紅金剛石
その日、レイはいつものように朝から家畜や騎竜達の世話をして、残った畑の収穫作業をしていた。
昼食の後はギードと一緒に、畑仕事の時に使ったギードが作った大型の農機具の手入れを手伝っていた。
その隣ではタキスとニコスが、
その時、地面に僅かだが不自然な振動を感じて全員の手が止まる。
「何じゃ今のは?」
手を止めたギードが、不審そうにそう言って地面を見た。
「今、地面が何て言うか……ドン! って感じに響いたよね?」
レイも、怯えるように地面を見つめている。
「大きなハンマーで殴られたみたいな振動だったな」
ニコスの言葉に頷いて、タキスが地面を見ながら呟いた。
「地震……ではありませんね。その後何も起こらない。ノーム、今のは何ですか?」
タキスの呼びかけに、一人のノームが現れた。
『タガルノで異変があったようだ』
『大丈夫ここには関係無い』
敢えて何があったのか言わないノームを、タキスは見下ろして小さなため息を吐いた。
「ここには関係無いんですね?」
何度も頷くノームを見て、タキスは振り返った。
「お聞きの通り、気にしなくて良いみたいですよ。早く片付けてしまいましょう」
「でも……本当? 本当に大丈夫なの?」
地面にいるノームに、レイが不安げに確認する。
『ご心配には及びませぬぞ』
『ここは清浄な地』
『お守りしております故ご安心を』
顔を上げて皆を見て、もう一度ノーム達を見たレイは嬉しそうに笑った。
「そっか。ありがとうね」
ギードとニコスも何か言いたげだったが、タキスが小さく首を振るのを見て口を噤んだ。
「さてと、それじゃあこいつを片付けると致そう」
気を取り直したギードが、綺麗になった大きな農具を指差して言った。
「うん! 力仕事は任せてね!」
そう言って笑うと、ギードと一緒に大きな農具を道具小屋に運んだ。タキスとニコスも、手入れした農具を手分けして運んで片付けた。
「
この畑の横に作られた道具小屋には、畑仕事の時に使う道具を片付けてある。冬の間は雪に埋もれてしまう為、ここに置くのは大型の道具と普段は使わない農具だけだ。刃物の類は、薬草園や庭の小さな畑でも使うので石の家の納屋に持って行って片付ける。
「よし終わり!」
持ってきた農具を指定の場所に片付けると、レイは大きく伸びをして笑った。
「これで、こっちの畑の収穫は全部終わりだね。もう、雪が降るまで何もしないの?」
「肥料の漉き込みも終わりましたしな。このまま土を休ませてやって、来年の春にまた掘り起こすんですわい」
「でも、庭に作った菜園と薬草園は、雪が降る直前まで使いますから、まだしばらくは農作業はありますよ」
「そっか、僕がここに来て最初の頃に、小さな酢漬けと塩漬け用のキャベツを収穫したよね」
「覚えてましたか? 今、あれは庭の畑に種を蒔いて少し育ったぐらいですかね。収穫するのはもう少し先になりますよ」
タキスの言葉に、レイは俯いて小さく呟いた。
「そっか。もうすぐ一年なんだね……」
レイが泣き出すのでは無いかと慌てた三人だったが、顔を上げたレイは、振り返って笑って三人を見た。
「僕、ここに来れて本当に良かった。ありがとう。何処に行っても皆の事、絶対に忘れないよ。僕の、もう一つの大切な家族だもんね」
その言葉に、泣き出したのはギードが一番初めだった。
「わ、ワシの方こそ……礼を言うのはこっちじゃわい! そうじゃ。大事な家族じゃ」
レイに抱きついたギードはそう言って何度もレイの背中を叩いた。
「痛いよギード。これからもよろしくね」
出遅れた二人も、左右からギードごとまとめて抱きつく。
「そうだ、大切な家族だ」
「ええ、愛してますよ。私達の愛しい自慢の息子」
ニコスとタキスの言葉に、レイの目にも少しだけ涙が浮かんでいた。
道具の手入れが終わった後は、日が暮れるまで薬草園の手入れをして、秋蒔きのいくつかの葉物のタネを庭の小さな菜園に蒔いた。これは、雪が降るまでの間に育った物を収穫するのだ。
