混乱と再会
医療兵達がレイを連れて来たのは、部屋の真ん中に机と、何故か移動式の湯船が置かれた広い部屋だった。
担架を降ろした医療兵達が、手早くレイの服を脱がせていく。
首飾りを取り外されたのに気づいたタキスは、思わず叫んでいた。
「そのペンダントは、彼のお母上の形見の品でございます。どうか、近くに……」
「分かりました。それではこれは貴方が持っていてくださいね」
頷いた衛生兵が、布に包んだペンダントを手渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
脱がせた服は、手早く畳まれ何処かへ運び出されてしまった。
部屋の隅で、呆然と見守ることしか出来ない自分が情けなかった。
せめて、何をしているのか少しでも見たくて近寄ろうとしたが、衛生兵に止められてしまった。
「治療の邪魔になります。どうぞ、隣の部屋でお待ちください」
邪魔だと言われてしまっては、返す言葉は無い。言われるまま、続きになった隣の部屋へ移動した。
壁際にソファと、部屋の真ん中に机と椅子が数脚置いてあるだけの、いわば付き添いの為の部屋のようだ。
隣への扉は、開けたままにしてくれている。
扉に近い一番手前側に用意された椅子に座り、開いたままの扉越しにその様子を呆然と見守った。
「竜騎士様に、霊鱗をお願いしろ」
「とても薬湯だけでは抑えられないぞ」
「何でも良い、無理にでもこれを飲ませろ」
切羽詰まった医療兵達の声が漏れ聞こえる。
タキスの知識では何をしているのか分からない処置もあったが、彼らが皆、必死でレイの手当てしてくれているのはよく分かった。
手に持ったペンダントを机に置いて、必死で祈るようにその様子を見つめていると、別の扉がいきなり開いた。
「お前か。どういうつもりだ!」
いきなり入って来たのは、先程蒼竜に落とされた竜騎士らしかった。あちこち擦り傷だらけで、服にも鉤裂きが何箇所も出来ていて、わずかだが出血している箇所もある。
「何の事ですか」
いきなり怒鳴りつけられて、余裕の無いタキスが怒鳴り返す。
「何だと!」
駆け寄って来たその男は、いきなりタキスの胸ぐらを掴んだ。咄嗟に手を払いのけようとして、遮られる。殴られそうになり仰け反って避け、腕を掴んで捻り返した。
しかし、腕力は向こうが上だったようで、掴んだ腕を叩き落とされ突き飛ばされる。
後ろに倒れるのと、飛びかかってくるのは同時だ。咄嗟に飛び掛かってくる男の体を倒れざまに蹴り返し、手をついて横に転がって避ける。
すぐに起き上がって飛び掛かってくるその男からもう一度転がって距離を取ったが、ついに我慢の限界を超えた。
タキスの体の周りを風が舞い、机と椅子がガタガタと音を立てて動き出す。
荒れ狂う感情のままにカマイタチを放とうとしたその時、また別の人物が部屋に飛び込んで来た。
「いい加減にしろ。この馬鹿者が!」
壁がビリビリと響くほどの一喝に、竜騎士の男だけでなくタキスまでもが咄嗟に直立した。
怒鳴りつけたその人物は、直立した竜騎士に無言で近付くと、予備動作も無しにいきなりその顔を殴り飛ばした。
吹っ飛んだ竜騎士をその男は更に怒鳴りつける。
「自らの身体を盾にして主を守り、傷ついたその背に主を乗せて必死で帰ってきた伴侶である竜を放置して、お前がやらねばならぬのは客人に対して暴力を振るう事か! 大馬鹿者が! 頭を冷やせ!」
殴られて我に返ったらしい竜騎士が、赤くなった頬を押さえもせず、床に倒れたまま呆然と顔を上げて、タキスと自分を殴った人物を見た。
「も、申し訳ありませんでした。ちょっと、頭に、血が上っていたようです……」
そう言うと、ゆっくりと起き上がった。
もう、あの怒りの表情は無い。
どうやら竜の背から落とされた事で、怒りの余り我を忘れていたようだ。
蒼竜の手の中から身を乗り出して、落ちた竜騎士が生きている事を確認した時に、一瞬目が合ったように思ったのは、気のせいでは無かったのだろう。
彼は、目の前の竜を攻撃するように仕向けたのが、咄嗟に自分だと思ったのかもしれない。それならば彼の怒りも分かる気がした。
「私の方こそ、止めていただいてありがとうございます。危うく、この部屋をめちゃめちゃにするところでした」
タキスも、後から入ってきた竜騎士と思われる人物に詫びた。世話になる身で、どう考えても今のは不味い反応だった。
「謝罪を受け入れてくださり感謝します。ロベリオ、オニキスは翼の付け根に怪我を負っている、今、手当てを受けているから行ってやれ」
先程とは打って変わった優しい声で彼にそう言うと、開いたままの扉を指差した。
「失礼します!」
直立して敬礼したロベリオと呼ばれた竜騎士は、走って部屋を出て行った。
ため息と共にそれを見送ると、振り返ったその人物は、改めて右手を差し出した。
「部下が大変失礼をいたしました。改めてお詫びいたします。私は竜騎士隊の副隊長を務めておりますマイリーと申します。お怪我はございませんでしたか?」
慌てて差し出された右手を握り返す。硬いタコがいくつも出来たその掌は、一見細身だが、彼が戦う軍人である事を証明するものだった。
「私はタキスと申します。今、手当てを受けているあの子は、私の養い子でレイルズ・グレアム。私達はレイと呼んでおります」
ゆっくりと手を離したマイリーと名乗った人物は、先ほどの騒ぎで移動した大きな机を軽々と元に戻し、ひっくり返った椅子を戻してタキスに椅子を勧めた。幸いな事に、机の上に置いてあったペンダントはそのままだった。
頷いて座ったタキスの前に、机を挟んで彼も座る。
「早速ですが、幾つか質問させて頂いてもよろしいでしょうか? 竜人である貴方が何故、人間である彼と一緒にいるのですか?」
その質問は当然だろう。タキスは頷いて、去年の秋の彼との出逢いと、母の死、彼が竜の主になった時の事、それ以来、蒼の森で共に暮らしている事を話した。
「我々の情報では、蒼の森には竜人とその子供、それにドワーフが住んでおると聞いておりますが?」
「そこに、私と彼が一緒におります。私は一度もブレンウッドの街へは出ておりませんので、住民登録はしておりません」
納得したように頷いて、更に質問した。
「では、蒼の森にいるのは五人ですね」
タキスは笑って首を振った。
「いいえ、四人です。街へ出る時には、私が、変化の術で彼の姿を変えております。あの体格ですが、彼はまだ本人曰く、この春で十四才との事です。竜人とドワーフが連れて歩くにはさすがに不自然な年齢でしたからね」
「……変化の術、ですか……」
驚きのあまり声も無いマイリーに、タキスは誇らしげに笑った。
「これでも一応、精霊魔法に関しては、竜人達の間でも一流の使い手と呼ばれておりましたので」
「それは素晴らしい。機会があれば是非とも我々にもご教授頂きたいものですね」
そう言って、手元の書類に、レイの名前や聞いた話の内容を走り書いているのを、タキスは黙って見つめていた。
「あの、お聞きしてもよろしいでしょうか……」
タキスは、勇気を出して彼に聞いてみる事にした。
実は、落ち着いて来るに従って、人間だらけのこの場所に一人でいる事の恐怖心と不安が、今更ながらに湧き上がってくるのを感じていたのだ。
しかし、目の前のマイリーと名乗った人物は、不思議と怖く無かった。
顔を上げたマイリーは、当然のように頷いた。
「ええ、もちろんです。私に分かる事でしたら、何でもお答えいたしますよ」
「ガンディという名の竜人は……まだ、白の塔におられますか?」
驚いて目を見開いたマイリーは、大きく頷いた。
「ガンディのお知り合いでしたか? 彼は今、この白の塔の薬学部の長を務めております。それに、竜騎士隊付きの薬師でもあります。我々も、いつも世話になっております」
どうやら、自分は一つ賭けに勝ったらしい。
安堵のため息と共にタキスは、小さな声でマイリーに告白した。
「ならば、ガンディ殿にお伝え頂けませんか……不肖の弟子が戻りました。と……」
「弟子?」
驚いたマイリーは、今聞いた言葉を口に出した。
目の前にいる竜人は若く見えるが、人間よりも遥かに長命な竜人の年齢を、見かけで判断するのは無意味だ。
そして、以前ガンディと飲んだ時に、大切な弟子を守ってやれなかったと、今でも後悔していると聞いた事があったのを思い出した。
「分かりました。お待ちください」
そう言って立ち上がったマイリーは、扉の外にいた兵士に、ガンディへの伝言を伝えた。
おそらく今頃ガンディは、あの若者の竜熱症の浄化処置の為の薬の手配に追われているだろう。
旧交を温めるなら、全てが終わって落ち着いてからだと思っていたのに、ガンディは伝言を聞くなり、部下に現場を任せて大慌てで走ってきたのだ。
しかも部屋に飛び込んで来た彼は、普段の冷静な彼からは考えられない程に取り乱していた。
「タキス!」
物凄い勢いで部屋へ駆け込んで来たガンディは、そう大声で叫んで、部屋にいた黄色の髪の竜人を見るなり駆け寄って力一杯抱きしめた。
「生きて……生きておったのだな……良かった、良かった」
「お師匠様……申し訳ありません……」
抱きしめられた彼も、縋るようにガンディに抱きつき、涙を堪えて何度も何度も謝り続けていた。
一歩下がって、感動の再会を見ていたマイリーは、その後いきなり怒り始めたガンディに、驚いて目を見張った。
「こ、この大馬鹿者が! なぜもっと早く戻って来なかったのだ! 儂が、どれ程、どれ程心配したと思っておるか!」
「も、申し訳ありません!」
いきなり怒鳴られた彼も驚いたようだったが、慌てたようにまた謝る。
興奮してまた怒鳴ろうとするガンディの肩に手をかけて、マイリーはゆっくりと話しかけた。
「落ち着いて下さい、ガンディ。そんなに大声で怒鳴ったら、ほら、隣の部屋の者達が驚いておりますよ」
先程のロベリオの騒ぎの時には全く動じなかった医療兵達だが、ガンディの怒鳴り声に、作業の手は止めていないが、不安そうにチラチラとこちらを見ていた。
「おお、すまぬ。続けてくれ」
我に返ったガンディは、笑ってそう言うと、空いた椅子に座って大きなため息を吐いた。
「怒鳴ってすまなかった。こんなに興奮したのはいつ以来かのう?まだ心臓が早鐘のように鳴っておるわ」
苦笑いするガンディに、タキスは笑いかけた。
「それだけ心配をかけたのは私です。でも、叱ってもらえて嬉しかったです。ありがとうございます師匠。私を忘れないでいてくれて」
それはタキスの本心だった。
あの時、親身になって最後まで味方をしてくれた彼を、自分は最低の形で裏切ったのだから。
「其方に話さねばならない事が山程ある。なれど、今はあの若者の治療が先だ。後ほど、必ず時間を作る故、ここで待っていてもらえるか?」
心底申し訳なさそうに言う師匠に、タキスは笑って頷いた。
「お忙しいところを申し訳ありません。今の私には、特に何も出来ることはありません。ただここで待つのみです。逃げも隠れも致しませんので、どうぞ、私にお気遣い無くお仕事をなさってください」
ガンディが笑って頷き、タキスの肩を叩いて立ち上がったその時、また別の人物が部屋に入って来た。
「おお、殿下」
ガンディの声に、タキスは驚いて振り返った。
「貴方があの竜の主と共に来られた方ですね。はじめまして。竜騎士隊の隊長を務めております、アルス・リード・ドラゴニアと申します」
そう挨拶して右手を差し出して来る人物を、タキスは言葉も無く見つめた。
殿下と呼ばれ、ドラゴニアの名を冠する人物は、一人しかいない。
目の前にいるのは、次期皇王となるこの国の皇太子だ。
無意識に、差し出された手を握り返す。
彼もまた、硬いタコが幾つも出来た、大きな、戦う事を知る手をしていた。
「初めまして、皇太子殿下。タルキス・ランディアと申します。どうぞ、タキスとお呼びください」
「よろしくお願いしますタキス殿。早速ですが、貴方にお願いしたい事があります」
前置きも無しに話を切り出され、タキスは即座に頷いた。
「私に出来る事ならば何なりと」
頷いた彼は、はっきりと言った。
「貴方に、あの古竜を説得していただきたいのです。主である、あの青年の竜熱症の治療には、古竜の協力が絶対に必要なのです」
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