夜更かしと悪い事
「ラピス、アーテルの怪我を治してくれてありがとう。心から感謝するよ」
ロベリオが、震える手を伸ばしてブルーの鼻先に触れるのを、レイは隣で見ていた。
「元を正せば、我の行いが原因だ、気にする事は無い」
目を細めたブルーは、なんでも無い事のようにそう言って、ゆっくりと喉を鳴らした。
「凄いな、古竜はこんな事が出来るんだ。もしかして、癒しの術は人間にも効くんですか?」
ユージンの言葉に、ブルーは小さく首を振った。
「残念ながら、我の癒しの術を人間にかけたなら、擦り傷が治る程度だ。大した事は出来ぬ」
「そうだよな。幾ら何でもそう簡単に治る訳ないよな」
二人の脳裏には、国境の戦いで負傷して、未だ痛みを抱えて不自由な生活をしているルークの顔が浮かんでいた。
「俺達竜騎士は、竜射線の影響で薬の類がほとんど効かないんです。なので、大きな怪我をした時に正直言って大変なんですよ」
「万一の際には、貴方にも治療を手伝って頂けますか?」
二人の言葉に、ブルーは警戒心を隠さなかった。
「言ったはずだ、大した事は出来ぬと」
「勿論分かってます。精霊魔法を使う第四部隊の癒しの術を使える者であっても、痛みを少し和らげたり、出血を一時的に抑える程度です」
「ならば、我と変わらぬな」
「ええ、でもそれで充分です。それで助かる命がどれだけあるか、皆思い知っていますから」
ユージンとロベリオの言葉に、ブルーは頷いた。
「成る程。しかしその様な術を、必要とされぬ事が本当は一番良いのだがな」
「その意見には、全く以って同意しますね」
「本当にそうですよね。平和が一番です」
二人は苦笑いしてレイを見た。
「さてと、それじゃあ俺達も部屋へ戻ろうか」
「そうだね。それじゃあおやすみ」
「おやすみブルー」
レイがそう言ってブルーの鼻先を撫でると、ブルーは嬉しそうにレイに頬擦りした後、湖へ戻って行った。
「そうか、ラピスは湖で休むんだったな」
暗闇に紛れて愛しい姿が見えなくなるまで、レイはずっと見送っていた。
「寂しいか?」
「うん。すぐ側にいてくれてるって分かってるんだけど、やっぱり置いていかれるのって寂しいよね」
二人は顔を見合わせて笑うと、両側からレイの腕を取って覗き込んだ。
「今のは盛大な惚気と思って良いんだよな」
「熱い熱い」
三人同時に吹き出した。
「もう、だって二人の竜はすぐそこにいるじゃないか」
「はいはい、さあ戻るぞ」
いつまでも子供のようにふざけ合っている三人を、呆れたようにガンディとタキスが見ていた。
各自、用意された部屋で湯を使った後、なんとなくまた応接室に集まって、大人達は好きな酒を飲み、レイの前には、キリルのシロップを炭酸水で割った見た事の無い飲み物が出された。
「何これ! 飲んだら口の中がシュワってなった!」
一口飲んで驚いた顔で報告するレイに、皆笑顔になった。
「それは炭酸水と言ってな、ロディナ地方の岩山で取れる水なんじゃよ。面白かろう?」
「夏場になると、城の会食の時なんかにたまに出ますよね。俺はあんまり得意じゃないけど」
ロベリオの言葉にレイは不思議そうに顔を上げた。
「どうして? 面白いのに」
「飲んだら後でわかるよ」
氷の入ったグラスに注いだ酒をゆっくり飲みながら、ロベリオは笑っている。その隣で同じようにグラスを傾けているユージンとタキスも、頷いていた。
「ま、飲みなされ」
薄くパリパリに焼いたお菓子を出してくれたので、それを齧りながら大人達が魔法の難しい話をするのを黙って聴きながら炭酸水を飲み終えた。
すると、しばらくして何故かゲップが上がってきた。
「うん、ごめんなさい」
しかし、また上がってくる。俯いて何とか誤魔化そうとしたが、三度目に上がってきた時にロベリオの言っていた意味が分かった。
