森の楽しみと苦草の事

「師匠、それは……」

 思いがけないガンディの言葉に、タキスは咄嗟に声が出なかった。

「答えはすぐでなくて良い。だが、儂はそのつもりじゃ」

 タキスは傍のベッドで眠るレイの顔を見つめ、無言で首を振った。

 頭の中は、今日一日で起こった色々な事でもうぐちゃぐちゃだった。しかし、これだけは言っておかなければならない。そう決心して、顔を上げた。

「相変わらず、せっかちなお方ですね」

「性分でな、そうそう簡単には人の性格は変わらぬよ」

 苦笑いした師匠を見て、タキスは笑った。

「そこまで私如きを高く評価して頂き、お礼を言うべきなのでしょうが……はっきり申し上げます。せっかくのお申し出ですが、お断りさせていただきます。私には到底背負えるとは思えない」

「白の塔の後継者は、其方にとって重荷か?」

「師匠は私を買い被っておられます。私はもっと、自分勝手で利己的な人物ですよ」

 その言葉を聞いたガンディの片眉が、まるで生き物のように上がる。

「買い被っておるか?」

「はい、まず第一に、私の知識は五十年前の骨董品です。まあ、時間をいただければ新しい知識の修得は可能でしょうが……それよりも、私は蒼の森で暮らしてみて、田舎暮らしの楽しさに目覚めてしまいました。今更、街で暮らせと言われたら息が詰まってしまいます」

 ガンディは、てっきり自己評価の低い彼が、畏れ多いと辞退するものだとばかり思っていたのだ。それならば、徹底的に話し合って納得させる自信があった。

 それなのに、彼は田舎暮らしの楽しさに目覚めてしまったのだと言う、それは一体何の話だ?

 不自由な、森での生活はさぞ大変だろうと心配していたのに、楽しいのだと?

「白の塔の長の地位よりも、蒼の森での生活の方が楽しいか?」

 思わず、拗ねたような言い方になる。

 それを聞いたタキスは、堪える間も無く吹き出した。

「師匠、拗ねないでください。お預けを食らったラプトルみたいですよ」

「知らん。ラプトルの世話などした事が無いわい」

 また拗ねたように言うガンディを、呆れたように見つめた。

「私も、森での生活と言っても長い間そうでした。街の感覚のまま。良き水と、森で採れるわずかな果実や木の実、キノコ。どうにか魚を釣ったところで、捌き方さえ知りませんでした。そこに、物知りの元冒険者のドワーフが転がり込んで来て、更に、生活力満点の何でも出来る竜人まで転がり込んで来て、私は自分がいかに世間知らずの物知らずだったか思い知らされました。今では、それぞれに役割があって、各自が出来る事をして一緒に仲良く生活しています。レイが、新しく出来た働き者の四人目の家族です」

 そっと、眠るレイの手に自分の手を重ねる。

「今では、狩猟はドワーフが担当して、狩った獲物を捌くのは全員で手分けしてやります。もちろん私もやりますよ。鹿や猪であっても簡単に捌けるようになりました。家の横に開墾した広い畑で、自分達の食べる物は殆ど作ってます。牛と山羊と鶏を飼い、ラプトルとトリケラトプスまでいます。薫製肉を作ったり、チーズやバターも。保存食を作り、毛糸を紡ぎ、薬草を育てて薬を作り、毎日家畜や騎竜達の世話を休みなくする。日々の心配事は、明日の天気と、家族の健康……それで全部です。毎日くたくたになります。それでも、街にいた時よりもはるかに、自分が生きているんだと、地に足をつけて立っているんだと思えるんですよ」

