無事の帰宅と黒衣の者達の役目

「ブルー! ねえ、ブルーってば!」

 レイは我慢出来なくなってブルーの首を叩いた。

「どうした?」

 まるで何もなかったかのように、平然と答えるブルーに、レイは何故か腹が立って来た。

「どうして、放って来ちゃうんだよ! 」

 もう、眼下に広がるのは人の踏み入る事の出来ない急峻な竜の背山脈の峰々だけで、国境からはかなり遠くまで戻って来ている。

「放って来た訳では無い。ちゃんと知らせて攻略法まで教えておいたぞ」

「でも……」

 何か言いたいのに、上手く気持ちを表す言葉が出て来ない。悔しくて俯くと、ブルーの落ち着いた声が聞こえた。

「レイ、いまの其方があの場に残っていたところで何も出来はしない。あれの相手は彼らの役目だ」

「分かってるよ……分かってるけど……」

「悔しいなら早く大きくなれ。それが今の其方のやるべき一番の仕事だぞ」

 口を尖らせて無言で頷くと、気分を変えるように大きく深呼吸をして下を覗き込んだ。

「えっと、今、どの辺りなの?」

「丁度、オルダムの北200キルトと言ったところかな」

「えっと、そんなに北側を通ってるの?」

「ちょっと確認したい事があってな。しかし、この辺りは大丈夫なようだ」

「さっきの変な奴ら?」

「いや、さすがにここまでは来れまいが、この辺りの結界も確認しておきたかったんだ」

「結界って、さっきの国境でやった、あの光の壁みたいなの?」

「そうだ。其方にはまだ見えぬが、第二の眼を持てるようになると、世界が違って見えるぞ」

「第二の眼?」

 また知らない言葉が出て来て、レイは身を乗り出した。その時、レイのお腹が大きな音を立てて鳴った。

「おやおや。どうやらレイの腹の虫が何か寄越せと訴えておるな」

 面白がるようなブルーの声に照れたように笑ったレイは、もう一度下を見た。

「えっと、もらった携帯食ってのを食べてみようかな。でもここで大丈夫? 降りた方が良くない?」

 さすがにこの高さで落っこちたら、冗談ではすまないだろう。

「ふむ、どこか降りられる場所は……ああ、あそこなら大丈夫そうだな」

 そう言って、見つけた場所にブルーは翼を少し広げてゆっくりと降下していった。




「石がいっぱいあるね」

 そこは、以前来た巨人の石切り場のような景色が広がっていた。しかし、周りにはレイでも持てそうな小さな石を切り出した後がいくつもあり、足元に転がる石も人が持てる程度の大きさのようだ。

