ペンダント
『おはよう』
『おはよう』
『起きて』
『起きて』
笑いながら髪を引っ張るシルフ達に起こされて、レイは眠い目をこすった。
そして、起きようとして違和感を感じた。
あれ? 右手が動かない……。
不意に開いた目の前に薄茶色の髪が見えて、レイは驚きのあまり動けなかった。
とにかく動けない右手がどうなっているのか見ようと頭を動かすと、今度は濃い茶色の頭がすぐ横に見えた。レイの右手は、ロベリオの体に完全に下敷きになっている。
まあ、彼の左手を思いっきりお尻に敷いている自覚があるので、お互い様だと思っておく事にした。
どうやら、ユージン、レイ、ロベリオの順に横向きに寝ているが、お互いの腕や足が下敷きになっていて誰も動けない状態らしい。
そして、二人とも熟睡している。
「えっと、シルフ……いますか?」
『起きた起きた』
『おはよう』
『おはよう』
幾人ものシルフが、レイの目の前に現れてキスしてくれた。
「おはようございます。えっとね、ちょっと助けて欲しいんだけど……」
その時、ロベリオが小さく唸って寝返りを打った。
「暑っい……シルフ、風をくれよ……」
寝ぼけてそう言うと、また枕に顔を埋める。優しい風がベッドを吹き抜ける。
「ローベーリーオー起ーきーてー!」
大きな声で言いながら、右手を引っ張って、何とかロベリオの体の下から引っ張り出した。
「ええ?何……? うわっ!」
体の下で動いた腕に驚いて目を開いたら、レイの顔がすぐ前にあり、ロベリオは更に驚いて飛び起きた。
「痛たた!」
「ああ! 待って! 痛い!」
お互いの体の下敷きになっていた腕は、完全に痺れて感覚がない。
ロベリオとレイが二人揃って痛みに転がっていると、その声で目を覚ましたユージンがぼんやりと起き上がった。
「おはよう……暑いよ……シルフ、風!」
二人分の命令に、一気に強い風がベッドを吹き抜けて部屋を渦巻く。
「待ってユージン! 幾ら何でも無茶だよ!」
慌てたレイの声に、二人揃って同時に叫んだ。
「止めてシルフ!」
ピタリと止まった部屋の中の風にほっとしているレイには気付かず、二人はまた揃って枕に顔を埋める。
「待って、寝ないで! 外を見てよ、もうお日様が高いよ」
どうやら、いつもの朝よりもかなり寝坊しているようだ。
無反応の二人に呆れて、取り敢えず自分だけでも起きる事にした。
「あれ? 部屋が綺麗になってる……」
確か、寝る前に一応は片付けたが、かなり散らかっていた記憶がある。起きたら謝って片付けようと思っていたのに、一体いつの間に片付けたんだろう。
洗面所に向かいながら、部屋を見渡してレイは首を傾げた。
身支度を整えて、用意してくれていた新しい服を着る。さらっとした夏用の生地は滑らかでとても着心地が良い。襟元と袖口には細やかな唐草模様の刺繍が施してあった。
「これ、ニコスが作ってくれた服の刺繍とよく似てる」
ブレンウッドの街へ行くのに、ニコスが小さくなったレイの為にわざわざ夏用の新しい服を作ってくれたのだが、その服にもこんな刺繍が施してあったのを思い出した。
「ニコスやギードに早く会いたいよ」
服の裾を握りしめて、思わず小さく呟いた。
森へ帰れば会えるのだが、いつ帰れるか分からない今の状況ではまだしばらく会えないだろう。不意に我に返ったレイは急に寂しくなった。
涙が溢れて来て止まらない。慌ててもう一度顔を洗っていると洗面所の扉が開いた。
「おはようレイ。暑いね」
「おはようレイよく眠れたか?」
伸びをしながら入って来た二人に、レイはフカフカの布で顔を拭きながら振り返った。
「おはようございます。ぐっすり寝て元気いっぱいだよ」
笑顔のレイを見て、二人も笑う。
「それじゃあ、先に戻ってるね」
顔を洗っている二人に声をかけて部屋へ戻った。
洗面所に用意されていた服を着た二人も、身支度を整えて出て来た。
「あれ? それは竜騎士様の制服じゃ無いの?」
昨日着ていた薄緑の服には、胸元とマントに竜騎士である事を示す柊を抱いた竜の紋章が刻まれていた。
今の彼らが着ているのは、どうやら軍服には違いないようだが、胸元に紋章が入っていない。
「これはまあ、部屋着みたいなもんだよ。休みの日とか、今みたいに朝起きた時とかに着るんだ」
全体に、ややゆったりした仕立てで確かに着ていても楽そうだ。
「部屋着なの? でも、格好良いよ」
「そうか? ありがとな」
無邪気に笑顔でそう言うレイに、やや引き攣った顔の二人が照れたように笑った。
「おはようございます。お食事の準備が整っておりますので、応接室へどうぞ」
部屋から聞こえた執事の声に、返事をした三人は慌てて洗面所を後にした。
「おはようさん。ずいぶんゆっくりだな」
からかうようなガンディの声に、三人は小さくなって挨拶をした。
「おはようございます。昨夜はずいぶんと楽しかったようですね」
寝癖のついたレイの髪を撫でてやりながらタキスも笑っている。
「先程ヴィゴから連絡があってな、今日はこっちにこれんそうだから、お前らが遊んでやれとさ」
「分かりました。それじゃあ戻るのは夕方で良いから、それまで何をするかな?」
「それなら食事の後で構わんから、後でちょっと話がある。時間をもらえるか」
ユージンと二人で相談していると、ガンディが顔を寄せて来た。
「三人一緒に?」
レイもガンディを見て首を傾げる。
「そうだ。まあ話は後だ。まずは頂こう」
机に並べられた豪華な朝食に、レイは満面の笑顔になった。
「ご馳走様でした。とっても美味しかったです」
笑顔のレイに、執事も笑顔で頷いた。
「お口に合いましたか。それは良かったです」
食後のお茶を用意して、部屋を出て行く彼をレイはずっと見ていた。
「思ってたんだけど、ニコスとグラントリーさんって似てるよね」
「ああ、それは私も思ってました。彼は人間なのに何故でしょうか? 顔立ちじゃなくて、立ち居振る舞いが妙に同じなんですよね」
「そうそう、お茶を入れてくれてる姿勢とか、ちょっとした仕草が同じなんだよね」
二人の会話を横で聞いていたユージンが、お茶を置いて扉の方を見た。
「執事って、皆同じように動くからね。確かに経験者なら立ち居振る舞いは似てるかも」
「確かにそうだよな。ルークがよく言ってた。ここに来て最初の頃って、執事は全部同じ人だと思ってたって」
苦笑いしたユージンも頷いている。
「でも僕も子供の頃、父上に連れられて始めて城の倶楽部について行った時、控えの部屋で待ってる執事達が、全部同じに見えて困った覚えがあるよ」
「自分の家の使用人や執事の顔はさすがに分かるけど、俺は城では今でも時々分からないよ」
「まあ、向こうはこっちの事分かってくれてるから良いんだけどね」
もしかして、自分も同じ事を思うのかな? 彼らの会話を聞きながら、ここでの生活がかなり不安になってきたレイだった。
「ところでレイ、そのペンダントをちょっと見せてくれるか?」
ガンディが、レイの胸元のペンダントを見ながら手を差し出した。
「これ? 良いよ」
首から外して、ガンディの手にペンダントを乗せる。
「タキスから聞いたが、これはお母上の形見の品だそうだな」
頷くレイを見て、ガンディは手元のペンダントをじっと見つめた。
「ここに入っておるのは、光の精霊だけか?」
不意に聞かれて、考えてしまった。
「えっと、そうだと思うけど……」
自信無さ気にそう答えるレイに、呆れたようにロベリオが背中を叩いた。
「おいおい、自分の石に何が入ってるか知らないのか? ってか、そのペンダントの何処に精霊の入る石があるんだよ?」
ガンディの手元にある素朴な木彫りの竜のペンダントは、確かに何処にも精霊達の住処となる石が無い。
「俺も思ってた。その木の中に入ってるのかな?」
ユージンも、不思議そうにガンディの手の中のペンダントを見つめた。
「やはりそうだな。これは同じものだ」
顔を上げたガンディは、真正面からレイを見た。
「お母上がこれを何処で手に入れたか知らぬか?」
ガンディも、あの黒衣のお兄さんと同じ事を聞く。
「僕が覚えてる限り、母さんはずっとそのペンダントをしてたよ。だから、手に入れたのは、僕が産まれる前だと思います」
それを聞いたガンディは、大きなため息を吐いた。
「お前、このペンダントの意味を知っておるか?」
「意味? どういう事?」
首を傾げるレイを見て、ガンディは机の上にそのペンダントを置いた。
無言で右手をかざして、ペンダントを隠すようにした。
小さな声で何かの呪文を呟いていたが、彼が手を退けた時、机の上にあったのは、見事な銀細工の翠の瞳を持つ竜の姿だった。
真ん中の透明な半円球の石を守るように寄り添う竜の姿は、今にも動き出しそうな程の見事な銀細工だった。
ロベリオとユージンは、言葉も無くそれに見入っていた。
「凄い……生きてるみたいだ」
「これ、何処かで見たことがある……あ!」
顔を上げたユージンが、ガンディを見つめた。
「この竜の細工物って、もしかして、王妃様がお持ちのブローチによく似てます」
