街へ行こう
その朝、いつもよりかなり早くシルフ達に起こされたレイだったが、ご機嫌で待ってましたとばかりに飛び起きたのだった。
「はーっなまーつりはっなまつりー、楽しい楽しい、はっなまっつり〜!」
ここ数日のお気に入りになっている適当花祭りの歌を歌いながら、大急ぎで服を着替える。
いよいよ今日から、花祭りの開催されているブレンウッドの街へ行くのだ。夢にまで見た本物の花祭りだ。
「レイ、おはようございます。起きてください……って、おやおや、もう起きてるんですね」
起こしに来たタキスが、もう着替えているレイを見て笑っている。
「おはようございます。だって、楽しみなんだもん! 寝てなんていられないよ」
ぴょんぴょん飛び跳ねる朝から元気なレイに、タキスは呆れ顔だ。
「楽しみにするのは構いませんが、行く途中で居眠りこけて、荷馬車から落っこちないでくださいよ」
「え? どうして? 僕もラプトルに乗るよ?」
てっきり自分もラプトルに乗るんだと思っていたので、不思議に思って聞くと、タキスはレイを見て首を振った。
「残念ながら、それは無理ですね」
タキスについて部屋を出て廊下を歩きながら、レイは首を傾げていた。
連れて行かれたのは、前回と同じ家具が何も置かれていない広い部屋だ。
「そっか。また姿を変えるんだね」
部屋には既にニコスとギードがいて、いつものように挨拶してくれた。何故か、ニコスは手に服を持っている。
床には模様が細かく書かれているが、以前見たものよりも随分と簡単なように思った。
「前は、初めて見たから、もっと複雑に見えたのかな?」
不思議に思いつつ、そう呟きながら模様の真ん中に立つ。その時ペンダントが跳ねて、三人の光の精霊達が飛び出して来た。
「あ、おはよう。君達がまた手伝ってくれるんだね」
久しぶりに見る光の精霊に笑って話しかけると、彼等は振り返ってレイの肩や頭に座った。
『おはようかの人の愛し子』
『我らどこまでもお供するよ』
『良き成長は喜ばしき事』
小さな声で口々に話しかけてくれた。
「おはよう。今日はよろしくね。それから今度ゆっくり母さんの事教えてね」
確かに母さんを知っている彼等の存在が嬉しくて、胸がいっぱいになってそう言ったが、彼等は困ったように首を振った。
『それはまだ其方には早い』
『
『未だその時にあらず』
「えっと……どう言う事?」
光の精霊達の言っている意味が分からなくて困っていると、側で聞いていたタキスが教えてくれた。
「どうやら、彼等なりの、何か話せない理由があるようですね。未だ時は熟さず、その時にあらず。つまり、まだその時ではないから待っていなさい。って意味です」
ウンウンと頷く精霊達を見て、残念だが言う通りに待つ事にした。
「分かったよ。だけど君たちがいいと思ったら、その時には母さんの事教えてね。約束だよ」
『良い子だ良い子だ』
『やはりあの人の子だ』
『愛しや愛しや』
皆嬉しげに頷いてそう言うと、ふわりと浮き上がりレイの頭の上に飛び上がった。タキスの上には既に二人の光の精霊が現れている。
五人の精霊達は、輪になってレイの頭上をクルクルと回り始めた。
「動かないでくださいね」
タキスが目の前に立ってそう言うと、目を閉じてレイの額にそっとキスをした。
「謹んで精霊王に申し上げ候、王より賜りしその子の姿を
そう言ってレイの頭上に、両掌を下向けにして指を開いた状態で突き出した。
それを見たニコスとギードが、ゆっくりと歌い始める。
しかし、それは前回聴いた歌とは少し違っていた。やや低い二人の歌声が部屋に響く。
タキスも、顔を上げるとやや高い声で朗々と歌い始めた。それもまた前回とは違う旋律だった。
物悲しい旋律の歌は、聞いた事の無い知らない言葉で綴られていた。
三人の歌声は美しいハーモニーになり部屋中に響き渡った。レイはうっとりとその歌声に聞き惚れていた。
『供物の歌声は確かに届いた』
『美しい歌声愛しい歌声』
『優しい歌声優しい歌声』
『愛しい歌声美しい歌声』
『変えろ変えろ
『変えろ変えろ
頭上にいた精霊達の声が響き、見覚えのある光の粒が部屋にあふれた。
何度も点滅を繰り返しながら、レイの体を包み込んだ光の粒は、一瞬の閃光を残して消え失せた。
