闇の眼とエイベルの話

「タキス! ねえ、眼だけって何? そんなのいた?」

「え? 何の事ですか?」

 今から、こんな夜中に何をしていたのか、じっくり聞き出そうと楽しみにしていた二人は、突然しがみついて泣き出したレイの、普通では無い様子に戸惑っていた。

「まさか、あれ……闇の眼じゃ無いよね。あいつは一つ目だったもの、違うよね」

 タキスの服を掴んで震えるレイを見て、タキスは自分達の作戦の失敗を悟った。

「大丈夫ですよ。だって、闇の眼はもういなくなったんでしょ?」

 震えるレイをしっかりと抱きしめて、レイの額にキスしてやる。

「でも、茂みの中にこっちを見てる目があったんだよ。どうしよう、また何か……悪いのが出て来たんだったら……」

「レイ、大丈夫ですよ。落ち着いてください。何しろ、その目の正体は私達だったんですからね」

 出来るだけ、ふざけた風に軽く言ってやる。

「私と師匠が、あなた達が窓からどこかに忍び出るのを見つけて、こっそり後をつけていたんです。だから、本当に何でもありませんよ」

 その言葉を聞き、顔を上げたレイは、呆気にとられてタキスを見つめた。

「それ、本当?」

「ええ本当ですよ。後をつけるのに、簡単な目眩しの術を使ったので、貴方には視線の元になる目だけが見えたんですね。驚かせてすみませんでした」

「よ、よかった……また、あいつが出たのかと思った……」

 気が抜けてその場にへたり込んだレイを、タキスは苦笑いして手を貸して立たせた。

 一旦部屋へ戻ろうと振り返って、開いたままの窓を見る。

 この部屋には直接外に出るための扉は無い。

「まさか、この歳で窓から出入りするなんてね」

 窓枠に手をかけた時、背後からガンディの声が聞こえた。

「待たれよ。今の話は一体どう言う意味だ?」



 低い、聞いた事も無いようなガンディの声が聞こえて、タキスは驚いて振り返った。

「何の事ですか? 取り敢えず部屋へ戻りましょう」

 軽々と窓枠を乗り越えて部屋に戻る。レイがそれに続いた。

 無言のロベリオとユージンが続き、ガンディも軽々と窓枠を乗り越えて部屋に入った。

「改めて見ると、すごい事になってるな」

「そうだね。せめてゴミくらいは拾わないと」

 苦笑いしたロベリオとユージンが、床に落ちたクルミの殻を拾い、クラッカーのかけらを屑入れに放り込んだ。

 ベッドに座って呆然としていたレイも、それを見て慌てて片付けを手伝った。




 椅子に座っていたガンディが、隣に座ったタキスの顔を見て口を開いた。

「タキス。先程の話は一体何だ」

 真剣な顔で、タキスを問い詰める。

「ですから、何の話ですか?」

 本当に何の事か分かっていないタキスに、大きなため息を吐いた。

「闇の眼、と、儂には聞こえたぞ」

 その言葉に、床にしゃがんでいた二人も手を止めて振り返った。

「俺の耳にもそう聞こえた」

「俺も、そう聞こえたよ」

 先程までの、レイと一緒にふざけ合っていた時とは別人のような二人は、最前線に立つ竜騎士の顔をしていた。



 ああ、ひとつ失敗したな。



 三人の強い視線に晒されて、タキスは心の中でそう呟くと居住まいを正した。

 これは変に隠すと大変な事になる。信頼を裏切るなどと言う程度の話では無い。

 蒼の森にいると変異への違和感も希薄になるが、本来、あの闇の眼が現実に出て来るなど、決してあってはならない事態だったのだ。

 この世界の安寧を守る彼らが、警戒するのも当然の事だった。




 急変した彼らの様子に、一体何事かと不安気なレイの視線を受けて、一つ頷いて手招きした。

 慌てたレイがタキスの側に来る。自分の隣の椅子にレイを座らせてから、タキスは口を開いた。

「去年の降誕祭の前、レイの為にイチイの木を切りに冬の蒼の森へ行ったんです。そこで、レイを闇の眼にさらわれました」

「……攫われた?」

 ガンディの声に、無言でレイは頷いた。

「タキスがリースを作る為の柊の枝を切ったのを側で集めていたの。その時、誰かに呼ばれた気がして振り返ったら、木の根元に人がいて……どうしてこんな所に人がいるのかって思って、そっちに行こうとして一歩踏み出したら……」

「突然、レイの姿が消えたんです。籠が地面に落ちていて、雪の地面に残った足跡は、そこで忽然と途切れていました。私達は何が起こったのか全く分からなくて、ただ驚く事しか出来ませんでした」

