異形の侵入者達

 その頃、ブルーは偵察に飛ばしたシルフ達から、妙な報告を受けていた。


『北の山側の奥の森に嫌な奴らがいる』

『よく見えないけどあれは嫌』

『嫌な奴ら』

『嫌い嫌い』


「北の山側だと? 国境の向こうでは無くこちら側か?」

 一斉に頷く

 シルフ達を見て、ブルーは考えた。

 この状況で自分がここを離れるのは色々と問題がありそうだが、シルフ達が何なのか確認出来ないにも関わらず、これ程明らかな嫌悪感を示す者達を放置する事は出来なかった。

「ふむ、どうしたものか。蒼の森でなら、近くの幻獣達に確認させるのだが……」

 眼下に広がる三つの砦を見渡す。

「人と関わるというのは、全く面倒が多い」

 苛立ちを表すように一度だけ大きく尻尾を打ち振ってから、ブルーはもう一度アルス皇子を呼び出した。

『如何された?ラピス』

 アルス皇子の声で話すシルフに、ブルーは先程のシルフ達から聞いた話を伝えた。

「どうやら、次の変異の場はここでは無いようだ。ならばこれ以上我がここにいる必要も無かろう。我はレイを連れて一旦帰る。途中に北の山に寄って、シルフ達の言う嫌な奴が何なのか確認してこよう。何かあれば声を飛ばしてやる。念の為、すぐに出られるように準備をしておいてくれ」

『分かりました、本当にありがとうございます。くれぐれも気を付けて。何か発見されても、絶対に手出しは無用です。対処は我々がします。貴方は彼を守る事を常に第一に考えてください』

 ブルーは、その答えに満足したように目を細めた。

「分かった。帰りはゆっくり戻る故、すまぬが途中のレイの為の食事とカナエ草のお茶の用意を頼めるか」

『分かりました。すぐに用意させます。それでは後程こちらに彼を迎えに来てください』

「よろしく頼む」

 頷いたシルフが、くるりと回っていなくなるのを確認してから、ブルーは大きなため息を吐いた。

「大爺、何処まで関わって何処から関わらぬか……情が移れば、線引きは難しいな」




「レイルズ、ここにいたんだね」

 声を掛けられて振り返ると、アルス皇子とヴィゴが立っていた。

「あ、はい……」

 二人は、共にミスリルの鎧を身につけていた。という事は、まだ何かあるのだろう。

 アルス皇子は、レイの前にしゃがむとそっと手を取った。

「レイルズ、薬を持って来てくれて本当にありがとう。おかげでマイリーを助ける事が出来た。先程、ラピスと連絡を取って迎えに来てもらうように頼んだから、君はもう森の家族の所に帰りなさい」

 レイは何か言いかけたが、口を噤んで頷いた。

「分かりました。忙しいのに色々お邪魔してごめんなさい。どうか、皆……気を付けてね。僕が言う事じゃ無いかも知れないけど、もう誰にも怪我して欲しく無いです」

「大丈夫だよ。冬にはまた元気な君に会えるのを楽しみにしてるからね」

 笑って立ち上がったアルス皇子に肩を叩かれて、レイは大きく頷いた。

「レイルズ、本当にありがとう。道中気を付けてな」

 ヴィゴもそう言って笑ってくれた。

 その時、オリノスがレイのリュックを持って来てくれた。

「あ、ありがとうございます。オリノス、お世話になりました」

 頭を下げるレイを見て、彼も笑ってくれた。

「こちらこそ、至らぬばかりで申し訳ありませんでした。道中お気を付けて。これは途中で食べてください」

 手渡された鞄は、ここに来るときにタキスが薬を入れていたあの鞄だった。その中身は、軍で使われている紙に包まれた携帯食と幾つかのマフィンの入った籠、それから大きな水筒が二つ入っていた。

「携帯食……レイルズ、先に言っておいてやる。それの味は決して期待するなよ」

 大真面目なヴィゴの言葉に、レイ以外の全員が堪える間も無く吹き出した。

「し、失礼……致しました」

 オリノスまでが、口を押さえて必死で我慢している。

「これも経験かと思ってね。マフィンはせめてもの口直しだよ」

「分かりました、食べてみます」

 大真面目なレイの言葉に、彼らはもう笑うしかなかった。

『レイ、準備が出来たら外に出て来てくれ。帰るぞ』

 レイの肩に座ったシルフが、ブルーの声でそう言ったのを見て、アルス皇子とヴィゴが一緒に庭に出た。

「レイルズ、気を付けてな!」

「またね! 今度会うのはオルダムだよ!」

 ブルーがいたのは、最初に来た時に降り立った、砦の裏にあたる場所だった。

 そこにはミスリルの鎧を装備したルークと若竜三人組も揃っていて、笑って手を振ってくれた。

「ありがとうございました! 皆も元気でね! 絶対、怪我なんかしちゃ駄目だよ!」

 大きな声でそう叫ぶと、思いっきり両手を振った。

「お世話になりました」

 振り返ってもう一度頭を下げると、レイはいつものようにブルーの背に駆け上った。

「さあ、帰ると致そう」

 顔を上げたブルーが、そう言って大きく翼を広げてゆっくりと上昇した。

「ありがとうございます!」

「お気を付けて!」

 下から湧き上がる大きな歓声に手を振って、レイはブルーの首元をそっと撫でた。

「帰ろうブルー」



 砦の上空を何度か旋回してから、大きな影は北に向かって飛び去って行った。

「あれ? 一旦北に出るのか。街の上を飛ばないように気を使ってくれたのかな?」

 ロベリオの言葉に、他の三人も首を傾げた。

「入るぞ、お前ら。ちょっと話がある」

 ヴィゴの言葉に頷いた四人は、素直に砦の中に戻った。最後まで空を見ていたアルス皇子も、小さなため息を一つ吐いて後に続いた。

「無事に彼らが帰路につけるよう、精霊王よ、彼らをお守りください」

 そう呟いて腰の剣を抜き、音を立てて戻した。聖なる火花に、シルフ達が喜んで手を叩いていた。




「あれ? ブルーこっちでいいの?」

 今の太陽は、ちょうど頭上にあるので、太陽の位置で方向を確認する事は出来ないが、竜の背山脈に向かって飛んでいるように感じて、レイは不思議に思ってブルーにそう尋ねたのだ。

