったけど、親身になって色々とレイの為に働いてくれた。レイがオルダムに来るのを楽しみに待っていると言ってくれた。そのマイリーが、もう歩けないなんて。
現場には立てないとガンディは言った。という事は、引退してしまうのだろうか?
レイの脳裏には、砦で聞いたアルジェント卿の言葉が浮かんでいた。
『あいつが三十歳になった時に、私が大怪我をしてな。まあ、当時、もう立つ事は出来ぬと医者に言われて、竜騎士を引退したんだ。辛かったよ。正直言って、妻とフラウィスがいなければ……今、生きて此処にはいないな』
「マイリーは、誰が支えてくれるんだろう……」
枕を抱きしめて、言わずにはいられなかった。
「そうか、無事に森に帰ったか。良かった」
ガンディからの知らせに、アルス皇子は胸を撫で下ろした。
「とにかく、無事に帰れて良かったですな」
背後を飛ぶヴィゴの言葉に、皆頷いた。
彼らは今、掃討作戦を終えて砦への帰路についているところだった。
先ほどの森では、ラピスに言われた通りに、フレアの凝固の術を使ってグレイウルフと
シルフとノーム達によって確保されたその死体は、明日、明るくなってから砦に持ち帰る事になった。
「あれを運ぶのか……気の進まない仕事だよな」
「まあ、確かにやる気が出るかと言われたら……だな」
「本当は、ガーゴイルこそ確保するべきだったんでしょうけどね」
「マイリーがいない戦後交渉がどうなるのか、今から心配だよ」
小さく呟くアルス皇子を、ルークが無言で見つめていた。
砦に到着した竜騎士達は、各自その夜は休む事になった。
マイリーの容体も落ち着いているし、異形の者からの襲撃も無く、無事に夜明けを迎えた。
「さてと、それでは行くとするか」
朝食の後、準備した一同は、昨日の森に証拠の死体を取りに向かった。
念の為、夜中も何度も確認したが、死体に変化はなく、夜が明けた後もそのままだとの事だった。
「グレイウルフだけならまだしも、屍人はちょっと触りたくない」
「シルフに頼めるかな?」
『嫌嫌』
『あれには触りたくない!』
攻撃の際には平気だったのに、どうやら死んだ後は嫌らしかった。
「仕方がない。諦めて俺たちがやろう。これも仕事だ」
ルークの言葉に、若竜三人組は唸るような返事をした。
「明るいところで見ると、強烈ですね」
「うわあ、本気で触りたく無い」
森に到着した一同は、明るい太陽の元で見るそれに大きなため息を吐くしかなかった。
グレイウルフは、以前クロサイトを運んだあの大きな金網でヴィゴとルークが運び、問題の屍人は、くじ引きで負けたユージンが運搬を、ロベリオが持つ袋にタドラが火ばさみを使って硬直した屍人を袋になんとか二人掛かりで放り込んだ。
その後若竜三人組は、揃って茂みで嘔吐していた。
「早く帰ろう。こんな気が滅入る仕事は早く終わらせたいよ」
本気で涙目のユージンの言葉に、それぞれの竜に乗って無言で砦に戻って行ったのだった。
砦の外に用意された天幕で待つ兵士達に問題の屍人の袋を引き渡し、中に入れて結界を張る。これには第四部隊の術者達が交代で常に強化に努める事になった。
巨大なグレイウルフは、その隣にそのまま置かれた。
国境の向こうからでも見える位置に置かれたその姿に、しかしタガルノからの反応は一切無かった。
「さてと、この後が大仕事だな」
ヴィゴの呟きに、ルークが頷いた。
マイリーが動けない今、戦後交渉を有利に進めるための作戦を考えなければならない。ヴィゴにとっても、交渉事は苦手だなどと言って逃げていられる段階で無い事は分かっていた。
その夜、竜騎士達がそれぞれ休んだ後、ルークは静かに一人でマイリーの元を訪れていた。
「どうした、こんな時間に」
思ったよりもしっかりしたマイリーの言葉に安心したルークは、ベッドの横に置かれた丸椅子に座った。手には分厚い書類の束を持っている。
「お休みのところを申し訳ありません。昨夜、これらの書類に全て目を通しました。でも実際の交渉の際の具体的な事はほとんど書かれていない。だから貴方にお聞きしたいんです。実際にどうやってこれらを納得させたのかをね。俺、これでも以前は交渉係をやった事だってあるんですよ。ご教授いただけますか?」
黙って聞いていたマイリーは、頷いて嬉しそうに笑った。
「俺の知ってる事、全て教えてやるよ。後はお前のやり方でやれば良い」
夜が明けても、二人はまだ真剣に話を続けていた。
扉の外では、あきらめ顔のガンディが、どのタイミングで部屋に入れば良いのか、本気で悩んでいた。
「頑固に閉じこもっていた蛹が、どうやら本気で孵化したようだな。これは将来が楽しみだな。そして、このままもう一つの問題にも向き合ってもらえたら、なお良いのだがな」
竜騎士隊の中では明るく振る舞うし、若竜三人組の面倒もよく見るルークだったが、宮廷内部では、特に年寄り達から実はあまり良く見られていない。
彼自身の出自の事もあるし、何よりもルーク自身が、自分の父親であるディレント公爵を未だに父として未だに認めていないのだ。
公式の場では一切目も合わさず完全に無視するその姿に、周りは同情する者と眉をしかめる者とに分かれているのだ。
今では、ディレント公爵とルークの二人が同じ場にいそうな時には、周りが気を使って公式の場で合わせないように配慮している為、関係が更にこじれたまま今に至っているのだ。
「血縁であるが故に、許せぬ事も有るのだろうがな。いずれにしても、難しい問題だな」
ため息をついて立ち上がったガンディは、とにかく二人を休ませる為に、素知らぬ顔で扉を叩いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます