竜熱症と竜射線の事

「説得……ですか?」

 何をしろと言われるのかと身構えたのに、それを聞いて拍子抜けしたタキスは、不思議そうに聞き返した。

 レイの治療の為なら、蒼竜様が協力しない訳は無い。それこそ、遥か南の海の小島まで、何かを取りに行けと言われても、無条件で行ってくれるだろう。

 それなのに、改めて説得して欲しいと言われる意味が分からなかった。

「あの、今のレイの為に必要な事ならば、蒼竜様はどんな頼み事でも聞いてくださると思いますが……」



 それを聞いた三人は、皆、無言になった。



「その蒼竜でさえ、拒否するような事を頼まなければならないのです」

 諦めたように、マイリーが口を開いた。

「とにかく座ろう。今はまだ薬湯と投薬で症状は落ち着いているが、それだけではこれ以上の回復は見込めない。絶対に、霊鱗れいりんによる竜射線の浄化処置が必要なんじゃ」

 ガンディの言葉にタキスは顔を上げた。

「霊鱗?」

 先程の医療兵も、そのような事を言っていたのを思い出した。聞き慣れない言葉に首を傾げていると、頷いたマイリーが説明を始めた。



「精霊竜は、多くの精霊と共棲する事により、その精霊を使役して魔法を使いこなします。それはご存知ですね?」

 マイリーの説明に、タキスは頷いた。

 精霊魔法を使うものならば、それは常識と言ってもいい事だ。

「その、精霊と共棲するための媒体になるもの、貴方のしているその指輪の石が、精霊竜にとっては霊鱗なのです」

 タキスの指輪の石の中にも、彼と仲良くなった精霊達が入って眠っている。

 精霊魔法を使う者ならば皆、それぞれに自分の精霊達を入れる石を身に付けている。ずっと入ってくれる子もいれば、一時的に頼んで入ってもらう事もある。



「成る程。しかしそれならば私の指輪と違って、その霊鱗と言うのは、精霊竜にとっては命そのものなのではありませんか?」

 精霊竜は人と違い、精霊と共棲する事により己の体を保ち力を増して行く。逆に言えば、精霊達と共棲出来なければ、殆ど精霊魔法も使えず、最終的には、己の身体そのものを保つ事が出来なくなり死んでしまうだろう。人で例えれば、体が健康でも水や食事を消化吸収出来なくなる状態と同じだ。

「そうです。精霊との共棲は、竜にとっては息をするのと同じような当たり前の事です。しかし竜熱症の原因は、その精霊竜が精霊魔法を使う時や飛ぶ時など、活動している時全て、極端な話、息をしているだけでも発生するもので、我々はそれを、竜射線と呼んでいます」



 マイリーの説明に、竜熱症の原因であると言う竜射線と言う言葉が出て来た。

「竜射線……」

 これも初めて聞く言葉だ。

 タキスは、自分に言い聞かせるようにその言葉を呟いた。



「竜射線は、光のようにわずかなりとも目に見えるものでは無く、当然ですが無味無臭。精霊竜には、それを自分達が出していると言う自覚は全くありません。しかし、我々人間の身体には致命的なんです。人間の身体に蓄積されていった竜射線は、ある一定量を超えると、その人間の身体を傷め始める」

 言葉を止めたマイリーは、タキスの顔を見た。彼は、きつく手を握り締めて、俯いたまま食い入るように聞いている。

「竜熱症の最初の頃は、風邪の症状に酷似しています。咳と喉の痛み、微熱が出る事も有りますが、それ程重症化はしません。しかし、咳と喉の痛みは次第に酷くなってくる。第二段階で現れる症状は、急に差し込むような胸の痛み、貧血のような症状、目眩や一時的な意識の喪失。これらはすぐに回復する為、体調不良などと勘違いされて見過ごされる事が多い。第三段階になると、急激な差し込むような胸の痛みと併せて腹痛を伴う嘔吐の症状が出ます。しかし、これもその時だけですぐに回復する為、これらもまた体調不良などと勘違いされて見過ごされがちです。ここまでが、飲み薬で止められる限界です。ただし、一つだけこれらの症状を緩和する方法がある」

「それはどんな方法ですか?」

 タキスは思わず顔を上げた。

「簡単ですよ。何でも良いから傷を作って出血させる事です。血液中に竜射線は特に多く含まれますから、出血させる事により体内の竜射線は減少する。これで一時的な時間稼ぎは出来ますね。小さな傷で充分です、竜射線の後遺症で、血も止まりにくくなっていますから」

 それを聞いたタキスの脳裏には、おろし金で怪我をして出血した時のレイの様子が思い浮かんだ。

 確かに、咳はあの時以来ぴたりと止まっていた。

「ただし、これも竜射線の後遺症で、我々竜の主には殆ど薬が効かない為、怪我をさせるのは非常に危険な方法です。当然、その怪我も治りにくい。一時的には竜熱症の症状は治りますが、これをやるとその後が重症化しがちです。最近、出血を伴う怪我をした事は?」

「少し前に、おろし金で親指を怪我した時に、思った以上に大量の出血がありました……合わない痛み止めを勝手に飲んだせいで、血が止まりにくくなっているものだとばかり思っておりました……それに、確かに薬が効かなくて、なかなか傷が治りませんでした」

 呆然と呟くタキスの手を、ガンディが握りしめた。

「他には? 内出血はどうじゃ、あれはちと厄介だ」

 声も無いタキスに、三人も息を飲んだ。

「心当たりがありますか?」

 マイリーの問いに、何とか頷いたタキスは、自分の手足の先が冷たくなるような気がした。

 三人の無言の先を促す視線に、タキスは、先月の花祭りで街へ出掛けた時に、騒ぎに巻き込まれて、レイの背中と脇腹、太ももの三ヶ所に大きな内出血が出来た事を話した。

「でも、変化の術で姿を変えていた時は、かなり酷い内出血でしたが、元に戻した後は、然程酷くはありませんでした」

 慌てるようにそう言ったタキスに、三人は 頷いた。

「それはまだ幸いでしたね。精霊魔法の網の中での事なら、身体への影響は最低限で済む。しかし、その血が止まらなかった怪我は不味いな……」

「おろし金という事は、傷もかなり細かくて深かろう」

「それはいつ頃の話で、回復するまでどの位かかりましたか?」

「二の月の中頃です。十日程で傷自体は塞がりましたが、完治するには……確か、ひと月近くかかりました」

「それなら彼の症状は、やはり第四段階の後半と考えて良いだろう。不味いな、浄化処置をするには霊鱗の数がどう考えても足りない……」

 マイリーは、そう呟いて首を振った。

「竜熱症の最終段階である第四段階、症状としては、貧血や嘔吐からの意識の喪失と混濁、ひきつけを起こす事もあります。そして、腹や胸からの出血……ここまでくれば、非常に危険な状態です。正直言って、よくぞここへ彼を連れて来てくださった、と言うべきです。この世界で、今の彼を助けられる可能性があるのは、ここだけです。ここにいる、我々だけです」

「助けられる、可能性……?」

 その言葉は、ここへ来さえすれば大丈夫だと思っていたタキスには衝撃的だった。

「助からない可能性もあると……そう仰るのですか?」

 消えそうな声でそう尋ねると、三人は痛ましそうな顔でこちらを見たまま無言だった。



 タキスは体の震えを止められなかった。



「正直言って、とても分の悪い賭けだ……勝ち目はほとんど無いと言ってもよい」

 ガンディの言葉に、思わず耳を塞ぐ。

「そうならない為に、何としてもあの蒼竜の協力が必要なんです」

 マイリーが、慰めるように側に来てタキスの肩を叩いた。

「竜射線の浄化処置には、霊鱗が必要なんです。特に、その原因になった竜の霊鱗があれば一番効率が良い」

 顔を上げてマイリーの顔を正面から見つめる。もう、人間が怖いなどと言っている場合では無かった。



「もう一つ質問です。霊鱗を使ってどうやって、その……目に見えない竜射線を取り除くのですか?」

 不思議でならなかった。目に見えないものを、一体どうやって取り除くのだろうか?

「それが出来るのは、我々、竜の主だけです」

 マイリーの言葉に、アルス皇子も頷いた。

「その霊鱗は、生きた竜の自らの判断で剥がされたものでしか効果は無い。霊鱗を無理矢理剥ぐ事も不可能では無いが、それでは中の精霊達が逃げてしまい使い物になりません。しかし……霊鱗を剥がしてそれを他人に渡すと言うのは、精霊竜にとっては、自らの命を明け渡すのに等しい行為です。もし霊鱗を返してもらえなければ、力が著しく弱り飛ぶ事も出来なくなる。精霊を使役する事が出来なくなれば、最終的には、自らの身体を維持出来なくなり、それは死を意味します」

「その生きた霊鱗には、竜の主のみが触れることが出来ます。他の人では、精霊が嫌がって逃げてしまう。その生きた霊鱗を彼の体に触れさせると、大量の竜射線が逆に霊鱗に吸収されるのです。霊鱗の色が変わるので、吸収された事は容易にわかります」

「色の変わった霊鱗は、持ち主の竜に返せば、竜の身体と一体化して元に戻ります」

 話は終わりだと言わんばかりに、三人はタキスを見つめている。



 話の内容は理解した。

 しかし、はい分かりましたと簡単に引き受けられる話では無い。



「つまり……その霊鱗を、蒼竜様の霊鱗をレイの浄化処置の為に……今日初めて会った貴方達に、剥がして貸して欲しいと、それを、私に頼め、と……」

 無言で頷く三人を見て気が遠くなった。

「そんな事、出来るわけが……」

「出来なければ、あの少年の命は終わりだ」

 ガンディの言葉に、声も無く顔を覆った。



 どれだけ無茶な話だ。



 そんな事、頼める訳が無い。しかし、それをしなければレイの命は無いのだと言う。

 いっそ、素手で子持ちのケットシーの雌を捕まえろと言われた方が、まだ出来そうな気がした。

 しかし、迷っている暇はない。

 タキスは心を決めて顔を上げた。



「蒼竜様が信じてくださるかどうかは、正直言って私には分かりません。ですが、話はしてみます。何としても……何としても信じていただかなければ……」

 握りしめた手は、血の気が引いて真っ白になっていた。




 その頃中庭では、置き去りにされた蒼竜が待ちくたびれていた。

 隣に降りた、ここまで案内してくれた小さな竜は、先程どこかへ飛んで行ってしまった。

 しかし、人間共は自分のこの大きな姿に怯えているらしく、全くこちらに近寄ってこない。

 苛ついて尻尾を打ち振ると、更に怯えて建物の陰に隠れてしまった。

「これ見よがしに隠れおって、鬱陶しい。目障りだ」

 呟いて座り直した。

「一体どうなっておるのだ。レイの声は聞こえぬし、誰も説明にも来ぬ」

 また苛ついて尻尾を打ち振ると、砂埃が舞って更に腹が立った。

「ずいぶんと苛ついておるな」

 その時、頭上から大きな影が落ちて懐かしい声が聞こえた。

「久しいのラピス、これはまた一段と大きくなったな」

 その声は、この国の皇子の竜である老竜フレア、他の者達はルビーと呼んでいる巨大な竜だ。

 そっと横に動いて、蒼竜はルビーの降りられる場所を空けた

 静かに隣に降りて来たその竜の真っ赤な姿は、蒼竜の碧と並ぶと、まるで対になっているかのような美しさだった。

「久しいのルビー、其方もまた大きくなったようだな」

 三百年ぶりの再会に、二匹の竜は首を絡めて挨拶をした。これは、余程仲の良い竜同士でないとやらない挨拶だ。

 隠れていた第二部隊の兵士達が、呆気にとられてその光景を見ていた。



 この国で一番大きかった老竜よりも、一回り以上、青い竜の方が大きい。



 しかしその大きな蒼竜は、絡めた首をルビーの胸元に差し込むようにして、目を閉じて静かに喉を鳴らしたのだ。

 これは、同格の竜同士がお互いの地位を決める際に行われる行為で、蒼竜はルビーの事を自分よりも上の竜だと認めた事になる。

「え? 古竜じゃ無かったのか?」

「おお、ルビーを上位の竜だと認めたぞ」

「なんだ、じゃあ同じ老竜だったのか?」

 呆然としたのも束の間、我に返った兵士達はそれぞれの仕事を思い出した。

「……何をしてるんだ! いつまで中庭に座らせておくんだ、あの竜のお世話をしないと!」

「ルビー、その蒼竜の事は何とお呼びすればよろしいですか?」

「我の守護石はラピスラズリ、ラピスと呼ぶが良い」

 顔を上げた蒼竜が、駆け寄ってきた兵士たちに告げた。

「かしこまりました、ラピス殿。ただ今、水を持ってまいりますので……」

「いらぬ。我に構うな。それよりも、我の主はどうなったのだ」

 兵士の言葉を遮り、不機嫌さを隠しもせずにそう言うと、立てていた首を体に沿わせるようにして、丸くなった。

 しかし、目は開いたままだ。

 ルビーが、蒼竜を守るようにその体に寄り添い首を体の上に乗せた。

「慌てるでない。竜熱症の治療は困難を極める。今は待つのがお前のやるべき事だ」

 二頭の竜は、丸くなったまままた頭同士を擦り合わせて、甘えるような仕草さえ見せた。

『またお前に譲歩させた。良いのか?我よりも其方の方が、遥かに上位であろうに』

 額をくっつけたまま、竜同士は念話で話をしていた。これならば、他の人間たちには聞かれない。

『この城の要石は其方だ。我には、それを背負うつもりなど有りはせぬ』

『では、其方は老竜か?』

『何でも好きに呼べば良い。主が助かるのなら、最下位でも我は構わんぞ』

『無茶を言うな……いつも、お前には助けられる……心からの感謝と敬意を』

 額を離した二匹は、お互いに喉を鳴らし合い、まるで笑っているようだった。

 その時不意に、蒼竜が首を上げて建物の扉を凝視した。

 出て来たのは、タキスとマイリー、アルス皇子とガンディだった。




 無言で自分を見つめる蒼竜の視線の強さに、タキスは足の震えが止まらなかった。

 今から自分が話そうといる事を、果たして蒼竜は信じてくれるだろうか?

 最悪、激昂した蒼竜に殺される事だって有り得るだろう。

 それでもやるしか無い。レイを助ける方法がこれしか無い以上、諦めるわけにはいかないのだ。

 タキスは大きく一つ息を吸うと、目の前の蒼竜に大きな声で話しかけた。




「蒼竜様に申し上げます。今から私が話す事は、全てレイを助ける為です。治療には貴方様の協力が絶対に必要です。どうか、どうかご協力ください、お願い致します」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る