訓練と花祭りの始まり
「花祭り、始まったね」
ラプトルを固く絞った布で拭いてやりながら、レイがそう言って嬉しそうに笑った。
「そうだな。でも、俺達が行くのはもうちょっと先だけどな」
横で家畜にブラシをかけているニコスも、そう言いながら笑っている。
「はっなまーつりー、はっなまーつりー!」
調子っ外れな音程で、適当な歌を口ずさみながらご機嫌で騎竜の世話をしているレイの様子は、見ているだけで笑みがこぼれる。
「身体は大きくなったが、ああ言うところはまだまだ子供だな」
「そうですよね。本当にそう思います」
ギードとタキスも、家畜達の世話をしながら、その様子を微笑ましく眺めていた。
「そう言えば夕べ、跳ね馬亭のバルナルから精霊を通じて伝言があってな。念の為、花祭りの四日目と五日目の二日間宿を抑えてくれたそうだ。頼んだ六日目は団体の予約が入って、いつもの部屋が取れんかったらしい」
「おや、そうなんですか? それなら折角ですから、ゆっくり行ってきてくださいよ。私も、久しぶりに、ここでのんびり過ごしますから」
「お主も行ければ良いのだがな」
「私まで行ったら、家畜達の世話は誰がするんですか?」
残念そうに言うギードに、タキスは首を振って黒角山羊を撫でた。
「やっぱり、私は人間は苦手です。どうぞ私の事は気にせず楽しんで来て下さい」
「そうか。ま、たまにはのんびりするのも良かろうて。それと、レイの姿を変える変化の術は、お主に任せるからまたよろしくな」
「ええ、もちろんそのつもりです。二度目ですから、前回よりずっと簡単に出来ますよ」
楽しそうに笑うと、空を見上げた。釣られて空を見上げたギードも笑った。よく晴れた空には、すっかり見慣れた大きな影が、翼を広げて飛んで来た所だった。
「ブルー! おはよう。今日も良いお天気だね」
ラプトルを拭いた布を絞っていたレイは、落ちて来た影に空を見上げて、嬉しそうに手を振った。
「うむ、おはよう。今日も元気だな。ここしばらくは、良いお天気が続く様だぞ」
ゆっくりと草原の端に降りて来たブルーが、嬉しそうにレイに頬擦りしながらそう言った。
ブルーの足元には、
大喜びで、荒れた土をほじくり返して虫を探す黒頭鶏達の様子を、首を伸ばして上から面白そうに眺めていた。
「ブルーは優しいね。ほら、黒頭鶏達があんなに喜んでる」
「我の元には、あの様な小さき者達は滅多に寄ってこない故な。ついつい珍しくて、様子を見たくてやってしまうだけだ」
何でも無い事の様に素知らぬ顔でブルーは言っているが、レイの足元にある巻き込まれた尻尾の先が、パタンパタンと左右に揺れているのは、恐らくブルーの照れ隠しなのだろう。
素知らぬ顔でそれを見なかったふりをしたレイは、ブルーのお腹にもたれて座った。
「もう少ししたら、ブレンウッドの街に花祭りを見に行くんだよ! すごいでしょ! 僕、花祭りを見るの初めてなんだよ。すっごく楽しみなんだ」
「レイ、一応、街へ行く目的は買い出しなんだからな。忘れないでくれよ」
どうやら、本来の目的を忘れているらしいレイに、ニコスは笑ってそう言った。
「あはは。もちろん分かってるよ。やだなあニコスったら」
「いやいや。お主、絶対忘れておったろう」
ギードにまでそう言われてしまい、皆で顔を見合わせて笑った。
家畜と騎竜達の世話が終わると、揃って草原の横にある林の訓練場所に向かった。
「今日は、岩登りと走るのと、どっちからする?」
「走る! かなり慣れて来たから、もう止まらずに走れると思うんだけどな」
準備運動をしながら、レイが顔を上げてそう言って笑う。
「慣れて来たのか。それじゃあ足場の位置を変えるか」
それを聞いて、ニコスが嬉しそうに笑って林の方へ走って行った。
「え? ちょっと待って! 何それ、そんな事出来るの?」
慌てたレイが後を追って走り出した。
「だって、決まったコースを走っても面白くないだろう?」
林の手前で立ち止まったニコスが笑顔でそう言うと、足元に出てきたノーム達と顔を寄せて話し始めた。頷いたノーム達は、嬉しそうに手をあげてニコスと手を打ち合わせていなくなる。
「ええ? しかも変更はノームがするの? って事は、なんでも出来るって事じゃないか。ずるい! やっと慣れてきたのに」
呆気にとられたレイの叫び声に、大人達は堪えきれずに吹き出した。
「ほう、これは面白い方法を考えたものだな。ノームを使えば、確かに多少の変更は思うがままだな」
いつも、上からレイの走る様子を見ているブルーが、感心した様にそう呟く。
「じゃあ、見本で一度走って見せるから、後ろからついて来れば良いよ」
「うう、お願いします」
悔しそうに言うレイの様子に、ニコスはもう一度吹き出した。
「初見で、躊躇い無く走れる様になれば大したもんだよ。先ずは、しっかり見て足場を確認する事だな」
現れたノームが頷いて、自慢げに親指を立てて合図するのを見て、ニコスは林の中へ走って行った。その後をレイが付いて行く。
しかし、あっと言う間に置いていかれ、レイは立ち止まってしまった。
