戦いの後

「……何だと?」

 

 ヴィゴは、意識の無いマイリーを抱えたまま、呆然とルークの言葉を聞いていた。

「全滅? 冗談を言うな……」

 到底信じたくなくて、そう言うしかなかった。しかし彼が今、そんな冗談を言うはずも無い。

「シルフに確認させました。砦は全滅です。生きている者は……いません」

 面頬を下ろした兜の存在が有り難かった。今、自分がどんな顔をしているのかヴィゴには分からなかったからだ。

「ヴィゴ、お前はとにかく十七番砦に向かってくれ。マイリーの治療が最優先だ」

 アルス皇子の言葉に唇を噛んだ。

「それならば、タドラが一番速い。マイリーは彼に任せます」

 絞り出すような声でそう言うと、合図してゆっくりと地上に降りた。他の者達とアメジストもゆっくりと後に続いた。



 それぞれ開いた場所に降り立ったが、地上は何処も、地面に降りるのを躊躇うほどの惨状だった。

 ヴィゴがマイリーを抱えたままシルフの助けを借りて静かに地面に降り立つ。そのままタドラの元まで走った。

「待ってヴィゴ、応急処置をします」

 地面に降りたルークが、慌てたように声を掛けた。

「出来るのか?」

「怪我には慣れてます。応急処置程度なら」

 マイリーを抱えたまま、自分の足に乗せるようにして地面にしゃがみ込む。重症の彼を、この血塗れの地面に置きたくは無かったのだ。

 簡易道具の入った装備袋を持って降りたルークは、他の者の荷物も出すように指示する。

 装備の中に入っていたマットを地面に敷いたルークを見て、頷いたヴィゴはそこにマイリーをそっと寝かせた。

 それぞれの袋から集めた清潔な布で傷口を押さえながら、縛っていた太腿の付け根部分を緩める。ひとまず足全体に血を巡らした。

「これをしないと、最悪脚を落とす事になる。良し、これでいい」

 しばらくしてから、再び腿の付け根を縛る。出血は続いているが、先程までのように酷くは無い。

 それから、手早く応急処置を施していった。とは言え、大した事は出来ない。せいぜい、傷口をウィンディーネが出してくれた綺麗な水で洗って、消毒して、効かないと分かっていても痛み止めの効果のある湿布を患部に当て、圧迫して固定する程度だ。



「シルフ、マイリーをタドラの元まで頼む」



 処置の終わったルークの声に、大勢のシルフが現れて、言われた通りに意識の無いマイリーを静かにタドラの元へ運んだ。

 受け取ったタドラが、マイリーを抱えるように自分の前に横向けに寝かせる。頷いてタドラが指示すると、そのまま、落とさないようにシルフ達が集まってマイリーの身体を支えた。そして患部にウィンディーネ達が現れて座った。

「シルフ、ウィンディーネ、マイリーの血の流れは?」

 タドラの問いに、次々とシルフ達が答えた。


『かなり弱まっている』

『私達が守ってる』

 ウィンディーネが答える。

『なんとか支えてるから早く!』

『早く早く!』

『時間が無い!』


 マイリーを支えるシルフ達も、口々にそう答えた。

 頷いたタドラは、慎重に上昇した。

「ロベリオ、ユージン、念の為タドラに付き添え。送り届けたらそのまま十七番砦の警戒に当たれ。充分に注意するように。常に周囲への警戒を怠るな」

 敬礼した二人が、そのまま上昇してタドラの後を追った。



 それを見送ったヴィゴは、一度も面頬を上げる事なくそのままマイリーの半身である白い竜の元へ行った。

「アメジスト、お前は無事か?」

 怯えるように蹲っていた白い竜が顔を上げる。

「大した怪我ではありません。マイリーに比べたら、かすり傷です」

 しかし、付け根部分がマイリーの血で真っ赤に染まった左の翼は、完全に折りたたまれる事無く、地面に広げたままになっていた。

 近寄ってそっと翼に手を当て、籠手に気付いて舌打ちをした。手首部分の金具を荒々しく引き千切るようにして外し、籠手と中にはめていた手袋も外して、素手になってから竜の翼に手を当てる。

 骨に沿って、優しくさすりながら、大きな怪我が無い事を確認した。

「痛むのは此処か?」

 根元に近い翼外側部分に、鱗が何枚も大きく割れかけて浮いている箇所を発見した。周りの鱗には、何箇所もの大きな引っ掻き傷が見える。ガーゴイルの後ろ脚にやられた傷のようだった。

 小さく頷くアメジストにヴィゴはため息を吐いて、なだめるように首筋を叩いて更に詳しく調べた。

「幸い、骨に異常は無いようだな。飛べるか?」

「大丈夫。飛べる。戦える」

 真っ直ぐにヴィゴを見つめるアメジストに、ヴィゴは胸が一杯になった。

 差し出された大きな頭を抱きしめ、兜を被ったまま、その額にキスを送るようにそっと額を当てた。

「大丈夫だ。あいつは強い。こんな所で死んでたまるか」

 まるで自分に言い聞かせるように呟くヴィゴに、アメジストは優しく静かに喉を鳴らした。



 ヴィゴはそのまま何も言えず、動く事が出来なかった。

 今、口を開けば、子供のようにみっとも無く泣き喚いてしまいそうだったのだ。



 ルークがその様子を見て、黙ってそっと音を立てずに上昇して周囲の警戒に当たった。

 しかし、暮れ始めた夕日に照らされた砦とその周辺に、もう動く者は何処にもいなかった。



「隊長、もう間も無く日が暮れます。此処に留まるか、我々も移動するか、どうしますか? 此処に留まるなら中の様子を確認しないと……」

 上空からシルフを通じて、アルス皇子の元にルークから不安気な声が届いた。

「此処には結界を張ってシルフ達に守らせよう。そして我々も十七番砦へ行こう。さすがに此処で一晩夜明かしする気にはなれないよ。エピの街に応援を頼んで、明日にも彼らを弔ってもらわないと……」

 ため息と共にそう言って、アルス皇子は首を振った。

 此処には、後方の事務方や雑務を担当する者たちを含めると、三百人近い人が居たはずだ。それでも三つある砦の中では、一番人数が少ない。

 それが全滅。

 しかも、救援の要請から此処に到着するまでの僅かな間に。

「すまない……直ぐに弔ってやれない無力な私を怨んでくれて良い。せめて安らかな眠りを」

 そう言って。剣を半分抜いて鞘に力一杯収める。聖なるミスリルの火花が小さく周囲に散った。

 その後、守護竜であるフレアが、シルフ達に命じて砦全体を覆う巨大な結界を張った。

「この場を守れ。誰であれ、此処に侵入する者がいれば拘束しろ。死体に手を掛ける者があれば容赦するな」

 フレアの命令に頷いたシルフ達が、その場から次々と消えていった。

 アルス皇子がフレアの背に乗るのを確認してから、ヴィゴもシリルの背に戻った。




 十七番砦に向かったタドラ達は、途中、砦に連絡してマイリーの負傷を知らせて処置の準備をするように伝えた。

『了解しました』

『王都のガンディ様にも連絡を取りました』

『直ぐにこちらに来てくれるそうです』

「どうやって。竜は全員出撃してるんだぞ?」

 ロベリオの言葉に、二人も首を傾げた。地上を走って来ては、どんなに早くとも二日はかかる。

『アルジェント卿です』

『事情を知って竜を出して下さいました』

『既にこちらに向かっておられるそうです』

「アルジェント卿が? 大丈夫なのか?」

 アルジェント卿とは、彼らの大先輩にあたる初老の元竜騎士だ。戦いで大怪我をして体が不自由になり、竜騎士を引退している。

 今では、杖をつきながらも不自由な身体なりに元気に動き回り、シヴァ将軍と共に王都で精霊竜達の育成に携わっている。

 彼の伴侶である竜は、今も王都の竜舎にいる。

「そりゃあ、竜は無事なんだから、乗ろうと思えば乗れるだろうけど……」

「大丈夫なのか?」

 心配そうにロベリオとユージンが呟く。

 しかし、もう向かっていると言うのなら止める手立ては無い。

 とにかく、今は重傷のマイリーを砦に届ける事が最優先だった。



 暮れ始めた空の下、砦を目指すタドラ達の前に、大きく篝火が焚かれた砦が見えて来た。

「先に降ります」

 そう言って、タドラが一番最初に兵士が合図する中庭に降り立った。担架を持った医療兵達が即座に駆け寄って来る。

 タドラは、シルフの手助けを借りてそっとマイリーを抱えて降りた。

「ご苦労様です。マイリー様を此処へ」

 敬礼する医療兵にマイリーを託し、砦の中に走り去る医療兵達を無言で見送った。

 小さなため息を吐いたタドラは、取り出した水筒を手に上空を見上げる。ロベリオとユージンは、降りずにそのまま上空を旋回していた。

 水を飲み、ベルトの缶からのど飴を取り出して数粒まとめて口に入れた。

 もう一度大きなため息を吐いてから、タドラも上空へ舞い上がり三人で手分けしてそのまま上空で警戒を続けた。



 やがて、アルス皇子達三人が合流し、交代で夕食を取りながら警戒を続けた。北の十六番砦にも頻繁に連絡を取ったが、今の所特に大きな問題は起きていないようだった。



 やがて、すっかり辺りが暗くなった頃に待ち兼ねた大きなオレンジ色の竜が到着した。



「アルジェント卿!ありがとうございます!」

 ヴィゴが駆け寄り、ガンディが降りるのを手伝った。

「マイリーは何処じゃ?」

「こちらです!」

 駆け出して来て大声で叫ぶ衛生兵と共に、包みを抱えたガンディはそのまま砦の中に走り去った。



「アルジェント卿、ありがとうございます。ご無理をなさったのではありませんか?」

 ヴィゴがオレンジ色の竜の腕に乗り、彼が降りるのに手を貸した。

「大事無いさ。久しぶりの空に、ちと怖かったがな」

 小さく笑い、ヴィゴの手を借りて地上に降りたアルジェント卿は、大きく伸びをした。

「卿も中へ。外は危険です。今の所、異形の者の襲撃はありませんが、まだ安心は出来ません」

 今では非戦闘員である彼を、絶対に守らなければならない。

「分かってるさ。お前達の邪魔にはならん。だがフラウィスは違う。役立たずの私と違って彼女はまだ現役だぞ。いざとなったら共に出撃させてやってくれ、陛下の許可は頂いて来た。彼女は戦場を知っている。役に立つだろう」

 振り返って、第二部隊の兵士に水を飲ませてもらっている愛しい竜を見た。



 フラウィスのように現役を引退した主を持つ竜や、主を先に見送った竜達は、非常時には竜騎士達と共に戦場に出る。

 竜騎士達の元で彼らの指示を受けて、最強の補助戦力として活動するのだ。

 だが、それはあくまで非常時の、皇王からの直接の命令がある時のみと限定されていて、基本的には竜の保養所や王都の竜舎でゆっくりと余生を送っているのだ。若い竜の中には、その間に新たな主を得る事もあった。

「それは何よりの増援です」

 ヴィゴの言葉に頷き、上空で警戒に当たる若竜三人組を見上げてアルジェント卿は微笑んだ。

「若い連中も皆無事だな。お前にも怪我は無いか?」

「はい、我らは大丈夫です」

 杖をつくアルジェント卿を支えるようにして、ヴィゴも一旦砦の中に入った。




 マイリーの手当てをしている処置室は、静まり返っていた。

 完全に意識の無い彼の処置は、駆けつけたガンディも加わって手早く行われて、無事に終了した。

「出来るだけの事はした。後は……彼の体力次第だ」

 怪我そのものよりも、大量に出血した事の方が問題だった。

「姫、何としても彼を支えてやってくれ」

 意識の無いマイリーの周りには、何人ものウィンディーネ達が寄り添っていた。

 命の危険すらある程の失血により、彼の体温は下がり、心臓の動きも弱っている。

 その彼の身体をギリギリで守っているのは、身体の中の血の流れをある程度コントロール出来る、水の精霊である彼女達だった。

 ガンディの言葉に、彼女達は何度も頷いて意識の無いマイリーの頬や額、腕などを撫でキスを贈った。


『血を増やすの』

『血を増やすの』

『守るよ守るよ』

『大好きだもん』

『大好きだもん』


 口々にそう言う彼女達を見て、ガンディは泣きそうになりながらも微笑んだ。

「よろしくお願いします。もう、我らに出来る事は有りませぬ……」

 そう言って立ち上がると、振り返って彼を見つめる医師達に頷いた。

「後を頼む。儂は追加の薬を作る」

 砦の医者達に彼を任せると、隣に用意された部屋に向かった。

 以前、ルークの怪我の時に使った、竜騎士達にも効く強力な薬の残りは、思った以上に重傷だったマイリーの為に、殆ど持って来た全てを使い切ってしまったのだ。

 かき集めて持って来た材料を机に並べて、順に確認して行く。

 ごく小さな赤い石を手に取って、目を閉じた。

「まずい……どう考えてもこの材料が足りぬ。あの薬さえあれば助けられるのに……」

 真っ白になる程拳を握りしめていたガンディは、王都の白の塔にシルフを通じて連絡を取った。

「薬材倉庫の管理担当者に連絡を頼む。大至急じゃ。紅金剛石の在庫があるか全ての倉庫を確認してくれ。個人で保有しておる者があれば、説得して売ってもらってくれ。もし無ければ……あらゆる手を使って何としても手に入れてくれ。マイリーの命がかかっておるのだ!」

 連絡が終了しても、ガンディは顔を上げられなかった。

「何処かに有りはせぬか……そうだ。タキスなら或いは……かなりの薬を持っておると言っておった」

 顔を上げた彼は、一縷の望みをかけてその場でタキスに連絡を取った。

『どうしたんですか?師匠』

『こんな時間に?』

 不思議そうに答えるタキスに、ガンディは叫ぶような声で急いで説明した。

「緊急事態だ。赤いダイヤと呼ばれる紅金剛石を持っておらぬか。もし持っておれば……相場の倍出そう、貴重な物である事は重々承知しておる。頼むから何とか売ってくれぬか」

 タキスの言葉を伝えるシルフが小さく息を飲む。ガンディは、黙って彼の答えを待った。

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