王都の竜騎士達

 その日、まだ不自由はあるものの、何とか動けるようになっていたルークは、地上勤務で書類整理に勤しんでいた。

「それで、もう訓練は再開してるのか?」

 隣の席で、同じく書類仕事をしていたマイリーが顔を上げて尋ねる。

「いえ、まずは落ちた体力を回復させろと言われてまして、ゆっくり走ったり、筋力を戻す基礎訓練と柔軟体操が中心ですね。何しろ、左手はまだ殆ど握力は戻ってませんから、ハン先生に、竜に乗るのはまだ絶対に駄目だと止められてます」

「骨まで届く怪我だって言ってたからな。まだひと月程でそこまで回復したんなら元気な方だろう」

「ガンディが、古い知り合いが作った薬だって言って、特別製の薬を処方してくれたんですよ。不思議な事に、その薬を使い出してから一気に怪我の回復が早くなったんです。何で、もっと早く使ってくれないんだって言ったら、その人とは滅多に会えないし、貴重な材料だからそう簡単には手に入らないんだって。そう言って笑ってました」

 マイリーは、文字を書いていた手を止めた。

「それは良かったな。しかし、我々でも効くって……一体どれだけ強い薬を使ったんだ?」

「それは俺も思いました。でも、怪我が少しでも早く治るんなら、別に家畜の為の薬でも、竜の為の薬でも俺は別に構いませんよ」

 それを聞いたマイリーは、堪える間も無く吹き出した。

「確かにそうだな。俺も別に気にしないな」

 ルークも、それを聞いて笑って頷いた。

「そう言えば、あのタガルノから来たニーカって子は、まだベッドから殆ど動けないんですよね。退屈だって言ってましたよ」

 部屋は違うものの、彼女が同じ病棟にいると聞いたルークは、入院中に、ちゃっかりとあの少女と仲良くなる事に成功していた。

「相変わらず女性には人気だな。次回から、彼女の見舞いと連絡事項の伝達はお前に頼むよ」

 週に一度は見舞いに行っているのに、未だに一度も彼女の笑顔を見ていないマイリーは、情けなさそうにため息を吐いて、出来上がった書類をまとめた。

「そういえば彼女が怖がってましたよ。マイリーって名前の怖い男の人が毎週来るんだって。一応、無愛想だけど悪い奴じゃ無いって、言っておいたんですけどね」

「……無愛想? 俺は無愛想なのか?」

 驚いたように顔を上げるマイリーを見て、ルークは堪える間も無く吹き出した。

「まさかとは思いますが、自覚無かったんですか? 駄目ですよ、女性は、産まれたばかりの小鳥より繊細なんですから。そのつもりでお相手しないと」

「……産まれたばかりの小鳥? 個人の認識の違いとは恐ろしいな。俺には子持ちのケットシーに見えるぞ」

 大真面目にそんな事を言うマイリーに、ルークはもう一度我慢出来ずに吹き出した。

「まあ、怒らせたら確かに、子持ちのケットシーに豹変される事もありますけどね。でも、基本は小鳥ですよ。さえずるのが好きで、群れるのが好き。寂しがりで、構われたがり。ね、小鳥と同じでしょ?」

「……その小鳥には、随分と鋭い嘴が付いてそうだな」

「マイリー面白すぎる。俺、大抵の事は、貴方には絶対敵わないと思ってますけど、こと女性の扱いだけは、勝てる自信があるな」

 満面の笑みでそう言いながら、出来上がった書類をまとめて渡した。

「じゃあこう考えてくださいよ。男女云々って考えるんじゃなく……お相手は難攻不落の気難し屋。だけど、どうしても味方にする必要がある。その人は、お喋りや賑やかなパーティが好きで、ちょっとした事を褒めると機嫌が良くなることも分かってる。贈り物も有効。どうです?攻略するにはどこから攻めます?」

 無言で聞いていたが、暫く考えてこう答えた。

「それだけ情報が分かってるのなら、簡単だろう。相手の好きな話題を勉強して、必要なら事前に体験しておく。パーティーの開催と招待、パーティに関しては、開催を複数の知り合いに頼むのも良いな。贈り物は、出入りの商人に好みを伝えれば、品物の確保は容易だろう。細かな贈り物を何度もして、一品ものの高級品をここぞという時に贈るか、後は、お会いした時に好みの話題を振って……」

