蒼の森で待つ二人

 翌朝、シルフ達に起こされるよりも先に目を覚ましたニコスは、いつものように身支度をして台所に立った時、誰もいない部屋を見渡して、言い表せないほどの寂しさを感じていた。

 その理由に思い当たった時、思わず苦笑いがこぼれた。

「まさか、この歳になって初めてとはな……」

 いつもより一回り小さな鍋に水を入れて、足元の籠から野菜を取り出す。

 手早く朝食の準備をしていたら、ノックの音がしてギードが入って来た。

「お? おはようさん。随分と早いのだな、昨夜は寝られんかったか?」

 台所に立つニコスを見て、ギードは目を丸くした。

「おはよう。そう言うギードも、いつもよりかなり早いのでは?」

「……眠れんかったのはお互い様のようじゃな」

 顔を見合わせて苦笑いすると、ギードは戸棚から皿を出した。

 いつものように四枚の皿を。

「今日は二枚でよかろう?」

 ハムを切りながら不思議に思って顔を見ると、ギードは皿を並べながら少し寂しそうに笑った。

「そうか、お主のところはこう言った習慣は無いか……」

「何の習慣だ?」

 いつもより少ないサラダを水切りしていたが、ギードの言葉に手を止めた。

陰膳かげぜんと言うてな、旅に出ておる家族の為に食事を揃えて一緒に食べるんじゃよ。旅先で、無事であれ、飢える事の無いようにと願いを込めてな」

 振り返った机の上には、いつもの場所に四人分のお皿とスープ皿、カトラリーも綺麗に揃えて置かれている。

「良い習慣だな。見習わせてもらおう」

 そう言って笑うと、いつもより少し少なめに四つの皿に料理を取り分けた。



 食前の祈りは、二人ともいつもより随分と長かった。



「これも、残さず食べるんだぞ」

 ギードの声に頷いて、分けて盛り付けたお皿の料理をそれぞれ食べた。

 食後のお茶も四人分用意して、黙ってそのお茶を飲む。

 あの元気な声が無いだけで、こんなに家の中は静かだっただろうか。

 空になったカップを見ながら、ぼんやりと思っていると、ギードが寂しそうに呟いた。

「駄目だな、どうにも元気が出んわい」

 お茶のカップを置いたギードは、ため息を吐いて顔を覆った。

「あの子が来るまでは、こんなものだったと思うんだけどな……確かに、どうにも元気が出ないな」

 同意するようにニコスも頷いた。



 二人は黙って、机の上の花瓶に座ったウィンディーネの姫を見つめる。

 姫は二人の視線に気づき、笑って手を振った。



 その花瓶には花が挿してあるが、その花は、どれも色鮮やかな飴で作られていた。

 ブレンウッドの街の飴の屋台で、レイが買ってきた花の飴だ。

 しかしこの花の飴は、街での騒ぎに巻き込まれて蹴られた時に割れてしまい、帰って来てからそれに気付いたレイは、砕けたその飴を見てとてもショックを受けていた。

 その余りの落ち込みっぷりに、見兼ねたニコスが破片をまた飴で繋ぎ直して、元の花を見事に再現したのだ。

 それを見たレイがどれだけ大喜びしたかは、しばらく大人達の間で飲む度に話の種になっていた。

 早く食べれば良いのにと、からかう大人達にも負けず、毎日、レイはこの花の飴を見て嬉しそうにしていた。

 飴を守ってくれているウィンディーネに聞くと、まだしばらくはこのままで大丈夫との事なので、机の上に飾られたままになっている。




「さてと、いつまでもこうしてはおれぬ。まずは家畜達の世話をしよう。シルフに頼んでおけば、連絡が来ても直ぐに分かるじゃろ」

 気を取り直して、立ち上がったギードが伸びをしながら言った。

「そうですね、まずはいつもの仕事を片付けましょう」

 食器を集めてトレーに乗せた時、四人分のカップを見てニコスは小さく笑った。

「どうした?」

 ギードが机を拭きながら振り返る。

「いや、ちょっと思い出してしまって」

 カップを撫でて苦笑いしながらニコスは今朝の話をする。

「朝起きてきた時、家の中に誰もいなかっただろう?」

 普段は、一番にニコスが起きるのは変わらないが、タキスの部屋に声をかけてから洗面所へ行くし、彼が台所へ来る頃には、大抵ギードも起きてこっちの家へ来ている。

「隣の家にギードがいるとはいえ、朝起きた時に家の中に誰もいないって……考えてみたら、生まれて初めてだったんだよ」

 それを聞いたギードは、ぽかんと口を開けてニコスの顔を見る。

「だって、私はずっと、坊っちゃまのお屋敷に家族ごと住み込みで暮らしていった。少なくとも物心ついた時にはそうでしたよ。そのままずっとそこにいて……例の事件で大怪我をして、貴方達にここに運んで来てもらって以来、ずっとここにいますからね」

 納得したギードが、なんともいえない顔でニコスを見つめた。

「この歳になって、人生初体験が出来るなんてな。あの子と出逢ってから、本当に毎日楽しいよ」

 トレーを手に立ち上がってギードを見つめる。

「人生はいつ、何が起こるか分かりません。頑張って生きましょう。そしてこれもまた、いつか笑い話にしましょう」

「そうだな。何であれまずは生きておればこそじゃ。我らは皆、それだけは思い知っておるからな」

 頷いたギードは、ニコスがここに来た時の事を思い出していた。




 六年前のあの日、朝から妙に精霊達がざわついていた。どうやら、余所者が団体でこの森に入って来たらい。しかも相当高位の精霊使いがいると聞き、タキスとギードは、警戒しつつもいつものように、今よりも少なかった家畜の世話をしていた。



 彼女らの警戒が頂点に達したのは昼前だった。



『サーベルタイガーのテリトリーに入った』

『奴らは塩の岩の方へ向かってる』

 念の為監視させていたシルフ達から、次々に報告が届く。

「塩が目当てか。しかし冒険者だとしたら、相当迂闊な奴らじゃな。この時期のサーベルタイガーは、子育て中で一番気が立っておると言うのに」

「どうします? 放っておきますか?」

 勝手に森へ入って来た者達まで、出て行ってかばうつもりは彼等には無い。

「放っておけ。冒険者なら、自分の身ぐらいは自分で守れようが」

 冷たい様だが、基本時に冒険者とはそう言うものだ。自分で自分の身を守れない様では、そもそも冒険者では無い。

 自身も元冒険者のギードが、そう言って仕事を再開した。タキスももうそれ以上何も言わなかった。




 昼食を終えて、畑仕事をしていた時だった。

 不意にシルフが現れてタキスの袖を引っ張る。

「おや、どうしました?」

 手を止めたタキスが、振り返ってシルフを見た。ギードも手を止めてこっちを見ている。


『奴ら逃げてったよ』


「ああ、例の冒険者達ですね。サーベルタイガーから逃げられたのなら上等です」

 しかし、そのシルフは首を振った。


『たった一人で戦った精霊使いを捨てて逃げて行った』

『大怪我してる』

『彼は竜人だよ』

『お願い彼を助けて』


 呆気にとられた二人は、ため息を吐いて顔を見合わせた。

「どうやら事情がありそうじゃな。仕方ない、行ってやるか」

 そう言って、納屋へ鞍を取りに戻った。ギードはベラに鞍を付けながらもう一度ため息を吐いた。

「奴隷か、訳ありで雇われておったか。何であれ、怪我した仲間を捨てて逃げるなど、逃げた奴らは冒険者と名乗るのも許さぬぞ」

 冒険者にとって仲間がどれ程大切で有難い存在か、彼は身を以って知っている。だからこそ、仲間に捨てられたと言うその竜人を放っておけなかったのだ。




 シルフに案内された場所は、サーベルターガーのテリトリーである塩の岩場では無く、蒼竜様のいる泉に近い森の中だった。どうやら、蒼竜様も見捨ててはおけなかったらしい。

 血まみれで倒れていた彼をギードは応急処置だけをして家へ運び、タキスの手に委ねた。

 生死の境を彷徨った彼が目を覚ましたのはそれから四日後の事だった。

 しかし、彼は心が壊れてしまったかの様に全く呼びかけに反応せず、呆然と天井を見つめるだけだった。

 そのまま半月近くが過ぎたある日、この家に来客があった。

 この森へ簡単に入って来られる訳も無いのに、その客は、迷わず真っ直ぐにここに来たとシルフ達が教えてくれた。

 それなら只者では無い。恐らく、怪我をした彼の関係者だろう。

 ギードが会ったその人物は、一人の年老いた竜人だった。



 そして、怪我をした彼の父親だと名乗ったその人の口から語られたのは、滑稽とも取れる、ある愚かな人間の話だった。



 怪我をした竜人の名はニコス。彼が仕えていた人間は貴族で、話を聞く限り、はっきり言って世間知らずの愚か者だった。