「秋から後は、畑仕事もこじんまりだね」
笑いながら肥料を畑に漉き込むレイに、皆頷いて笑った。
秋の夕日は暮れるのが早い。
暗くなる前に家畜や騎竜達を集めて、それぞれの厩舎に戻してやり世話をすれば、今日の仕事は終わりだ。
ギードは、やる事があるからと一旦自分の家に戻ってしまったので、タキスと二人で薬草庫で収穫して乾燥させていた薬草を片付けるのを手伝った。
戻って来たギードも加わったいつもの豪華な夕食の後、食後のお茶を飲んでいた時に、突然、シルフがガンディの使いで現れたのだ。
「どうしたんですか? 師匠。こんな時間に?」
驚いて、タキスがそう尋ねると、シルフがガンディの言葉を叫ぶような声で伝えた。
『緊急事態だ』
『赤いダイヤと呼ばれる紅金剛石』
『持っておらぬか』
『もし持っておれば相場の倍出す』
『貴重なのは重々承知の上』
『頼むから売ってくれぬか』
次々に現れて並んで叫ぶシルフ達の言葉を聞き、タキスは息を飲んだ。
紅金剛石とは、以前、ギードがミスリル鉱脈を発見した際、同時に発見して持ち帰ってくれた、俗に赤いダイヤと呼ばれる希少鉱石の事だ。
幾つかは売るつもりだったのだが、結局あの時は他に売るものが沢山あった為に売らなかったのだ。あの後ギードに頼んで精製してもらい、すぐに使えるように粉末にして瓶に詰めた状態で保管してある。
全部をギルドに売れば、それだけで街で一生遊んで暮らせるほどの量だ。
返事に困っていると、隣からレイがシルフに話しかけた。
「どうしたのガンディ、突然そんな事言って。何かあったの?」
『おおレイルズか』
『先程言った通り緊急事態なんじゃ』
「緊急事態って?」
レイの脳裏には、昼間に感じたあの不自然な振動の事が浮かんでいた。タガルノで何かあったとノーム達は言ったのだ。
『マイリーが大怪我をして重体なんじゃ』
『その怪我の治療の為の薬を作る材料なんじゃよ』
「待ってください!マイリー様が重体? 師匠、一体何があったのですか?」
その言葉の意味を理解したタキスの顔色が変わる。
「……重体?」
レイの呟きに、ニコスが隣から小さな声で教えてくれた。
「重体ってのは、つまり、今現在お命に関わるほどの状態だって事だ。お怪我をなさったのなら、大量の出血や骨折、或いは内臓に何か……」
言葉を濁したニコスを見つめて、レイは慌ててシルフに向かって叫んだ。
「ガンディ!一体何があったって言うの?」
『タガルノとの国境の砦に化け物が現れたんだ』
『そいつの巨大な鉤爪にマイリーが左太腿を切り裂かれた』
『大量の出血と腱の断裂で意識が無い』
『非常に危険な状態だ』
『薬が足りぬのだ』
『他を当たらせておるが芳しく無い状況でな』
『頼む!どんな欠片でもかまわん』
『マイリーの命がかかっておるのだ』
矢継ぎ早に叫ぶシルフ達を見て、レイは言葉を無くした。
「化け物って……」
その時、タキスがレイの目の前に手を出して言葉を遮った。
「レイ、待って。師匠、詳しい話は後程お聞きします。ご希望の紅金剛石ですが、持っています。精製済みの物がありますから、すぐにお使いいただけます」
『おおそれは有難い』
嬉しそうなガンディの言葉を聞いて、タキスは悔し気に首を振った。
「お渡しするのは構いませんが……ですが師匠、マイリー様がいらっしゃるのは、タガルノとの国境にあるどこかの砦なのでしょう? 蒼の森からそこまでの距離を考えて下さい。どれほど早い飛脚便で届けたとしても数日はかかります。間に合うとは到底……」
その先を言えずに俯くタキスを見て、思わずレイは叫んでいた。
「僕が行くよ!」
『レイルズお前……』
ガンディが言葉を失い、タキスも驚いてレイを見つめた。
「だって、そうでしょ。ブルーに頼んで行ってもらうのが一番速いよ。シルフ、ブルーを呼んで! 今すぐに!」
