夜明けと竜騎士達の帰還
『おはよう』
『おはよう』
『起きて起きて』
いつものようにシルフ達に起こされたレイは、目を開いて見えた景色に小さなため息を吐いて起き上がった。
「眠れないと思ったけど、ちゃっかり寝てるんだもんな……」
『おはよう』
『おはよう』
髪を引っ張るシルフに手を振って、レイはベッドから降りて大きく伸びをした。
「おはよう。ねえ、シルフ。竜騎士の皆はもう戻ってるの?」
足元に置かれていた服を着ながら、一番心配な事を聞く。
『今、こっちに向かって帰って来てる』
『皆無事だよ』
「そっか、良かった」
心の底からそう思った。
自分がのんびり寝ている間に、もし彼らに何かあったら、そう考えただけで足が震えた。
「そう言えば、マイリーには会わせてもらえなかったけど……お薬は効いたのかな」
顔を洗って部屋に戻って来たところで、不意に外が騒がしくなるのが分かった。
『帰って来た』
『帰って来た』
嬉しそうなシルフ達の声に、慌てて窓に駆け寄り、カーテンを開いて窓を開けた。
窓の外の格子の隙間に顔を突っ込んで、手を振りながら大きな声で力一杯叫んだ。
「おかえりなさい!」
何人かの兵士が、驚いた様にこっちを見ていたが構わなかった。
気付いたアルス皇子が、こっちに向かって笑って手を振ってくれた。他の皆も、順に降りる時にこっちに向かって手を振ってくれる。
やっと見る事が出来た無事な姿に安心し、窓の格子にしがみつく様にして地面に降り立つ竜達を見つめていた。
「良かった。大きな怪我はないみたい」
安心して顔を上げた時、ノックの音がしてオリノスが入って来た。
「おや、おはようございます。もう起きておられるとは、昨夜は眠れませんでしたか?」
「おはようございます。ちゃんと寝ました。さっきシルフが起こしてくれたんだよ」
飛び乗っていた窓辺から飛び降りて、きちんと挨拶した。
「お食事は部屋にお持ちしますので、しばらくお待ちください」
「えっと、その前に庭に出ちゃ駄目ですか?」
顔を上げたオリノスは、納得した様に頷いた。
「竜騎士様方がお戻りになられましたからね。ですが……」
その時、現れたシルフがガンディの伝言を伝えてくれた。
『おはようもう起きておるな』
『一緒に食事をするからそちらの部屋に行く』
『そこで待っておってくれるか』
「かしこまりました。お待ちしております」
オリノスが答えて、シルフが消えるのを見送った。
「ガンディが来てくれるって事は、マイリーの具合は落ち着いてるのかな?」
「昨夜は、お会い出来無かったんですね」
オリノスの言葉にレイは小さく頷いた。
「まだ会える状態じゃないって……」
俯くレイに、カナエ草の手早くお茶を入れた。
「ガンディ様がお越しになるまで、これを飲んでいてください」
促されて椅子に座り、出された温かいお茶を飲んだ。
蜂蜜のたっぷり入った甘いお茶に、レイは不意に涙腺が緩むのを感じて慌ててしまった。
「大丈夫ですよ。誰も見てませんから」
そう言って柔らかな布を渡すと、オリノスは黙ったままそっと部屋を出て行ってしまった。
「ありがと……」
無言の気遣いに感謝して、レイは布に顔を埋めて気がすむまで泣いた。
マイリーを心配する気持ちと、皆が無事に帰って来てくれた安心感。それから自分でもよく分からないぐるぐるした感情を、全部まとめて涙で流した。
気がすむまで泣いたら、急いで洗面所でもう一度顔を洗って平気な振りをした。
まるでそれを待っていたかの様にノックの音がして、ガンディとワゴンに朝食を乗せたオリノスが入って来た。
「おはようございます」
「おはよう。昨夜はちゃんと眠れたか?」
「ちゃんと寝たよ」
笑ってそう答えて、ガンディと向かい合わせで椅子に座った。ちょっと目が赤かったのには誰も触れないでくれた。
手早く並べられた朝食を、用意してくれたオリノスにお礼を言って精霊王にお祈りをしてから食べた。
前に座って食べているガンディは、何だか少し疲れているみたいに見える。
何となく食事の間は、二人とも黙っていた。
レイは時々顔を上げては、眉間に皺の寄ったガンディを見てまた下を向くのを繰り返していた。オリノスは、そんな彼を見て何か言いかけたが、黙って給仕に徹していた。
「ごちそうさまでした」
もう一度入れてくれた、食後のお茶を飲みながら、昨夜、家を出る時にニコスがリュックに食事を入れてくれていた事を、今更ながら思い出した。
慌ててリュックに駆け寄り包みを開く。ササの葉で巻かれたパンにはウィンディーネの姫が退屈そうに座ってくれている。
「えっと、ごめんね姫。これってまだ大丈夫?」
『まだまだ大丈夫だよ』
顔を上げた姫が、得意げにそう教えてくれる。
「良かった。せっかく用意してくれたのに、腐らせちゃったら申し訳ないもんね」
包みを机の上に取り出した。
「えっと、ニコスがお弁当を持たせてくれてたのを忘れてました。これ、お昼に頂きます」
それを聞いて、厳しい顔をしていたガンディが顔を上げて少し笑った。
「おお、ヴィゴとルークが言っておった弁当じゃな。美味かったそうだぞ」
「良かった。そうだよ、ニコスの作ってくれるものは何でもすっごく美味しいんだから!」
笑顔のレイの言葉にガンディも笑って、机に置かれたササの葉で包まれたパンを見た。
「ロベリオ達が羨ましがっておったから、そこに置いておいたら狙われるぞ」
「あはは、別に食べてもらっても構わないよ。だって本当に美味しいんだもん!」
残りのお茶を飲みながら笑った。
食事の後、レイは不安になってガンディにこっそり尋ねた。
「ねえガンディ、僕、もう帰った方が良いのかな?」
ここにいても、もう何も出来ない事は昨日で思い知った。それどころか、自分の為に人手を割いてもらっている状況では、正直言って邪魔でしか無い。早く帰った方が良い様に思えた。
「まあ、気持ちは分かるがもうちょっと待ってくれるか。殿下と相談する。すまんが、大人にも色々と事情があるんじゃよ」
どうやら、自分一人だけの問題では無い様だ。
「えっと、そう言えばブルーは今何処にいるの?」
目の前のシルフに尋ねると、ブルーの声が聞こえた。
『我は、昨日の夜から砦の奥にある小山の上にいるぞ。此処からなら三つの砦全てが見渡せるし、タガルノとの国境もよく見えるからな』
「昨日は他の皆と一緒に行ったんじゃ無いんだね」
ブルーは此処にいてくれたのだと確認出来て、何故だかホッとした。
『我のいる場所はレイのいる場所だ』
その言葉を聞いただけで、安心した。
何か言いたげに自分を見ているガンディを振り返って、レイは気になっているマイリーの容体を聞いた。
「えっと、マイリーの具合はどうなんですか? 届けたお薬って上手く使えたの?」
それを聞いたガンディは、慌てた様にシルフに話しかけた。
「その前にラピスよ。蒼の森のタキスを呼んでくれぬか。ちと話がしたい」
自分でもシルフを呼べるのに、ガンディがわざわざブルーに頼むのは、ブルーに隠し事はしないという意思表示でもあるのだ。
『分かった』
当然、それを理解しているブルーは素知らぬ顔でタキスを呼んでくれた。
隣に別のシルフが現れて座る。
『師匠! レイは間に合いましたか? マイリー様の容体は?』
慌てた様なタキスの声に、ガンディは小さく笑って頷いた。
「心から感謝するぞ。まさかあれほどの量を届けてもらえるとは思っていなかった故、取り出して見て本気で慌てたわい。今の所マイリーの容体も落ち着いておる。使った分はきちんと計って記録に残してあるからな」
『お役に立ったのなら良かったです』
ホッとした様なタキスの声に、レイも嬉しくなった。
『レイ、皆様にご迷惑をかけない様に、早く帰ってきてくださいね』
「はい、大人しくしてます。えっとね、アルス皇子とお話ししてから帰る段取りをするみたいだよ」
『そうですか、気を付けて、帰る時には連絡を下さいね』
頷いたシルフがくるりと回っていなくなっても、レイはシルフのいた場所を見つめていた。
「ねえ、ガンディ……僕、マイリーに会わない方が良いの?」
