砦にて
ロベリオとユージンに案内されたレイは、黙って彼らの後について廊下を歩いていた。
「あれが古竜の主?」
「若いな、まだ未成年だとか……」
「あの体格で未成年?……」
「いや、俺が聞いた話では……」
自分を見た一般兵達の勝手に噂する声が聞こえて、レイは小さく身震いをした。
考えてみたら、城にいた時はある程度隔離された場所にいた為に、第二部隊以外の一般兵達と接する機会が殆ど無かったのだ。
マティルダ様との二度目の面会の時にも、こんな風だったのを思い出した。
居たたまれなくなって俯いて、ロベリオの陰に隠れるようにして早足で歩いた。
長い廊下を歩いて階段を登り、別の建物に繋がる渡り廊下を歩いた。別の建物の中に入った途端、周りに一般兵がいなくなった。
また階段を上って別の階に到着した。この階にも殆ど人がいなかった。
「この建物は、俺達竜騎士専用の棟なんだ。それで、ここが宿舎のある階だよ」
「一階には、会議室や事務所なんかがあって第二部隊の兵士達が何人もいるけど、ここには、基本的に決められた者しか上がってこないからね」
「俺たちの世話をしてくれる従卒達だよ。気を使わなくていいだろ?」
その言葉を聞いて、レイは大きくため息を吐いた。
「よかった、ここは安心だね。もうすっごく緊張しました」
安心したように笑うレイを見て、二人も苦笑いしている。
「まあ、これはもう諦めて慣れてもらうしかないよ」
「俺達竜騎士には、常に人目が付いて回るからな。覚悟しろよ」
丁度その時、第二部隊の兵士がシーツを持って部屋から出て来て、廊下で話していた彼らに気付いて直立して敬礼した。
「レイルズ様のお部屋のご用意が出来ました。どうぞご自由にお使いください」
「ありがとう。ご苦労様」
「アルジェント卿は?」
「お部屋に戻られました」
直立した兵士が、答える。
「そう。起きておられるようなら、休憩室に来てくださるように伝えてもらえる? レイルズを紹介するからね」
ユージンの言葉に、兵士は敬礼して去っていった。
「アルジェント卿? えっと、誰なの?」
初めて聞く名前に、レイは首を傾げた。
「暗かったから見えたかどうか分からないけど、中庭に俺達の竜がいたろ? 何か気付かなかったか?」
首を振るレイに、二人は笑ってまずは教えられた部屋に入った。
あちこちに明かりが灯された部屋は、城にいた頃の部屋とは違い置いてある家具は簡単な物だし、絨毯も柄の入っていない薄い物だ。それでも十分な広さがあり、突き当たりのやや小さめの窓からは、中庭の竜達の姿が見えた。
「こっちからはラピスがいる場所は見えないんだな」
ロベリオの言葉に、レイも窓の近くに行って外を見てみた。
硝子の嵌められた窓には細かな金属の格子が入っていて、ここが最前線の砦である事を思い出させた。
「あれ? 見た事の無い色の子がいるね?」
レイが指差す場所には、暗闇でも分かる見た事の無い明るいオレンジ色の大きな竜が座っていた。鬣は純白だ。
「あの子がアルジェント卿の伴侶の竜だよ」
「主が呼ぶ名前はフラウィス、俺達が呼ぶ時はカーネリアンだよ」
「ロベリオ達以外に、まだ竜騎士様がいたの?」
目を輝かせるレイを見て、ロベリオが首を振った。
「アルジェント卿は、怪我でお身体が不自由になってね。竜騎士を引退なさったんだよ」
「だから、正確には元竜騎士だね。俺達の大先輩だよ。おいで、紹介するよ」
リュックを降ろしたレイは、ロベリオ達に付いて行った。
一旦廊下に出てから向かった部屋は。広くて大きなソファがいくつも置いてあった。どうやら皆で集まる事の出来る居間や応接室のような部屋らしい。
そこにいたのは、背の高い大きな体格をした男性だった。片手には頑丈そうな太い杖を持っている。
「お待たせしました。どうぞお座りください」
慌てたように、ユージンが彼を支えてソファに座らせた。
「すまんな。最近すっかり体が萎えてしまってな。全く、年は取りたくないな」
笑ってそう言いながら、ソファに深々と座った。
「君があの古竜の主だな。はじめまして、アルジェント・バッカスだ。皆にはアルジェント卿と呼ばれとるぞ。よろしくな」
にっこり笑って右手を差し出され、慌てて側まで行ってその大きな手を握った。
「初めまして。アルジェント卿。レイルズ・グレアムと申します。レイルズって呼んでください」
「未成年だと聞いておったが、なかなかどうして立派な体格をしておるではないか。これは将来が楽しみだな」
握った腕を叩かれて、レイは照れて笑った。
「私はご覧の通り怪我が元で身体が少々不自由になってな。竜騎士を引退して、もう直ぐ十五年になる」
「レイルズが産まれる前だね」
ロベリオの言葉に頷きながら、勧められるままに彼の隣に座った。
ロベリオ達が向かい側に座ろうとした時、机の上にシルフが現れた。
『ロベリオユージンすまないが至急戻ってくれ』
「構わんから行け。私はここでレイルズと話をしておるからな」
それを聞いたアルジェント卿が、彼らに向かってそう言って手を挙げる。
「すみませんがお願いします」
「よろしくお願いします。レイルズ、アルジェント卿は歴戦の勇者だからな。色々話してもらうといいよ」
ロベリオとユージンはそう言うと、兜を手に揃って敬礼して部屋を出て行ってしまった。
「こんな時間にどうしたんだろう……」
不安になってそう呟くと、背中を叩かれた。
「心配なのは分かるが、今のお前に出来る事は無いぞ。私もレイルズも此処では非戦闘員、つまり完全な戦力外って訳だからな。せいぜい邪魔せぬように大人しくしていなさい」
その言葉に小さく頷いた。でも、分かっていても悔しかった。
『レイ、無事に薬は渡せたようだな』
その時、レイの肩にシルフが現れて座り、ブルーの声で話し始めた。
「うん、ありがとうブルー。マイリーには会えなかったけど、ガンディにちゃんとお薬は渡したよ」
肩に座ったシルフがブルーの声をそのまま伝え、レイが平然とそのシルフと話しているのを、アルジェント卿は無言で見つめていた。
『念の為、砦ごと結界を使って守っているが、くれぐれも勝手な行動はせぬようにな。部屋から勝手に出てはならんぞ』
「分かってるよ。さすがに今の僕に此処で出来る事なんて無いくらい……分かってる」
俯いて悔しそうにそう言うと、レイはアルジェント卿を見上げた。
「えっと、お話が聞きたいです。アルジェント卿の竜はどんな子ですか? 竜騎士様の事も何でも良いから聞きたいです」
少し無理して笑うと、アルジェント卿は分かっていると言わんばかりに頷いて、レイの背中を軽く叩いて肩に座ったシルフを見た。
「初めまして蒼き古竜よ。アルジェント・バッカスだ。引退したジジイがしゃしゃり出て来てすまんな。彼はここにおる故心配はいらぬ」
『カーネリアンの主だな。年寄りが無理をするな。レイ、面倒を見てやれよ』
からかうようにそう言うブルーに、彼は苦笑いして言い返した。
「待て待て。其方より年上の者などこの世に数えるほどしかおるまいが。自分で言う分には構わんが、其方に年寄り呼ばわりされる覚えはないぞ」
口を尖らせて文句を言うアルジェント卿を見て、レイは堪える間も無く吹き出した。
その時、窓の外の中庭が急に騒がしくなった。
驚いて振り返ると、中庭にいた竜達が次々と飛び立っていくのが見えた。
「え? どうして? こんな時間からどこに行くの!」
慌てて窓に駆け寄ったが、最後の緑色のベリルがタドラを乗せて飛び立った後だった。
ゆっくりと立ち上がったアルジェント卿が、杖をつきながら歩いてきてレイの後ろに立つ。
一緒に窓を覗き込んだが、松明の明かりに照らされた中庭には何人もの兵士達が走り回っているだけで、もうどこにも竜の姿は見えなかった。
「あれ?オレンジ色の子……えっと、カーネリアンもいなくなったよ?」
主が此処にいるのに、どうしていなくなるのだろう。不思議に思って自分の後ろに立つアルジェント卿を振り返った。
「行ったか……と言う事は、まだひと騒動あるのかもしれんな」
そう言って窓に備え付けられたカーテンを引いた。
「レイルズ、すまんが向こうの窓も全て閉めてカーテンを完全に閉じてくれるか。外に明かりが漏れぬようにな」
何かあったのだと感じたレイは、返事をして大急ぎで言われた通りに全ての窓を閉めてカーテンを引いた。
アルジェント卿が指を鳴らすと、部屋に灯されたランプの火が少し小さくなった。
ソファに戻った二人は先程と同じように並んで座り、机に置かれたお茶のセットを見たレイが立ち上がって、手早く二人分のお茶を入れた。
「どうぞ。あの、蜂蜜はどれ位入れますか?」
隣に置かれた小さな瓶を手にして渡そうとしたが、彼は首を振った。
「ずっとそのまま飲んでおったからな。別に今更甘くしようとは思わんよ。まあジジイの拘りだ。気にせずレイルズは好きなだけ入れなさい。そっちの棚に甘い物がある筈だ。取ってくれるか?」
言われた戸棚を開けると、ビスケットの入った瓶がいくつか並んでいた。
とりあえず、手前側の二つを手に取って机に置いてから扉を閉めた。
小皿に取り出そうとしたら、これも止められた。
「私は良いから、好きなだけ食べなさい」
にっこり笑って言われて、完全に子供扱いされている事に気付いて何故だか恥ずかしくなった。
「えっと、美味しいものは、誰かと一緒に食べた方がもっと美味しくなるんだよ」
レイの言葉に彼は目を瞬いて、それから小さく吹き出した。
「成る程な。確かにその通りだ。では私も一緒に頂くとするか」
笑って空の大きなお皿を差し出しされて、レイはそこにビスケットを並べた。
暗闇の中で指示された通りに待機していたタガルノの兵士達は困惑していた。
指示があればそのまま砦に攻め入る手筈になっていたのに、今度は絶対に大丈夫だと言われた謎の霧を使った攻撃も、駆けつけた竜騎士達に全て吹き飛ばされてしまった。
お陰で、攻撃のタイミングを完全に逸してしまった。
それどころか、先程から現場の責任者達が急に呼び出されたまま全く戻って来ず、彼ら下っ端だけが、この森に何の指示も無いままに放置されるという予想外の事態になってしまったのだ。
「おい、竜騎士達が砦から出て来たぞ。どうするんだよ」
「でもこっちはタガルノ領だぞ。竜騎士が国境を越えて入って来たら、遠慮無く攻撃すれば良いだろうが」
「空飛ぶ竜を相手に、どうやって!」
「槍を投げつけてやれば良いだろうが!」
「馬鹿かお前は。届く訳が無いだろうが!」
「弓兵はどこに行ったんだ!」
動揺した彼らが大きな声で無警戒に話している様子を、少し離れた森の中から漆黒の闇に紛れたいくつもの瞳が凝視していた。
それは、キーゼルを失い怒りに燃えるアルカディアの民達だった。
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