偏見と説得
ようやく建物から出て来た黄色の髪の竜人は、悲壮な顔で自分の事を見上げている。
「我に協力を? 何を言っておるのだ、レイを助ける為ならば協力せぬ訳が無かろう。言え、我は何をすれば良いのだ?」
口籠もり、怯えた様子の竜人の側に顔を近付ける。
「言え。我に何をさせたいのだ?」
「それは……」
言いかけてまた口籠る。
「あの……」
「何を躊躇う? 早く言え」
急かすように身を乗り出す蒼竜を見上げて、タキスは、消えそうな声でようやくこの困難な頼みを口にした。
「貴方様の、霊鱗を……ひと時、この方に預けて頂きたいのです……」
沈黙がその場を満たした。
「今、なんと言った?」
恐ろしい程の静かな声で、蒼竜が尋ねる。
タキスは己の死を覚悟した。
背後には、大恩ある師匠と、この国の将来を背負って立つべき人物がいる。
この人達を逃がすだけの時間稼ぎが、今の自分に出来るだろうか? そんな馬鹿な考えが頭を過る。
この時のタキスは、もう完全に自分の命を諦めていた。
「人間共に何を吹き込まれた!」
首を振り上げた蒼竜が、いきなり大声で怒鳴った。まともにその怒気を浴びた、周りに隠れていた兵士達が一斉に薙ぎ倒される。
タキスは咄嗟にその場にしゃがむと、精一杯の風の盾を目の前に作り背後の人達を庇った。
辺り一面が砂埃で覆われる。
「気の短い竜じゃな。埃っぽくてい敵わんわい」
その背後から、いっそ場違いなほどの呑気な呆れ声が聞こえた。
シルフ達が風を起こして埃が無くなった時、その場に立っているのは、二人の竜騎士と白衣を着た背の高い白髪の竜人だけだった。
「おのれ……」
激情のままに、衝撃波を放とうと口を開きかけた蒼竜を止めたのは、側にいたフレアだった。
「落ち着けラピスよ。我の主に手を出すな」
長い首を蒼竜に擦り寄せて、前を遮るようにして静かな声で諭す。
「お前の主だと?」
振り返るとそこには、怯える事もなくこちらを見上げている二人の竜騎士がいた。
「成る程。随分と肝の座った者達だな」
忌々しげにそう呟くと、改めてよく知る竜人を睨みつけた。
「情けない。簡単に人間共に丸め込まれおって」
吐き捨てるようにそう言うと、隣にいるフレアを睨みつけた。
「もう充分だ。やはりここへ来たのは間違いだったな。主を返せ。森へ帰る」
言い捨てて、翼を広げようとする蒼竜に、タキスは慌てて叫んだ。
「お待ちください! 今、レイを薬湯から出せば一気に容体は悪化します! いけません! どうか、どうかこの方達の話を聞いてください! お願い致します!」
その時、蒼竜の手から小さな籠から転がり落ちて布が地面に散らばった。
家を出る時に、ニコスが持たせてくれた布と水筒の入った籠だ。
何枚かの布は、途中、レイの口元の汚れを拭いた為に赤く汚れている。思わず駆け寄って、散らばった布をかき集めた。
赤く染まった布を見て感情が高ぶり、また怒鳴りそうになる。
その時、布の間から転がり出てきたのど飴の瓶が足に当たって止まった。呆気にとられて思わず怒りが引っ込んでしまった。
そう言えば、戸棚のこの瓶の隣に綺麗な布が畳んで置いてあったのを、こんな時なのに不意に思い出した。
「ニコス……慌て過ぎですよ」
小さく呟くと、瓶をそっと集めた布の上に乗せた。
信じて森で待ってくれている彼らに勇気を貰い、布を戻した籠を優しく撫でて足元に置く。
大きく一つ深呼吸をして、蒼竜を見上げた。
「彼は今も、生死の境を彷徨っております。あれ程に悪化した竜熱症の症状を抑える事が出来るのは、貴方様の霊鱗だけなのです! 気に入らのぬならば、この城の者では無く、私を八つ裂きにすればよろしいでしょう! 貴方様に助けて頂いたこの命、未練などございませぬ! 差し上げますのでどうぞご自由に! そして気が済めば、落ち着いてこの方達の話を聞いてください!」
赤く汚れた布を握りしめたまま、無抵抗である事を示すように両腕を左右に広げたタキスは、大声でそう叫びながら蒼竜の前に出た。
先程までの激情が嘘のように静かに蒼竜は、タキスを見下ろしたまま微動だにしない。
再び、沈黙がこの場を支配する。
「其方が、あの主と共に森から来た竜人だな」
蒼竜の隣にいたフレアの静かな声に、タキスは微かに笑って頷いた。
「ルビー様、貴方様は私を覚えておられませんでしょうが、私はよく覚えております。変わらずにお美しい。貴方様は竜舎に忍び込んだ幼い我が子を、嫌がりもせずいつも遊んでくださいました……」
タキスは、竜舎にこっそり忍び込んでは、楽しそうに竜達と遊んでいた幼いエイベルの姿を思い出し、涙を堪えた。
「其方……そうか、見覚えがあると思ったら……エイベルの父親か……」
フレアがそう呟いた瞬間、周りの兵士達が一斉にざわめいた。
皆、呆気にとられたようにタキスを見つめている。
突然、何人もが膝をついてその場に平伏した。
「え? 何事ですか?」
突然の出来事に、タキスの方が戸惑う。
「竜騎士様の恩人だ」
「我ら全ての兵士の恩人だ」
小さな声で囁かれる内容に全く心当たりが無い。
「何かのお間違いでしょう。私は……」
「その話は後程全部教えてやる。それよりも今は、こちらが先だ。お前達は立って自分の仕事をしろ」
ガンディはタキスの肩を叩くと、膝をつき平伏する兵士達に、笑ってそう言った。
頷き立ち上がった兵士達が慌ただしく走り去り、中庭にいるのは四人と二頭の竜だけになった。
「時が惜しい。荒療治となるが其方ならば大丈夫であろう。蒼竜よ、其方の持たぬ知識を与えよう。受け取られよ」
ガンディがそう言うと、ゆっくりと蒼竜のすぐ側まで近寄った。慌ててタキスも駆け寄り、警戒する蒼竜に話しかけた。
「この方は、私の師匠で、現在は白の塔の長を務めておられます。その意味はお分かりですね」
頷いた蒼竜が警戒を解く。それを見たガンディの周りには幾人ものシルフが現れた。
彼女達は一斉に蒼竜の元に飛んで行き、その体の中に溶け込むようにいなくなってしまった。
その直後、蒼竜は硬直する。
「おお……何と言う事だ……お、お……」
硬直して目を閉じた蒼竜は、そう呟くと項垂れたままじっと動かなくなった。翼の先と尻尾だけが、痙攣するように震えている。
「一体、あれは何をしたのですか?」
驚いて小さな声で尋ねると、ガンディは笑って手の中にシルフを呼び出した。
「竜は、精霊の持つ知識を自分のものに出来る、儂の仲の良いシルフ達に、あの竜に儂の知識を分けてやるように頼んだのだ。今まさに、引き篭もっておった間の知識をシルフ達から貰っておるところだ。ただし、これをするには受け取る竜のすぐ側に行かねばならぬからな。よくやってくれた」
ガンディはそう言って笑うと、足元の籠を見てそれを拾い、タキスが手にしていた血に染まった布を受け取って一番上に乗せた。
「あの少年を助けるには、何としても蒼竜の協力が必要だ。もう理解しただろう、説得するぞ手伝え」
無言で頷いたタキスは、もう一度深呼吸をして、蒼竜に話しかけようとした。
その時、顔を上げた蒼竜が目を開きこちらを見た。
「……白髪の竜人よ、感謝する」
ゆっくりと口を開いた蒼竜に、先程までの怒りはもう無い。
「成る程、随分と荒療治であったが理解した。竜熱症の事、竜射線の事、そして、浄化処置の意味……」
そう呟くと、大きな頭をマイリー達の元まで伸ばした。