「うむ、すまないが帰る前にやっておきたい事があってな、ちょっと寄り道するぞ」

「良いけど、どうしたの?」

 無邪気なレイの質問に、ブルーは考えていた答えを話した。

「前回と今回の戦いで、タガルノとの国境付近の結界に綻びが生じておるのだ。山側は、人の子が行くには険しすぎるからな、ちょっとお節介を焼いてやるのさ」

「皆のお手伝い?」

「ああそうだ。まあ、我の仕事でもあるがな」

 ちょっと得意げなブルーに、レイは嬉しくなって笑った。

「良いよ、何処なの? 早く行こうよ!」

 密かに彼らの手伝いが出来ると知って、ちょっとだけ気分も晴れた。




 秋のよく晴れた空の下、竜の背山脈を見下ろす位置まで来たブルーは、一旦上空で止まった。

 大きく翼を広げたまま、黙って地上を見下ろす。

 シルフ達が大勢集まって、レイの周りに手を繋いで輪を作る。

「あれ、皆どうしたの?」

 不思議そうに尋ねると、別のシルフが目の前に現れて口の前に指を立てた。


『静かに静かに』

『隠れる隠れる』


 意味が分からなくて下を覗いて、違和感を感じた。

 さっき飛んでいた時は、地面に大きなブルーの影が落ちていたのに、今、頭上に太陽があるにも関わらずブルーの影が無いのだ。

「え? これって……」

「少しの間、静かにしていてくれるか。念の為姿隠しの術を使っている」

 無言で頷いて、口に指を立ててシルフに笑いかけた。


『守ってるよ』

『守ってるよ』


 囁くような声でシルフ達にそう言われてもう一度頷き、レイもブルーを真似て下を見下ろした。

 高度を下げたブルーは、木々の少し上をゆっくりと、まるで何かを探すかのように飛び回っている。

 その時、木々の間から人影が見えた。

「見つけた。やはり入り込んでいたか」

 そう呟いて、ゆっくりと高度を上げた。

「今の何? 誰か森の中にいたよ?」

 出来るだけ小さな声でそう言うと、シルフ達が一斉に頷いた。


『嫌な奴がいる』

『あれは此処にいてはいけない者達』

『あれは邪悪なる者達』


 身を乗り出すようにして下を覗き込んだ時、少し開けた場所に出たその集団の異様な様に、危うくレイは悲鳴を上げるところだった。



「ブルー、ねえ……あれ何?」

 必死で我慢して小さな声で聞いたが、身体の震えを抑えられなかった。

 いつも見ている白黒の牛よりもはるかに巨大な、見た事の無い灰色の狼がおそらく十匹、そして、それらと共にいるのは人だが人では無い者達だった。

 腐りかけ、骨が剥き出しになった手足を引きずるようにして、森の中をふらふらと歩くそれは、かつては生きていた人の成れの果てだった。

 秋の日差しが差し込む緑あふれる森の中で、その光景は余りにも異様だった。

屍人ゾンビ共か、おのれ死霊術者ネクロマンサーがまだいたか」

 ブルーの忌々しげな呟きに、レイはどうして良いか分からなくなった。

「ねえ、あれ何なの? どうしてあんなのが、森にいるんだよ」

 それには答えず、シルフをその場に残してブルーは国境に向かってその場を離れた。

「ねえ、あいつらあのままにして良いの?」

 慌てるレイに、ブルーは顔を上げてレイを見た。

「心配せずとも、今、砦の竜騎士達を呼んだ。奴らは彼らに任せる。それよりも、国境の結界の修復が先だ。奴らを操っている者達の糸を断ち切ってやる」

 そう言って、国境まで一気に加速して飛んで来た。




「やはり、相当大きな穴が空いているな」

 レイの目には、ただの森と山の景色に見えるが、ブルーには違うものが見えているようだった。

 ブルーが合図すると、何人ものシルフ達が現れて森の方へ飛んで行った。その中には、ふた回り以上も大きなシルフ達が何人も混じっていた。

「あれって、もしかして古代種の子達?」

 こんな時なのに、目についたら聞かずにはいれなかった。

「そうだ、よく分かったな。彼女らは我の幼き頃からの古き友だ。このような大掛かりな術を使う時には手伝ってもらう」


『守るべし守るべし』

『我らの結界抱きし山を」

『守るべし守るべし』

『我らの愛しき竜達を』

『守るべし守るべし』

『幼く愛しき人の子を』

『全てを統べる我らが王に祝福を!』


 精霊達の声が紡ぐ、不思議な旋律に乗せて歌われたその言葉に、レイは言葉も無く聞き惚れた。

「守りし壁よ出でよ!そはかくあるべし!」

 突然、大きな声でブルーが叫んだ。

 その瞬間、山の中に青い巨大な光の柱が何本も立ち上がり、空に向かってそびえ立った。

 綺麗なその青い光の柱は、次々と現れて次第に繋がり、遂には一枚のカーテンのように板状になって空に伸び上がった。そして、唐突にその光は消えて無くなった。

「ええ、どうなったの?」

 驚くレイに、振り返ったブルーは自慢気に胸を張った。

「強力な結界を張ってやったぞ。これで入り込んだ奴らはもう逃げられぬ。迂闊に、清浄なるこの地に入り込んだ報いを受けるが良い」


『ラピスよ知らせをありがとう』

『この場は我らに任せてください』

『貴方は来てはいけません』


 突然現れたシルフは、それだけ言うと返事も聞かずにいなくなってしまった。

「今の……殿下?」

 それには答えず、ブルーはやや北寄りに進路を取って、相当な高度でそのまま西に向かった。






 砦で待機していた彼らの元に、ブルーからの知らせが届いた。

『見つけたぞ。シルフに案内させる。グレイウルフが十匹と屍人ゾンビが相当数いるぞ。ウィンディーネに周囲を守らせて焼き払ってやれ。グレイウルフは高く跳ねるので、20メルトより下には絶対に降りるな。あの牙にやられると竜であっても無傷ではすまぬ。奴には風は効かぬが火の技は確実に効く。それからフレアならば出来よう。凝固の術で屍人とグレイウルフの死体を確保させろ。タガルノとの交渉に現物がいるだろうからな』

「了解だ。攻略法に今後の交渉のネタまで教えてくれるとは、感謝の言葉も無いよ」

 そう呟き、アルス皇子はフレアに飛び乗った。

「行くぞ!」

 王子の声に、全員が敬礼して竜に飛び乗った。

 一斉に飛び上がり、そのまま北に向かって一気に加速して飛び去って行った。怪我の癒えたアメジストとカーマインも、並んでその後を追った。



 現地に到着した彼らは、アルス皇子を囲むように円陣を組み、教えられた通りにグレイウルフと屍人達を次々に葬って行った。

 最後の一匹が動かなくなるまで、彼らは一切の容赦をしなかった。

 この屍人達は、間違いなく王都オルダムを目指して入り込んでいたのだ。竜騎士達が全員国境にいる時に、王都に襲撃を掛けられていたら。考えただけでも怒りに身体が震えた。

 屍人の出現に街はパニックになっただろう。小さな家よりも巨大なグレイウルフの群れに、人間の武器が効くとは到底思えない。

 絶対に防がなければならない暴挙だった。




 夕焼けが差し込む頃、ようやく駆逐作戦は終了した。

 念入りにシルフとノームに周囲の森を調べさせて、光の精霊まで動員して徹底的に周囲の全てを浄化させた。

 陽が沈んでから、ようやく終了した事を確認した彼らは砦に戻ったのだった。

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