「こういう意味だったんだね! ゲプッ……ごめんなさい」
「な、分かったろ?まあ、こんな飲み物もあるって知っておけば良いさ」
何度も頷き、出された時には気をつけようと思った。
「暑い時にのむのはいいけど、ちゃんと座って飲むには……お行儀悪い飲み物だね」
「お行儀悪い……確かに」
ユージンとロベリオは、真面目なレイの言葉に笑いをこらえるのに必死だった。
「それじゃあお休みなさい」
「ゆっくり休めよ」
レイが一番先に部屋へ戻り、応接室は大人達だけになったが、ユージンとロベリオは顔を見合わせると立ち上がった。
「それじゃあ俺達も戻りますね」
「何だ、もう飲まんのか?」
ガンディが、三十年もののボトルを手に不思議そうに顔を上げた。
「レイに、夜更かしの楽しみと、夜の悪い事を教えてやろうと思ってね」
満面の笑みの二人に、タキスは慌てた。
「あの、まだあの子は子供ですので……」
三人が同時に吹き出した。
「いやいや、さすがにまだそっち方面はまだ早いでしょ」
「何考えてるんですか。タキス」
顔の前で手を振り、必死で笑いを堪えて首も振っている。
「ベッドに本やおやつを持ち込んで、他愛ない話をして、枕で殴り合う。シーツにくるまって転げ回って遊んで、窓から夜の庭に寝間着のまま裸足で忍び出るんですよ。それでちゃんと見つからないうちに帰ってくる。夏の夜のお約束です。貴方も子供の頃にやった事あるでしょう?」
ガンディとタキスは、驚いた顔を見合わせて二人を見た。
「お前ら初めからそのつもりで……?」
「だって、恐らく彼はそんな遊びはした事無いだろうし、本格的に訓練を始めたら、もうそれどころじゃ無いでしょう?」
「今しか無いでしょう。しかも、場所は深夜の冒険には御誂え向きの、城から離れた離宮。警備も城ほど厳重じゃ無いしな」
もちろん、それでも警備の者達は大勢いるし、夜であっても、要所要所に明かりは灯されているので真っ暗という訳では無い。
「ならば好きにされよ。念の為言っておくが、儂とタキスはこの後、庭に出て星を見ながら飲む予定じゃぞ」
「ええ! それは大変だ。見かけても知らん顔してくださいよ」
慌てる二人に、ガンディはにんまりと笑った。
「深夜の追いかけっこも乙なもんじゃろう。せめてスリッパくらいは履いておけよ」
「レイルズが、枕投げのあたりで寝落ちしてくれると良いんだけどね」
焦ったユージンの希望的意見に、皆笑った。
「まあ、見かけたら参加させてもらいます」
そう言って笑いをこらえるタキスの肩を叩き、ガンディとタキスはワゴンを押しながら庭に出て行った。
「まあ、取り敢えず行こう」
それを見送って顔を見合わせた二人は、苦笑いしてまずはそれぞれの部屋で夜衣に着替えてから、枕を持って揃ってレイの部屋へ向かった。
部屋の前には、驚いた事に執事がワゴンと共に待っていた。
「こんな感じでよろしいでしょうか?」
ワゴンには、冷やしたカナエ草のお茶と蜂蜜、いくつものグラス、片手でつまめるビスケットやクラッカー、ミニマフィン、干したキリルの実と煎った胡桃もあった。
ワゴンの下の段には、先ほど読んでいた図鑑と嘘つき男爵の大冒険がある辺り、執事も彼らの計画が分かっているのだろう。
「それではごゆっくり、私はもう休ませていただきます」
会釈して、素知らぬ顔で下がった執事に、二人は無言で拍手を送った。
「レイルズ、起きてるか?」
そっと扉をノックすると、寝間着に着替えたレイが扉を開けてくれた。
「あれ?どうしたの?」
ワゴンを押して入ってきた二人に、首を傾げる。
「ふ、ふ、ふ、真面目なレイルズ君を悪の道に誘いに来たぞ」
「さあ、覚悟しろ。絶対寝かせないからな」