 父を亡くして家を継いだ後、結婚もせずに一端の冒険者を気取り、世界中を回って遊んでいたらしい。

 しかしその自称冒険も、辺境の森や砂漠に出て行っては、発見と称して現地の住民から宝物や財産を略奪同然に奪い取って来ると言うもので、それを聞いたギードは、本気で怒り始めた程だった。

 しかも、その彼を庇って大怪我をしたニコスを放置して、その主人は自分の些細な怪我を理由に、その場から逃げ出した。

 しかし、街へ戻ったものの、破傷風にかかって呆気なくこの世を去ったらしい。

 家長も後継もいなくなったその家は断絶され、財産は国に没収されたそうだ。僅かな金を貰ったその男は、竜人の郷へ帰るのだと寂しそうに笑った。

「彼に伝えてください。お前はもう自由なんだと。あれ程に恋い焦がれた自由の身なのだと。お助け頂いた貴方達に、これは礼にもなりませんがどうぞ受け取ってください」

 そう言って、金貨の入った袋を荷物から取り出して机に置いた。

 そして、もう一つ、別の袋を取り出した。

「これは彼に渡してください。そして彼に伝えてください。お前は生きろ。と」

 そう言って見せられたミスリルの塊に、ギードは目を剥いた。これだけあれば、街で一生遊んで暮らしてもお釣りが来るだろう。

 金貨の受け取りを断ったが、その男は金貨の袋を机に置いたままその場を去ってしまった。彼の息子の顔さえも見ないままに。



 その後、目を覚ましたニコスは、そのミスリルを見て泣きながら笑った。

 これは、彼の一族に伝わる家宝で、これを持つ者が、彼らの連れている精霊達の一切を引き継ぐのだと言った。

「父上は郷に帰られたのか……これを置いて」

 呆然と呟くニコスの傍には、見た事の無い大勢の精霊達が並んでいた。

 その日以来、心を取り戻したニコスは、トラウマと戦いつつもこの森で彼らと共に生きる事を選択した。




「おや、まだ行ってなかったのか……なんだよ、人の顔をじっと見て」

 洗い物を終えて拭いた皿を手にしたニコスが、自分を見つめるギードに気付き不思議そうにそう言った。

「思い出しておったのだよ。お前さんがここに来た時の事をな」

 顔をしかめたニコスは、悪趣味なことはやめろと、笑いながら肘でギードの背中を突いた。

「生きていれば、何であれいつかは笑い話になるよ。レイにも教えてやらないとな」

 机の上の花の飴を見ながら呟くその言葉に、ギードも頷いた。

「しかし、果たして帰してもらえるかのう? 古竜の主を竜騎士達が手放すじゃろうか?」



 二人にも分かっていた。

 最悪の場合、助かったとしてもレイは二度とこの森に帰って来られないだろう。

 考えたく無くて今まで放置していたが、彼の存在が明るみに出た以上、もう避けては通れない問題だった。

「我々も、王都へ行かなければならない可能性もありますね。念の為、いざとなったらブラウニー達に家を守る様に頼んでおきます」

 お皿を片付けながら、当たり前のようにそう言うニコスの手は震えていた。

 ギードも、自分の足が震えているのを止められなかった。

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