それぞれのその日

 その日、久し振りの休日で、ヴィゴは前日の夜から自宅へ戻っていた。

 兵舎に部屋はあるが、王宮の外にある一のかくと呼ばれる貴族達の住む地域に、彼の屋敷はある。

 元々、地方貴族の三男だった彼は、士官学校を卒業して軍人となり、結婚して二人目の娘が生まれた直後に、シリルと出会い竜騎士となった。

 それまでは、ささやかな軍の家族用の官舎に住んでいたのに、竜騎士になった途端、直接、陛下から一の郭に屋敷を賜り、以来、家族と、大勢の使用人達と共にそこで暮らしている。

 兵舎からの距離も気にせず、休みの度に家へ戻るヴィゴの事を、部下達はからかいつつも密かに羨ましがっている。

 現在、竜騎士隊で妻帯者で子供がいるのは彼だけだ。



「父上! ほら、見てください、私が育ててるんですの」

 良い天気だったので、中庭にテーブルを出してのんびり家族揃って朝食をとった後、娘達は、自分達が世話をしている温室に父親を連れて来ていた。

「おお、これは見事だな」

 自分の掌ほどもある、大きく見事に咲いた花を見て、ヴィゴは感心して声を上げた。



 娘達は、今は花を育てるのに夢中らしく、庭師の指導の元、毎日暇を見つけては世話をしているらしい。

 先月の花祭りの時も、庭先に二人が共同で作った大きな花の鳥を展示して、何人もの通行人から褒められたのだそうだ。

 中には、お布施を置いて行った人もいた程の出来だと聞いた。

 それらは、花祭りの最終日に、女神オフィーリアの神殿に娘達の手で寄付されたそうだ。

 それを聞き、この目で娘達の力作を見られなかった事を、ヴィゴは心底悔やんだ。

 帰ってきた直後は、喜んでくれたが、その後二人揃って拗ねてしまい、機嫌を直してもらうのに苦労した。

 ようやくすっかり機嫌を直してくれて、今では帰る度に大歓迎を受けている。



 この後は、お弁当を持って騎竜に乗って遠乗りに行く予定だ。

 あまり大層な事はしたくないヴィゴだが、娘達の安全にはやはり気を配っている。

 執事と護衛、娘達の世話の為のメイドなど、結局、何処へ行くにも大人数になるのはいつもの事だ。

 ヴィゴの乗るラプトルに下の娘を一緒に乗せ、妻と上の娘はそれぞれ自分のラプトルに、護衛の者や使用人達も、それぞれにラプトルに乗った。

 ヴィゴの屋敷には、使用人達が乗る分も含めると、二十頭ものラプトルが飼われている。

 郊外にはヴィゴの私有地である騎竜達の専用の草原があり、定期的にラプトル達を走らせている。今日の目的地は、その草原だ。

 留守番の者達に見送られて、屋敷を出た一行は、ゆっくりと街を抜け、郊外へ出た。

「良い天気だな」

 すっかり夏の日差しになり、抜けるような青い空が広がっている。

 ラプトルに乗って楽しそうに笑う娘達の笑顔に、ヴィゴは幸せを噛み締めていた。

 目的地の草原へ到着した後は、ラプトルに乗って競争したり、上の娘の乗り方を見て教えたりして過ごした。

 野外で食べるとは思えない豪華な昼食の後、大きな日傘が立てられて、娘達はそこでお昼寝をしていた。

 妻と二人で、その様子をお茶を飲みながら飽きもせずに眺めていた時、突然目の前にシルフが現れた。


『緊急事態発生!』

『野生の竜が森から出た模様』

『東へ向かって飛行中』

『このままでは王都への侵攻も有り得る』

『若竜三頭が竜の保養所にいたのでそのまま現場へ向かっている』

『ガーネットを寄越したので大至急お前も現場へ向かってくれ』


 矢継ぎ早に、本部のマイリーから伝えられる内容に、その場にいた全員が息を飲んだ。

「すまぬ、皆を頼む」

 立ち上がったヴィゴは、護衛の者にそう言うと、妻を抱きしめた。

「イデア、すまない……緊急事態だ。後は頼む」

 妻は、何か言いかけたが黙って頷くと、その唇にキスを贈った。

「無事のお帰りを……お待ちしております」

 もう一度抱きしめてキスをした時、草原にシリルが墜落するような勢いで降りて来た。

 着地の地響きで、寝ていた娘達が飛び起きる。

「ヴィゴ! 早く乗れ!」

 その声を聞いたヴィゴは、妻を抱きしめていた手を解くと、もう振り返らずにシリルの元に駆け寄り、一気にその背に飛び乗った。

 直ぐさま勢いよく急上昇する竜の姿を、驚きのあまり目を覚ましたまま呆然と見送る娘達がいた。

「竜が……父上は何処に行かれたの?」

「母上どうして? 戦いはもう終わったのでしょう?」

 遠ざかる父の姿を見送り、呆然とする娘達をイデアは抱きしめた。

「精霊王よ、どうか、どうかあの人と、仲間の方々をお守りください……」

 涙をこらえて震える母親に縋り付き、娘達もまた泣き出したのだった。




「急いでくれ。若竜が何頭いようと、古竜に敵う訳が無い」

 鞍に装備されていた、予備のミスリルの剣を力一杯握り締めた

 今のヴィゴは、気軽な休日の外出着だ。普段のしっかりした装備と違い、服の隙間を風が通り抜けて行く。それはまるで、身体の中まで吹き抜けて行くようだった。

 手足が冷たくなり身体が冷え始めた頃、またシルフが現れた。


『古竜との接触に成功』

『タドラが案内して白の塔へ向かっている』

『やはり主が竜熱症を発症しているらしい』

『無駄足になってすまない』

『大至急本部へ戻ってくれ』


「おお、それは良かった。シリル、城へ戻るぞ」

 それを聞き、安心して向きを変えて戻ろうとした時、次にシルフが話した言葉に思わず耳を疑った。


『接触の直後にオニキスとロベリオが落とされたそうだ』


「何……だと……?」


『ユージンが救出に当たっている』

『今のところ連絡無し』


 オニキスは若竜三頭の中では、一番の年長で体も大きい。

 しかしそれでも桁が違う。遥かに格上の竜と対峙して果たして無事でいられるだろうか?

 今すぐ引き返したくなる気持ちを抑えて、急ぎ城へ向かった。




 先に竜舎の横に降りると、第二部隊の者達が用意してくれた制服に大急ぎで着替えた。休む間も無く白の塔へ駆けつけると、問題の竜は間も無く到着すると出迎えたマイリーに言われた。

「それから、先程連絡があった。どちらも無事だ。オニキスは翼に怪我をしているが飛ぶ事は出来るそうだ。ロベリオは軽症」

 自力で飛んで帰って来られるのなら、大丈夫だろう。心配が一つ減り、ため息を吐いた。

「せっかくの休みにすまない。おそらく浄化処置が必要になるだろう。必要ならガーネットから霊鱗を貰ってくれ」

 ヴィゴは無言で頷き、顔を上げた。

「さて、いよいよだな」

 中庭に立って見上げる青い空には、ありえない程の大きさのその姿が近付いて来ていた。






 その日ルークは、朝からマイリーと事務仕事をした後、医療棟で左手のマッサージと治療を受けて、第二部隊の兵士達と一緒に早めの食事をしてから本部へ戻った。



 傷もまだ完治した訳ではないし、痛みが全く無い訳ではないが、もう、基本的には地上勤務に戻っている。




「あれ、マイリーは来てない?」

 その声に、顔馴染みの本部の事務員が顔を上げた。

「はい、今日は来られてませんよ。丁度良かった。こちらにサインをお願いします」

 いつも使っている事務用の席に座ると、手渡された何枚もの書類を確認しながらサインをしていった。

「はいこれ。お願いしますね。マイリーが迎えに来る予定なんだ、ここで待たせてもらうよ」

 サインした書類を返してそう言うと、窓側の休憩用の椅子に座った。



 まだ左手は自由には動かない。何をするにもいつも以上に時間がかかり大変だった。

 サイン一つにしても、書類を押さえる左手は思い通りに動いてくれない。

「でもまあ、足や身体を怪我するよりは、まだましだと思わないとな……」

 ようやくむくみの取れた、手袋をした左手を見ながらため息を吐いた。

 自力で動けるし、目も頭も、右手も大丈夫だから、現場には出られないが書類仕事は出来る。

 ご婦人方へのご機嫌伺いも、ある意味仕事のうちだと割り切れば、少なくとも全くの役立たずという訳では無いだろう。

「そう思わないとやってられないよ……」

 小さく呟いて、背もたれに身体を預けて目を閉じた。



『緊急事態発生!』

『こちら九十六番砦!』

『蒼の森から野生の竜が出て来ました!』

『物凄い速さで東へ飛行中!』

『王都への侵攻もあり得ます!』

『大至急対処してください!』


 突然、次々に伝達のシルフ達の声が響き、本部は凍りついた。

 飛び起きたルークは、立ち上がり竜舎へ行こうとした所を入れ違いに入ってきたマイリーとアルス皇子に止められた。

「お前はここにいろ!」

 真顔のマイリーに右腕を掴まれ、一瞬 頭に血が上ったが、同じく真顔のアルス皇子にも肩を抑えられた。

「とにかく連絡を待て。最悪、お前にも出てもらうから、そのつもりでいてくれ」

 マイリーがルークにそう言って自分の席に座ると、部屋を見回した。

「若竜三人組はどうした?」

 ユージン、ロベリオ、タドラの三人は、若竜三人組と呼ばれている。

「彼らなら、今日は竜の保養所にクロサイトの様子を見に行くって言ってました。昼過ぎには戻ると聞いています」

「それなら、彼らが一番近いな。一先ず先行させる」

 果たして若竜が三頭いた所でどうにかなるとは思えないが、全員揃うのを待っていては、手遅れになりかねない。

「先にシヴァ将軍に連絡を取ってくれ。それから、シルフに、古竜がどの辺りを飛んでるか飛行場所の確認を」

「ヴィゴは今日はお休みだって……」

 天気が良ければ、ヴィゴは家族でいつもの草原へ遠乗りに行くと言っていたのをルークは思い出した。

「マイリー! ヴィゴがいつもの草原へ行ってるなら、あそこからも近いです」

 ルークの声に、マイリーは頷いた。

「竜舎に連絡を取ってくれ。ガーネットに至急手綱と鞍を付けろ。予備のミスリルの剣も忘れるな。準備が出来たら、ヴィゴをそのまま迎えに行かせろ」

 別のシルフに、ヴィゴを呼び出すように指示をする。

 ルークも慌ててシルフを呼び出した。

「マイリー、白の塔のガンディに連絡を取ります。竜熱症の手当ての準備はどこまでやらせますか?」

「念の為、第四段階まで頼む」

 こちらを振り返りもせずに、そう言った。

「了解です」

 白の塔と連絡を取り始めたルークの横では、アルス皇子が皇王への報告をしていた。




 タドラからの古竜との接触成功の知らせに、本部は拍手に包まれた。

 しかし、その直後のロベリオとオニキスが落とされた報告に本部は再び凍りついた。

「こちら本部了解だ」

 何事も無かったかのように指示を出すマイリーだったが、握りしめたペンが真っ二つに折れているのを、周りの者達は声も無く見つめていた。



 一通りの指示を出し終えた後、マイリーは、無言で机に突っ伏した。

 丸くなったその背中が震えている。

「ロベリオ……無事でいてくれ……」

 その小さな呟きに、答える事ができる者はここにはいなかった。



『こちらユージン』

『ロベリオとオニキスの無事を確認しました』

『ロベリオは軽症』

『オニキスは未確認ですが右の翼の付け根部分の鱗が剥がれています』

『皮膚が見えていますが出血は確認していません』『ロベリオを乗せてなんとか飛行しています』


「そうか分かった。大至急戻れ」

 それを聞いたマイリーが、顔を上げて何事も無かったかのように答えた。



「これだから、冷血漢とか言われるんだよ。ちょっとは表に感情を出せっての」

 それを見ていたルークの呟きに、こちらも連絡を終えたアルス皇子が何度も頷いていた。




 連絡を受けた白の塔では、蜂の巣を突いたような大騒ぎになっていた。

「お前達は薬湯の準備を。そっちは胃洗浄の準備だ、血を吐いておるそうだから念の為だ」

 真ん中で立つガンディに冷静な指示を出されて、敬礼した医療兵や衛生兵達が慌ただしく部屋から出て行った。

「こちらはお任せします。もう間も無く到着するそうですので、私が確認します」

 ハン先生がガンディにそう言って、担架を持った医療兵達と共に走って行った。

「よろしく頼む。状況が分かれば連絡を入れてくれ」

 その背に声をかけると、ガンディも、カナエ草を大量に使った薬湯の準備を手伝った。

 その横では、白の塔の衛生兵達が、移動式の湯船を準備している。

「それは、処置室へ運べ。最初の治療はそこで行う」

「了解です」

 答えた衛生兵達が、準備の出来た湯船と薬液を順番に運んで行った。

 その時、一人の兵士が駆け込んで来た。

「報告します。もう間も無く、古竜が到着するとの連絡がありました」



 それを聞いた一同に緊張が走る。



「いよいよ、古竜との対面だな。話の通じる奴であることを祈ろう」

 ガンディの呟きは、ここにいる全員の気持ちだった。

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