鞍とベルト
「おはようブルー!」
庭に座ってこっちを見ているブルーの元に駆け寄ったレイは、差し出された大きな顔に飛びついた。
「おはよう。昨夜も大騒ぎだったようだな」
笑みを含んだ声でそう言われて、レイは嬉しそうに顔を上げた。
「枕戦争最高! こんなに楽しい遊びがあったなんて、僕、初めて知ったよ」
笑ったように目を細めたブルーは、レイの体に頬擦りしながら言った。
「まあ、あれはある程度以上の人数がいないと出来ないからな。良かったな。レイが楽しそうだと我も嬉しい」
声を上げて笑って、もう一度大きな頭に抱きついてその額にキスをした。
「えっと、今日はお城からこの前の革職人の人達が来るんだって。くらのしさくが出来上がったんだって。何の事だろうね?」
レイは、鞍の試作の意味が分かっていないらしい。
「ああこの前のドワーフと人間か。鞍の試作とは……我に乗る為の鞍は分かるな、試作とは、その鞍を試しに作ってみた、という意味だ。つまり、試しに作ったそれを持って来るから、不具合が無いか調べるという事だろうな」
分かる言葉で詳しく教えてくれるブルーの声を、レイはじっと聞いている。
「えっと、鞍の不具合って何?」
レイの質問に、ブルーはちょっと考えてから答えてくれた。
「まあ、一番考えられるのは作った鞍の大きさが合うかどうかの確認だろうな。我の身体は、他の竜達と比べると桁違いに大きい。しかし鞍の大きさなんてそう変わるまい。そうなれば装着する為のベルトの位置が大きく変わるだろうからな」
レイは納得して頷いた。
「そっか、ベルトも長くなきゃ駄目だろうから、沢山繋ぐのは大変だろうしね」
大きな身体を見て、レイは笑った。そして、ふと気がついた。
「ねえ、ブルーは昨夜はどこで寝たの?」
竜の保養所からここまで飛んで来てこの庭に降りた後、ブルーがどうしていたのかをレイは知らない。
「日が暮れてから、いつもの湖に戻ったぞ。それで、夜明け前にここに来た」
「そっか。ごめんね、行ったり来たり面倒だよね」
額を撫でながら謝るレイに、ブルーは驚いたように目を瞬いてから笑った。
「蒼の森よりもずっと近いぞ。我にとっては隣で寝ているのと変わらん距離だ」
その言葉に顔を上げたレイは、思わず吹き出した。
「そうだね。確かにずっと近いや。じゃあ、僕がここにいるようになったら、ブルーはあの湖に住むの?」
「如何であろうな。だが、ここの竜舎は小さ過ぎて我は入れぬからな。レイがここで暮らすようになるまでには、あのアメジストの主が何か考えてくれるだろう」
その言葉にレイは妙な引っ掛かりを感じ、気になっていた事を聞いてみる事にした。
「ねえブルー、聞いても良い?」
「我が答えられる事ならば」
当然のようにそう言ってくれるブルーを見上げて、レイは笑った。
「ブルーって、皆の名前を呼ばないよね。あれはどうして? やっぱり……人間が嫌いだから?」
自分も人間であるレイは、ブルーが人間の事を嫌っているとシルフ達から聞いて、とても悲しかったのだ。昨日の、第二部隊の兵士達に世話をされるのを嫌がるブルーに、ロベリオ達が困っていた事も聞こえていた。
「人の名を呼ばぬのは我だけでは無い。精霊竜は皆、普通、自分の主以外の人の名は呼ばぬ」
「えっと、それは何故?」
不思議そうに首を傾げるレイに、ブルーは何度も頬擦りした。
愛しい主がその大きな頭を抱きしめてくれると、ブルーは静かに話し始めた。
「我ら精霊竜は、声に力を持っている」
「声に力があるって?」
「人の子が精霊魔法を使う時に、何度も同じ内容の事を頼めば精霊達がそれを覚えてくれる。これは知っておるか?」
習い始めた頃に、タキスから聞いた記憶があった。