『どうした?こんな時間に』
すぐに別のシルフが現れて、ブルーの声で話した。
「ブルーお願い、タガルノの国境近くまで行って欲しいの」
『何事だ?』
不審そうなブルーに、レイは、マイリーが大怪我をして重体である事と、その治療の為にタキスの持っている特別な薬が必要な事を話した。
『アメジストの主人か。事情は分かった。すぐにそちらに行くので用意しろ』
「行ってくれるんだね!ありがとうブルー」
顔を上げたレイは、呆然としているタキスの背を叩いた。
「ガンディ、聞いてくれた? ブルーが行ってくれるって。僕が一緒にお薬を持って行くから、タキスに他にも必要なものがあれば言って。タキスの薬草庫には、本当にすっごく沢山お薬の材料があるんだよ」
そう言って立ち上がると、自分の準備の為に走って居間を出て行った。
「……師匠、お聞きの通り、レイが蒼竜様と共に運んでくれるそうです。蒼竜様の翼よりも速いものはこの世にありません。他に何か必要な物は有りますか? 自慢する訳ではありませんが、薬草庫の品揃えは相当なものですよ」
机に座っていたシルフを手にとって肩に座らせると、話しながらタキスも部屋を出て薬草庫へ向かった。
呆気にとられたニコスとギードを残して。
ガンディの読み上げる、竜騎士にも効くと言う特殊な薬の為の材料は、その全てがタキスの薬草庫にあったのだ。
肩にかけるタイプの大きな布の鞄に、聞いた材料をどんどん詰めて行く。
一番問題の紅金剛石は、大きくため息を吐いた後、精製した瓶ごと全部鞄に入れた。
さすがに、これだけの物に未練が無い訳ではないが、マイリー様の命には変えられない。ギードに頼んで、もしミスリルの鉱山で見つかったらまたその時に手に入れれば良い。
そう割り切って、全て渡す事にした。
その時、ギードが薬草庫に入って来た。
「紅金剛石が必要だと言っておったな」
「ええ、マイリー様のお怪我の状態がわかりませんので、精製していただいた分全てお渡しします。また、もし見つかればその時に渡して下さい。お願いします」
手を止めずにそう言うタキスを見て、ギードは小さく笑った。
「実は持って帰っておらぬが、良い状態の結晶がすでに幾つも掘り出されておる。構わん。全て渡してやれ、また精製して持って帰って来よう」
目を輝かせて振り返ったタキスは、大きく頷いた。
「お願いします。竜騎士の怪我に効く唯一の薬との事。レイの今後の事を考えると、絶対に確保しておきたい材料です」
「任せておけ。ノーム達に頼んでおこう。どんな小さな欠片も見逃さずに集めろとな」
頷いたギードも手伝って、取り出した材料を丁寧に鞄に詰めた。
レイは、少し厚手のズボンと長袖のシャツを着て、マントを手に持って居間に戻って来た。
ベルトには、いつのも小さな鞄とナイフが付いている。背中にはいつものリュックもあった。
「レイ、大急ぎで作ったからこんな物しか無いが、これなら最悪、蒼竜様の背の上でも食べられるだろう。どれくらいの時間が掛かるか分からないが、食料とお茶は持って行け」
ウィンディーネの座るササの葉で包まれたパンを見て、レイは頷いてリュックを降ろした。
蜂蜜入りのカナエ草のお茶の入った大きな水筒と一緒に、合計三個のパンの入った包みを入れてもらう。
「レイ、持って行ってもらう薬はこれだけです。このまま鞄ごと師匠に渡して下さい」
丁度リュックを降ろしていたレイは、先に薬の入った鞄を肩から斜めに掛けた。それからリュックを背負った。
「これは念の為持って行って下さい。貴方の分のお薬です」
そう言ってタキスは、レイのベルトに付けた小さな鞄に幾つもの薬の包みを入れた。
「一包みが一日分です。十個有ります」
「のど飴は?」
棚から、のど飴の瓶を手にニコスが振り返った。
「えっと、ちょっと減ってるかな?」