満面の笑みの二人と、ワゴンに乗せられたおやつとお茶、そして二人が抱えている大きな枕を見て、レイは目を輝かせた。
「早く入って! 見つからないうちに!」
小さな声でそう言うと、二人を招き入れて慌てて扉を閉めた。
一人で寝るには大きすぎるベッドに二人を招いて、それぞれ枕を抱えてベッドに寝転がり、そのままベッドでお菓子を摘み、寝転んだままお茶を飲む。
やってはいけないと言われる事をするのが楽しいというのを、レイはこの時初めて知ったのだった。
部屋の真ん中にある大きなソファを挟んで、枕で殴り合い、食べた胡桃の殻を投げ合う。
大声は禁止、笑う時も、枕を抱えて声を殺す事。
二度目の攻防戦は枕投げになり、最後にはソファーに置いてあったクッションまでが動員された。
「何これ楽しい」
ロベリオから強奪した枕を抱えて、レイは笑いを止められなかった。
「お前、案外強いな」
クッションを抱えたロベリオが、笑いを堪えてレイの背中を叩く。
「反射神経良いよね。これは将来が楽しみだ」
ユージンも、レイの反応の早さに驚いていた。
「ああ疲れた。もう寝るの?」
静かになった二人に、床に転がっていたレイが起き上がって尋ねた。この部屋に戻って来た時に感じていた眠気はすっかり何処かへ行ってしまった。
「さてと、それでは最後のお楽しみだぞ」
そう言って笑うと、ロベリオがクッションをソファに戻した。
「え? 何をするの?」
不思議そうなレイを見た二人は、窓を指差した。
「夏の夜にやるなら、これだろ!」
そう言ってレイの枕を取ってベッドへ戻すと窓の方へ向かう。ユージンとレイも続いた。
「ここから出るのが、正式な冒険の始まりだ」
驚くレイを見て、ロベリオは窓を開けて軽々と外に出た。
「ほら来いよ」
ユージンもそのまま窓を飛び出して外に出る。振り返った二人は、レイを待っている。
満面の笑みで頷くと、レイも窓枠に手を掛けて一息に外に飛び出した。
「窓から外に出るなんて初めてだ」
嬉しそうなレイに、二人は頷く。
「あちこちに見張りがいるから、見つからないようにな」
片目を閉じて笑うロベリオに大きく頷いたレイは、二人の後に続いて庭の植え込み沿いに隠れながら進んだ。
応接室の庭では、タキスとガンディがランプの明かりを前に酒を飲んでいる姿が見えた。
「見つからないようにな」
口元に指を立てたユージンに、レイは無言で頷いた。
「どこに行くの?」
小さな声で尋ねると、庭の離れある噴水まで行くと聞き嬉しくなった。
「あそこには、深夜になると精霊達が集まるんだ。すごく綺麗だから見せてやりたくてね」
「よく知ってるんだね」
「以前、殿下とここに泊まった時に教えてもらったんだ。もちろんその時は、ちゃんと許可をもらって行ったけどね」
舌を出す二人を見て、レイも笑った。体を低くして隠れながら進む。しかし、その少し離れた後ろを、タキスとガンディが音も無くついて来ている事に気付いていないのは、レイだけだった。
「ほら、あそこだよ」
ユージンの指差す方向にあったのは、小さいがとても綺麗な女性の石像で、その女性が持つ壺から水が上に細かく噴き上がっていた。
灯りがあるわけでもないのに周囲は不思議と明るく、シルフ達が何人も噴水の周りを取り囲んで楽しそうに手を繋いで踊っていた。その周りに飛び交うのは光の精霊達だ。明るさの正体は、彼らだったようだ。
噴水の中には、水の精霊の姫達も顔を出して踊っている。
「うわあ、精霊達のお祭りみたいだ」
思わず声を出した途端、精霊達が一斉に動きを止めてこっちを見た。
『誰?そこにいるのは』
『誰!』
『誰!』
『誰!』
「ご、ごめんなさい驚かせて」