「あ、聞いた事があるよ。えっと確か……僕らの言葉はある種の形を持った力のある言葉だって言ってた。それで、精霊達が覚えてくれるとどんどんその形がしっかり作られて、どの子が聞いても分かるんだって」
「良く出来ました。我の声は、その人とは桁違いのもっと強い力を持っておる。その為、簡単に大勢の精霊に命令出来る。しかし、困った事もある」
「困った事?」
「ここの竜騎士達は皆、自分の竜から守護を貰っている。なのでまだ大丈夫なのだが、普通の人は自分の守護を持たぬ。その為、我のように力を持った存在に名を呼ばれると、その存在に逆らえなくなるのだ。闇の眼と戦った時、エイベルが言っておっただろう? 其方は名を知られてはならぬと」
「あの時、もう僕はブルーの主だったのに?」
「あの時のレイは、まだ我の守護を完全に与えてはいなかったからな。奴ほどの力のある者に名を知られたら、かなり危険な事になっておっただろう。それと同じ事だ。我と闇の眼は属性は違うが力で言うとほぼ同格の位置にある。その我が迂闊に人の名を呼べば、意図せずにその人を支配下に置く事となる。そんな事は我は望まぬ。竜の主でも同じ事だ。ここの竜達の中では我がまあ……一番力があるからな。迂闊に主の名を呼ぶのは、恋人同士の間に力尽くで割り込むような事になりかねん。そんな事をしたら、竜からも主からも嫌われそうだからな」
「そっか。竜に二つも名前があるのはそういう意味だったもんね。それと同じ事?」
「そう思ってくれて良いぞ。我をブルーと呼んで良いのは、レイ……其方だけだ」
胸がいっぱいになって、レイは抱きしめたブルーの額に何度もキスをした。
「大好きだよブルー。僕の側にいてくれてありがとう」
嬉しそうにブルーが喉を鳴らす音を、レイは目を閉じて聞いていた。
「何だか熱いなー」
「もう、見てられないよね」
「絶対、俺達がいるって忘れてるぞ」
「どこの新婚だよ」
「本当に、絶対俺達の事忘れてるな、あれは」
背後から、呆れたような声が聞こえてレイは慌てた。確かに、彼らの事をすっかり忘れていた。
「えへへ。だって、ブルーが大好きだもん!」
振り返って開き直って答えると、四人に寄ってたかって揉みくちゃにされた。脇を擽られて悲鳴をあげて声を上げて笑いながらブルーに飛びついた。
「助けてブルー。みんなが僕らが仲良しだからって苛めるよ」
「おおそれは大変だ。我の翼に隠れるとよいぞ」
笑うレイをブルーは大きな翼で覆うようにして隠した。しかし、地面に立つレイの足が思いっきり見えているのはわざとだろう。
「あれ?どこに行ったかな?」
ブルーの翼を突きながら、ルークとロベリオが笑っている。後ろではタドラ達が大笑いしていた。
「こら遊んでないで出てこい。もう、モルトナ達が到着したぞ」
ユージンの声に、レイはブルーの翼から出て来た。
庭の横の渡り廊下を、大きな荷車を引いた一行が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
渡り廊下から中庭に出て来た一行は、ブルーの前で止まった。
「おお、何度見ても美しい。この竜に自分の作った鞍が乗るのかと思うと考えただけで幸せになります」
ブルーを見上げて、モルトナは嬉しそうに笑っている。
「モルトナ、ご苦労様。試作は上手く出来たかい?」
ロベリオの声に、モルトナは大きく頷いて後ろの荷車を叩いた。
「いやあ、苦労しました。私もこれほどの大きな竜の鞍を作るのは初めてです。固定のためのベルトの構造をかなり工夫しましたので、装着具合を確認したいんです」
覆いを外した荷車には、何本もの革のベルトが絡まるようにして入っていた。あちこちに見たことのない形の金具も見える。そして、何故かラプトルの鞍と同じような大きさの鞍が幾つも入っていた。
