マイリー
不意に身じろぎしたマイリーに、慌てて三人が覗き込んで呼びかける。
僅かに目を開いたマイリーは、呻き声を上げて動こうとした。
「駄目だ動くな!」
ヴィゴが慌てて押さえつける。
「ヴィ……ゴ……」
掠れた声が聞こえて、ヴィゴの目に涙が溢れた。
「ここにいるぞ! しっかりしろ」
頬に手をやって覗き込んだが、反応が鈍い。
「目が……くら……い……明か、りは?……」
「部屋は朝日が入って十分に明るいぞ。何を言っている?」
ガンディがヴィゴの言葉を遮った。
「今の彼は大量出血に伴う酷い貧血状態だからな。目が暗いのは当然だ。すまんがカーテンを閉めてくれ。朝日は、弱った目には眩しかろう」
控えていた衛生兵達が、手分けして窓のカーテンを閉めて回った。
室内が少し暗くなる。
「マイリー、分かるか?」
ガンディが覗き込んで尋ねる。
「ガンディ……」
「私もいるよ」
隣からアルス皇子が覗き込む。
「でん、か……」
アルス皇子の顔を見て僅かに微笑んだマイリーだったが、貧血から来る目眩と不意に襲いかかる激痛に呻き声を上げた。痛みに抗う様に伸ばした腕が毛布を掴む。
「マイリー!」
ヴィゴの声が遠くに聞こえる。応えようとしたが、遠くなる意識に引きずられる様に目の前が真っ暗になり、そのまま何も分からなくなった。
その頃、ルークは一人広場に残って現場の兵士達に指示を出していた。
壊滅した十八番砦には、国境近くのエピの街からの増援部隊が到着して、無残な遺体の回収作業を開始していた。この砦からも、応援の者達が十八番砦に出向いている。
実は竜騎士達は戦いが終わってここに戻る前に、一旦十八番砦に赴き結界を解いて、現場の確認を行っていたのだ。
夜明けの太陽に照らされた無残な現実を再度見せつけられて、彼らにも、もう祈る事しか出来なかった。
その現場に到着した責任者からの報告も、現在、ルークが一手に引き受けていた。
今だけでも、アルス皇子とヴィゴにマイリーの側にいさせてやりたかったのだ。
実際の直接の指揮権は竜騎士にある訳では無いが、各砦の責任者達は皆、竜騎士の事を頼りにしている。
「ああ、ご苦労様です。そちらの様子は? はい、了解です。よろしくお願いします」
次々に入る報告を聞きながら、ルークは三つの砦の総責任者であるディアスキア将軍と共に現場に立ち、竜騎士が健在である事を示していた。
食事を終えた三人も加わり、交代で各砦の上空の警戒に当たった。
ブルーは、その巨大な勇姿を見せつける様に、奥の小山の上から辺りを睥睨していた。
昨夜の戦い以降タガルノ側からの動きは一切無く、国境は不気味な程の静けさと緊張感を保っていた。
レイは、とにかく今はアルジェント卿と一緒にいる様にロベリオ達に言われて、大人しく休憩室で彼から昔の話を聞いていた。
話が一段落した時、レイは小さな声で呟いた。
「マイリーの具合ってどうなんですか? 誰も教えてくれなくて……」
もちろん、アルジェント卿はガンディから話を聞いて、マイリーの詳しい容体についても知っている。しかし彼も、目の前のまだ未成年であるという少年に、何処まで知らせて良いのか判断が付かなかった。
「大丈夫だ、彼は強い。今は信じて待ってやってくれ」
そう言って、慰めてやる事くらいしか出来なかった。
昼前に、マイリーはようやく意識を取り戻した。
しばらくぼんやりと天井を見上げていたが、不意に感じた痛みに呻き声を上げる。しかし、驚いた事に我慢できないほどの痛みでは無い。
「マイリー。私が分かるか?」
慌てた様に覗き込んだアルス皇子に、マイリーは小さく笑った。
「ご無事ですね。良かった」
思っていた以上にしっかりした口調で答えられた事に安堵する。
「精霊王よ……感謝します」
ヴィゴがマイリーの右手を取ったまま、俯いて精霊王への感謝の祈りを捧げた。
「大袈裟だな。お前は……」
小さく笑ったマイリーは、ガンディを見た。
「正直、生きてるとは思いませんでしたよ。ありがとうございます……でも、例の薬はもう殆ど無かったのでは?」
