タキスの決断
「竜熱症? 何ですか、その病は? どう言った症状で、何が原因なのですか! 何でも良い、ご存知の事を全て教えてください!」
悲鳴の様なタキスの声に、ブルーのシルフは沈黙した。
ようやく落ち着いたタキスは、ブルーのシルフを見つめながら今聞いた話をまとめる
「人間のみが罹る、精霊竜の側にいることにより発症する死の病、竜熱症……特効薬はあるが、それが手に入るのは、王都の白の塔のみ……」
頷くシルフに、タキスは思わず怒鳴りつけた。
「何故! それをもっと早くお教え下さらなかったのですか! 第一、そんな話を一体、いつ、何処で知ったのですか!」
物凄い勢いで怒り始めたタキスに、ブルーのシルフが怯えたように後ずさる。
『先日、蒼の森に来た竜騎士達が話していたのだ。しかし、彼らの言っていた事が真実だとは限らぬ……人間共は、簡単に嘘をつく』
人間への不信感をあらわにする蒼竜を、タキスはまた怒鳴りつけた。
「例え、例えそうであったとしても! こと、竜に関しては、竜騎士達ほど信頼出来る者はこの世にはおりません。彼らは皆、竜の伴侶であり半身なのです。それは貴方様が一番よくご存知でしょうに」
沈黙するブルーのシルフを見て、タキスは必死で考えた。
このまま何の手当ても出来なければ、間違いなくレイの命はあと数日だろう。そして、その薬の成分が判らない以上、ここで自分で調合する事は不可能だ。
それならば、残された手立てはただ一つ。
彼を白の塔へ連れて行くしか無い。
何度考えても、それしか方法は無かった。
しかし、白の塔へ行くことをタキスは躊躇った。
何故なら、エイベルの身体を奪った彼らこそ、白の塔にいた医師達。つまり、当時のタキスの同僚だったのだ。
あの悪夢の出来事を思い出しただけで、今でも体が震える。
五十年もの月日が流れた今となっては、もう当時を知る人間はいないだろう。しかし、おそらく同僚だった竜人は、まだ白の塔にいる筈だ。
果たして、彼らが自分の言う事を聞いてくれるだろうか?
理由はどうあれ、自分は罪を犯して放逐された身だ。最悪、戻れば囚われる事だって有り得るだろう。
しかし、赤い顔をして意識のないレイを見て、その頬に手をあてる。高熱が続き、息をするのも苦しそうなその身体を、涙を堪えてそっと抱きしめた。
「何があろうと、絶対に助ける。この子を喪うよりも恐ろしい事など、もう私にはありはしないのだから……」
額にそっとキスをすると、顔を上げた。
もう、躊躇いは無い。その瞳には、決意を秘めた強い力が宿っていた。
「蒼竜様、お願いします。私とレイを、今すぐに、王都の白の塔へ連れて行ってください。あなた様の翼よりも早いものは、この世にはございませぬ。出来るだけ早く、どうかお願いします」
『しかし、行ったところでどうなる?
その疑問は最もだが、タキスは自信ありげに笑った。
「大丈夫です。蒼竜様は一刻も早く、私とレイを、王都の白の塔に届けてくださればそれで良いんです」
その時、落ち着いていたレイが急に咳き込んだ。慌ててニコスが、横を向かせて背中をさすってやる。
酷い咳は続き、苦しそうに無意識に腹を押さえてまた咳き込んだ直後、枕が赤く染まった。
「レイ!」
三人の悲鳴が部屋に響いた。レイが血を吐いたのだ。
何度も酷く苦しそうに咳き込み、その度にやや赤黒い血を嘔吐する。
「腹からの出血……蒼竜様! もう、一刻の猶予もありません。お願いします! 今すぐに来てください!」
シルフにそう叫んで、とにかく濡らした布でレイの口元の血を拭ってやる。
『分かった。今、転移の魔法で庭に来た。レイを連れて出て来い。何があろうと王都の白の塔まで行ってやる』
慌ててニコスが綺麗な毛布を出してギードに渡し、タキスと二人掛かりでレイの体を包み込んだ。
台所に走ったニコスは、大きな水筒に満杯まで水を入れ、持ち手の付いた籠に戸棚から綺麗な布を詰めるだけ詰め込んで部屋へ走った。その時に、のど飴の瓶が一緒に布の隙間に落ちて入っていた事に、ニコスは気付かなかった。
タキスとギードの二人掛かりにシルフまで手伝って、皆でそっと意識の無いレイを表へ連れて出た。
庭には、既に蒼竜が待っていた。
「我の手の中へ。最速で飛ぶ故、背の上は危険だ」
そう言って、タキスとレイを、その体の割に小さな手の中に座らせた。
小さな手といっても、二人が掌に座れるだけの充分な大きさはある。
ニコスが持ってきた籠をタキスの横に置いた。
「水筒は満杯まで入ってる。布はこれだけあれば良いか? 他に何かいるものは?」
タキスは首を振った。
「いえ、大丈夫です。ニコス、ギード、今までありがとうございました。何があろうと、この子は絶対に助けます。私の事は、万一何か聞かれても知らぬ振りをして下さい」
