目覚め
遠くで誰かが話す声が聞こえる。
レイは、ぼんやりと聞こえるその声が、タキスのものだと気付くのにかなりの時間を要した。それならもう一人は、ニコスかギードの筈なのに違うみたいだ。
不思議に思って確認しようとしたが、身体が全く言う事を聞いてくれない。氷みたいに冷たくて、手も足も重い。第一に目が開かない。
「う……ん……」
なんとか出た声は、呆れるほどに小さくて頼りなかった。
自分を呼ぶタキスの声が聞こえたが、声はそのまま遠くなって目の前は真っ暗になった。
水から顔を出すように不意に意識が鮮明になった。思わず目を開いたが、あまりの眩しさに目を閉じて唸った。
側でタキスの声が聞こえたが、それどころではなかった。咄嗟に光を遮ろうと腕を動かそうとしたら、ものすごい痺れと痛みで身体が硬直した。
なんだこれは。
身体中が痺れて痛い。特に手足の痺れは言葉に出来ない程だった。
「痛い……痛いよ……タキ、ス……」
やっとそう言うことができた。
しかし、右手を取られて激痛に悲鳴を上げた。酷い痺れと痛みが肘から肩まで走る。
その時、足の先が急に暖かくなった。次に両手。
特に痺れが酷かった膝から下と肘から下、それぞれ両方に、何か温かくて柔らかい物が押し当てられて、次第に痺れが和らいで来た。
恐る恐る薄っすら目を開けると、自分を覗き込むタキスと目が合った。
「レイ、痛みはどうですか? 少しは楽になりましたか?」
優しく額を撫でられて、軽い痺れに身体が震えた。もう最初ほどの激痛は無いが、まだ痺れと痛みはある。そしてどう言う訳か、身体が全く動かなかった。
もう大丈夫だと言おうとしたが、また意識がぼんやりして何も分からなくなった。
のど飴を手に取って、これが持ってきた籠の中に、布と一緒に入っていた事をガンディに話した。冷静に見えたニコスがいかに慌てていたかを話していた時、レイが微かに声を上げた。
慌てて必死で名前を呼んだが、すぐにまた反応しなくなってしまった。
「そろそろ目覚めそうじゃな。念の為、温湿布の準備をしておこう」
それを見たガンディが、衛生兵に指示を出した。
「温湿布?」
通常は、湿布薬で患部を温める効果のあるものを指す言葉だが、どうやら違うらしい。
ガンディは、不思議そうにするタキスに教えてくれた。
「竜熱症の発作の後、目が覚めた時に殆どの者が全身の痺れと痛みを訴える。それで、カナエ草を他の薬草と共に濃く煮出して熱くした薬湯で、湿布するように膝や肘から先を布で包んで暖めてやるんじゃよ。ただしこれは、意識が戻って痺れを感じてからしか効果が無い。不思議なんじゃがそう言うもんなんじゃ」
「自覚する事で、処置にも効果が出ると?」
「まあ、そんなもんじゃ」
「確かに不思議ですね。でも、そう言うものならそれで対処するしかありませんね」
飲み終わったお茶や蜂蜜も片付けられて、机の上にあるのはのど飴の瓶だけになった。
そこに、温湿布のための道具が運ばれてくる。
薬湯の入った鍋は、コンロにかけられて暖められている。
タキスは、無言でレイが目覚めるのを待った。
日差しが床を照らし始めた頃、不意にレイが目を開いた。眩しかったらしく、唸って体を動かそうとした。
「駄目ですレイ、動いてはいけません!」
聞いたように痺れと痛みがあるらしく、硬直していたレイが、絞り出すような小さな声で言った。
「痛い……痛いよ……タキ、ス……」
机では、既にガンディの部下である三人の竜人が布を薬湯に浸して準備してくれていた。
「これを使ってください」
手渡された濡れた布で、右手を温めようとしたが、動いた拍子に身体の下に右の掌が入り込んでいて処置が出来ない。
「無理にでも引っ張り出してやれ。このままの方が痛みは続くぞ」
左手を処置していたガンディに言われて、覚悟を決めて腕を引っ張り出した。
レイの悲鳴に目を閉じて謝った。
急いで、言われた通りに布で包んで暖めてやる。
しばらくすると、明らかに硬直していた身体から力が抜けるのが分かった。
名前を呼んで、薄っすら目を開けたレイと目が合った。できるだけ優しく額を撫でてやる。
なにか言いかけたようだが、また眠ってしまった。
しかし、その顔にもう痛む様子は無かった。
レイがようやく完全に意識を取り戻したのは、その日の夕方近くになってからだった。
目を開いて天井を見つめ、明らかに慌てている。
「レイ、ようやくのお目覚めですね。このお寝坊さん」
額にキスして笑った。
明らかに自分を見たレイの翠の瞳と目が合った時、タキスは溢れる涙を堪える事が出来無かった。
「タキス? どうしたの?」
泣き出したタキスを見て、レイは更に慌てた。
それにしても一体、ここは何処だろう?
