出逢い
ラプトルに乗って林を抜け、見覚えのある建物が見える頃に、まずレイの目に飛び込んで来たのは、広い庭で、先に来た竜騎士や竜達と一緒に並んで待っているブルーの姿だった。
「ブルー!」
前にいた兵士達が横に動いて道を開けてくれたので、お礼を言って一気に加速する。
弾かれた様に走り出したラプトルは、あっという間にブルーの元に到着した。
レイは勢いのままラプトルの背から飛び降りて、差し出されたブルーの大きな頭に飛びついた。
「ただいま、ブルー! 来てくれてたんだね」
「ああ、おかえり。後見人との面会も無事に終わった様で何よりだ。それに、昨夜は楽しかった様だな」
「うん、うん。マティルダ様は素敵な方だったよ。これからは、自分の事を母だと思って良いって言って下さったの。えっと不思議だったんだよ、お声が母さんにそっくりだったの。それからね……」
抱きついたまま、レイは思いつくままに城での事を話して聞かせた。
実際には全て知っているのだが、ブルーは素知らぬ顔で時々相槌を打ちながら、レイの気がすむまでずっと話を聞き続けた。
「良かったな。レイが幸せそうで我も嬉しい」
レイの体に頬擦りしながらブルーがそう言うと、レイは嬉しそうに笑ってブルーの額にキスをした。
「大好きだよブルー。昨日は会えなくて寂しかった」
「我も寂しかったぞ」
もう一度キスをして、力一杯大きな頭を抱きしめた。
「仲睦まじくて何よりだな」
背後から呆れた様な声が聞こえて、レイは慌てて抱きついていた腕を離した。ブルーが笑った様に喉を鳴らす音を聞きながら、勢い良くレイは振り返った。
「だって、ブルーが一番だもん!」
ラプトルから降りてこっちを見ていたロベリオ達が、その言葉を聞いて吹き出すのが見えた。
「言うねえ。まあ当然だけどな」
「そうだよね。やっぱり竜が一番だよね」
二人はにやついた顔を隠そうともせず、隣にいるマイリーを横目で見る。
「名残惜しいだろうがまた後でなラピス。レイルズは取り敢えず着替えておいで」
何事もない様な顔でそんな二人を無視したマイリーは、ブルーの頭に抱きついているレイを見てそう言った。
返事をしたレイが、タキスやガンディ、ラスティと一緒に一旦建物に戻って行くのを見送ってから、振り返った。
「お前らも着替えて来い。第一礼装だ」
それを聞いた彼等は皆、驚いて顔を見合わせた。その言葉が示す意味は一つしか無い。
「まさか……ここに来られるんですか?」
恐る恐る聞いたルークの言葉に、マイリーは頷いた。
「マティルダ様だけ狡いと拗ねられて、昨夜は大変だったんだんだぞ。本人への精神的な負担もあるから、せめて今日にしてくれと言ったら、この計画を言われてな。仕方がないからもう好きにしてくださいと返事したんだ。おかげで昨夜は、準備で寝る暇が殆ど無かった」
「ああ、それはご苦労様です」
苦笑いしながらルークが言うと、マイリーは笑って大きく頷いた。
「まあこれで、やらなきゃならん絶対に必要な事は全部終わるな。後は、彼の体調を見ながら今後を決めよう」
離宮の前で待っていた第二部隊の兵士達が、話をしながら戻って来た彼等を出迎えた。
「どうするんですか? この後、彼を一旦森へ帰すんですか?」
ロベリオの問いに、マイリーは振り返って庭に座っているブルーを見た。
「ラピスが、森で幾つかやっておかねばならない事があるらしい。なので、秋の収穫時期に合わせて一旦帰らせようと考えている。それなら、雪が降るまでにこっちの受け入れ態勢も整えられるだろう」
「帰りたがってましたからね。それなら喜びそうだ」
「森の秋の収穫か。でも、収穫って何をするんだろう」
生粋の貴族である彼等にとっては、農民の暮らしと言っても本で読む程度の事しか知らない。
きっと大変なんだろうな。程度の認識だ。
貴族の生活は、それほどに底辺の農民の生活とはかけ離れている。唯一のスラム出身のルークでさえ、実際の畑仕事はした事が無い街の人間だ。
「良い機会だから、農民の生活や自由開拓民の生活の様子をレイルズから聞いてみると良い」
「そうですね。実際に暮らしていた人から話を聞く機会なんて無いし」
マイリーの言葉に皆頷いた。
「じゃあ今度、勉強会でも開くか」
ルークの言葉に若竜三人組が大喜びで頷いた。
「それ良い考えだね。じゃあ今度やってみよう!」
「それなら俺も聞きたいから、開催するときは是非ヴィゴと一緒に呼んでくれ」
「了解です!」
そんな話をしながら廊下を歩き到着した部屋で、彼等はいつの間にか用意されていた第一礼装に着替えを済ませた。
扉の前でタキス達と別れたレイは、ラスティに連れられて入った部屋で、昨夜、王妃様との面会の際に着た竜騎士見習いの制服を着せられて戸惑った。
当然、いつもの普段着に着替えるんだと思っていたのに、何故わざわざこれを着るのだろう。
その時、ここに向かう途中のシルフ達が言っていた言葉を思い出した。
彼女らは、誰かに会うと言っていたのだ。
もしかしたら、マティルダ様が来てくださっているのかもしれない。そう思いついて嬉しくなったレイは、ブルーをマティルダ様にどんな風に紹介したら良いのか、頭の中で考えていた。