ルークから、ガンディが言っていた貴重な薬を使った途端に激痛から解放されて、我慢できる程度の痛みになり、怪我の回復も早かった事を聞かされていたマイリーは、恐らくその薬を自分にも使ったのだろうと見当を付けた。だが、文字通り貴重な材料を使う為に、作り方が分かってもその材料は簡単には手に入らないとガンディが嘆いていた事も聞いている。
しかし、ガンディは少し笑って首を振った。
「心配するな。たっぷり手に入ったからな。激痛で眠れんような事は無かろうて」
「それは有難いですが……何処からその貴重な材料を?」
「怪我人がそのような事、心配するな」
「そうだぞ。とにかく今は大人しくしていてくれ」
立ち上がったヴィゴに言われて、マイリーは首を巡らせて窓を見た。
「戦況はどうなっている? お前が此処にいるという事は、戦闘は終わったのか?」
ヴィゴとアルス皇子は顔を見合わせて首を振った。
「お前は、大人しく、寝、て、い、ろ」
ヴィゴが言い聞かせるようにそう言って、マイリーの額を軽く叩いた。
「ルークと交代してきます。彼はずっと休み無しですからな」
「私も行くよ。ガンディ、マイリーを頼む」
そう言って、アルス皇子もヴィゴの後を追って部屋を出て行った。
黙って見送ったマイリーだったが、振り返ったガンディを正面から見つめた。
「それで? 正直なところを聞かせてください。俺の足はどうなりましたか?」
その頃小山の上にいたブルーは、思いがけない知らせを受け取っていた。
アルカディアの民からの使いだと名乗ったその上位のシルフは、ブルーが知りたかった事をほぼ全て教えてくれた。
タガルノ側で何が起こっているのか。マイリー達を襲い十八番砦を全滅させたガーゴイルも、キーゼルの犠牲により原因だった術者が封印された為に今現在の脅威は去った事、しかし、それはあくまでも応急処置であって、根本的な原因の根絶には至っていない事も告げられた。
「そのキーゼルと言う者、以前我のところに使いを寄越した者だな。名前に聞き覚えがある」
『キーゼルが封印した事により奴はいわば腕を失ったようなもの』
『恐らく数年は大人しくして傷を癒す事に専念するでしょう』
『事実王城の地下にいた闇の眷属の姿はぱったり途絶えたそうです』
「ご苦労だった。そのキーゼルという男の魂が安らかである様に祈ろう」
『ありがとうございます』
『タガルノ側からの結界は出来る限り修復しました』
『しかし北の山側の付近はまだ手付かずです』
「了解だ。そこは我が確認しよう。お主達とて、山側の全てを確認するには相当時間が掛かるだろうからな」
ブルーの言葉に、ホッとした様にシルフが頷いた。
『感謝します貴方と主のこれからに幸多からん事を』
『我らの力が必要な時にはいつ也とお呼びください』
そう言ってシルフはくるりと回っていなくなった。それを黙って見送ったブルーは、小さくため息を吐いた。
「さて、どうするかな……とにかく、当面の脅威は去った事は知らせてやるか」
大きく翼を広げて伸びをすると、シルフに命じてアルス皇子を呼び出した。
『どうされた?ラピスよ』
アルス皇子の声で答えるシルフに、ブルーは配下の者からの知らせだと言って、アルカディアの民から聞いた、当面の脅威は去った事を伝えた。
具体的な話はせずに、ガーゴイルを召喚した術者は封印して倒した事を知らされた皇子は、大きく息を吐いて礼を言った。
『尽力いただいた全ての方に心からの感謝を』
『それではもうタガルノ側からの攻撃は無いと思って良いと?』
「あくまでもこの場は、と言う限定だがな。また奴らが別の作戦を同時進行させておるのなら、その限りでは無い」
『分かりました警戒は怠る事なく今は砦の復旧に力を入れます』
「そうされよ。あの地には昨夜のうちに上位の浄化の術をかけておいた。無益に失われた者達も、迷う事なく精霊王の元に辿り着けるだろう」
俯いたシルフは、絞り出す様な声で礼を言った。
『ありがとうございますラピスよ』
『それから……厚かましいお願いなのですがどうかアメジストの怪我に癒しの術をかけてはいただけませんか』
顔を上げたブルーはアルス皇子の声で話すシルフを見つめた。
「怪我をしたのか?」