「気付いたか。そうじゃ。おそらく同じ細工師の手によるものだ」
驚きのあまり声も無いレイに、ガンディは告げる。
「これは、今は亡きアルカーシュの精霊王の神殿の巫女達が持っていた物で、当時の名工と名高いドワーフの細工師ハルディオの作品じゃ。王妃様のお祖母様は、元はアルカーシュの神殿の巫女だったお方でな、まあ色々あって若くして還俗されてこの国に嫁に来られた。その際に、ペンダントを手直しされてブローチとしてお持ちになられたのだ。お亡くなりになった後は、王妃様が譲り受けて、以来ずっと大切にされておる」
「そんな名のある方の作品だったなんて……」
タキスも、驚きのあまりどうして良いか分からなかった。
「でも、僕は木彫りのペンダントが良いよ」
消えそうな声で、レイが呟くと、あっという間に銀細工のそれは元の木彫り細工に戻ってしまった。
「やはりそうだな。ここには光の精霊だけでなく、他にも入っておるぞ。しかもあの光の精霊は、間違い無く古代種の上位の精霊だ」
唸るようなガンディの呟きに、ロベリオが大声を出した。
「やっぱりそうですよね! その子達、古代種ですよね。うわあ、しかも上位の精霊……」
机に突っ伏したロベリオを見て、ユージンも顔を覆った。
「そんな子達に、下位の写しの術の訓練に付き合わせてしまった……」
「上位の古代種……」
タキスもそう言ったきり固まってしまった。
ガンディからペンダントを返してもらい、首にかけてからそっと手に取った。
「光の精霊さん、出て来てくれる?」
しかし、ペンダントは沈黙したままだった。
「出て来たくないみたい」
顔を上げたレイに、ガンディが首を振った。
「いきなり、姿を暴くような事をしたからな。怒っておるのやもしれぬ。構わん、そのまま持っておられよ」
残っていたお茶を飲んだガンディは、また一つ大きなため息を吐いた。
「どういう経路で其方の母上がこれを手にされたのか、生きているうちに聞いてみたかったな。残念だ」
「ねえタキス……古代種って何?」
不安になって、隣に座ったタキスの手を握る。まだ驚きから立ち直れていないタキスは、ぼんやりとレイを見た。
「どうしました?」
「僕のペンダントにいる光の精霊が、古代種だってガンディが言ってるんだけど、えっと古代種って……何?」
我に返ったタキスは、レイの胸元のペンダントを手に取って大きなため息を吐いた。
「古代種とは、その名の通り精霊の中でも特に古い系統の者達を指します。精霊達の系統の話は、まだあなたに教えていませんので詳しい説明は省きますが、精霊には人間の血の繋がりのように、何処の系統に生まれたか、というのがあるんです。それによって、使える魔法が違ったり、上位下位といった風に、精霊達の力も決まります。レイのペンダントにいる精霊は、その古代の種類の系統の子達なのです。今ではもう、ほとんど見なくなりましたからね。まさかこんな身近にいたなんてね」
「其方は気付かなかったのか?」
少しニヤついてタキスの肘を突くガンディに、タキスは舌を出した。
「見た事ないほど大きな子達だとは思っていました。古代種かも知れないと疑った事はありますが、確実な見分け方は知りませんでしたので、あえてレイには言っていませんでした」
「成る程な。確かに、教えた覚えは無いわい」
苦笑いするガンディに、タキスは笑って頷き、ちょっと考えてロベリオを見た。
「師匠が古代種だと気付いたのはまあ分かりますが、ロベリオ様も気付かれたんですよね。素晴らしいです」
「俺は、ガンディに一度、古代種の精霊を見せてもらった事があるんですよ。なので、その時と同じくらいの大きさだったからもしかして? って思っただけです」
そう言って笑って照れたように首を振った。
もう一度ペンダントを握りしめて、レイはブレンウッドの街で出会ったアルカディアの民のお兄さんを思い出していた。
あの人も、同じ物を持っていた。彼はどうやってあのペンダントを手に入れたのだろう。
しかもあの時、彼はこう言っていた。
ようやく同胞が見つかったと思ったのに、と。
「母さん、貴女は一体誰なの?」
思わずペンダントに向かって話しかけた。
今なら、聞きたい事が沢山ある。
母さんが生きていてくれたなら、今のレイを見てきっと喜んでくれただろう。
母の笑顔を思い出したらまた涙が出てきてしまい、レイは俯いてぐっと唇を噛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます