浄化処置
「霊鱗を渡してくれたぞ!」
部屋へ駆け込んで来たマイリーの言葉に、その場にいた全員が歓声を上げた。
「すごい! 一体どうやって説得したんですか!」
手当てを受けて汚れた服を着替えたロベリオが、驚いてマイリーに尋ねたが、それには答えず手にしていた鱗を手渡した。
「その話は後ほどゆっくりな。あの竜人、相当肝が座ってるぞ。お前、よくあんな人に喧嘩を吹っ掛けたな。俺は絶対、あれは敵にしたくないぞ」
小さな声でそう言われて、手渡された鱗の大きさに呆気にとられていたロベリオは、後半のマイリーの言葉に何とも言えない顔をした。
「うわあ……後でもう一度謝っておきます。それより、これって……」
「あの蒼竜の霊鱗だ。大切に扱え」
若竜三人組は、それぞれ渡された鱗を無言で見つめた後、一斉に奇声を上げた。
「じょ、冗談! 有り得ない大きさだろこれって!」
「一度見た事があるけど、この鱗、ルビーの倍近くあるよ!」
「これで、本当に老竜?」
「その事は今は考えるな。始めるぞ」
手袋を外し、上着を脱いで腕まくりをしたマイリーの言葉に、全員が頷いた。
部屋の真ん中に置かれた湯船には、レイが入れられている。
湯船の端の部分が窪んでそこに頭が置けるようになっていて、意識の無い患者が、溺れないように作られている。
衛生兵が、定期的に湯船に入れた薬液を交換している。この薬液も、僅かではあるが体内の竜射線を取り除く働きがあるのだ。
まず、腕まくりをしたヴィゴとロベリオが湯船の両側に立ち、ゆっくりと手にした霊鱗を薬液の中に入れる。
半透明だった鱗は綺麗な透明になり、湯の中に僅かに輪郭が見えるだけになった。
その時、突然薬液が波立って
『それは生きた鱗』
『入って良いの?』
『とても綺麗な鱗』
『綺麗な鱗』
「そうだ、どんどん入ってくれ」
ヴィゴがそう言ってレイの胸にその鱗を乗せた。鱗を持った手は離さない。更に腹の上に、ロベリオが手に持った鱗を乗せる。
彼女達は嬉しそうに頷くと、一気に水の中に姿を消した。
みるみるうちに、綺麗な透明だった鱗が青く染まる。更に青さは濃くなって、完全な不透明になった。
「早いな、しかし……これ程の竜射線を体内に入れて、今まで無事だったこの若者もすごいぞ」
後ろで、感心したようにマイリーが呟いた。
「替わろう」
頷いたヴィゴとマイリーが場所を交代し、マイリーが手にした鱗を薬液に入れた。
反対側では、同じようにロベリオとユージンが交代した。
ヴィゴとロベリオに新しい鱗を渡すと、青く染まった二枚の鱗を持ったタドラは、蒼竜の元へ走った。
「ラピス殿、先に二枚お返し致します」
呼びかけに顔を上げた蒼竜は、無言でタドラを見つめた。
「其方、先程案内してくれた竜騎士か」
近くで見る蒼竜の大きさは、普段から竜に慣れた彼でさえ、思わず半歩後ろに下がるほどの迫力があった。
「怖がらずとも良い。分かった。それを返してくれ」
タドラは無言で手を伸ばして鱗を差し出す。ゆっくりと竜は顔を近づけて差し出された鱗を口にくわえると、そのまま上を向いて飲み込んだ。
顔を上げたまま水を切るように首を振ると、まるで寝起きの猫がする様な大きな伸びをした。
「確かに二枚、返してもらった。まだ必要か?」
「いえ……まだ大丈夫です」
呆気にとられて無意識に返事をしたが、もっと欲しいと言えばまだ貸してくれるのだろうか? と、疑問に思った。
返した霊鱗は、再生するまで少し時間がかかる。
その間、当然その竜の力は弱る為、総数の三分の二迄が借りる事の出来る限界数だと教えられた。
しかし、そこまで無理をさせると何かあった時に動きが取れず危険な為、使える霊鱗は半分が上限だとも言われていた。
「まだ、彼の治療は、続いていますので、戻ります……」