さっきから、ガンディはマイリーの容体を話そうとしない。タキスに言ったのが本当なら、会えない訳はないのに。
不安が湧き上がるのを感じて、どうしたら良いのか分からなくなった時、ノックの音がした。
オリノスが扉を開けると、ロベリオ達が入って来た。鎧は脱いで、何時もの遠征用の緑の制服を着ている。
「ああ疲れた。お腹空いたぞ!」
入って来たのは、若竜三人組だ。
「レイルズはもう朝ごはん食べたの?」
タドラの言葉に、レイは頷いた。そして、机に置かれた三つのササの葉に包まれたパンを見た。
「あの、昨日ニコスが持たせてくれたの。食べなかったからお昼に食べようと思ったんだけど……丁度三つあるし、少ないけど食べる?」
目を輝かせた三人が、同時に返事をした。
「食べる!」
慌ててオリノスが、全員分のお茶を入れ直してくれた。
大きな口を開けて嬉々として齧り付く三人を、レイは嬉しそうに眺めていた。
「美味しい!この薫製肉、めちゃくちゃ美味いぞ」
「僕のは鶏ハムだ。これも美味しい」
ユージンの持っているパンを見て、ロベリオがいきなり横から齧った。
「あ、何するんだよ! じゃあ僕も!」
ユージンが、ロベリオの持っていた薫製肉のパンを横から齧った。それを見たタドラが即座に立ち上がり、ガンディの後ろに隠れて自分が食べている残りを死守した。
ガンディとレイは、そんな彼らを見て二人同時に吹き出したのだった。
「何をしとるかお前らは全く」
呆れた様にガンディがそう言って笑うと、最後の一口を飲み込んだタドラの背中を叩いて席に戻らせた。
「ありがとうレイルズ。美味しかったよ」
「でも全然足りなかったでしょ?」
お茶に蜂蜜をいれながらレイが笑うと、三人も苦笑いしていた。
「そろそろ俺たちの食事を持って来てくれるはずだからね。取り敢えず、空腹が落ち着いたよ」
話していると、何人もの第二部隊の兵士達がワゴンに食事を乗せて運んで来てくれた。黙々と食べる三人を見て、レイはいつまでここにいれば良いのか分からなくて、不安を感じていた。
「そっか、やる事が無いって、こんなにも不安になるんだ……」
小さな声でそう呟いて、窓の外を見た。
よく晴れた青空が、窓いっぱいに広がっていた。
レイルズを三人に任せて、ガンディはマイリーの部屋に戻っていた。
ヴィゴとアルス皇子の二人は、出撃の時以外ずっと彼に付きっ切りだ。
「まだ意識は戻らんか?」
その声に振り返ったヴィゴが、頷いて場所を譲った。
マイリーの浅黒い肌でさえ分かる程に血の気の引いたその顔は、一日でげっそりとやつれている。
「先程から少し呼びかけに反応が有ります。間も無く意識も戻るかと思われます」
医療兵の言葉に、三人は唇を噛んだ。
「目を覚ませば、話さぬ訳にはいくまい」
絞り出す様なガンディの声に、アルス皇子は俯いたまま呟いた。
「本当に……駄目なんですか?」
「腱が完全に断ち切られておる。こればかりは、正直言って、儂にもどうすることも出来ぬ」
ヴィゴはマイリーの手を取ったまま、顔を上げた。
「殿下、マイリーとて覚悟の上です。どうか気に病まれませぬ様」
「分かってるよ。でも、心配ぐらいはさせてくれ……」
眠る彼の額にキスすると、アルス皇子は顔を上げた。
「どう思う。私は今すぐにでもレイルズとラピスを帰らせるべきだと思う」
「しかし、兵達はラピスがいなくなれば動揺するのでは?」
ヴィゴの言葉も最もだった。
あの巨大な古竜がここにいてくれると言うだけで、兵士達に与える安心は大きい。
ましてや、竜騎士隊の知の要であるマイリーが負傷した事は、既に皆に知られている。不安材料は少しでも少ない方が良いのも事実だった。
アルス皇子だとて、それ位の事は分かる。
しかし、このまま彼をここに置いて万一何かあったら、そう考えると、どう考えても返すべきだとの結論に辿り着いた。
「マイリーなら、何と言うかな?」
小さく呟いた時、マイリーが僅かに身じろぎするのが見えた。
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