警戒するようなきつい声に、慌てたレイが茂みから立ち上がって噴水の近くまで進み出た。苦笑いしながら二人もその後に続く。
『主様だ』
『主様だ』
『ようこそ』
『ようこそ』
『夜更かし夜更かし』
『悪い子悪い子』
彼らの正体に気付いたシルフ達が笑いながら、近くへ来て彼らの周りをくるりくるりと飛び交う。
「えっと、何をしてたの?」
不思議そうなレイの言葉に、シルフ達は首を傾げた。
『踊ってた』
『踊ってた』
『ここは良き場所』
『ここは良き場所』
「精霊達の集まる場所ってのがあってね、大抵は古い森の中や、昔からある大きな建物の裏庭だったり、大きな木の根元だったりするんだ」
「ここはその、精霊達の集まる場所って訳」
『遊ぼ遊ぼ』
『こっちこっち』
嬉しそうに笑ってそう言うシルフに髪を引っ張られて、三人とシルフ達に光の精霊まで加わって追いかけっこを楽しんだ。
「はあ、疲れた」
噴水の縁に座って、水の精霊が掌に出してくれた水を飲む。
レイは大きなあくびが出て、二人に笑われた。
「さてと、そろそろ戻るか」
「そうだね。そろそろ見回りの兵士が戻って来るよ」
頷いてレイも立ち上がった。
『お疲れ』
『お疲れ』
『おやすみ』
『おやすみ』
交代で三人の頬にキスをしたシルフ達は噴水の方へ戻って行った。
笑って手を振り、振り返って茂みに戻ろうとした時、レイは思わず悲鳴を上げそうになった。
慌ててロベリオの陰に隠れる。
「え? どうした?」
不思議そうに覗き込むロベリオの服を掴んだまま、レイは茂みを指差した。
「目があった! 茂みの中に目があったの!」
態とらしく驚いた二人が茂みを覗く。
「別に何も無いぞ」
「気のせいだろ?」
素知らぬ顔で戻る二人に、レイは泣きそうな顔でついて行った。
「見張りだ。ここに隠れて」
途中、見張りの兵士が歩いているのを見つけたロベリオが、茂みの裏に隠れる、当然二人もその後ろに隠れた。
ところが、レイの髪を誰かが引っ張る。
シルフだと思って振り返ったが、誰もいない。
「あれ? 気のせいかな?」
見張りの兵士をやり過ごして、三人は部屋に向かう。
ところが、またしても誰かがレイの髪を引っ張る。
振り返った時、茂みの中からまたあの目がこっちを見ているのと目が合った。
声も出せずに、前を歩くユージンに縋り付いた。
「うわわっ」
いきなり背後から抱きつかれてユージンが前に倒れる。当然すぐ前を歩いていたロベリオに抱きつく形になり、結果として三人揃って石畳に転がってしまった。
「何するんだよ」
振り返ったロベリオがユージンに文句を言い、ユージンが自分に抱きつくレイを無言で指差した。
「何してるんだよ?」
「また、目がいた」
口をぱくぱくさせながら、必死でそう言うレイを二人は呆れた顔で見た。
「さっきからなんだよ一体。もしかして暗いの怖かったりするのか?」
「そうか、怖かったんだね。ごめんごめん。じゃあ手を握っててあげるよ」
全然本気にしてくれない彼らに、レイは本気で泣きそうになった。
「何でもいいから帰ろう、早く!」
結局ユージンに手を握ってもらい、無事に部屋まで帰ることが出来た。
しかし、窓の前には満面の笑みのガンディとタキスが待っていた。
「ああ、見つかった」
「残念。見つかっちゃったよ」
二人は笑っていたが、レイはもう恐怖のあまり声も無かった。
「どうしました? レイ」
さすがに様子がおかしい事に気付いたタキスがレイのそばに駆け寄る。
レイは無言でタキスに抱きついたまま泣き出してしまった。
「おいおい、お前ら。一体レイに何をしたんだ?」
ガンディの声に、呆気に取られた二人は必死に首を振るばかりだった。
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