何とかそう言うと、軽く会釈して建物の中へ戻る。
扉を閉めた瞬間、全身が総毛立った。
体の震えが止まらない。
「何だあれ何だあれ何だあれ!」
正面から、あの青い瞳をまともに見てしまったタドラは、吸い込まれそうな底の見えない淵を覗いたときのような本能的な恐ろしさを感じていた。
「絶対古竜だ……あれが老竜なんかの訳が無い」
両手で自分を抱きしめる様に腕を握りしめる。体の震えはなかなか止まらなかった。
交代したマイリーとユージンの持った鱗も、あっと言う間に青く染まった。
全員、驚きのあまり言葉も無い。
「何で……何でこんなに簡単に取れるんだよ」
足元で、薬湯に右手を差し入れて水の精霊を統率していたルークが思わず呟いた。
彼は水の精霊魔法の上位まで使える為、水の精霊達を操る力が強い。その為、浄化処置をする時は、彼はいつも移り気な精霊達を統率する役目を担っている。
まだ使っていない半透明の鱗を、それぞれ両手に持ったアルス皇子も呆気に取られている。
通常、竜射線を取り除くには精霊の力を借りるのだが、竜のそばで精霊が活動する事でも竜射線は発生する為、鱗に効率的に溜める事が難しく、二度目に取り除く際には数時間かかるのが普通だ。
『彼には守護の護りが付いている』
『蒼竜様の最強の護り』
『これに勝る護りは無い』
自慢げなシルフ達が、目の前に現れてそう言った。
「古竜の護り……」
ヴィゴとマイリーは顔を見合わせて、同時に頷いた。
「成る程、最強の護りか」
「それは心強い、なら遠慮無く続ける事にしよう」
丁度部屋に戻ってきたタドラに、青く染まった鱗を渡す。頷いたタドラが、また走って行った。
ヴィゴとロベリオが、再び持った新しい鱗を薬液につける。
「うわ……手が痺れてきた」
ロベリオの呟きに、ヴィゴも同意する様に唸った。鱗を持った二人の腕は震えている。
「痺れが出たならこれ以上は危険だ。代わろう」
アルス皇子が、ルークの包帯をした左腕に鱗を差し込み、シルフ達に守らせる。生きた霊鱗は、机の上に置いておける様な物では無い。
それから、走って戻って来たタドラと共に、二人の持っていた鱗を薬液に入れたまま受け取った。
交代して下がったヴィゴとロベリオは、二人共腕を押さえてその場から動けないでいる。
酷い痺れで、湯に浸していた手首から先の感覚が無かった。
「一気に放出された竜射線の威力は、恐ろしいな」
「駄目だ、全然、感覚が戻らない」
うずくまる二人を衛生兵が支えて、急いで隣の部屋へ連れて行く。
扉越しにその様子を呆然と見ていたタキスは、立ち上がって慌てて二人の為の椅子を引いた。
「ありがとうございます」
礼を言った衛生兵が、ゆっくりと二人を座らせる。
「二人とも、まずはこれを飲め。それでも痺れが取れなければ、もうそれ以上は危険だ」
ガンディが、カナエ草のお茶を冷たく冷やしたものを持って来た。
コップに注がれたお茶を、それぞれ付き添った衛生兵が二人に飲ませた。
ヴィゴが大きなため息を吐いて、背もたれにもたれたまま天井を見上げて呟いた。
「あの若者……一体何者だ? 俺は何度か竜熱症の浄化処置をした事があるが、それとは全く違うぞ。有り得ない程に幾らでも竜射線が出てくる」
もう一杯ずつお茶を飲ませてもらい、更に丸薬を飲んでようやく痺れた手は落ち着いた。
「まだ感覚が遠いよ」
ゆっくりと手を開いたり閉じたりしながら、ロベリオが情けなさそうにそう言った。
「俺はもう大丈夫だぞ」
自慢気に笑うと、ロベリオに無言で足を蹴られた。
「こらこら、行儀の悪い事をするんじゃ無い」
「ちょっと自分の方が強いからって! この! この!」
「やめんか! 怒るぞ」
小さな声でそう言い合ってじゃれ合う二人を、タキスは、複雑な気持ちで見つめていた。
先程のいきなりの一方的な暴力には、正直言って驚いたし腹も立った。しかし、即座に自分の非を認めて謝る素直さは、レイと重なる部分があった。
そして今、自分の身を危険に晒してまで彼の為に懸命に働いてくれる姿を見て、まだ燻っていた怒りが消えて行くのをタキスは感じていた。
「大丈夫ですか?」
側へ行って、椅子に座った二人の背をさすった。
「大丈夫ですよ。これは一時的なものですから、落ち着けば問題ありません」
振り返ったヴィゴが、タキスをじっと見つめた。
「あの竜と共に、彼を連れてこられた方ですか?」
隣では、ロベリオが何か言いかけて口を噤んだ。
「あの……先程は大変失礼を……」
「お気になさらず。逆の立場なら、私も同じ事をしてますよ」
気にしていない事を知らせる様に、笑って背を叩いてやる。
「お、恐れ入ります」
恐縮して小さくなる彼に、タキスは自然と笑みがこぼれた。
これだけ大きな人間達を前にしても、もう恐怖は無かった。
「何だ? お前、何をした?」
ガンディと共にいた為に、先程の騒ぎを知らないヴィゴが不思議そうにロベリオを見る。
「ちょっと……」
「見解の相違があったんですよね」
にっこり笑うと、彼は面白いくらいに何度も頷いた。
何となく事情を察したヴィゴは、納得してタキスを見た。
「彼が大変失礼を致しました。まだ若い故に、色々と考え無しな所が有りましてな。時々暴走するので、手を焼いております」
申し訳無さそうに言うヴィゴに、タキスは首を振った。
「良いではありませんか。精々頑張ってやんちゃなさい、それが若さと言うものですよ。それを後ろで何とかするのが、先輩の役目ですから」
自分がどれだけ周りを振り回してきたか、こんな状況なのに思い出してしまった。
「そう言っていただけると、有難い。申し遅れました。私は竜騎士隊のヴィゴと申します。こんな状態なので、握手はご勘弁を」
「同じく竜騎士隊のロベリオです」
苦笑いしながら会釈するヴィゴと、小さくなって挨拶するロベリオに、タキスも笑って自己紹介した。
「蒼の森に住んでおります、タキスと申します。ご覧の通り、竜人です」
「もしかして、ルーク達が最初に森で会った方ですか?」
それを聞いて、最初に一度、竜騎士が二人森に来た事があったのを思い出した。
「それは私の同居人達ですね。竜人とドワーフがおります」
ヴィゴが口を開こうとした時、隣からルークの歓声が聞こえた。
「やった! もう色が変わらないぞ!」
マイリーとユージンが、色の変わった鱗と、ほとんど半透明なままの鱗を両手に持って走って出て行くのが見えた。
「おお、無事に終わったか。まずは最大の山は越えたな。後はゆっくり休ませてやれば、じきに意識も戻るでしょう」
それを聞いたタキスの目から、一気に涙があふれてきた。
「タキス! 其方の養い子は頑張ったぞ! 無事に浄化処置を乗り越えたわい」
「師匠!」
大声でそう言いながら部屋へ入って来たガンディに、タキスは飛びついた。
「良かった、本当に良かった」
「ああ、ありがとうございます。ありがとうございます」
涙を浮かべてそれだけを繰り返すタキスを、ガンディも抱き返して涙ぐんでいる。
「良かった、其方もご苦労じゃった」
「師匠?」
「えっ? どう言う事ですか?」
その様子を見た、ヴィゴとロベリオが、呆気にとられた様にその様子を見つめていた。
ガンディに弟子がいるなんて、彼らは聞いた事が無い。
その二人の様子に顔を上げたガンディは、満面の笑みでこう言った。
「其方らの大恩人じゃぞ。エイベル様のお父上じゃ」
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