到着

 タキスとの連絡が途切れてシルフ達が姿を消しても、ガンディはしばらく立つ事が出来なかった。

「良かった。良かった……これで何とかなりそうじゃ」

 机に突っ伏して何度もそう言った後、気持ちを切り替えるように深呼吸をして机の上に散らかった薬の材料を手に取った。

「果たして、どれくらいで来てくれるのか……」

 今ある分で作っても、二回分の薬がギリギリ調合出来るだけの量しか無い。タキスがどれぐらいの量を渡してくれるのか確認して、もし足りなければ、後は既に動いてくれているだろう王都の商人ギルドとドワーフギルドに期待するしかない。

 時間を掛けて探させれば、紅金剛石と言えども手に入れることは可能だろうが、今は時間が惜しい。

 真っ白になる程に両手を握り合わせて額に当てると、ガンディは心の底から祈った。

 祈らずにはいられなかった。



 自分が誰に祈っているか気付いたガンディは、顔を上げて自嘲気味に小さな声で呟いた。

「儂が今更、精霊王に祈るか……白の塔の長の任を受けた際に誓ったのに。治療の事では精霊王には祈らぬと。己の技術の全てを以って命を救うと誓ったのに……そうか、久しぶりに思い出したわい……人は、自分ではどうしようもない事が起こった時に、精霊王にすがって祈るのだな」

 ため息を一つ吐いて、己が酷く疲れている事を自覚したが、休むのならばレイルズが来てからだ。

 その前に先ずは、レイルズがラピスと一緒に此処まで薬を持って来てくれる事を、皆に知らせなければならない。ガンディはシルフに頼んで、まずはアルス皇子を呼んでもらった。




「レイルズがラピスと共に此処に? それは……」

 シルフから伝言を聞いて、すぐ隣のマイリーが休んでいる部屋にいたアルス皇子は、直接この部屋に来てくれた。そして、薬の準備をしているガンディから、レイがここに来る事を聞かされたのだ。

「……まだ騎士見習いですら無い未成年の彼を、こんな最前線の危険な場所へ来させるなんて。幾ら何でも無茶が過ぎます」

 しかし、彼がマイリーの為にこんな無茶をしてくれている事も分かっている。俯いて小さなため息と共にこう言った。

「必ず、蒼の森で待つご家族の元に、無事に帰らせなければなりませんね」

「全くですな。それから恐らく相当な速さで来てくれるだろうから、大至急ラピスを受け入れる準備を頼みます。レイルズをオルダムへ連れて来た時は、600キルト程の距離をわずか一刻程で来ておるのですからな」

「まさか………あ、でも確かに言われてみたら……」

 当時の事を思い出して、時系列を考えたアルス皇子は、小さく首を振った。

「さすがに古竜は、何もかもが桁外れだな」

「全くじゃな。しかしラピスをここに置くという事は、タガルノにラピスの存在を見せる事になる。構いませぬか?」

「あれほどの巨大な竜ですからね。此処に来る以上、隠そうとしても無駄でしょう。構いません。ラピスの存在は、それ自体がタガルノへの相当な脅しになります」

 それだけが気がかりだったのだが、ガンディの言葉に顔を上げたアルス皇子は自信ありげにそう言ったのだ。

 ガンディはそんなアルス皇子を、ちょっと横目で呆れたように見た。

「殿下、その物言いは、何やらマイリーに似て来ましたぞ」

 からかうようなその口調に、アルス皇子も小さく笑った。

「それはそうだろう。彼は私の一番の先生なのだからな」

「マイリーは、頑なに認めようとせんがな」

 二人は顔を見合わせて小さく笑い合った。

「それでは兵達にラピスを迎える為の準備を頼んで来ます。彼の事をよろしくお願いします」

 無言で頷くガンディを見て、アルス皇子は廊下へ出て行った。




 アルス皇子は、砦の兵士達にラピスが此処に来る事を知らせて、ラピスが降りられるだけの広い場所を大至急用意するように指示した。

「恐らく、深夜過ぎには到着するだろう。すまないが大至急頼む」

「了解しました!中庭では無く、物見の塔の横に場所を用意します」

 彼らも、少し前まで王都にいた巨大な古竜の噂は聞いている。

 敬礼して走り去る兵士達を見送り、アルス皇子はマイリーがいる部屋に戻った。

「殿下。ガンディに何か言われましたか?」

 戻ったアルス皇子が部屋の前まで戻ると、丁度、同じく部屋に入ろうとしていたヴィゴと合流した。

 二人揃って部屋に入ると、ルークを筆頭に竜騎士全員が部屋にいた。

「私の独断ですが、夜の哨戒任務は危険が大きすぎるので一旦止めさせました。夜は奴らの領分です。万一にも、竜騎士隊からこれ以上の怪我人は出せません」

 ヴィゴの言葉に、アルス皇子も頷いた。

「ありがとうヴィゴ。私も呼び戻すつもりだったから構わないよ。ああ、皆構わない。楽にしてくれ」

 部屋に入って来たアルス皇子に気付いたルーク達が立ち上がるのを見て、アルス皇子は手を上げて彼らを座らせた。

「皆、聞いてくれ。レイルズがラピスと共に、マイリーの為の薬の材料を持って此処まで来てくれる。恐らく深夜までには到着するだろう。分かっているだろうが、今の彼はまだ、竜の主であるとは言え非戦闘員でしかも未成年だ。絶対に、万が一にも危険があってはならない。十分配慮してくれ」

 それを聞いた若者達は、慌てたように口々に言った。

「レイルズが此処へ?」

「待って、幾ら何でも無茶です」

「そうですよ。なんなら俺が今からでも取りに行きますから!」

 しかし、慌てる若竜三人組を見て、ルークはヴィゴを見上げた

「もしかして……ラピスを此処に来させる事も、計算の内ですか?」

 苦笑いしたヴィゴは、ルークの頭を小突いた。

「さすがにそこまで予定していた訳があるまい。しかし、今の状況を考えると、ラピスが此処にいてくれるだけでも、相当なタガルノへの牽制にはなるだろうな」

 ルークの問いに満足したヴィゴは、そう言って小さく笑った。

 呆気にとられる若竜三人組に、ルークは振り返った。

「だからいつも言ってるだろうが。お前らはもうちょっと周りを見て考える癖をつけろ」

 こう言った事は、やはり経験値がモノを言う。

 人生経験のある意味豊富なルークと、貴族階級出身で身分の保障された限られた中で生きて来た三人とでは、特にこう言った特殊な状況での咄嗟の判断に大きな差が出るのだ。

「成る程。勉強になりました」

「聞けば成る程って思うんだけどな」

「精進します!」

 三人それぞれの反応を見て、ルークも苦笑いしてヴィゴをもう一度見上げた。

「だそうです。今後に期待しましょう」

「そうだな。そうすると致そう」

 態とらしくヴィゴがそう言って頷くのを見て、皆、小さく笑ったのだった。






「ブルー、今どの辺りなの?」

 ブルーの掌で座っていたレイが、不安げに顔を上げた。

 いつもの背の上と違って、ほとんど外が見えない状況では不安だけが募った。しかも、ずっと聞いた事がない程の風の音がしている。

 前回、王都から蒼の森まで帰った時は、恐らく六刻から七刻ぐらいは掛かっていたはずだ。王都からタガルノとの国境までどれぐらいの距離があるのかレイは知らないが、仮に同じ程の距離があるのだとしたら到着まで半日近く掛かる事になる。

「先程、王都の横を通過した。もう間も無く目的の砦に到着するぞ」

「え? もうそんな距離なの?」

 時間の感覚がないので分からないが、まだ自分がそれ程眠くない事を考えると、深夜過ぎという訳では無い時間だろうに、もう到着するのだと言う。

「シルフ、今っていつもならもう寝ている時間?」

 精霊に何か聞く時には、具体的な比較対象を上げるのが一番精霊達が答えやすいのだ。


『そろそろ、いつもなら寝る時間だよ』

『眠い?』

『眠い?』


 膝に座ったシルフ達が、そう言って教えてくれた。

「大丈夫だよ。そっか、まだそんな時間なんだ。やっぱりブルーって、凄いや。速いんだね」

 改めて、己の伴侶であるブルーの凄さを見せつけられた気がした。

「でも、マイリーが待ってるんだもん。少しでも速いほうがいいよね」

 シルフにそう言うと、レイは身を乗り出してブルーの指の間から下を覗いた。

 しかし、隙間からは漆黒の闇が見えるだけで、何も分からなかった。

 諦めて座り直すと、リュックを降ろしてカナエ草のお茶の入った水筒を出して飲んだ。

 しばらくの沈黙の後、ブルーの声が聞こえた。

「砦が見えて来たぞ。あれは目的地の隣にある別の砦だ」

 慌てて指の隙間から下を見ると、闇の中に、煌々と灯された松明の火がいくつも見えた。

「大きい。砦ってあんなに大きいんだ」

 城壁の上には、松明を持った兵士が歩いているのも見えたが、まるで砂つぶのような大きさだ。

 その砦の上空を通過してからすぐに、前方にまた灯りが見えてきた。

「あれが目的地の砦だ。シルフよ、ルビーの主に知らせてくれ。間も無く到着するとな」

『砦の裏になる西側に場所を開けた』

『そこに降りてくれ』

 シルフの言葉を聞いたブルーは、砦の上空を旋回していたが、兵士達が松明を振っているのを確認して、ゆっくりと指示された場所に降り立った。中庭には、既に竜達がいる為、到底ブルーが降りる場所が無かったのだ。