 にっこり笑ったタキスの顔を、ガンディは言葉も無く見つめていた。



「それ程に、森での生活は楽しいか」

「もちろん大変な事も沢山あります。危険もね。でもそれを含めての、楽しい……なんです」

「……理解出来ん」

 首を振るガンディに、タキスは反論しなかった。

「ならば、あの子はどうなる? 意識を取り戻したところで、まさか、このまま森へ帰れると思っておるなら、とんでも無いぞ。古竜の主を、野に放ってなどおけるものか」

 今、一番聞きたく無い言葉にタキスは目を閉じた。



 分かっている。

 古竜の主を、竜騎士達が放っておいてくれる訳が無い。



「その話は、彼の意識が戻って落ち着くまで待ってください。分かっております、竜の主の存在意義は……ましてや、ましてや彼は古竜の主です」

 頷いたガンディは、立ち上がってタキスの肩を叩いた。

「焦りすぎたな、すまなかった。今日のところは、部屋を用意させておるゆえ、もう休め」

 しかし、タキスは首を振った。

「それならここに、仮眠用のベッドかソファを願いします。この子の側に居させてください」

 何か言いかけたが、ガンディもタキスの気持ちは痛い程に分かった。

 振り返って部屋を出て行くと、しばらくして助手達と共に戻って来て、簡易ベッドを設置してくれた。



「ありがとうございます。少し疲れました……」

 設置されたベッドに座ると、そのまま横にパタリと倒れた。

「長い一日でした……でも、最悪の事態は避けられました。もうそれで全部良い事にします。シルフ、レイが目を覚ましたら起こしてくださいね」

 現れたシルフに頼むのを見て、ガンディは笑った。

「いいから少し休め。心配せずとも目を覚ましたらちゃんと教えてやる」

 夜の間も医療兵達が何人も出入りしていたが、レイもタキスも、朝まで二人ともぐっすり眠ったのだった。



 蒼竜は、勧められた竜舎へは行かず、白の塔の中庭で丸くなったまま、水も飲まずに一晩過ごしたのだった。






 窓から差し込む朝日の眩しさに、タキスは目を覚ました。しかし、一瞬ここがどこか分からず目を開けたまま動く事が出来なかった。

「お、おはようさん。お前さんの方が先に目覚めたな」

 ベッドの横にいたガンディと医療兵が薬の入った乳鉢を手に、振り返った。

「お、おはようございます。まだレイの目は覚めませんか?」

 髪を手櫛で解きながら立ち上がった。

「そっちに洗面所があるから、顔を洗ってこい」

 綺麗な布を渡されて、礼を言って受け取った。ベッドで眠るレイの顔を覗き込む。

 朝日に照らされたその顔は、すっかり元の元気な顔色に戻っていた。

「呼吸も安定しておるし、熱も平熱に戻った。じきに目を覚ますだろう」

 もう一度礼を言ってから、洗面所へ向かった。

 昨夜と同じ机で、用意された朝食を食べた。

 しかし昨夜も思ったが、ニコスのいつも作ってくれる料理よりも全体にやや味が濃かった。



 食後に出されたお茶は、見た事の無い茶葉だった。

 ガンディは、わざわざお湯の入ったポットを持って来て、タキスの目の前で茶葉を入れて見せる。これは、何か聞くべきなのだろうと判断して質問した。

「見た事の無い茶葉ですね。それは何の葉ですか?」

 すると、彼は楽しそうに笑って答えてくれた。

「竜騎士達が、いつも飲んでおる特製のお茶だよ。せっかくだから、お前にも飲んでもらおうと思ってな」

 少し酸味のある爽やかな香りがする。やや薄めのそのお茶はとても美味しそうに見えた。

「ま、まずは飲んでみてくれ。意見を聞くのは後じゃ」

 楽しそうにこっちを見ているのは何故だろう? 悪戯好きの師匠の性格を思い出して、嫌な予感がした。しかし、師匠手ずから入れてくれたお茶を飲まない理由は無い。

「それではいただきます」

 香りを楽しんでから、一口、お茶を口に入れる。

「ゴホッ!」

 あまりの刺激に本気でむせて、お茶が口からこぼれた。慌てて先ほどの布で拭いたが口元は濡れてしまった。

「師匠……悪戯が過ぎますよ」

 顔を上げて師匠を睨んだが、彼は笑っていなかった。真面目な顔で自分を見つめている。

「一体何を飲ませたのですか? まだ口が苦いですよ」

 成る程、わざわざ水差しが置いてあったのはこう言う訳か。

 水差しからコップに水を汲んで一口飲み、もう一口飲む。苦味は薄れたが、まだ舌が痺れているほどの苦さだった。

「口に合わぬか」

「当たり前です。本当に何を飲ませたのですか? これだけ苦味があるという事は……?」

 見上げた師匠は、やはり笑っていない。

 苦味と言って、思いつくのは一つしかない。



「まさか、これは……竜熱症の原因である竜射線を相殺する効能があると言う、苦草、ですか?」



 頷くガンディは、手に見覚えのある瓶を持っていた。

「そうじゃ、カナエ草で作ったお茶だ。同じく、カナエ草から作られた丸薬と共に、竜騎士達だけで無く、竜に携わる仕事をしている者は皆、日常的にこれを飲み、薬を服用しておる。この苦味成分そのものがまさしく薬効成分じゃから、取り除く訳にはいかぬ。皆、我慢して飲んでおる」

 もう一度、改めて入れられたお茶を口に含む。

 舌が痺れるほどの苦味と辛味。間違っても美味しいとは言えない味だ。

 それでも、これを飲む事で竜の側にいても病が発症しないと分かっているのなら、薬だと思えば飲めない事はないだろう。

「そこでお前に質問じゃ」

 ガンディは手にした瓶をタキスに見せた。それは、慌てたニコスが、布と一緒に籠に入れたのど飴の瓶だった。

 ぼんやりとそれを見て、不意に思い出した。



 こののど飴を作るとき、自分は何を材料に使っていた?



