騒動の後

「ラピス殿、残りの四枚、お返し致します」

 駆け出してきたマイリーとユージンは、両手に持った合計四枚の霊鱗を差し出した。

「もう浄化処置は済んだのか?」

 鱗を飲み込み、伸びをしてから、二人を覗き込む。

 二人は顔を見合わせて笑った。

「はい、無事に終わりました。もう、心配はありません。彼もよく頑張りました」

 マイリーの言葉に、ブルーは嬉しそうに目を細めた。

「其方達の働きに心から感謝する。よく主を助けてくれた」

「それでは、我らはまだする事がありますので、一旦失礼致します。竜舎に場所を用意させていますので、ラピス殿もお休みください」

 マイリーの言葉に、ブルーは無言だった。



 敬礼して去って行く二人を見送り、ブルーは大きく伸びをした。

「本当に返してもらえるとはな……三百年の間に、人間共にも少しは変化があったようだ」

 八枚の霊鱗を手放す事は、ブルーにとっても負担は軽く無い行為だった。

 もし返してもらえなければ、命に関わるほどでは無いまでも、今の身体を維持する事は出来無くなっていただろう。それでも、彼を喪うよりはずっと良いと考え、願いに応じたのだ。

 それなのに、処置が終わったら本当に返してくれた。

 記憶の中の人間達の傲慢さと、今の彼らの潔さの余りの違いに、ブルーは戸惑いを隠せなかった。




 処置室の隣の部屋は、竜騎士達の休憩所になっていた。

 ソファーに横になっているのは、一番長く浄化処置を行ったヴィゴとロベリオの二人。彼らには医療兵が付きっきりで、特に濃く煮出したお茶を飲ませていた。

「ご苦労様、お前達も早くお茶と薬を飲んでくれ」

 自分も座ってお茶を飲んでいたアルス皇子が、二人に座るように促した。

 頷いたマイリーとユージンも、遠慮なく椅子に座る。彼らにも直ぐにお茶と丸薬が用意された。

「少し痺れてきたな……」

 自分の手を見ながら呟いたマイリーに、目の前でお茶が注がれる。

「すまない、先に冷たいのをもらえるか」

 グラスに注がれた冷たいお茶を、丸薬と共に一気に飲み干す。もう一杯飲んでから、ようやく暖かいお茶が注がれた。



 マイリーは無言で背もたれに身体を預けて、ぼんやりと天井を見上げる。

 視界に入った天井から吊るされたランプの側で、ふわりと現れたシルフが手を振った。


『お疲れお疲れ』

『大丈夫?』


 額に座って心配そうに覗き込むシルフに、マイリーは笑った。

「大丈夫だよ、ちょっと疲れただけだ」

 身体を起こして、無人になった隣の処置室を見つめる。

「とにかく、助ける事が出来て本当に良かったよ……しかし、今後の事を考えると、頭が痛いな」

「確かに、それじゃあどうもありがとうございましたと、彼らをこのまま森へ帰す訳にはいかぬな」

 ようやく落ち着いたヴィゴが、横になったまま応える。

「さて、どうするべきかな……」

 天井を見つめたまま、マイリーは言葉を続ける事が出来なかった。そして、ここにいる誰もが、同じく言葉を発する事が出来なかった。



 蒼竜の恐ろしさを身を以て体験したルークとタドラ、ヴィゴ、そしてロベリオ。

 彼らの共通する思いは、このままここに、あの竜を居座らせて良いのか、と言う思いだった。しかしマイリーは、竜ではなく、主であるレイのこれからを考えていた。

「勿論、彼の意識が戻ってから本人に聞くのが一番ですが、もし、彼がここに居たいと言ったとしたら、森の住民達から、彼を引き取る事は可能でしょうか?」

 マイリーの問いに、アルス皇子は頷いた。

「それは私も考えていた。実際問題、もしも彼をここに居させる事になるのなら、誰かの養子にするか、あるいは……年齢的なことを考えると、後見人を付けるのが普通だろうな」

「古竜の主の、保護者……」

 マイリーは呟いて首を振った。一体誰にそんな重責を担えると言うのだろう。

「いっそ、父上にお願いするか。冗談じゃ無く、それ位の権力のある者でないと、何かあった時に守れないだろう」

「我々竜騎士に政治的な権力は無いが、貴族間の権力闘争と全く無縁と言う訳にはいかぬからな」

 ヴィゴの言葉に、アルス皇子が頷く。

「それから。あの竜人……」



 全員が、また無言になる。



「ガンディが言っていたのは、本当でしょうか?」

「エイベル様の父上……」

「フレアもそう言っていた。エイベルの父親だと」

 アルス皇子の言葉に真っ青になったロベリオを横目で見て、マイリーは鼻で笑った。

「誰かさんは、またやらかしたからな」

 無言で顔を覆って机に突っ伏すロベリオを、アルス皇子が不思議そうに見る。

「何をやらかしたんだい?」

「言わないでください!ああどうしよう……まさか、そんな方だったなんて……」

「気にするなと言ってくださったではないか。今後は、失礼の無いようにな」

 ヴィゴの言葉に、壊れた玩具のように何度も頷くロベリオを見て、皆吹き出した。

「確かに、若いって良いな」

 妙に達観したようにしみじみ呟くマイリーに、ルークが思わず叫ぶ。

「そんな年寄りみたいな事言わないでくださいよ! マイリーだって、王宮の元老院の爺い達から若造扱いされてる癖に!」

 堪えきれずに大爆笑になった。






 レイの眠る部屋に戻ったガンディとタキスは、準備された夕食を続きになった隣の部屋で食べた。

「師匠、この部屋って……」

 食事が終わりお茶を飲んでいると、ようやく落ち着いて部屋を見渡す余裕が出てきた。

 しかし、改めて部屋を見たタキスは、困ってしまった。

 有り得ない程の立派なベッドと、重厚な作りの机と椅子。窓際に置かれたソファは総革張りだ。床には豪華な絨毯が敷かれて、とても病室とは思えない造りだ。

 これはどう考えても、貴族の中でも特別な身分の者しか入れないような部屋だ。

「気にするな。ここが一番近かったので、使っただけだ」

「師匠……」

「良いでは無いか。古竜の主と、エイベル様のお父上。一般の部屋に入れた方が、色々と問題になりそうじゃ」

 簡単に言うが、こっちは森の石の家に住んでいる一般人だ。世間の農民と比べたら、確かに贅沢な暮らしだったろうが、さすがにここまでは無い。



 そして、ようやく色々な事が考えられるだけの余裕も出てきた。

 まずは、心配しているであろう彼らに、レイの治療が終わった事だけでも伝えるべきだろう。



「あの、蒼の森の家族に連絡を取りたいのですが、シルフを使っても構いませんか?」

「家族?」

 ガンディが言葉を続けようとした時、シルフが現れてタキスの前に座った。

『それなら森の彼らと繋いでやろう』

 蒼竜の声で告げると、もう一人シルフが現れて並んで座った直後、シルフはニコスとギードの声で叫んだ。

『おい! どうなったんだ!』

『レイは無事なんだろうな!』

 人の声をそのままに伝えるシルフを見て、ガンディは驚きのあまり絶句している。

「知らせが遅くなってすみません。はい、ようやく治療が終わりました。色々有りましたが、レイは無事です。竜騎士様や、白の塔の皆様が頑張ってくださいました。まだ意識は戻っておりませんが、もう大丈夫だろうとの事です」

 堪えきれないような歓声まで、律儀にシルフ達が伝えてくれる。

「とにかく、私も無事ですのでご心配なく。変な事を言って要らぬ心配をかけました。申し訳ありませんでした」

『本当じゃな? 我らに嘘はやめてくれよ』

 低い声でそう言ったシルフを見て、ようやく我に返ったガンディはタキスに目配せをした。

 彼が頷くのを見てシルフに話しかける。

「はじめまして、白の塔の薬学部の長を務めておりますガンディと申します。彼の申す通り、あの若者も無事ですし、タキスの事もご心配無く。儂が責任を持って彼等を引き受けますぞ」

「この方は、私のお師匠様なんです。どうして、もっと早く生きている事を知らせなかったのかと、叱られてしまいました」

 晴れ晴れと笑うタキスの声に、二人もようやく納得したようだった。

『そうか分かった』

『こちらの事は心配しなくて良いからレイに付いてやっててくれ』

『またいつでも連絡してくれよな』

『早くレイの声が聞きたいよ』

 ギードとニコスの声に、タキスも頷いた。

「ええ、私も早くこの子が目を覚まさないかと待っています。それではまた連絡しますね」

 頷いたシルフ達が消えるまで、ガンディは無言だった。



 顔を上げたタキスと目が合う。ガンディは何か言いかけて口をつぐみ、また口を開いて口を噤んだ。

「どうされましたか? 師匠」

 不思議そうなタキスに、恐る恐るガンディが尋ねる。

「……今のは何じゃ? 人の声がそのまま聞こえた。あんな声飛ばしは、見た事も聞いた事も無いぞ」

 すっかり慣れていたが、確かに、自分も始めてあの技を見た時には絶句したのを思い出した。

「確かに、私も初めて見た時は驚きました。あれは蒼竜様が使われている技で、どう言った仕組みかは分かりませんが、そのままの声を飛ばしてくれるんです。森とここまでの距離も関係無いようでしたね」

「兵士達が、ルビーに従う様子を見せたと言っておったが、あれはやはり古竜だな」

「……少なくとも、私はそう聞いております」



 二人は、顔を見合わせて無言になった。



「しかし、わざわざ兵達の前であんな行動を取ったと言う事は、そう言う意図があるのだろうな」

「恐らく蒼竜様は、ルビー様の上に立つ気はないと示されたのでしょう。逆に言えば、人の世界に関わる気は無いと言う意思表示にも取れますね」

 それを聞いたガンディは、残ったお茶を飲むとタキスに向き直った。

 そして、真剣な顔でこう言った。



「確かにそうだな。それからタキスよ、落ち着いてからで良いから考えて欲しい。白の塔に戻って来い。お前ほどの者を森に置くのは余りにも惜しい。儂の後継者は、其方しかおらぬと考えておった」

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