 巨大なブルーが指示された場所に降り立つと、周りから堪え切れないようなざわめきが起こった。

 竜を見慣れている砦の兵士達にとっても、ブルーの大きさは驚きだったのだ。

「レイルズ!こっちだ!」

 ロベリオとユージンの声に、レイはブルーが開いてくれた掌から転がるようにして飛び降りた。

「行け。我はここで待つ」

 ブルーの声に頷いて、大急ぎでロベリオ達について走った。



「ガンディ! レイルズが到着したよ!」

「おお、待ちかねたぞ」

 立ち上がったガンディに挨拶もせずに、レイはリュックを降ろして斜めにかけていた鞄をそのまま渡した。

「はいこれ。ここに全部入ってるってタキスから聞いたよ。お願いします!」

「感謝するぞ。詳しい話は後程な」

 鞄を受け取ったガンディは、レイの肩を叩くとそのまま隣の部屋に走って行った。

 それを見送ったレイは、心配していた最悪の状況は免れたのを見てホッとした。

「良かった。間に合ったみたいだね。ねえ、マイリーは?怪我したって聞いたけど、具合はどうなの?」

 隣に立つロベリオとユージンに言ったつもりだったが、改めて部屋を見ると、アルス皇子を含め竜騎士全員がその場にいたのだ。

「えっと、お久しぶりです。みんなが着てるその鎧、すごく綺麗だね。ミスリルなの?」

 なんと言っていいのか分からなくて、レイは頭を下げてからそう言った。

 兜こそ外しているが、彼らはまだ全員鎧を着たままだったのだ。初めて見るその美しい輝きに、レイの目は釘付けだった。

 妙な沈黙がその場を支配した。

「あ、ああ。ありがとうレイルズ、ご苦労だったな」

 気を取り直したヴィゴがそう言って、レイの目の前に立ちゆっくりとしゃがんだ。

「本当にありがとう。よく来てくれた。薬が足りなければ、大変な事になっていたところだ」

 そう言ったヴィゴは、まるで縋るようにしゃがんだままレイを抱きしめた。

 驚いたレイは自分に縋るヴィゴを見て、顔を上げた。

「ヴィゴ、レイルズが困っているよ」

 小さく笑ったアルス皇子が、ヴィゴの肩を叩いて立ち上がらせた。

「ああ、すまん……ちょっと弱気になったな」

 苦笑いしたヴィゴは、改めてレイを見つめた。

「こんな夜中に、危険な場所まで来させて本当にすまなかった。部屋を用意させているから、今日は休んでくれ」

「ねえ、マイリーは?」

 誰も答えてくれない。それを見て不安がまた湧き上がって来た。

「まだ、とても面会出来る状態じゃ無いんだよ。すまないけど、こっちへ来て」

 小さくため息をついたロベリオに、肩を叩いてそう言われてレイは頷いた。

 ここでは、今の自分は完全に部外者だ。邪魔をしてはいけないだろう。大人しく言われた通りについて部屋を出て行った。




 しばらく誰も口を開く者はいなかった。

 それぞれが考えを巡らせていたが、しびれを切らしたルークが小さな声でヴィゴに尋ねる。

「それで、レイルズの扱いはどうするんですか?」

「夜が明ければ、ラピスの存在はタガルノにも知れるだろう。さて、どのタイミングで帰ってもらうのが良いか、考えねばならんな」

「いや、夜が明けたら直ぐにでも帰ってもらうべきだ」

 アルス皇子の言葉に、ヴィゴとルークは驚いて振り返った。

「彼を此処に置くのは考えたが、やはり危険過ぎる。出来るだけ早く帰ってもらうべきだ」

「確かに仰る通りだ。彼を政治の取引材料にしてはならない。マイリーもそう言ってましたな」

 ヴィゴもそう言って頷くと、ルークの肩を叩いた。

「マイリーには俺と殿下がついているから、お前達はレイルズと一緒にいてやってくれ。そして、夜明けと共に哨戒任務に戻ってくれ」

「了解しました」

「了解しました」

 敬礼したルークとタドラが、兜を手に部屋を出て行こうとしたその時、シルフが現れてブルーの声でこう言った。



『国境の向こう側の森の中で、何やら動きがあるぞ。気をつけろ。大勢の兵士達が控えている』



 顔を上げた四人は、ラピスに礼を言うと大急ぎで部屋を出て行った。

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