「其方達が、今の竜騎士か」
「改めてご挨拶を。私は竜騎士隊の副隊長を務めております、マイリーと申します」
「初めまして。私は竜騎士隊の隊長を務めております、アルス・リード・ドラゴニアと申します」
名乗った二人を、蒼竜は正面から見つめた。
「ドラゴニア……では、其方が今の皇王か?」
「いえ、私は皇太子です。父はこの国の王として、健在でございます」
「成る程、皇太子か……」
「今は我々の他に、あと五名の竜騎士がおります」
「ほう、そんなにおるのか。薬の発見は、竜騎士そのものを増やす事にも役立っておるようだな」
静かな声で蒼竜が話すのを、四人は固唾を飲んで見守っていた。
「持って行くが良い。これが必要なのだろう?」
幾人ものシルフが現れ、蒼竜の胸元から鱗を剥いでマイリーとアルス皇子の元へ持って来た。
「これは……」
一枚の鱗を手渡されたマイリーが、堪えきれずに声を上げた。
彼が手にしていたのは、掌よりも遥かに大きな半透明の鱗だった。
アルス皇子は驚きのあまり声も無い。彼が手にしているのも、同じ大きさの鱗だ。
それは彼の伴侶であるフレアの霊鱗の倍近い大きさがあった。
これ程の霊鱗の持ち主が、老竜の訳が無い。
口を開きかけたアルス皇子に、別のシルフがまた鱗を渡す。更にシルフが持って来て、合計八枚の霊鱗が二人に託された。
「これで足りるか? 足りなければ、まだ少しくらいなら……」
「一旦、これだけお借り致します。必ず、必ずお返し致します」
そう言って壊れた玩具のように首を振った二人は、両手に鱗を抱えて早足で建物の中へ駆け込んで行った。
呆然とそれを見送った二人だったが、扉が閉まった瞬間、タキスはその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か? 今部屋を用意させておる故、其方も少し休まれよ」
「いえ、お願いですから先ほどの部屋へ。少しでもあの子の側にいさせてください」
休ませようとするガンディの腕に縋り付いて、タキスは首を振る。
もう何も考えられず、頭の中は真っ白だ。
「我はここで待たせてもらう。お前は中へ入っておれ」
そう言って、丁度彼らが入って行った建物のすぐ横に当たる位置で、扉のすぐ側に顔が来るように蒼竜は座り直した。
そのまま目を閉じて丸くなる。
ゆっくりと、蒼竜は静かに歌を口ずさみ始めた。
「これは、癒しの詩……まさか、実際に聞く事が出来る日が来ようとは」
感極まった様なガンディの声も、タキスの耳には入っていなかった。彼もまた、その歌声に呆然と聞き入っていたからだ。
それは、精霊王の物語に出てくる竜が、傷付き挫けそうになった精霊王の生まれ変わりである若者を慰め、励まし、そして癒した歌だった。
書物に詩は残されているが、楽譜の類は一切無く、音程については一切が謎だったのだ。
それが今、目の前で歌われている。
その詩の中で、何度も何度も繰り返される言葉がある。
「信じていれば必ず光はある」
今では、勇気を持って進めと、誰かを励ます時に贈られる事が多い言葉だ。
そして、詩の最後はこう締めくくられる。
「其方の人生に幸多からん事を」
これは、別れの際に相手に対して贈る言葉として、今では広く使われている。
蒼竜はその歌を何度も繰り返し歌い、それは、色の変わった鱗を持ったタドラが飛び出して来るまで、ずっと続けられたのだった。
中庭には、恐る恐る出てきた宮廷音楽家達が、その歌を必死で譜面に書き起こしていた。
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