「それでは、早速始めますので、まず鞍の試着を致しますので、レイルズ様はまた、ラピスに我らが体に乗るのを許すように言っていただけますか」
頷いたレイは、ブルーに話しかけた。
「えっと、この前の人達だよ。鞍を乗せたいんだって。また背中に乗ってもらっても良い?」
「構わぬ。好きにするが良い」
そう言って、地面に伏せる。
「ああ、構いません。普通に座っていて下さい」
モルトナの声に、ブルーは体を起こしていつもしているように座った。
他の竜達は、首の付け根部分に鞍を乗せていて、その鞍を固定する為に体と首回りにベルトが何本もかけられている。しかし、身体の大きなブルーの場合、そもそも座った状態だと首の付け根に全く背が届かない。
どうするのかと心配して見ていると、第二部隊の兵士達が、大きな脚立を何台も抱えて走って来た。
何故かその後ろから、台車に積んだ大きな丸太も運ばれて来ていた。
座ったブルーの左右に二台ずつ脚立を置くと、モルトナはブルーの正面に立ち、まずは左右に分かれた職人達が、革のベルトの束を持ってそのベルトを広げた。
二本の太いベルトは、真ん中で大きく重なってばつ印になっている。その太いベルトを回るように、何本ものベルトが横向けに蜘蛛の巣のように張り巡らされて、太いベルトを固定していた。
脚立に乗ってブルーの胸の部分にそれを当てると、太いベルトを翼の付け根に沿って上下に回す、後ろに回った職人が、背中に乗った別の職人にベルトの端を投げて渡した。
受け取ったその人は、しゃがみこんで何かしていたが下からではよく見えない。
「レイルズ様は、どの鞍の形がよろしいですかな?」
モルトナの声に、ブルーを見上げていたレイは振り返って彼を見た。
彼の横には、幾つもの鞍が置かれている。
「形? 鞍なんて、形はどれも同じじゃないんですか?」
不思議そうなレイに、モルトナは二つの鞍を手に持ってみせた。
「そんな事はございません。ほれこの通り、全く違います」
右手に持っているのは、ラプトルの鞍のようなしっかりとお尻が乗るような形になっていたが、左手に持っているのは、どう考えてもお尻が半分も乗らないくらいに小さな形だった。
「本当だ、全然違うね。でもこれは乗り心地が悪そう」
小さい方を見ながら言うと、彼は笑って首を振った。
「まあ、一度座ってみてください。ご意見はそれから聞きましょう」
モルトナの横には、布が掛けられた大きな丸太が置かれている。彼はその丸太に鞍を乗せた。
隣には、踏み台が置いてあり、どうやらこれで鞍に乗ってみろと言う事らしかった。
「乗ってみれば良いの?」
踏み台に足をかけながら聞くと、モルトナが頷いて教えてくれた。
「順番に鞍を変えますので、乗ってみて良いと思うものを言ってください。もちろん、痛かったりしたらすぐに言ってください」
「分かりました。じゃあまずはこれに乗ってみれば良いの?」
レイが丸太に乗ろうとするのを見た第二部隊の兵士が、何人も走って来て丸太の両端を押さえてくれた。
「ありがとうございます」
声を掛けてから、丸太に置かれた鞍に座ってみた。
「ラプトルの鞍みたいだね。乗り心地は良いと思います」
「では、これはどうですか?」
すぐ隣に、別の形の鞍が置かれる。
一旦降りて、座り直した。
「えっと、これはお尻が痛いです。なんて言うか……机の角に座ってるみたい」
丸みが深くて真ん中がやや盛り上がったそれは、レイのお尻の形とはかなり違う。
「これは駄目と。ではこっちはどうですか?」
それは、先ほど見た小さな鞍だ。それも絶対無理だと思いつつ、念の為に座ってみた。
「あれ、これって……うん悪くないです。すごく楽だ」
お尻の後ろ側を支えるように作られたその小さな鞍は、案外乗り心地が良かった。
「ではこっちはどうですか?」
最後の一つも、やや小さめの鞍だが、先程よりももう少し大きくて左右に張り出していて太腿の付け根部分まで支えるようになっていた。
頷いてそれに乗ってみたレイは、何度か動いて乗り心地を確認してから顔を上げた。
「モルトナさん、僕これが良いいです。なんて言うか……うん、これが一番良いです」
笑ったモルトナは、大きく頷いた。
「それは良かった。なら、この形でいきましょう」
降りて来たレイを見て、彼は鞍を片付けながら言った。
「どうぞ私の事はモルトナとお呼び下さい。敬称は不要です」
そう言われるのにも、だんだん慣れて来た。
「分かりました、モルトナ。よろしくね」
「はい、良き鞍を作らせて頂きます」
嬉しそうに笑った彼は、レイを見て頷いた。
「レイルズ様は、まだ背も伸びそうですから、将来的には手綱の位置を少し変えるかもしれませんね」
振り返った先では、ブルーが職人達に取り囲まれていた。
「まだきつい、もう少し緩くしてくれ」
翼を広げたブルーが、嫌そうに職人に言う。
「しかし、これ以上緩めると鞍がずれる危険がありますぞ」
「うむ、それは困る」
「お待ちを、こちら側にベルトを追加してみます」
そう言うと、一旦ベルトを外して降りてきた。
ブルーの横に置かれた組み立て式の大きな机には、何本もの革のベルトが置かれていて、別の職人が何か作業をしていた。
「あれは何をしてるの?」
モルトナと一緒に近づいてみたが、彼らが何をしているのかレイにはさっぱり分からなかった。
「とにかくラピスの大きさは桁違いですから、通常の竜のベルトの位置では到底固定しきれぬのです。それで、ここで一番大きなお身体のルビーがお使いのベルトの形を参考にして、更に大きくしたものを試作して来たのですが……まあ、思ったようには上手くいきませんでした。それでラピスの意見を聞きながら、ここで修正しておるんです」
見ていると、職人が長いベルトの先に金具を打ち付けているし、隣では、革のベルトの長さを揃えて切っている。皆、鮮やかな手付きであっと言う間に形が整った。
「これでどうでしょうか?」
また職人達が、総出でブルーにベルトを装着する。大きく翼を広げたブルーは、満足そうに頷いた。
「うん。かなり良くなったな。これならば大丈夫だ、翼に当たらぬ。後はこの下側の部分だが……」
どうやらブルーはベルトの構造も分かるらしく、修正する際にかなり具体的に意見を言っているようだった。
「手間かけてごめんなさい」
作業する職人達に、背後から思わず謝ってしまった。ところが彼らは皆、レイの声に顔を上げて手を振って笑った。
「とんでもありません。ラピスはとても具体的にどこが悪いとか、ここをこうしろとか言ってくれるので、本当に問題点がよく分かってありがたいです。これなら午前中いっぱいかかると思っていましたが、早く終われそうです」
また、総出で微調整したベルトを装着する。
「うむ、これで良いのではないか?」
何度か身動きしてから、満足そうに言うと、それを聞いた職人達から歓声が上がった。
「ラピス、ありがとうございました。これで試着は終わりです」
モルトナの声に、ブルーがこちらを見た。
「レイの鞍は決まったのか?」
「はい。鞍の形は決まりましたので、これから本格的な作業に入ります」
「そうか、レイの為にも良い物を頼むぞ」
ブルーの言葉に、その場にいた職人達が皆立ち上がった。
「もちろんです。我らの総力を挙げて必ず最高の物をお届けしますぞ」
「では楽しみにしておこう」
目を細めたブルーは、首を伸ばしてレイに頬擦りした。
「モルトナ。職人の皆さんも、よろしくお願いします」
ブルーを撫でながら、レイも一緒に頭を下げた。
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