エイベル

「え……?」

「今、何と言われた?」

 ガンディの言葉に、二人は呆然とタキスを見た。

「あの……師匠、さっきから一体……」

 訳が分からず戸惑うタキスだったが、ガンディは笑ってその肩を叩いた。

「エイベル様のお父上……?」

 ヴィゴが恐る恐る尋ねる言葉に、ガンディは笑った。

「その話は、後程ゆっくりな。まずはあの子のところへ行こう」




 浄化処置が終わり薬湯から出されたレイは、衛生兵達によって既に別の部屋へ運ばれている。

 背中を押されて、呆気にとられたままの竜騎士達を残して部屋を出ると、廊下で待っていた衛生兵に案内されて特別室に通された。

「レイ!」

 思わず声を上げて駆け寄ったベッドには、顔色の戻ったレイが眠っていた。

「よく眠っておる。じきに目を覚ますだろう」

 涙を浮かべて何度も頷き、そっとその手を取った。

 あちこちにタコの出来た硬い掌だ。しかし、さっきまでと違い、その手は暖かかった。

「何と感謝したら良いのか……」

 震える声で、そう呟いた。



 そして、ふと我に返った。



 自分は今、ここにいて良いのだろうか?

 もし、犯罪者である自分がここにいる事で、レイに迷惑がかかるような事があってはならない。



 隣に立つ師匠を見上げる。

「あの……」

「ん?どうした?」

 もう一度眠るレイの顔を見て、その額にそっとキスを贈った。

「この子にも、師匠にもご迷惑はかけられません。どうか……罪の咎めは私だけに」

「罪の咎め?」

 静かな師匠の声に、握った手が震える。

「書類を偽造し、ラプトルとあの子の遺体を攫って逃げました。もう、逃げも隠れも致しません、ここへ来る時に覚悟はして参りました」

 項垂れて己の罪を申告するタキスを、ガンディは無言で見つめていた。

「成る程、それが其方の罪か?」

 無言で頷くと、そっと肩を叩かれた。

「顔を上げよ。胸を張れ。其方に何一つ罪など有りはしない。詫びねばならぬのは我々の方だ。五十年もの長きに渡って、其方に罪の意識を持たせてしまった」

「え?……それは、でも……」

「許してもらえるとは到底思えぬが、どうか儂に免じて、あの時の、我々の其方への仕打ちを許してはもらえぬか」

「罪は無い?」

「それどころか……いや、説明するよりも、見てもらった方が早かろう。少しだけ、一緒に来てはもらえぬか?」

 眠るレイの顔を見る。

 とても穏やかで、もう痛みも苦しみも無いようだ。

「私達が付いております」

 部屋にいた医療兵達が、笑って請け負ってくれた。

「さ、来られよ」

 師匠に手を引かれ、訳が分からないままについて行く。

 部屋にいた医療兵全員が、敬礼で二人を見送った。




 連れて行かれた場所は、城内にある女神オフィーリアの神殿の分所だった。

 癒しの手を持つ彼女は、子供の守り神であると同時に、医療に携わる者や、精霊魔法の癒しの術を使う者達からの信仰が厚い。

 その為、白の塔のすぐ近くに分所が設けられているのだ。

「女神オフィーリアの神殿の分所ですね。ここは昔と変わりませんね。折角ですから、レイの回復のお礼を申し上げて来ましょう」

 そう言って、師匠に促されるままに建物の中に入る。

 正面中央に、懐かしい、大きな女神オフィーリアの像が見えた。少し下を向いて、手を差し伸べている。

 後ろの壁は、一面に細かい幾何学模様に色硝子が嵌め込まれている。

 もう日の暮れたこの時間は、暗くてよく分からないが、太陽の光が差し込むと、それは美しく輝くのだ。

 目を閉じて祈るタキスを、ガンディは黙って見つめていた。

 顔を上げたタキスの肩を叩き、右隣にある別の祭壇の前に連れて行った。

「これは私のいた時には有りませんでしたね。子供の像が祀られているのなら、これは息子のマルコット様でしょうか? でも、それならここでは無く、水の神殿に有るのでは?」

 顔を上げてその像を見ながらそう言ったが、ふと違和感を感じて改めて覗き込んだ。

「耳が長い? それに……鼻が、これは竜人の子供ですか?」

 金箔が貼られ、塵一つ無く光り輝くその像は、確かに人間ではなく竜人の子供の姿をしていた。

 意味が分からなくてガンディを振り返ると、彼は隣に立ちその像を見上げた。

「其方がいなくなって、追っ手の者達はエイベル様のご遺体を連れて戻った。その日から、白の塔の者達は総出で、それこそ隅々まで一年かけて調べ尽くした」

 ガンディは俯いて目の前の像に、祈りを捧げた。

 顔を上げて、改めて少年の像を見つめる。

「その結果、人間の身体では判らなかった竜射線の存在が判明し、そしてそれに伴い竜熱症が定義された。エイベル様が残してくれた様々な事は、その後の医療の現場に劇的な変化をもたらした。原因が分かれば、対策も立てられる。薬を探す事も出来る。今まで竜騎士を含め竜に携わる者達が、かなりの確率で短命だったのは、竜熱症が原因だと判明したのだ」

「それなら、竜の保養所の者達は? ロディナの方々は、ずっとあの地で精霊竜の繁殖と飼育を行なっているのに。それにあの子は竜人です。先程聞いた話では、竜射線は人間のみに有害なのでは?」

 タキスの疑問に、ガンディは顔を上げて笑った。

「まさに我らも同じ事を思った。そしてまずロディナ地方の彼らの生活を調べ尽くし、我々と何が違うのか徹底的に検証した。その結果、我々は絶対に口にしなかったあるものを、彼らは常に摂取している事が判明した」

「それは一体……」

「苦草じゃよ。彼らは、あの地独特の特産品である干し肉を作る際、殺菌と保存の為に大量の苦草を使っていた。それで念の為調べてみれば、苦草には、人間の体に蓄えられた問題の竜射線を相殺する効能が発見された」

「苦草に?」

「それから、エイベル様だけが何故、竜熱症を発症したのか其方にも、知っておいてもらわねばな」

 無言で頷くタキスの前に、ガンディはしゃがんで正面から彼の顔を見た。

「竜人の子供は、成人年齢に達するまでは身体の色々な機能が未発達で、はっきり言って抵抗力そのものは人間とほぼ同じだったのだよ。だが、人間とは幾つかの臓器の働きに違いがある。その結果、竜射線の存在が分かった。竜人の郷には使いを出して、決して子供達を精霊竜に近づかせぬ様頼んだ。しかし、そもそも竜人の子供が人間達の中にいる事自体が珍しい。しかも、その子供が精霊竜達と毎日遊び、竜熱症を発症して亡くなり、ましてやそのご遺体を調べられるなど……有りえない程の確率じゃ」

「では、あの子の犠牲は……無駄では無かったと?」

「無駄どころか! 今や、エイベル様は神の末席に入られ、日々、皆がエイベル様の像に参っておるぞ。この像は苦草が発見された翌年、ドワーフ達の手によって作られたものだ。同じ物が街の女神オフィーリアの神殿にもあるぞ。其方のいた、蒼の森に近いブレンウッドの街にもな。今では主要な各街の神殿にエイベル様の像が祀られておる」

 呆気にとられて言葉も無いタキスの肩を叩き、立ち上がったガンディは、晴れ晴れと笑った。

「エイベル様のおかげで、病が発見され、結果的にその薬もまた発見された。その後の竜騎士達は天寿を全う出来るようになり、竜の世話をする役目には、竜人だけで無く通常の兵士達も携わるようになった。もう、竜熱症は死の病では無い」

「罪なんて無い……」

 タキスは、あの時聞いた、エイベルの言葉を思い出していた。

 あれは、彼が自分を慰める為に言ってくれたのだと思っていたのに、まさか、誰にも罪は無いと伝えていたなんて……。

「よく生きて戻って来てくれた。どれ程其方を探したか。しかしまさか、蒼の森にいたとはな」

 苦笑いする師匠を見上げて、タキスは笑った。

 可笑しくて、嬉しくて、そして情けなくて。

 泣きながら笑った。



「もっと早く、せめて師匠には私が生きている事を知らせていれば良かったですね。臆病な私をどうかお許しください。ああ、蒼竜様の事を笑えませんね。引き篭もって、ありもしない影に怯えていただけだったなんて……」

 ようやく顔を上げてそう言うと、目の前の、神となった我が子の像を見つめた。

「エイベル……そうだったんですね。本当に、いつも貴方には驚かされてばかりだ。レイと友達になったと聞いた時も驚きましたが、まさかここまでとは……」

 彼らが話している間も、何人もの兵士達がエイベルの前で祈りを捧げ、蝋燭に火を灯していた。

 揺らめく蝋燭の炎に照らされた少年の像は笑っているように見えた。

「ありがとうございます。全ての方に、心からの感謝を。そして、私はようやく愛しい我が子の全てを取り戻す事が出来ました」

 無言で抱きしめてくれた師匠に縋り付いて、タキスは我慢できずに声を上げて泣いた。




『ガンディ様』

『夕食の支度が出来ましたのでお戻りください』

 その時、ガンディの肩に座ったシルフが小さな声でそう伝えた。

「おお、もうそんな時間か。もう落ち着いたか? ゆっくり戻るとしよう」

 赤くなった目をこすって、タキスは照れ隠しに笑った。

 そして、我に返った。

 確か、蒼竜様に白の塔へ連れて行ってもらうように頼んだのは昼食を食べる少し前だ。今から夕食?

 どう考えても、時間の経過が変だ。

「あの、師匠……」

「ん? どうした?」

「今日は七の月の何日ですか?」

 不思議そうにしたガンディだが、すぐに答えてくれた。

「七の月の五日じゃぞ」

 やはり変だ。

「なんだ? 一体どうした?」

 固まったように動かなくなったタキスを覗き込む。

「竜熱症の事を聞き、蒼竜様にここへ連れてくれるように頼んだのが昼前、そして、今がその日の夕食前、ならば蒼竜様が移動していた時間はどこに行ったのでしょうか? 蒼の森からオルダムまで、これほどの距離は、転移の魔法で飛ぶ事は不可能なはず……」

「いや、竜が森を出たとの報告をこちらが最初に受けたのは、確か昼前だったぞ。確かに、よく考えればわずか一刻程で竜の保養所まで来た事になるな」

「蒼の森からここまで、最短距離で飛んだとしても600キルトは有ります」

 二人は顔を見合わせた。

「は、は、は、これはまた恐ろしい速さだな」

「笑い事ではありません!こんな……」

「その話も後でな。とにかく、それならば其方は昼食抜きでは無いか。まずは戻って腹ごしらえと致そう」

「そうですね。早くあの子の側に戻りましょう」

 立ち上がり、もう一度二人揃って、少年像に祈りを捧げた。

「ブレンウッドの街にも、行ってみなければなりませんね」

 そう言って笑うタキスの目には、また少し涙が光っていた。

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