 次々と出て来る対策に、ルークは笑いを堪えられない。

「これで自覚が無いってのが俺には理解できない。それって全部、女性相手に有効な手段ですよ。それを全部実行すれば、稀代の女誑しになれますよ」

 机に突っ伏して笑うルークの左腕を、わざと突いてやる。

「痛いって! 左腕はやめてください!」

 まだ笑いながら腕を押さえるルークに、苦笑いしたマイリーは書類を手に立ち上がった。

「成る程、勉強になったよ。機会があれば実行してみよう」

「笑顔も忘れずにね。ヴィゴが女性陣に人気があるのは、あの厳つい体型でも、常に女性相手に笑顔を絶やさないからですよ」

「タガルノの一個中隊を相手にする方が、俺には簡単に思えるよ」

 本気でそう言うマイリーに、ルークはもう笑い過ぎて顔を上げられない。

「駄目だ。腹が痛い……」

「勝手にしろ。俺は事務所にこれを提出したら、竜舎へ顔を出して昼食、その後、午後からは殿下と一緒に女性陣のお相手だ。何ならお前も行くか?」

「殿下と一緒にって……お相手は?」

「皇太后様と、王妃様、後はまあ、いつもの面々だな。皇太后様は、このところお加減も良いらしく、わざわざお茶にお誘い下さった」

「えっと……謹んで遠慮させて……」

「暇なんだろ? 助けると思って来てくれ」

「いや、あの……」

「よし、決まりだな。では、ルークもご一緒させて頂きますと、連絡しておこう」

「うわあ、もしかして、最初からそれが目的で俺を書類整理に誘ったでしょ!」

「さて、何の事かな?」

 しらばっくれるマイリーに、ルークはまたしても机に突っ伏した。

「こっち方面は頼りにしてるんだからな。しっかり頑張ってくれ。これも、適材適所だ」

「そんな言い方は狡いです」

 上目遣いに自分を見るルークの肩を、マイリーは笑って叩いた。

「じゃあ、午後一番で迎えに来るから、よろしくな」

「うう、了解です。どうせ今の俺は、現場では役立たずですからね。せいぜい愛想を振りまいて来ます」

「頼りにしてるよ」

 すっかり通常業務に戻った彼らは、のんびりとした日常を送っていた。






 一方、ユージンとロベリオ、タドラの三人は、朝からそれぞれの竜に乗って出掛けていた。

 向かう先はオルダムの北に広がる丘陵地帯の、ロディナ地方だ。

 この地を代々預かるのはシヴァ将軍を家長とするロディーナ家、その一族が治めるこの地は、建国より六百有余年、国内の精霊竜の繁殖と飼育を一手に請け負っている。

 竜の背山脈の麓に広がる広い森は、竜の保養所と呼ばれ、幼い子竜や、戦いで傷ついた竜の手当てと療養を兼ねる場所だ。

 タガルノから来たクロサイトと呼ばれているあの薄紅色の竜も、先週初めにロベリオとユージンがまた網を使ってこの地に運び、以来静かなこの地で療養している。

 竜のあるじである少女は、まだ歩く事が出来ないので、定期的に竜騎士達が様子を見に通っているのだ。




「クロサイト、随分と元気そうになったな」

「ちゃんとご飯を食べてるか?」

「良かったな。少し太ったみたいだ」

 三人は、竜舎の奥で干し草の上に寝転んでいる竜に、それぞれ撫でながら優しく話しかけた。

「ご飯の味が分かるようになって来たよ。それに、他の竜から色んな事を教えてもらってるの」

「例えば?」

「精霊達について。無意識にやっていたけど、ちゃんと教えてもらうと、すごく良く分かるね。早く元気になって、主と一緒に空を飛びたい」

 嬉しそうに顔を上げて言う竜に、三人は笑った。

「お前の主は、まだ医療棟に入院してるよ。歩ける様になるには、もうしばらくかかりそうだって。お前とどっちが先に元気になるかな?」

 タドラの声に、竜は顔を向けた。

「僕が先に元気になれば、会いに行ける?」

「もちろん、その時は俺達が付き添ってやるよ。だから早く元気にならないとな」

「うん。ここの人達も、とても良くしてくれるよ。主と僕を助けてくれて本当にありがとう」

 クロサイトは、彼らが来る度にいつも礼を言い、早く主に会いたいと言った。

 本当は、竜と主がこんなにも長い間離れているのは、良い事では無い。しかし、それぞれが怪我をし弱っていて療養を必要とする身である以上、仕方が無い。

 互いの近況を知らせてやり、安心させてやる事も、竜騎士達の仕事だった。

「お、また一段と大きな鱗が剥がれたな。そうだ、これ、もらって行ってニーカに渡してやろう。こんな大きな鱗が出て来てるって分かるよな」

 ユージンが手にしたのは、足元に落ちていた胸元から剥がれた古い鱗だ。

「あ! これ、霊鱗れいりんじゃないか! これが剥がれたって事は、そろそろ精霊を自分の意思で集められるぞ」

「あ、本当だ! シヴァ将軍に報告しないと!」

 タドラも、ユージンが手にした鱗を見て歓声を上げた。



 精霊竜は、精霊と共棲する為に霊鱗と呼ばれる特殊な鱗を持っている。

 喉元から胸元の辺りにあるその鱗は、他の鱗よりも一回り以上大きく、成長と共にその数を増やす。

 子竜なら一枚、若竜なら二枚、成竜で三枚から五枚、老竜で四六枚から八枚程だ。

 その鱗に、精霊達が宿り精霊竜の力の源となる。当然、数が多い程、精霊竜の力自体も強くなる。

 逆に言えば、この鱗を奪われたり、再生出来ない程に傷付けられると、精霊竜はその身体を保つ事が出来なくなり、いずれ命を落とす事になるのだ。正に、命の源とも呼べるものだ。

 その為、その鱗は巧妙に隠されていて、大きな鱗なのに、見ただけでは、どこにあるのか見つける事は簡単には出来ない様になっている。

「良かったな。少し成長したぞ。これが剥がれたって事は、霊鱗が大きくなったって事だからな」

 三人が、嬉しそうに笑って竜の首や鬣を何度も撫でてやる。

 クロサイトは小さな声で、やや躊躇った後に三人に向かって首を上げた。

「貴方達には本当に感謝してる。僕にはまだ出来る事なんて無いけど、信頼の証にこれを見せるよ」

 そう言って上を向いて見せた喉のやや下側、鬣の薄くなった辺りに、一際大きな鱗が見えた。

「これが僕の霊鱗。もし僕が危険だと判断したら、ここを潰して。そうすれば、僕はもう生きていられないからね」

 呆気にとられた三人に、クロサイトは不思議そうに首を傾げてみせた。

「どうかした?」

「……信頼してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。絶対にそんな事にはならない」

「そうだよ。俺達の竜の方が上なんだから、万一危険が有ると判断したら、ちゃんと支配下に置いて、お前も主も守ってやるよ。だから安心しろ」

「そうだよ。そんな悲しい考えは止めるんだ。この国では、竜は大切な存在なんだから、簡単に殺したりしないよ」

 三人は、そう言って竜の首を順に抱きしめた。

 クロサイトは、優しいその手を心から嬉しいと思える自分が嬉しかった。

 タガルノでは、役に立たないと判断された竜は、簡単に殺された。

 今から思えば、あの状態を受け入れていた時点で、自分もおかしくなっていたのだろう。

 クロサイトは、故郷に置いて来た、他の竜達のことが心配でたまらなかった。



「さてと、シヴァ将軍に霊鱗の事を報告したら、俺達も引き上げよう」

「そうだね。折角だから、こっそり街へ降りてみる?」

 タドラの声に、ユージンは、真顔で首を振った。

「いくらなんでも、この格好でそれは不味いだろ」

 彼らは、三人とも薄緑の遠征用の竜騎士隊の制服を着ている。

 街へ出たら、間違い無く人が集まって大騒ぎになるだろう。

「そうか、残念。じゃあ、早く戻ってお昼にしよう」

「そうだな。それじゃクロサイト、また来るから元気でな」

「この鱗は、ニーカに渡してあげるからね」

「元気でね。また来るから」

 三人の笑い声に、クロサイトも嬉しそうに喉を鳴らした。まだ、喉を鳴らすのも下手だが、逆にその不器用さが愛しかった。




 竜舎の外には、鞍をつけたままの三頭の竜が、並んで主が出て来るのを待っている。

 待っている間に水を飲ませてもらい、体を拭いてもらって三頭共ご機嫌だ。

 後は、のんびり王都まで戻るだけだ。

 三人が、竜に声をかけようとしたその時、隣の建物からシヴァ将軍が飛び出して来た。

「大変です! 今、本部から緊急事態発生の連絡がありました! 蒼の森の竜が、森を飛び出して東に向かって飛行中との事です。間違い無くこちらへ向かってます。このままだと、王都への侵攻も有り得ます!」

「なんだって!」

 三人は、咄嗟にそれぞれの竜に飛び乗ると、そのまま一気に上昇した。

「とにかく、何があっても止めるんだ!」

 ロベリオの声に、二人も頷いた。

「この命に代えても、止めてみせます」

「三頭いれば、足止めくらいは出来ますよ」

 蒼白になった顔を見合わせた三人は、頷くと弾かれたように西に向かって飛んだ。

 既に、シルフ達に聞かなくても、西の方角から圧倒的な力を持ったものが近付いて来るのが、彼らでさえも分かった。



 もう、古竜との接触は時間の問題だった。

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