「おい、待て。それはどう言う意味だ!」
ギードの叫び声に、タキスは晴れ晴れと笑った。
「恐らく王都へ行けば、私は囚われるでしょう。王都では私は今でも犯罪者です。でも、構いません。私はもう充分に生きました。この子の命と引き換えにできるのなら、惜しいものなどありはしません。さあ、蒼竜様、参りましょう」
呆気にとられた二人にもう一度笑いかけると、何事も無かったかのように蒼竜の手を叩いた。
「分かった、レイを抱いてしっかりと座っておれ。最速で飛ばすぞ」
今のやり取りを聞いていた蒼竜だったが、何も言わずに二人を守るようにそっと手を閉じると、大きく翼を広げて一気に上昇した。
そして、東の方角へ弾かれたように飛び去って行った。
「この大馬鹿者が! たとえ助かっても、お前がいなければ、レイがどう思うか考えろ!」
大声でそう叫ぶと、ニコスの顔を見た。
「今はとにかくレイを助けてもらう事が最優先だ。しかし、だからと言うてタキスを諦める事など決して認めんぞ!」
「当たり前です。誰がそんな事、認めるものですか」
同じように怒りに震えるニコスも答えた。
「いざとなったら、王都へ殴り込みじゃぞ」
「望むところです。あの大馬鹿者に思い知らせてやりましょう。勝手に一人で、生きる事を諦めるなんて絶対に許さないってね」
二人が見上げた空には、もう蒼竜の姿は見つけられなかった。
蒼竜の掌の中で、タキスはレイを抱きしめたまま震えていた。
先程から、僅かずつではあるが、レイの呼吸が弱くなっている。
必死で背中をさすり、顔を上げさせて、少しでも呼吸が楽になるようにした。
「精霊王よ、どうかこの子を連れて行かないでください。どうか……どうか……」
もう、祈ることしかできなかった。
その日、午前中の当番に当たっていたフィルは、同僚の兵士達と共に見張りの塔の上で、北西方面を中心に任務に当たっていた。
交代まであと少し、砦ではこのところ竜の目撃情報も無く、平和な日々が続いていた。
「一度ぐらいはこの目で野生の竜を見てみたいよな」
遠眼鏡を拭きながら、先輩兵が呑気そうに呟いた。
「確かにそうですけど、もしこっちに来たらどうしよう……とか、思いませんか?」
弱気なフィルの言葉に、三人の先輩達は皆揃って笑った。
「蒼の森に引き篭もったまま何百年も出て来なかったんだろ? 今更、どうして出て来るんだよ」
「確かにそうだよな。きっと、森が好きなんだよ」
「逆に、人間が嫌いとか?」
「やめてくれよ、それは怖い」
気軽に軽口を叩き合っていられるのは、竜は自分達とは違う世界の話だと思っているからだろう。
しかし、フィルはそうは思えなかった。
存在している事は知っていても、自分とは全く関係ないと思っていた精霊を突然見る事が出来るようになり、その勉強のために人事異動までされた友人がいる。
彼だって、同じ様に精霊や竜なんて自分とは全く無関係だと思っていた筈だ。
まだ好き勝手言い合って笑っている先輩の相手をやめて、とにかく自分の任務を遂行する事にした。
「北西方面、異常無し……いや、何だあれ!」
蒼の森方面から、突然現れた巨大な黒い影が、こっちに向かって物凄い速さで飛んで来る。
「何だ?」
背後から間の抜けた先輩の声が聞こえたのと、砦のすぐ横を巨大な影が横切ったのは同時だった。
呆気にとられる一同が全く反応出来ずにいた一瞬の間に、その巨大な影は、東に向かって飛び去ってしまった。
一番先に我に帰ったのは、それを見つけたフィルだった。
咄嗟に警告の鐘に飛び付き必死で力一杯叩く。その音に我に帰った先輩が、下に向かって大声で叫んだ。
「緊急事態発生! 巨大な竜が、東の方面に、ものすごい速さで飛び去りました! 緊急事態発生! ブレンウッドの街へ警告を! 野生の竜が森から出て来ました!」
中庭は、既に火が付いたような大騒ぎになっていた。その直後、西の古砦から精霊を通じた伝令が送られてきた。
『たった今蒼の森から巨大な竜が飛び出して来た』
『東に向かって飛び去ったのが目撃された』
『注意されたし!』
「遅い! もう通り過ぎたよ!」
伝令兵がそう叫び、慌ててブレンウッドの街に連絡を取る。
「緊急事態発生! こちら九十六番砦。蒼の森の野生の竜が、森を出て東に向かって飛び去るのが目撃されました。物凄い速さです。ご注意ください!」
「王都の竜騎士様にも連絡を!何としても止めるんだ! 絶対に、あの竜を王都へ行かせてはならない!」
叫ぶような上官の声に、伝令兵は、慌ててシルフに王都の竜騎士隊の本部に連絡を取るように伝えた。
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