もう一度改めて天井を見上げた。どう見ても石のお家の天井では無い。
いっそ何処かの貴族の屋敷だと言われた方が、納得しそうな程の豪華な天井だった。
何本もの太く切った木が綺麗に渡され、その全てに見事な木彫りの装飾が散りばめられている。妖魔が天井の四隅に陣取っているのは何か意味があるのだろうか。あ、あそこに竜もいるな。
もう、どうしたらいいのか分からなくて、無意識に天井の装飾を見て現実逃避していた。
「ようやくのお目覚めじゃな」
タキスの後ろから現れた竜人は、背が高く、真っ白な長い髪をしていた。
鋭い真っ黒の瞳が、こっちをじっと見ている。
「レイ、この方は私の大先輩で、私のお師匠様ですよ」
「よろしくな」
笑って差し出された右手を握る。今度は普通に腕が動いた。もう痺れも痛みもなかった。
「あの、レイです。よろしくお願いします」
何が何だかさっぱり分からないが、タキスのお師匠様なら、レイにとっても師匠のようなものだ。
「タキス……ここ、何処?」
不安になって尋ねると、驚くような答えが返ってきた。
「ここは、王都オルダムの白の塔に併設された医療棟です。何処まで覚えていますか?」
優しく右手を取られて、ようやく泣き止んだタキスが尋ねた。
思わず考えた、自分は何をしていただろう?
「えっと……晩御飯を食べて……怠くて苦しくて、そう、確か吐いたんだ」
頷いたタキスが、何度も右手を撫でてくれた。
「それから、それから……覚えて無いや」
ガンディとタキスは、顔を見合わせて頷くと、まずは医学的な知識の無いレイにも分かるように、彼の身体に何が起こったのかを教えてくれた。
「竜が出す竜射線が人間の身体に有害で、それが元で発症するのが竜熱症。咳や胸の痛み……うん、ごめんなさい。どれも思い当たります」
その治療の為に、ブルーがここまで連れてきてくれたと聞き、レイは思わずベッドから起き上がった。しかし、酷いめまいがしてベッドに倒れこむ。
「ブルーは? ブルーは何処に行ったの?」
置いていかれてしまったのだろうか。
不安になって涙が出かけたが、突然目の前に現れたシルフが、ブルーの声で話し出した。
『レイ良かった目が覚めたのだな』
「ブルー!」
シルフに向かって思わず叫ぶと、シルフはブルーの声で低く笑って喉を鳴らした。
『我はレイのいる建物の外にいるぞ』
それを見たガンディが、立ち上がって部屋の窓を開けてくれた。
「蒼竜よ、ここからなら覗けましょう」
その直後、窓いっぱいにブルーの顔が現れた。
「成る程、ここからなら部屋の中が見えるな。」
嬉しそうに目を細めたブルーが、静かに喉を鳴らした。
実は、ギリギリまで首を伸ばしているのだが、中からは分からない。
「連れてきてくれたんだってね。ありがとう。おかげで助かったみたい」
自分が死にかけた実感はないが、目を開けた自分を見てあれだけタキスが泣いたのなら、相当心配をかけたんだろう事は容易に想像出来た。
「本当に良かった。しかしまだしばらくは安静にしておれ。良いな」
そう言うと、ブルーの顔は窓から見えなくなった。
姿が見えなくなっただけで、不安が湧き上がった。
泣きそうな顔でタキスを見たら、タキスは分かってると言わんばかりに頷いてガンディを見上げた。
「師匠、どうか蒼竜様が見える部屋に変えていただけませんか。部屋は狭くても構いません」
ガンディも今のレイの顔を見て納得したらしく、すぐに中庭に面した部屋を用意させると請け負ってくれた。
「王都オルダムって、竜騎士様のいるところだね」
待っている間の無邪気なレイの言葉に、ガンディは目を丸くし、タキスはこの後に起こるであろう騒動を考えて無言になった。
「レイよ。今日のところは、部屋を変えたら夕食を用意させるから、それを食べたらもう休みなされ。詳しい話は、また明日に致そう」
優しく言われて頷いた。確かにちょっとお腹が空いている。
「ガンディ様、翡翠の部屋の用意が出来ました」
背後から声が聞こえた。
「よし分かった。それでは部屋を変えよう」
そう言うと、ガンディは軽々とレイを両手で抱きかかえた。驚いてガンディの首に縋り付く。
「それでは行こうかの」
自分は結構重いと思うのだが、ガンディは軽々とレイを抱いたまま廊下に出た。
天井が高く広い廊下だった。いくつもの明かりが壁に備え付けられたランプに灯されて、廊下はとても明るかった。
何人かの白衣を着た人がこっちを見ている。兵隊の姿も見えた。
しばらく廊下を歩き、別の部屋に入る。
明かりの幾つも灯されたその部屋は、大きな窓からブルーの姿が見えた。
「ブルー!」
思わず大きな声が出た。ちゃんと声が出ることに安心した。
それを見て笑ったガンディが、そっとベッドに降ろしてくれた。
「おお、ここならば見えるぞ」
窓から覗き込んだブルーは嬉しそうに目を細めた。ベッドに寝かされたレイを見つめる。
笑って手を振るレイの姿に、ブルーは心の底からの安堵と、あの竜騎士達への感謝の気持ちを感じていた。
頑なだった過去の自分を叱りたい。
これほど愛しい主を、自分の勝手な思い込みで危うく失うところだったのだ。
そして、これから彼の周りで起こるであろう様々な騒動を考えて、ブルーは決心した。
森の大爺には申し訳ないが、蒼の森に引きこもる時は終わった。
これからは主の居る場所が自分の場所だ。
その時、不意に大爺の言葉が思い出された。
『其方は、誠に良くやってくれておる。動けぬ我の代わりに様々な事をな……なれど、
「大爺……お主には分かっておったのか。いずれこうなる事が」
森の事は心配いらない。お前は主の事だけを考えろと言ってくれたのだ。
「ありがとう大爺。森の事は任せた。我は主と共に生きる事にしよう」
そう呟くと、大きな窓から鼻先を差し込み、手を伸ばしたレイが鼻先を撫でてくれるのを楽しんだ。
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