それぞれの戦いと役割

 シルフ達が優しく自分の頬を撫でているのに気付き、ガイはゆっくりと目を開いた。


『起きた』

『起きた』

『大丈夫?』

『大丈夫?』


 ぼんやりと顔を上げて、今まで自分がもたれていた大きな木の幹を見た。

「夢じゃなかったんだな……」

 大きなため息を吐いて顔を覆った。

「大丈夫か? ほら、これで顔を拭け」

 礼を言って、目の前に差し出された濡れた布を受け取って顔を拭く。

 すっかり日の暮れた森の中で、この場所だけは木々に留まった光の精霊達が明るく照らしていた。

「……これからどうするんですか?」

 ベルトに取り付けていた水筒から水を飲みながら、隣に座るバザルトを見る。

「まずは食べろ。話はそれからだ」

 暖かいスープの入った器を差し出されたが、とても食べる気にはなれなかった。

 黙って首を振る彼にバザルトは無言でスープの器を持たせ、右手には匙を持たせた。

「いいから食べろ。今更、食事の重要性から教えさせるつもりか?」

 別の者が固く焼き締めたパンを差し出してくれたので、それも受け取って黙って食べ始めた。

 殆ど味を感じない食事を気力で終えて、水を一口飲んでから大きなため息を吐いた。

 もう一度、傍の大きなオークの樹を見上げる。

「そこでのんびりしてると良い。俺は俺のやるべき事をするだけだ」

 確かめるように自分の腰の剣を撫でると、立ち上がったガイは自分のラプトルに向かった。すでに食事を終えた仲間達が彼を見つめていた。

「行こう。キーゼルの弔い合戦だ」

 バザルトの言葉に、ガイも大きく頷いてラプトルに飛び乗った。




 森の中を疾走するラプトルに乗った一行は、国境に近い森の中にいた。

「ファンラーゼンに攻め込む予定だったのに、霧が晴れてしまって機会を逸したらしい」

「己が置かれた立場も分からぬ愚か者共が」

「あの霧も例の術者の仕業だったからな」

「まずは司令官や上官をおびき出して片付けるぞ」

 先行していた者達の話に、皆頷く。

 指示を受けたシルフが、声真似を使って伝令兵のように幻覚を見せてタガルノ軍の司令官や上官を次々に呼び出し、それを森に引き込んでアルカディアの民達が闇に葬った。

 漆黒の闇の中の黒衣のアルカディアの民達は、まさに文字通りの闇の使者と言えた。

 気付いた時には手遅れで、抵抗らしい抵抗も出来ずに次々と息の根を止められていった。半刻もせぬ内に、タガルノ軍にはもう全体を見て指揮できるものは居なくなっていた。

「あとは彼らにやってもらおう」

 訳もわからず戸惑う兵士達に向かって、森から現れた狼達の群れが襲い掛かる。シルフとノーム達によって集められた森に住む狼達だ。アルカディアの民達にとって狼は森に住む友達でもある。

 悲鳴をあげて逃げ惑う者達は、国境の緩衝地帯を超えてファンラーゼン側まで走る。もうそこしか逃げられる場所が無かったのだ。

 しかし、突然現れた光の精霊達に照らされて丸見えの彼らに、容赦無く竜騎士達の精霊魔法の攻撃が襲い掛かった。



 夜が明ける頃には、立っているタガルノ兵はもうどこにも居なくなった。



「これで良い。後程国境の結界の強化を行う。一旦戻って休むぞ」

「それが終わったら、もう少しタガルノの兵力を削いでおくか」

「あの呆け老人はまだ派兵するつもりのようだから、国境に辿り着くまでに潰してやれ」

「いっそ、奴が自ら出てきてくれれば話が早いのにな」

 若い者達が物騒な事を言うのを聞いて、バザルトは呆れたようにため息を吐いた。

「あのなあお前ら……言っておくが、あの呆け老人でもそれなりに役に立ってるんだぞ。今、奴が城から出てもしも死ぬ様な事になれば、タガルノの国は本当に跡継ぎ問題で崩壊するぞ。正式な引き継ぎ無しに王が死んだらどうなるか考えてみろ。それはつまりタガルノを抑えている結界そのものが崩壊する事と同じだ。キーゼルの仕事を無駄にするつもりか?」

「す、すみません……」

「いや、そんなつもりじゃ……」

 慌てる様に必死で言い繕う彼らを見て、ガイも小さく笑った。

「バザルト、その辺にしておいてやれよ。彼らだって別に本気で言ってる訳じゃないさ」

「お前が、先頭切って突っ込んで行くものだとばかり思っていたがな」

「俺にも一応頭は付いてるんでね。どれが一番この場ですべき事かそれなりに考えてるだけだよ」

 肩をすくめるガイは、今までには無かった貫禄とも言うべき落ち着いた様子が見えた。

「本当に若木が一つ、成長した様だな……」

 苦笑いしたバザルトは、白み始めた空を見上げた。

「キーゼル。お前の最期の教え子は、どうやら相当有能な様だな。果たして俺に育てられるかな?」

 自嘲気味に笑って小さなため息を一つ吐くと、若者達と共に、一旦休む為に森の中に戻って行った。






 ラピスから国境に大勢のタガルノ兵が潜んでいると教えられた竜騎士達は、装備を整えるとカーネリアンを連れて、暗闇の中を国境へ向かった。

 アルス皇子とロベリオがそれぞれ光の精霊を呼び出して、先頭を行くヴィゴとロベリオが乗るシリルとアーテルの前を飛ばせた。闇の眷属に対する警戒だ。

 光の精霊が放つ光に照らされた彼らが、目的の国境付近に到着した時、まだ国境付近に大きな動きは無かった。

 一旦光の精霊を元の石の中に呼び戻し、竜騎士達はそのまま暗闇に戻った上空で静かに待った。

 時折、タガルノ兵達が潜んでいる森の木々がざわめくものの、大きな動きがないままに時が過ぎる。




「我々が来た事に気付いて、攻撃を諦めてくれれば良いのだがな」

 アルス皇子の言葉に、皆、小さく頷いた。

「レイルズの光の精霊も、借りてくればよかったかな?」

 もう一度そう呟いて、静かな森を見下ろした。

 今の竜騎士の中で、光の精霊が使えるのはロベリオとユージン、アルス皇子の三人だけだ。、ユージンはまだ自分の光の精霊を持っていない為、自在に光の精霊を呼び出す事が出来るのはロベリオとアルス皇子の二人だけなのだ。マイリーもユージンと同じで、光の精霊は見えるがあまり適性が無かったらしく、殆ど光の魔法を使う事が出来ないし、自分の光の精霊も持っていない。

 しかし、精霊魔法を使える者達の中でも、光の精霊を使えるものはごくごく稀だと言われている事を考えると、竜騎士達はやはり別格なのだろう。




 その時、突然森が騒めきあちこちで悲鳴が上がった。

「何だ?」

 ヴィゴが驚いて身を乗り出して下を見た。

 何人もの兵士達が、森から走り出て国境を超えてこっちに向かってきた。皆武器を手にしているが、何故か既に血を流しているものが何人も見えた。

「仲間割れか? 何でも構わん、行くぞ!」

 アルス皇子が剣を抜き光の精霊を放った。ロベリオもそれに続いて自分の光の精霊を解き放つ。辺り一面に光が溢れ、真昼の様な明るさになる。

 急激な光に照らされて目の眩んだタガルノ兵達が戸惑っているところに、竜騎士達の放った精霊魔法が襲い掛かる。一緒に連れてきたカーネリアンも、アルス皇子と共に彼の指示で竜騎士達が使う精霊魔法の補助を行なう。



 圧倒的な戦力差で、呆気なく勝負はついてしまった。



「……哀れな兵士達だ。これではまるで無駄死にでは無いか」

 しかし、十八番砦の兵士たちの無残な死に様を見た彼らは、タガルノ兵に向ける同情は無かった。

 それぞれにミスリルの剣を鞘に戻すと、聖なる火花を散らせた。






 休憩室にいるレイは、アルジェント卿から竜騎士時代の話を聞いていたが、段々と眠くなってきて欠伸を堪えるのに苦労していた。

「もう遅い。そろそろ休みなさい」

 そう言われても、とても休む気にはなれなかった。

「だって、僕だけ先に休むなんて……」

 小さな声でそう言って俯く。

 正直言って今ベッドに横になったらすぐにでも熟睡出来るだろう。普段ならもうとっくにお休みを言ってベッドに入り熟睡している時間なのだ。

 それでも、出て行ったきり戻らない皆の事が心配で、自分だけ先に休む気には到底なれなかった。

 そんなレイを見ていたアルジェント卿は、小さなため息を吐いて優しくレイの肩を叩いた。

「レイルズよ、一つ教えてやろう」

 改まった口調に驚き、レイも思わず座り直して顔を上げた。

「今の其方はまだ騎士見習いですら無い一般人だ。これは分かるな?」

 頷くレイを見て、さらに話を続ける。

「ならば尋ねるが、兵士達が命を懸けて戦場で戦っている時、戦えぬ一般の者達がすべき事は何だか分かるか?」

「えっと……心配して、待つ?」

「まあ、もちろんそれもあるな。しかし、大切な事は日常を変えぬ事だ」

「日常を変えぬ事?」

「そうだ。例えば、其方は普段森では何をしている? 朝起きたら、まず何をする?」

「えっと、顔を洗ってご飯を食べたら、まず家畜と騎竜達のお世話をするよ。お天気が良ければ上の草原に皆を連れて上がるの。それから畑仕事かな。でもそろそろ畑仕事が終わったから、今は冬に向けて収穫した物を整理して食料庫に片付けたり保存食を作ったりしてるよ」

 次々と話す森での生活に、アルジェント卿は微笑んでもう一度肩を叩いた。

「成る程、よく働いておるな。つまりそれが日常だ。直接戦うわけでは無い者達が、心配だからと普段の自分達のやるべき事を疎かにしてはいかん、と言う事だ。分かるか? 最前線で戦う彼らが守っているものは、まさしくそんな市井の者達の、何でもない日常なのだ。その彼らが命を懸けて守ってくれた日常を、其方達自身が疎かにしてどうする?」

 驚くレイに、アルジェント卿は笑いかけた。

「つまり今の其方がすべきは、ちゃんと休んで眠る事だ。そして、朝、帰ってきた彼らに笑顔で言ってやれば良い。おかえりなさい、とな」

 レイは、思わずアルジェント卿に抱きついた。分かっていると言わんばかりに、しっかりとその身体を受け止めて何度も優しくその背を撫でてくれた。

「戦いに出た者は、待っていてくれた者達のその一言で報われるのだよ。良いな。出来るな?」

「分かりました。ちゃんと休みます」

 涙が出そうだったが、何とか我慢して笑ってみせた。

「そうだ、それで良い」

 アルジェント卿は、もう一度笑って抱きしめてくれた。



 立ち上がったレイは、手を貸してアルジェント卿を立たせると、まずは彼が部屋に戻るのに手を貸した。

「背骨を痛めてしまってな。寝たきりになると言われたのだが、まあ、必死で頑張ってここまで歩ける様になったぞ。自分で動けるうちは、隠居するつもりは無いからな」

 笑ってそう言うアルジェント卿を支えながら、レイも笑った。

「すごいや。またお話し聞かせてくださいね」

「おお、いつなりと聞かせてやるぞ」

「それじゃあ、おやすみなさい」

 部屋から出てきた第二部隊の兵士にアルジェント卿を託すと、レイも自分の部屋に戻った。

 部屋の前には、先ほどシーツを持っていた兵士が待っていた。

「レイルズ様、ここにおいでの間お世話をさせて頂きます、オリノスと申します。どうぞよろしくお願いします」

 やや年配の男性に深々と頭を下げられて、レイも慌てて頭を下げた。

「えっと、よろしくお願いします」

 勝手に休んで良いのだと思っていたレイは、自分にまで従卒が付いてくれると知り、内心慌てていた。

 しかし、オリノスと名乗ったその男性は、まるでラスティのようにさり気なく距離を置いて世話をしてくれた。おかげでそれほど気を使う事もなく、簡単に湯を使って眠る準備をした。

「おやすみなさい。明日は七点鐘に起こして差し上げますね」

 毛布を掛けながらそう言って笑った。

「はい、分かりました。おやすみなさい」

 ベッドに入ったレイを見て、オリノスは部屋の明かりを消して隣の部屋に戻って行った。

「ブルー、皆は、皆は大丈夫?」

 真っ暗になった部屋で小さな声でそう呟くと、枕元にシルフが現れた。

『心配はいらぬ。安心して休むが良い』

 いつものように優しいブルーの声に安心して、レイは頷くと小さくため息を吐いて目を閉じた。

 枕元に座ったシルフは、そんなレイの額にキスをするとくるりと回っていなくなった。

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