「それは、私の作ったのど飴です。それには……それには……」

「やはりそうか。開けて見て香りで気が付いた。しかし、何故わざわざ持って来た? 苦草の効能を知っておったのか?」

 呆気に取られていたが、不意に笑いがこみ上げて来た。

「エイベル、貴方って子は……どこまで私達を助けてくれるんですか」

 師匠の手からのど飴の瓶を受け取り、ゆっくりとコルクの蓋を取った。

「お一ついかがですか? エイベルが、薄荷が苦手でのど飴を舐めてくれなかったんですよ。それで、なんとかあの子でも食べられるのど飴は無いかと色々試行錯誤して、見つけたのが苦草だったんです。蜂蜜を入れる事で苦味が抑えられる事が分かって、以来、私はのど飴を苦草で作っています。レイもこれは食べてくれたので、こまめに作って舐めさせていました。それこそ、咳が出ない時でもおやつ代わりに舐めてましたね」

 一つ口に入れたガンディは、しばらく味わうように口の中で飴を転がしていたが、満足げに頷いてタキスを見た。

「この作り方、教えてはもらえぬか?」

「ええ、勿論、簡単ですよ」

 ガンディが差し出した紙とペンを手に取ると、説明しながらレシピを書いていった。

「和毛の生えた苦草の新芽を使う事と、下茹でをしっかりして薬効成分の入った汁を丁寧に揉み出す事。コツはそれくらいです。砂糖と蜂蜜の配合率はこの位ですが、蜂蜜の硬さや採れる時期によって、少し変える事もありますね」

 紙とペンを返すと、ガンディは心底嬉しそうに笑った。

「これは良いレシピを手に入れたな。これなら、皆喜んで舐めてくれるな。シルフに調べさせたが、薬効成分は変わっておらぬ。成る程、蜂蜜か……それなら、お茶に入れても良いかも知れぬな。おい、すまぬが蜂蜜を食料庫からもらって来てくれ」

 衛生兵の一人が、敬礼して取りに行ってくれた。



「どうぞ、三種類ありましたなので、念の為、全部持って来ました」

 蜂蜜の瓶を抱えて戻って来た衛生兵に礼を言い、新しく入れてもらった苦草のお茶と、冷めたお茶の両方で飲み比べてみる事にした。

 部屋にいる医療兵達も、皆興味津々だ。

「あ、さっきと全然違いますね。苦味はありますが、これなら普通に飲めますよ」

「おお、冷たいのもいけるぞ。これは熱いうちに蜂蜜を溶かして冷ますのが良さそうじゃ。ほれ、飲んでみてくれ」

 部屋にいた者達にも順に飲ませていく。

「これは……」

「これなら平気で飲めます!」

「すごい! 苦いけど、これなら大した事無いです!」

 皆口々に絶賛する。

「蜂蜜か。まさか、こんな簡単な事で、苦味が消せたとはな」

 瓶を手に、感心したように唸るガンディに、タキスが質問する。

「ここでは、蜂蜜は普段から使わないのですね」

 ガンディだけでなく、皆が頷く。

「蜂蜜は高価ですからね。料理人が肉料理の時にたまに使う程度で、我々がお茶に入れるような事はしません。甘みは基本砂糖でとります」

 先程、蜂蜜を持って来た衛生兵が、蜂蜜の瓶を手に教えてくれた。

「そうか、養蜂はニコスから教わった位ですから、この辺りではやらないんですね」

「養蜂?」

「ええ、蜂を飼って蜂蜜を収穫するんです。森に、蜂の為の引き出し状の木の巣箱を用意して、雨が当たらないように簡易の小屋を作って置いておくんです。女王蜂がそこに住み着いてどんどん引き出しに巣を作ってくれるんです。定期的にその引き出しを取って、蜂蜜を収穫します。蜂蜜は全部は取らずに半分残して置いて、蜂達を冬越しさせるんです。そうすれば、次の年にはまた、新しい女王蜂が巣立って新しい巣を作ってくれます。増えたらまた箱を幾つも並べて、順番に時期をずらしてに収穫するんですよ」

「聞いた事はあるが、やり方までは知らなんだ。成る程、これは絶対に我らもやるべきじゃな。すまぬが、その養蜂のやり方、詳しく教えてくれ」

 真顔で新しい紙とペンを手にしたガンディに詰め寄られて、タキスは思わず両手を上げて後ろに下がった。

「後程、ニコスに連絡を取りましょう。彼から直接聞いてください。私もそれ程詳しく知ってる訳ではありませんから」

「分かった、よろしく頼む。いざとなったら、養蜂をしておる者を王宮へ招いて教えを請うても良いな。後ほど、陛下に陳情しておこう」

 頭の中で、段取りを考えているガンディを見てタキスは笑った。

「こんな事で礼にもなりませんが、少しは役立つ情報を教えられましたね」

 振り返ったガンディは、笑ってタキスを抱きしめた。

「少しどころか! これで、苦味が特に苦手な女子供でもお茶が飲めるぞ。薬もな。これでまた、竜達に近付ける者が増えるぞ」

 笑ってそう言うと、もう一度タキスを抱きしめた。

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