準備が出来たレイは、ラスティに連れられて何故か庭に出た。
他の竜騎士達はまだ誰も出て来ていない。
「えっと、ここで待っていれば良いの?」
「はい、庭で待っている様にとの事です。ラピス様が待っておいでですよ」
そう言って下がったラスティは、庭にいるブルーを手で示した。頷いたレイは、芝生に作られた石の道を通ってブルーの元へ向かった。
ブルーは、首を伸ばして庭の横にある植え込みの中を覗き込んでいる。レイの気配に振り返ったブルーが、嬉しそうに喉を鳴らしながら頬擦りしてくれた。
「お待たせ。何を見ていたの?」
背丈よりも少し高い高さに綺麗に刈り込まれた植え込みの方を見ながらレイが尋ねると、ブルーは顔を上げて植え込みの方を示した。
「中は迷路になっていて面白そうだぞ。行ってみるといい」
「でも、ここで待ってる様に言われたんだけど……」
ものすごく素敵な提案に困って振り返ると、ラスティは笑って頭の上で丸印を作ってくれた。
「お戻りになったらお伝えしますので、是非行ってみてください。楽しいですよ」
「うん。じゃあ行って来ます!」
笑ったレイが走って行き、植え込みの隙間に作られた扉を開いた。
中は、植え込みと植木鉢や石像で通路が作られていて、なかなか複雑な作りになっている。上から覗き込むブルーに一度だけ助けてもらって、レイは大きな噴水のある場所に出た。
その噴水の横の植え込みは、夏の盛りだと言うのに大きな花がいくつも見事に咲き乱れる、とても綺麗な場所だった。
驚いた事に、そこには先客がいた。
真っ白な髪を綺麗に結い上げた初老の女性は、噴水の横に作られた木陰のベンチに座っていた。隣には籠とハサミを持った背の高い男性が立っている。
二人とも軍服では無く、楽そうな綺麗な服を着ている。男の人の腰に剣が無いので、どうやら軍人では無いみたいだ。
「えっと、こんにちは」
なんと言って良いのか分からなかったので、とにかく挨拶をしてみる。邪魔をするなと叱られる様ならすぐに退散するつもりだったのだが、振り返った女性は、レイを見てにこりと笑った。
「まあ、こんな所に可愛いお客様だわ。どうぞ、ここにお座りなさい」
当然のように自分の隣の空いた場所を叩く。傍で立っている男性はとても背が高く立派な体格をしている。もしかしたらこの女性の護衛の人なのかもしれない。
言われるままに側に行っても良いのだろうか? 思わず男性の方を見ると、彼も笑って頷いてくれたので、一礼して少し離れて隣に座った。
「失礼します」
「まあ、そんなに離れてないで、もっとこっちにいらっしゃいな」
女性にそう言われて、仕方無くすぐ横まで近寄って座り直した。
「えっと初めまして。僕の名前はレイルズ・グレアムです」
「サマンサ・ハーヴェイよ。よろしくねレイルズ」
「オルサムダードだ。よろしくレイルズ。呼ぶ時はオルサムで良いぞ」
差し出された手を順に握ったが、女性の手はマティルダ様と同じ様に、柔らかでとても綺麗な手をしていた。逆にオルサムの手はとても硬いあちこちにタコの出来た大きな手をしていた。護衛の人だと思ったのは間違ってはいないみたいだ。
「えっと、サマンサ様とオルサム様はここで何をしてるんですか?」
二人は顔を見合わせて振り返った。
「ここはお花が見事でしょう。なので、お部屋に飾る為のお花を切りに来ているのよ。ああ、そっちの赤い花の蕾を切っておくれ」
言われた彼が、植え込みに手を入れて花を切るのを見ていたが、レイは慌てて立ち上がった。
「オルサム様、その横の枝には棘があります。気を付けてください」
駆け寄り、腰から外した鞘の付いた剣で、彼の腕を傷つけそうになっていた伸びた茨の枝を押さえて払った。
「ああ、ありがとう、気付かなかったよ。向こうの茂みから伸びて来ていたのか。これは切っても良い枝だな」
そう言うと、籠から革の手袋を取り出して左手に嵌めて、棘の付いたその枝を切り落とした。
「ありがとう。オルサムを助けてくれて」
サマンサ様にそう言われて、レイは首を振った。
「いえ、間に合って良かったです」
外した剣を戻そうとしたが、なかなか金具が上手く嵌らない。無言で苦戦していると、彼が側に来て手袋を外してから手伝ってくれた。
「ほら、これで良い」
「ありがとうございます。まだ、剣に慣れなくて上手に出来ないんです」
外す時は咄嗟に上手く出来たのに、改めてやってみると、何故だか上手くいかない。恥ずかしくなって俯いてしまったが、二人は笑わなかった。
「どんな人にも初めてはあります。なんでも簡単に出来る人もいれば、簡単な事でも苦労する人もいるわ。覚えておきなさい。出来ない事は恥ずべき事では有りません。出来ないなら、出来る様に努力なさい。その努力を怠る心は恥ずべきものです」
「はい、頑張って覚えます」
サマンサの言葉に思わず顔を上げたレイは、その時、初めて正面からオルサムの顔を見た。
あれ? 何故だろう。
この人の顔に見覚えがある気がするのだが、気のせいだろうか?
不意にそう思うと気になってしまい、頭の中で知っている人の顔を順に思い出しながら考えて、それが誰だか分かった瞬間、レイは思わず叫び声を上げそうになって咄嗟に口を両手で塞いだ。
「どうした?」
こちらを心配そうに覗き込むオルサムは、短く刈り上げたやや黒っぽい金色の髪と金の瞳をしていた。その顔立ちは、竜騎士隊の隊長であるアルス皇子に良く似ていた。そして、隣に座る女性もまた、優しげな目元が、アルス皇子に良く似ていた。
「あの……お二人は……あの……」
なんと言って良いのか分からず、何度もつっかえてなんとかそう言った時、頭の上に大きな影が伸びて日差しを遮った。
「皆が出て来たぞ。戻ると良い」
「ブルー、あの、この方達って……」
思わず助けを求める様に見上げると、ブルーは当然のようにこう言ったのだ。
「謁見は無事にすんだようだな。これで、ここで会わねばならぬ人には皆会ったぞ」
当然のようにそう言われて、驚きのあまり声も無いレイに、二人は笑っている。
「残念。気付かれてしまったな。後で食事の時に驚かせる予定だったのに」
笑顔でレイを見つめる二人に、振り返って改めて向き合った。
「サマンサ様って……皇太后様?」
我ながら間抜けな質問だと思うが、確認せずにはいられなかった。
「はいそうですよ。よろしくね、古竜の主よ」
「よ、よろしくお願いします」
半ば呆然と返すと、改めてオルサムを見た。
「じゃあ、オルサム様って……皇王様?」
「まあ、そう呼ばれておるな」
可笑しくて堪らないと言わんばかりの笑顔の彼の返事に、今度こそレイは悲鳴のような声を上げた。
「ええ! し、失礼致しました!」
慌ててその場に跪いた。頭の中はまた真っ白だ。しかし、聞こえたのは二人の笑う声だった。
「立ちなさいレイルズ。もう一度よく顔を見せておくれ」
しかし、良いのだろうか。どうしたら良いのか分からなくて固まっていると、オルサムの声が聞こえた。
「構わぬから立ちなさい、レイルズ。騙し討ちのような事をしてすまなかった。王宮の大勢の人がいる謁見の場では無く、自然な形で其方に逢いたかったのだ」
「そうよ。マティルダだけ貴方に会ったって聞いて悔しかったんだから。私だって、貴方に早く会いたかったのに」
何でも無い事のように言われて、もう驚きすぎて逆に冷静になってしまった。
「えっと、本当に失礼致しました。あの……改めて、よろしくお願い致します」
もう、そうとしか言えなかった。
そんな彼の背中を叩いた陛下は、花の入った籠にハサミや手袋を戻すと、皇太后様の手を引いてそっと立たせた。慌てて立ち上がったレイが、反対側について彼女を支える。
「ありがとうね。膝が痛くてあまり上手く歩けないの。そうしてくれると助かるわ」
ゆっくりと歩く皇太后様の左側を支えながら、三人は噴水の裏にある扉を出て植え込みに隠れていた通路に出た。
どうやらこの道からなら、迷路の中を通らずに離宮に戻れるようになっているようだった。
「驚かせたお詫びに、食事の後で手合わせしてやろう。マイリーから聞いたぞ、棒術は中々の腕前だと」
思わず顔を上げて陛下を見ると、彼は笑ってこっちを見ていた。
「よろしいのですか?」
「もちろん、遠慮せずにかかって来い。私もそれなりの腕前だぞ」
自慢気なその言い方に、レイは嬉しくなって大きく頷いた。
「はい、よろしくお願いします!」
「じゃあ、見学させてもらうわ。是非とも彼の高い鼻っ柱をへし折ってやってちょうだい」
「絶対それは無理だと思いますが、見ていただいても恥ずかしく無いように頑張ります」
レイの無邪気な返事に、それを聞いた二人とも笑顔になるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます