竜騎士との接触と王都への到着

 意識の無いレイを抱いたまま、タキスは湧き上がる不安と戦っていた。

 もし間に合わなかったら、もし辿り着いたとしても中に入れてもらえなかったら、考えれば考える程、不安が増す。

 嫌な考えを断ち切るように、大きく深呼吸をして目を開いた。

 レイの容体は、今は少し落ち着いているようだが、呼吸はまだとても苦しそうだ。

 抱きしめていた腕を緩めて、出来るだけ楽な体勢が取れるように、そっと抱き直した。

 その時、レイの胸元からペンダントが覗いた。

 運ぶ時に、ギードが大切なお守りだと言って首にかけてくれたのだ。

「お母上様……どうか、どうかこの子をお守り下さい」

 抱きしめて、額に何度もキスをする。

 もう一度、精霊王への祈りを捧げて、タキスは顔を上げた。



「今、どの辺りなんだろう……」

 時間の感覚が無い。しかし、聞いた事の無いような風の音がずっとしている事を考えると、相当な速さで飛んでいるのだろう。

 上下から蒼竜の手で、包み込むようにして守られているが、隙間が全く無い訳では無い。

 そっと体を起こし、指の隙間から下を覗き込もうとした。

 その時、一瞬指の隙間を大きな影が横切った。鳥の大きさではない。

 何事かと隙間から下を覗こうとしたその時、突然、辺りを震わせるような蒼竜の大声が響いた。

「どけ! 邪魔をするな!」

 慌てて身を乗り出すようにして下を覗く。

 見えたのは、絶対にあってはならない、有り得ない光景だった。



「シルフ! 落ちるあの方を守ってください!」

 咄嗟にそう叫んでいた。






 古竜がこちらへ向かっていると言う報告を受け、急遽西へ向かった三人は、西から来る圧倒的な威圧感に震えを止められなかった。

「来るぞ」

「ああ……」

「何としても奴を止めるんだ!」

 見えた黒い点は、あっと言う間に巨大な竜となり、一気に向かってきた。



 真先に古竜の前に飛び出したのは、三頭の竜の中では一番身体の大きな、ロベリオの乗るアーテルだった。

「どけ! 邪魔をするな!」

 大声で叫んだ古竜が、目の前のアーテルに衝撃波を叩きつける。

「ロベリオ!」

 タドラとユージンの悲鳴と、彼がアーテルの背から弾き飛ばされるのは同時だった。

 アーテルが痛む翼に構わず、古竜に腹を向け、身をよじって真下の主の元へ向かった。

 必死で、シルフに主を守るように命令する。

 我が身の守りはがら空きだが、構っていられなかった。このまま落ちては、翼を持たない主の命は無い。

 もう一度、蒼竜が衝撃波を放とうと口を開いた時、シルフを通したタキスの大声が、辺り中に響いた。

「やめろ蒼竜! 止まれ!」

 それは、進路を邪魔され怒りに我を忘れた蒼竜でさえ、咄嗟に従ってしまう程の圧倒的な力を持っていた。




「と、止まった……」

 呆然とユージンが呟く。

 タドラが、腰の剣に手をかけたまま、慎重に古竜の前に進み出る。

 敵わないまでも、この命かけてでもせめて一太刀浴びせてみせる。王都が迎撃の準備をする為の、時間稼ぎの足しになれるのなら本望だった。



 しかし、目の前の古竜は、金縛りにあったかのように空中に浮いたまま全く動かない。



 覚悟を決めて剣を抜こうとした正にその時、タドラの耳元に声が聞こえた。

「竜騎士様にお願い申し上げます! どうかお力をお貸しください」

 その声は、間違い無く古竜から聞こえる。

「え? 何、どこからだ?」

 その、すがるような必死の声に思わず剣から手を離し確認したが、竜の背に人は乗っていない。

「ここです! 手の中でございます」

 驚いて下を見ると、指の隙間から竜人が顔を出しているのが見えた。

「どうして竜人が? 主じゃ無いのか?」

 思わず呟くと、まるでその声が聞こえたかのように、その竜人は叫んだ。

「この子が、この子がこの竜の主でございます。先日より原因不明の病で伏せっております。こちらの蒼竜様より、竜熱症の話を聞き参りました。どうか、どうかお助けください! この子には薬が全く効かぬのです」

 竜人は、一人の人間の若者を抱いていた。どうやら意識がないらしいその若者は、口元が赤く染まり、真っ青な顔色をしている。

「り……竜熱症だ」

 ユージンとタドラの口から、同時に呻くような声が漏れる。

 二人は顔を見合わせた。

「僕のベリルの方が早い」

「頼む、俺はロベリオを助ける」

 頷くと、タドラは古竜に向かって叫んだ。

「主の病の事、了解した。ついて来られよ。王都へ案内します!」

 身を翻し、東に向かったタドラの乗る竜の後ろに古竜が続く。

 その翼を広げた身体の大きさは、若竜であるベリルの倍以上は余裕である、驚くべき巨大さだった。



 タドラは、必死に飛ぶベリルの背の上で、竜騎士隊の本部にシルフを通じて連絡していた。

「本部!こちらタドラ! 古竜との接触に成功! 主が竜熱症を発症しています。血を吐いている事を考えると、第四段階かと思われます。至急、白の塔に連絡を! 浄化処置の準備をお願いします!」

 そこで一旦口を閉ざし、手綱を握りしめる。

「ロ、ロベリオが、オニキスと共に落とされました。ユージンが救助に向かいましたが、上空からは、無事は……無事は確認出来ませんでした」

『こちら本部了解だ』

『北の山側より進入してくれ』

『白の塔の中庭に降りられる場所を用意する』

『街の上は飛ばぬ様に』

「……了解です」

 いっそ腹が立つくらいに冷静な、マイリーの言葉を伝えるシルフに、タドラは唇を噛んだ。



 翼を少し畳む様にして、全速で飛ぶタドラの乗るベリルの後ろを、古竜は悠然とついて来る。

 今は、あの圧倒的な威圧感は無く、不気味な程に大人しかった。




 緑の森の先に、王城の塔が幾つも見えてきた。

「あれが王都です、こちら側から王城の横にある白の塔の中庭に降ります」

 案内する声が震える。

 本当に、この巨大な古竜を王都に連れて行って良いのだろうか? もし、この竜が本気で暴れたら、誰にも止める事は出来ないのに。

 震え始めた指先を誤魔化す様に、タドラは力一杯手綱を握り締めた。






 アーテルの背から、何も出来ずに弾き飛ばされたロベリオは、落ちながら絶望と無力感に襲われていた。

 全く何も出来なかった。

 格が違うと笑ったルークの言葉は、正しく真実だったのだ。

 その一瞬の躊躇ためらいがシルフを呼ぶのを遅らせ、気付いた時には森の木がもう目の前だった。

 死を覚悟したその瞬間、突然現れた見知らぬ大勢の大きなシルフ達が、一斉に彼の体を支えた。直後に、慣れ親しんだいつものシルフがそれに加わった。

 落下速度が急激に遅くなる。更に広葉樹の枝にぶつかり、また落下速度が落ちる。必死で手を伸ばし、手に当たった太い枝を掴んだ。

 地面に落ちる前に、何とか木に引っかかった状態で止まる事が出来た。

 呆然と上を見上げると、古竜の手の隙間から身を乗り出すようにしている竜人と目が合った。

 何か言おうとしたが、そいつは目を逸らして手の中に戻ってしまった。

「な、何だ……あいつ」

 彼は明らかに自分を見た。その上で無視したのだ。

 自分でもよく分からない怒りが急激に湧いてきて、手にしていた枝を折る。

「シルフ! 下に降ろしてくれ」

 大声で叫ぶと、いつものシルフ達がゆっくりと降ろしてくれた。あの見た事の無い大きなシルフ達はもう何処にもいない。

「くそっ、舐めやがって!」

 自分が格下に見られて無視された事実は、更に彼の怒りに火をつけた。

「アーテル、無事か!」

 大声で叫ぶと、弱々しい声で、少し離れた場所から返事が聞こえた。

 急いで走って向かうと、少し開けた草地にアーテルは無事に降りていた。

 右の翼の根元あたりの鱗がごっそりと剥がれ、その下の皮膚が見えている。しかし、出血は無い。

「飛べるか?」

 駆け寄り一言そう尋ねると、こちらを見たアーテルは無言で頷いた。

「乗って、ロベリオ。早く追いかけないと」

「頼む!」

 傷を労わる事もせず、素早くその背に乗った。ゆっくりと上昇すると、森の上にいたユージンのほっとした声が聞こえた。

「良かった、怪我は無い?」

「打ち身と擦り傷程度だ。行くぞ!」

「待って!オニキスの翼が!」

 ユージンの悲鳴のような声を無視して、急ぎ王都へ向かう。ユージンも慌ててその後を追った。




 街の上空を避け、北の山側から王城の裏へ出る。そのまま、見えてきた白の塔の中庭に、二頭の竜は降り立った。

 ハン先生と医療兵達が、担架を持って待ち構えている。

「彼らは白の塔の医者達です。主をここに降ろしてください」

 ベリルの背から飛び降りたタドラは、駆け寄り大声で巨大な古竜に向かって叫んだ。

 改めて見上げると、その大きさに圧倒される。横で立っていた医療兵達も、無意識に数歩後ずさっていた。

 やや躊躇ためらったような仕草を見せた古竜は、しかし、ゆっくりとその手を開き中にいた二人を降ろした。

「お願いします!」

 おそらく一人で抱えるには、重いのであろう。竜人はシルフに助けられた状態で掌の上から文字通り飛び降りて来た。

「ここへ寝かせてください」

 頷いた彼が地面に置いた担架に抱いていたその若者を乗せると、大急ぎで医療兵達は塔の中へ走り去った。

 それを見送った竜人は、その場に座り込んだ。

「良かった……間に……間に合った……」

 呆然と呟く竜人に、衛生兵が駆け寄り、その体を支えて後を追って建物の中へ消えるのを、タドラは無言で見送った。

「タドラ、お前も来てくれ! 浄化処置を行うぞ」

 今日は休みで自宅へ戻っていたはずのヴィゴの声が聞こえる。どうやらまた、娘さんとの約束はすっぽかされてしまったようだ。

「今行きます!」

 大声で答えて振り返った空に、二頭の竜の影を見つけてタドラは小さく笑った。

 良かった。どうやら少なくとも、ロベリオもアーテルも自力で飛べる程度の怪我で済んだようだ。

 安堵のため息を吐いて、彼らを待たずに急いで建物の中に入った。



 第四段階まで進んだ竜熱症の浄化処置は、困難を極める。

 間に合ったと喜んでいたあの竜人には申し訳ないが、果たしてあの若者を助ける事が出来るのだろうか。どう考えても、全く楽観は出来ない状況だった。




「白の塔の中庭に、降りる場所が無い……」

 王城の上空で、二頭の竜は呆然と中庭を見下ろしていた。上から見ると、古竜の巨大さは際立って見えた。タドラの竜のエメラルドが子供のように見える。

「裏庭に降りよう。あそこなら場所がある」

 ユージンの声に、我に返ったロベリオは頷いて後に続いた。

 裏庭では、第二部隊の兵士達が大急ぎで場所を開けてくれていた。

「先に降りて」

 ユージンの声に、返事もせずに一気にロベリオが降下する。その様子に何故か不安を感じ、ユージンも慌てて後を追って降下した。

「あの竜人はどこへ行った!」

 竜から飛び降りたロベリオは、近くにいた兵士を捕まえて大声でそう叫んだ。

「り、竜の主と、共、に、中へ、入られ、ました」

 殆ど首を絞められているような状態の兵士が、必死で答える。

 無言で手を離して、そのまま建物に向かって走り出した。

「待って! ロベリオ! 一体どうしたんだよ!」

 大声で呼びかけたが、振り返りもせずに行ってしまった。

「ごめんね、大丈夫だった?」

 捕まえられて咳き込む兵士に謝り、駆け寄って来た第二部隊の兵士達に、竜を任せた。

 ロベリオの様子は普通では無い。止めなければ、何をするか分からなかった。

 大急ぎで後を追った。

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