腰の鞄から瓶を取り出して確認し、追加ののど飴も入るだけ入れてもらった。
「忘れ物は無いな。レイ、十分に気を付けてな」
ニコスがそう言って、抱きしめて頬にキスしてくれた。
「そうです、国境の砦なら最前線ですよ。十分に気を付けて。皆様の言う事を聞いて勝手な行動は慎むように」
タキスも、そう言って抱きしめて額にキスしてくれた。
「うん、分かってる。薬を渡したらすぐに戻って来るよ」
まるでお休みの日のお出掛けのような気軽さで、レイはそう言って笑うとブルーの待つ外に出る。
ギードは黙ってその後ろ姿を見つめていた。
それぞれに火を入れたランタンを持って、黙ってその後に続いた。
「レイ、ちょっと待て!」
ギードがそう叫んで自分の家に走って行き、そしてすぐに何かを持って飛び出して戻って来た。
「これを持って行け。国境の砦なら最前戦だ。いつ、何があるか分からんからな」
ギードの手には、一振りの剣があった。
ショートソードと呼ばれる小振りなその剣は、暗闇の中でも紛う事無きミスリルの輝きを放っていた。
「これはベルトの後ろ側に取り付ける鞘じゃ」
そう言いながらレイの後ろに回ったギードは、手早くその剣をベルトに鞘ごと取り付けてくれた。後ろ手に剣を抜けるようになっているのだ。鞄の横には、一旦外したエドガーさんから貰ったナイフを鞘ごと取り付けた。
「これで良い。抜くときはこうじゃからな」
レイの手を取って、抜き方を教えた。素直にレイが、教えてもらった通りに何度かミスリルの剣の柄を持って、抜く体勢になった。
一度抜いて目の前にかざす。ランタンの光を弾いて、ミスリルの剣は静かな輝きを放っていた。
ギードが手を取ってしまう時のやり方も教えた。剣の横面を鞘の差込口に当て、差込口に沿って滑らせて嵌めるやり方だ。
「ミスリルは精霊達が好む。これを抜いて精霊魔法の技を使えば、普段の何倍もの威力になるぞ。だが忘れるな。これは玩具では無い。切れ味はナイフの比では無いぞ。決して戯れに抜くものでは無い。良いな」
真剣な顔でそう言うギードに、レイも真剣な顔で頷いた。
「ありがとうギード。これってギードが作ったの?」
小さく頷いたギードは、苦笑いしながら蒼竜を見上げた。
「本当は、レイが王都へ旅立つ時に餞別に渡す予定だったのだがな。危険な場所へ行くのに丸腰は不安だろう。渡すのが少し早まったが構わぬ。持って行きなさい」
「レイの安全は何があろうとも我が守る。安心しろ。しかし、身を守る為の剣がミスリルだと言うのは良い事だ。精霊達が守り易くなるからな」
レイの体に頬擦りしたブルーが、何時もの様に地面に伏せるのでは無く、少し屈むようにして手を広げた。
「我の手の中へ。最速で飛ぶから背の上は危険だ」
「分かった、よろしくねブルー」
レイがブルーの掌によじ登って座った。
「いってきます! すぐに戻るから、心配しないでね」
笑って手を振るレイに、三人は躊躇いながら少し下がって手を振った。
「レイ、気を付けて!」
「絶対に無事で帰ってきて下さい。待っていますからね!」
「気を付けるのだぞ!」
「それでは行って来る。留守を頼むぞ」
口々に叫ぶ三人を見下ろし、ブルーはそう言うと、ゆっくりと上昇して東に向かって弾かれたように飛び去って行った。
暗闇の中、すぐにその姿は見えなくなってしまい、それを様々な思いを胸に見送った三人の口からは同時に大きなため息が漏れた。
「本当に行かせて良かったのでしょうか?」
「不安しかないが、蒼竜様がご一緒なんだ。お任せするしかあるまい」
「こんな突然に、心の準備ぐらいさせてくれ」
顔を見合わせた三人は、もう一度大きなため息を吐いてから空を見上げ、黙って家に入った。
明かりの消えた秋の夜は、既に空に星が輝くだけの真っ暗な世界だった。
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