少し足場の位置が変わっただけで、踏み切る場所がもう分からない。なんとか飛び上がっても、次の着地地点を咄嗟に見つけられなかった。
「ああ、もう駄目だ。ニコスが見えなくなっちゃったよ」
立ち止まって必死で息を整えた。もう、立ち止まるのは何度目か分からない。
「レイ、左だ。大きい方の木に足場があるぞ」
上から見かねたブルーが声をかけた。
「教えちゃ駄目だよブルー、でもありがとう。こっちだね」
苦笑いしながら、左の木に走り寄り、根本にある大きな石に駆け上がった。そのまま張り出した木の枝に足をかけて隣の木まで飛ぶ。両手も使ってなんとか飛び移ると、そのまま飛び降りてまた走り出した。
「止まったのは十一回、初見にしてはなかなかだな」
ようやく林を抜けた。
待っていたニコスにそう言われてレイは首を振った。
「ブルーに道を教えてもらったから、十二回だね」
「いや、止まる事はあっても転ばなかったろう。このコースはかなり上級者向けみたいだからな、それだけでも大したもんだ。うん、かなり上達してるぞ」
ニコスにそう言われて、嬉しくて笑った。
確かに、自分でもちょっとは上手くなったと思っていた。少なくとも足場が分かれば全く歯が立たないと言う事は無い。
「後は、しっかり見る事だな。走りながら、常に先を見て頭の中でコース取りをする事。それなら着地した時には次の動作の準備が出来てるだろ。そうする事で、移動の動きが滑らかに繋がるんだよ」
「難しい! ああ、制覇できるのはいつなんだろう」
座り込んで水を飲みながら、悔しそうに笑った。
「絶対、攻略してやる」
「頑張ってくださいね。でも、怪我には十分気をつける事。ノームが守ってくれているとは言え、不用意な行動は駄目ですよ」
タキスが少し心配そうにそう言って、汗をかいたレイの額を拭いてくれた。
「もちろん、それは気を付けてるよ。僕も怪我は怖いからね」
受け取った手拭いで、顔を拭きながら何度も頷いた。
ブレンウッドの街では、良いお天気の中、花祭りが始まっていた。
街の中には、大きな噴水のある広場が幾つもあり、その周りには、特設の屋台や土産物屋が軒を連ねている。
それから新市街の端に大きな広場があり、普段は市民の憩いの場として解放されているのだが、祭りの期間中は、そこが特設会場として設置されていて、特に大きな花の鳥が何体も並べて展示されている。
花の鳥の前には看板が設置されていて、作った人や団体の名前と共に投票箱が設置してある。気に入った花の鳥に見学者達が投票をする仕組みだ。
毎日集計されるそれは、中央広場に張り出されて、祭りの間中皆がそれを見て一喜一憂する。
そして、最終日に誰が一位になるかは、密かに大人達の間では賭けの対象になったりもしていた。
「今年は、特に大きいのが目立つな」
「おお、首が動いたぞ。あれは一体どう言う仕掛けになっている?」
早速集まった見物人達は、街で買い物をしたらもらえる投票権を手に、口々に好きな事を言いながらどの花の鳥に投票するか相談し合っていた。
中には、花の鳥を見上げて、驚きのあまり口を開けたまま動かない者もいた。
初日と二日目、そして最終日は、花人形と呼ばれる花で着飾った人達の行列もある。男女を問わず、実際の服の上に特別製の細かな網状の服を着て、その網に花を指して飾り付けるのだ。髪や耳元にもたくさんの花を飾る。
当然飾られた人は動けないので、同じく全身を花で飾られたトリケラトプスに引かせた荷馬車に乗り込んで、そのまま街中を練り歩くのだ。
花行列と呼ばれるそれも、花祭りの人気行事の一つだ。ただし、ものすごい人混みなので、敢えてその日は避けて見に行くと言う見物人も多い。
花人形が着た服は、花行列のない日は人形に着せられて、同じく特設会場に飾られている。
「綺麗なもんだな。しかし、花にとっては受難の時期だよな。折角咲いてるのに、種も残せず短くちぎられて、ぎゅうぎゅう詰めにされてな」
やや皮肉っぽい口調でそう言うと、一人の背の高い男が花人形の前に立った。
彼は、明らかに他の人達とは違った服を着ていた。
やや薄汚れてはいるが、全身真っ黒な服で、その服も明らかに周りの者達と違う。真っ黒な革の胸当てと籠手、足元には脛当て。そして腰には大小二本の剣を装備している。幾重にも重ねたごく薄い布で頭を巻いている。
黒い革のマントを羽織り、背中には同じく真っ黒な背負い袋。
色とりどりの華やかな景色の中にあって、彼の黒一色の服装は、不自然な程目立っていた。
「アルカディアの民だ」
「本当だ。祭り見物かな」
「初めて見た。本当に真っ黒しか着ないんだな」
小さな声で話す周りの事などお構い無しに、その男は楽しそうに花の鳥を見て回り、一際大きな花の鳥に持っていた投票券を投票すると、何事もなかったかのように広場を後にした。
彼の肩には当然のように、あり得ないほどの大きなシルフが座っていた事を見る事が出来た者は、残念ながらその場にはいなかった。
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