 切り立つ大きな岩山とその横にぽっかりと広がる空間は、そこだけが深い森から掘り出されたように木々の侵略から逃れていた。

「ここは巨人の石切り場じゃ無いみたいだね」

 ブルーの背から降りて、辺りを見回しながら振り返った。

「ここは遥か昔、ドワーフ達が使っていた石切り場の一つだ。しかし、ここに続く道が嵐の時の山崩れで大きく塞がれてしまい、結局放置されたままになってしまったのだ」

「えっと……どれくらい昔?」

「ファンラーゼンの国が、まだ今のように一つにまとまっておらぬ頃だ。其方が城で勉強するようになれば、歴史で出てくる話だな」

 悲鳴をあげる振りをするレイを見て、ブルーは喉を鳴らした。

「人の子の歴史については良く知らぬが、こういった事ならいくらでも教えてあげられそうだな。楽しみだ」

「頼りにしてます!」

 笑ってリュックと鞄を下ろすと、ブルーの足に遠慮無く座った。足元に、大きなブルーの尻尾が巻き込まれて寄り添った。



 無意識にその尻尾を撫でながら、レイは貰った携帯食を取り出してみた。

「ヴィゴは、味に期待するなって言ってたね」

「皆、笑っておったな」

「……って事は、美味しく無いのかな?まあいいや」

 ちゃんと精霊王にお祈りをしてから、包んでいた紙を剥がした。

「何だろこれ、雑穀を混ぜて焼いてある? 違うな」

 黒パンのような、少し香ばしい香りがする。とにかく一口齧ってみた。興味津々でブルーが後ろから覗き込んでいる。

「んん……美味しくは……無いかな。でも、別に食べられるよ」

 やや硬めの食感は食べやすくは無いが、しっかり噛めば雑穀の味がして決して嫌いでは無い。

「蜂蜜味とか、チョコレート味とかにしてくれたら、もっと美味しくなると思うんだけどな」

 僅かな甘みはあるが、雑穀そのものの甘み程度だ。そしてそれよりも問題なのは、口の中の水分が全部持っていかれた事だ。

 慌てて水筒を取り出して、カナエ草の茶を飲んだ。

 また齧る。お茶を飲む。

 これを繰り返していると、不思議な事に、小さな携帯食を一つ食べただけなのにお腹がいっぱいになった。

「すごいや。一つ食べただけでお腹いっぱいになったよ。掌に握り込めるくらいの大きさなのに」

 感心したように呟くと、マフィンを一つ取り出した。

「でも甘いのは食べる!」

 柔らかい、いつものマフィンだ。ベリーのジャムが入っている。

「これは美味しい!」

 すっかりご機嫌になり、ちゃんと食後のお薬も忘れずに飲んでから、散らかったものを片付けた。

「さて、それでは行くとしようか」

 リュックを背負ったレイを見て、ブルーがいつものように伏せてくれた。

 定位置に座って首を叩いた。




 ゆっくりと上昇するその大きな姿を、傍の深い茂みの中から見つめる目があった。

「まさか、こんなところでお目にかかれるとはね。良かったわね」

「うん。元気そうだったね」

 嬉しそうに答えた声は、まだ舌足らずな幼い子供の声だった。

 二頭のケットシーは、後ろで待つ、さらに大きなケットシーの元に戻った。

「成る程、確かに大きな竜だな。それに人の子はこの前見た時よりも少し大きくなったようだ。お前とお同じだな」

 大きな舌に舐められて、その子供は嬉しそうに喉を鳴らした。

「さあ戻ろう」

 三頭のケットシーは、仲良く寄り添いながら森に戻って行った。その姿は、深い木々の中に紛れてすぐに見えなくなってしまった。






 夕焼けが空を赤く染める頃、ようやく見慣れたいつもの森の風景が見えて来た。

「あれが以前言ってた砦?」

 森の緑の中に、石造りの頑丈な砦が覗いていた。

「ああそうだ、あれはそれこそ精霊王の時代のものだぞ」

「ええ、そんなに古いの。すごい!」

「ただの石の砦だ。特に珍しい物があるわけでは無いぞ」

 レイの反応に、からかうようにそう言うと少しスピードを上げた。



 日が暮れる前に、無事に石の家に辿り着いた。



 上の草原にもう家畜達はいなかったが、三人が並んで手を振ってくれていた。

 ブルーがいつもの場所にゆっくりと降り立つ。

 レイは、ブルーの背から転がるようにして一気に飛び降りて、そのままの勢いでタキスに飛びついた。

「ただいま!」

「おかえりなさい。よく無事で……」

 胸に飛び込んで来た大きな身体を力一杯抱きしめたタキスは、涙ぐんでしまいそれ以上言う事が出来なかった。

「ただいま! ただいま! ただいま!」

 レイも、その言葉を繰り返しながら、タキスを力一杯抱きしめ返した。

「おかえり。無事で何よりだ」

 ギードがそう言って、二人ごと抱きしめ、ニコスも反対側から言葉も無く抱きしめてくれた。

 しばらく、全員無言だった。

 無事に帰って来た事に、安堵してレイの目から涙があふれた。

「ただいま、ただいま……ただいま……」



「無事に戻れて何よりだ。そろそろ陽も暮れる。早く家に入れ」

 手を離したレイが、振り返ってブルーを見上げた。

「ありがとう、ブルー。ゆっくり休んでね」

「うむ、それではまた明日」

 レイの体に思いっきり頬擦りしてから、ブルーはゆっくりと上昇した。四人が坂を降りて、手を振りながら家に入ったのを見届けると、そのまま泉に戻って行ったのだった。






「こいつらは、砦の皇子のところに届けてやれ。動かぬ証拠だ」

 タガルノ側の森の中にいる黒衣の者達の足元には、紐でぐるぐる巻きに縛られたタガルノの将校達が転がっていた。

 襲撃の際に、何人かは証人として生かして捕らえられていたのだ。

「じゃあ俺が行ってこよう。ガイ、お前も手伝え」

 バザルトの声に、ガイは大きく首を振って両手でばつ印を作った。

「俺は駄目。しばらくあそこには近付けません!」

「……お前、何をしたんだ?」

「ちょっとね」

 思いっきり不審そうなバザルトに誤魔化すように笑って、ソリッドの後ろに隠れる。

「こいつは前回の戦いの時に、丁度タガルノで傭兵をしていてな。竜騎士にちょっかい出したらしい」

 呆れたようなソリッドの言葉に、バザルトは無言でガイの頭を遠慮無く拳骨で殴った。

「痛い! 助けてソリッド」

 態とらしく悲鳴をあげて、もう一度ソリッドの後ろに隠れる。

「お前は相変わらずだな。考え無しに動くな!」

「だって、まだ若い雛だったけど中々良い面構えだったんだぜ。それにまだ未熟だけど必死でシルフ達が守ってた。強い矢を見せてやったから、もう覚えた筈だ。次は彼女達が間違い無く止めてくれるぞ」