「どうやって……どうやって、闇の眼の影から逃げ出したんだよ」

 ユージンが、レイを見ながら呆然と尋ねる。


『我を置いて、そのような話を勝手にするな』


 その時突然一人のシルフが現れて、レイの肩に座って話し始めた。

「おおラピスか。そうだな。其方からも話を聞きたい」

 ガンディが、真剣な顔でシルフに話しかけた。

『言っておくが、闇の眼は我が砕いた。これで奴は少なくとも数百年は実体を作ることは出来ぬ。安心しろ』

 その言葉に、三人は明らかにホッとした表情になった。

「信じてよろしいのですな、その言葉」

 ガンディの問いかけにシルフは頷いた。

『我の役目の一つだ。嘘は言わぬ』

「どうやって、闇の眼の影から逃げたんだよ」

 ロベリオが、先程ユージンが聞いた事をもう一度レイに尋ねた。

「えっと、エイベルが助けてくれたの。僕達、友達になったんだよ」

 レイは顔を上げて、闇の眼に囚われていた間の事を少し話した。



 気付いたらゴドの村の家に母さんといた事。

 母さんと食事をしてその後感じた違和感。

 そして、母さんの胸に肌身離さず身につけていたペンダントが無かった事。



「よく気付いたな。それは正しく闇の眼の正体を見破る唯一の方法だ」

 ガンディが呆然と呟くように言った。

「日常の中に潜む違和感。それに気付けるものはそう多くは無い。殆どの者はそのまま術中にはまって逃げられなくなってしまい、闇の眼に食われてしまう事になるのだ」

 レイは、枕元に置いてあったペンダントを取りに行き。握りしめて戻って来た。

「母さんの姿をしていた奴から逃げて、今度は真っ暗な暗闇の中に放り出されたの。でも、光の精霊が出て来てくれて、ついて行こうとしたら……目の前に、大きな一つ目が現れたんだ。一つ目の下には、横向になった三日月みたいな口があったよ」

 目の前に、指でその形をなぞって見せる。三人は驚きのあまり声も無く、レイの話に聞き入っていた。

彼奴あいつは、タキスやニコス、ギードが、突然転がり込んで来た僕のことを嫌ってるって、迷惑がってるんだって言って嘲笑った。皆が、僕が来て困ってるって話してる所を何度も見せられて、挙句には、母さんが僕の事を嫌ってるとも言った」

 俯いて拳を握りしめるレイを、タキスがそっと抱きしめて、震える拳に自分の手を重ねた。

「その時、竜人の子供が僕の目の前に突然現れて助けてくれたんだ。彼はエイベルって名乗って、自分は黄泉の国の住民だから、名前を奴に知られても構わないって言った。でも僕は生きてるから名前を知られちゃいけないから名乗るなって……」

「それも、闇の眼と対峙するには絶対に心得ておかねばならん事だ。奴に名を取られたら、抵抗出来なくなる」

「それで、手を繋いで暗闇の中を一緒に走って逃げたんだよ。奴は追って来たけど、エイベルは道が分かるみたいで、どんどん進んで……途中エイベルの姿が見えなくなったんだけど、握った手は不思議と暖かかったの。それで、ちゃんとここにいるって分かって、奴が色々言ってきたけど、全部退けて光の精霊と一緒に逃げたんだ」

『ようやく闇の眼の位置を発見した我が、最大の雷を叩き込んでやった。それで奴は弾け飛んだ』

「すごかったよね、あの雷。僕まで弾け飛ぶかと思ったもん」

 簡単にそう言ってシルフにキスして笑うレイを、三人は言葉も無く見つめた。

「それで、元に戻れたの。真っ白な場所にエイベルと二人でいて、彼が消えた後、元の蒼の森に戻ったんだよ」

「成る程、よく分かった。ラピスよ、この話、殿下にも報告するぞ」

 ガンディの言葉に、タキスは無言でシルフを見た。

『構わぬ。この事は、要石の主には話しておかねばならんと思っておった。我からもルビーに詳しく話しておく。レイよ、其方も後程、ルビーに何があったか全部詳しく話せ。奴に何を言われ、何をされたか、覚えいる限り全てな』

「分かった。今度会ったら話しておくよ」

『この城は、守護の結界が強く張られている。なのでここは安全だが、本来このような話は、陽のあるうちにするようにな』

「うん分かった。何ならルビーに話す時、ブルーも側にいてよ」

 レイは自分の肩に座ったシルフにもう一度キスして、そう言って笑った。

『了解した。その時には一緒にいる事にしよう。それではもう遅い、早く休め』

 シルフはそう言ってくるりと回っていなくなった。




「何だか、大変な話を聞いたな」

「やっぱりあの森は普通じゃないよね」

 苦笑いした二人が、枕を手に肩を竦めた。そのまま部屋へ戻ろうと振り返ったら背後から声が聞こえた。

「え? 戻っちゃうの?」

 泣きそうな顔でこっちを見上げるレイを見て、もう一度振り返った二人は、無言で顔を見合わせた。

「ええと、まあ、あのベッドなら三人並んでも寝られるかな?」

「そうだな。ちょっと窮屈かもしれないけど、我慢すれば何とかなる……かな?」

 途端に嬉しそうになるレイを見て、二人は笑った。

「ほら、顔を洗いに行こう。それから足も洗わないと砂だらけだ」

 枕をベッドに放り込んで洗面所へ走っていく三人を見送って、タキスとガンディは笑うしかなかった。

「仲が良くて何よりだ。さて、それでは我らも戻るとしよう」

 立ち上がったガンディに、タキスも頷いて立ち上がった。

「それでは私達は部屋に戻りますね。貴方達も、もういい加減休むんですよ」

 洗面所にいる三人に声を掛けて、返ってくる元気な返事に安心して、二人はそれぞれ部屋へ戻った。



 顔を洗い、手足を拭いた三人は、そのままベッドに突撃して、時々当たる手足を蹴り合いながら、あっという間に寝落ちしたのだった。






 翌朝、起こしに来てくれた執事が見たのは、細かなゴミ屑が散らかった皺の寄った絨毯と、場所の移動した机や椅子、向きの変わったソファと、へしゃげて形の変わって積み上がったクッション。

 そして、ベッドに折り重なるようにして、一枚のシーツを掴み合ったまま腹を出して寝ている悪ガキ三人の姿だった。

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