『左の翼の付け根をガーゴイルの鉤爪でやられました』
『鱗が浮いて割れかけています』
『昨夜は少量ですが出血も見られました』
「分かった、しかし他の者達の前で癒しの術は使いたく無い。此処まで来られるか?」
ブルーは、竜騎士達の事はある程度信頼しているし、手の内を見せても大丈夫だと思っているが、ファンラーゼンの全ての兵士を信用する程には、まだ人間の事を信用してはいなかった。
『分かりました後程連れて行きます』
「分かった。好きにするが良い」
『それから……レイルズの帰宅についてですが……』
「今はまず己の務めを果たせ。彼の身の安全は我が保証する」
絶句したシルフは、小さくため息を吐いた。
『分かりました』
『しばらく力を貸していただきます』
そう言うと、シルフはくるりと回っていなくなった。
マイリーから真正面に見つめられて、思わずガンディは目を逸らしてしまった。
「やっぱりそう言う事ですか。もしかして、感覚が無いのは……」
「馬鹿な事を言うな! ちゃんと付いておるわい」
怒鳴ったガンディに、マイリーは笑ったのだ。
「では、腱か神経ですね。やられたのはどっちですか?」
「お前はまた、他人事の様に言うな!」
思わず感情的になって怒鳴ったが、返事をしたマイリーは腹が立つほどに冷静だった。
「泣き喚いて怪我が無かった事に出来るなら、俺だって好きなだけ泣き喚きますよ。とにかく、頭も身体も無事です。自分の現在の状況ぐらい知っておくのは当然でしょう?」
高ぶった感情を抑える様に大きなため息を一つ吐いて、ガンディは首を振った。
「腱を完全に断ち切られておる。すまぬ、儂にもどうしてやる事も出来ぬ」
「……立てる様にはなりますか?」
無言のガンディに、マイリーは小さくため息を吐いた。
「なら、車椅子の手配をお願いします」
「お前は!」
「こんな事で終わってたまるか。言ったでしょう。頭も身体も無事です。右手もね。それなら、まだ俺にも出来る事がありますよ」
ゆっくりと肘を使って身体を起こし、もう一度正面からガンディを睨む様に見つめた。
「殿下とヴィゴを呼んでください。今の状況を知りたい」
「……頼むから、せめてもう一日は大人しくしておってくれ。今のお前は血を失いすぎておる故無理は命に関わる。安静にしておれ。これは医者としての命令だ」
しばらく睨み合っていたが、先に折れたのはマイリーの方だった。
「分かりました。確かにまだ無理が効かないことは身に染みてますよ」
起こしていた身体から力が抜けて、ベッドに倒れこんだ。慌てたガンディが駆け寄る。
「確かに、ひどい貧血だ……」
眉間を抑えた彼の言葉に、ガンディはそっと腕を撫でて毛布の中に入れてやった。
「お前の覚悟の程は分かった。だが、今は大人しくしておれ。戦況が落ち着けば、またタガルノとの直接交渉が待っておる。あれは、お前無しでは絶対に無理だ。それまでにせめて車椅子に乗れる程度には回復できる様に頑張ってくれ」
ガンディとて、そんな短期間に怪我が回復しない事ぐらい分かっている。しかし、そうでも言わないとマイリーは本当に休もうとしないだろう。
「分かりました。今は大人しくしていますよ」
毛布を首元まで引き上げて、ガンディを見上げた。
「それで、もう一度質問です。薬の材料をどこから手に入れたんですか?」
彼は、ガンディから紅金剛石の事を聞かされて、実は密かに探させたのだ。しかし、彼の情報網をもってしても、欠片一つ手に入れる事が出来なかったのだ。
再び睨み合いになる。
今度折れたのは、ガンディだった。
「蒼の森のタキスが持っておった。それで頼んで譲ってもらったんじゃ。後程きちんと使った分の代金は払うぞ」
「タキス殿が?」
「分かったであろう。気が済んだのなら大人しく……」
「それで、蒼の森からここまで、一体どうやって、誰が運んだんですか?」
口ごもるガンディに、マイリーは目を見開いた。
「まさか。ここに来させたんですか?レイルズとラピスを?」
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