「成る程。そう言う考え方もあるか。なら良かろう。しかし、お前も来い。どうせ誰が誰かなど奴らには分からんよ」

 強い口調でそう言われて諦めたガイは、胸元に下げていた柔らかな布を口元を隠すように引き上げた。

 こうすればもう、目しか見える部分は無くなり、確かに誰が誰かは分からなくなるだろう。

 他にも数人の男達が手伝って、ラプトルに引かせた簡易の荷車の上に、タガルノの将校達を放り込んで並べた。呻き声をあげるが、意識が戻る様子は無い。

「日が暮れる前に済ませてしまおう」

 バザルトがシルフを呼び出して伝言を頼んだ。いなくなるのを見送ってから、彼らは十七番砦近くの森に向かった。



 しかし、シルフはすぐに戻って来た。



『竜騎士は砦にいない』

『出掛けてるって』

『北の山に嫌な奴がいる』

『其奴らをやっつけてくれてる』


「なんだ、まだいたのか?」

 驚くバザルトに、別のシルフが現れて教えてくれた。


『蒼竜様が見つけた』

『国境の結界も張り直してくれた』

『グレイウルフが十匹』

屍人ゾンビがいっぱいいた』


「グレイウルフだと!それは……」

 さすがに、竜騎士と言えども手に余るのでは無いかと心配したが、シルフ達は笑って首を振った。


『ちゃんと蒼竜様が教えてた』

『奴らの弱点』

『大丈夫大丈夫』


「そうか、さすがだな。それじゃあ、山側の結界の心配はしなくて良いな」

 頷くシルフ達を見て、バザルトはため息を吐いた。

「じゃあ仕方がない。竜騎士が戻るまで待つとしよう。こいつらを引き渡したら、今回の騒ぎはこれにて終了だな」

「俺たちの役目は。だね」

 ガイの言葉に、皆苦笑いして頷いた。

「表向きの交渉は、専門家に任せるのが一番だからな」

 バザルトの声に、シルフ達が口々に叫ぶように言った。


『紫竜の主は重症』

『しばらくは動けない』

『歩けない』

『歩けない』


「ガーゴイルにやられた怪我か」

 悲しそうに頷く彼女達を見て、皆顔をしかめた。

「古竜の主が来たのはそういう訳か。ドワーフの鉱山で取れた紅金剛石を持って来たんだな」

 さすがに砦の中までは見る事が出来ず、てっきり妖魔が現れた事に驚いた古竜が来たのだと、彼らは思っていたのだ。

「なら、薬は必要なさそうだな。それでもまあ……少しくらいは差し入れておこう」

 年長者達は、自分の薬入れから幾つかの薬を取り出し相談して、数を決めて出し合っていた。

「それなら、こいつらもまとめて白の塔の竜人に引き渡しておこう。すまないがもう一度伝言を頼めるか」

 バザルトはシルフを呼び出して砦に向かわせた。

 姿隠しの術を使い、彼らは堂々と国境を超えて砦のすぐ近くまで来た。一旦近くの森に身を潜めてから、また堂々と砦に近付いたのだ。

 すぐに砦から、兵士達が現れる。彼らは明らかに警戒して腰の剣に手を掛けている。

 しかし、その中にラプトルに乗ったガンディの姿があった。

「一体何事だ」

 ラプトルに乗ったまま進み出て来たガンディが、疑っている事を隠しもせずに問いかけた。

「お久しぶりです。俺を覚えておられますか?」

 バザルトが、一歩前に出て口元の布を落として顔を晒した。

「其方……バザルトか! おお、久しいの。息災で何よりだ」

 兵士達に知り合いである事を伝え、剣を納めさせる。

 バザルトは、手早く事情を説明し、タガルノの将校達を引き渡した。

「シルフ達に眠りの術をかけさせています。貴方なら解除は簡単でしょうから、そのまま渡します」

「了解だ。感謝するよ。そうそう、キーゼルに伝えてくれ。言いたい事が山程ある故、手が空いたら白の塔を訪ねてくれとな」

 ガンディはそう言って、兵士達に荷車ごと捕虜となったタガルノの将校達を砦に連れて戻らせた。

「それではな。皆も達者でな」




 砦に戻る兵士達とガンディを見送って、彼らは大きなため息を吐いた。

「誰が知らせる?」

 悲しそうなソリッドの言葉に、答える事が出来る者はいなかった。

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