静かになった部屋には、やや赤みがかった黒髪と黒い瞳を持った竜人の少年が立っていた。
「ええ! ちょっと待って! 背が低くなったよ!」
悲鳴のようなレイの叫びが部屋中に響き渡る。
「おお、これは見事なもんじゃ……な……」
「これは、なんと言うか……」
「こ、こんなに小さかったんですかね」
三人は、小さくなったレイを見て、堪えきれずに揃って吹き出した。
「ひどい! 待ってタキス! 一体何したんだよ。なんでこんなに小ちゃくなっちゃったんだよ!」
レイが怒ってそう言ったが、いきなり小さくなった今となっては、子供が駄々をこねているようにしか見えない。
「これで良いんですよ。その年の竜人の子供なら、その位の身長ですよ」
「え? そうなの? 成長期じゃ無いの?」
驚いて聞くと、タキスが目線を合わせてしゃがんでくれた。
「竜人の子供は、十才くらい迄は、人間と同じ成長速度ですが、その後、二十才くらい迄かかってゆっくりと成長します。身長も一年で数セルテ程度の伸びしかありませんから、前回から半年ほどでしょう。だから、これで良いんですよ」
にっこり笑って言われた。
「なんか納得出来ない気もするけど、そういう事なら仕方無いよね」
体良く丸め込まれた気もするが、もう良い事にした。そして、ニコスが服を持っていた意味がよく分かった。
何しろ着ていた服が大き過ぎる。
上に着ている服はダブダブで完全に肩が落ちているし、ズボンも辛うじてお尻に引っかかっているが、歩いたら確実に足首までずり落ちるだろう。
「レイ……これを着なさい……」
笑いを堪えながら、ニコスが手にしていた服を渡してくれる。
ため息を一つ吐いて、着ていた脱げ掛けの服を遠慮無く全部脱いで、その場で着替えた。
「あれ? これは始めて着る服だね」
袖を通してから気が付いた。てっきり、以前着ていた服だと思っていたのだが、ちゃんと夏用の生地で作られていて、とても着心地が良い。
肘のあたりまである長めのゆったりとした半袖で、袖口と襟元には細やかな蔓草模様の刺繍が施してあった。
「これ、わざわざ作ってくれたの?」
思わずニコスを見ると、脱いだ服を畳みながら笑って頷いてくれた。
「だって、この前来ていたのは冬用の服だろう? 今着るには暑すぎるって」
「ありがとう、すごく着心地が良いね」
「それから、これを被って行きなさいね」
タキスがそう言って、新しい帽子を被せてくれた。
薄緑の細い麻糸で編まれたツバの広いその帽子は、頭の先がやや尖っていてすごく格好良かった。
「ありがとうタキス、これなら眩しく無いね」
振り返ってタキスに抱きついた。
「気を付けて行ってくるんですよ。元気で帰って来るのをここで待ってますからね」
しっかりと抱き返してくれたタキスは、消えそうな小さな声でそう言った。
「僕の家はここだよ、もちろんちゃんと帰って来るって。タキスこそ一人で大丈夫? ご飯はどうしてるの?」
笑ってそう言ってやると、顔を上げたタキスは泣きそうな顔で笑った。
「ちゃんとニコスが作ってくれてます。パンとスープを温めるくらいは、私でも出来ますよ」
「そっか、じゃあ安心だね」
タキスの頬にキスをして手を離した。
「それじゃあ、行くとするか。レイ、この前よりも人出は相当多いから、十分気をつけるようにな」
「うん。勝手な行動は取りません」
「よしよし。それじゃあタキス、留守を頼むぞ」
頷いて右手を上げて言うレイに、ギードが頷き笑顔になった。
揃って納屋へ移動して、昨夜のうちに荷物を積んでいた荷馬車を外に引き出した。
ギードが手早くトケラに引き具を取り付けて行くその様子を、レイは興味津々で見ていた。
荷馬車は、山盛りに積まれた荷物で膨れ上がっている。
「綿兎の毛は、さすがに
苦笑いしながら、タキスが荷馬車を見上げて肩をすくめた。
「これでも、予定していた量より少ないんだぞ。まあ、いつもの年よりは多いけどな」
ポリーに鞍を取り付けながらニコスも笑っている。
「これ、街へ行ったら目立つでしょうね」
「まあ、すぐにギルドに売っぱらうから問題あるまい」
タキスの声に、ギードも頷いて、笑いながら荷馬車を見上げていた。
「買取金額が楽しみだな」
「下手したら、一部は書付けで渡されるかもな」
「そうですね。まあ、ドワーフギルドの発行する書付けなら問題無いだろうさ」
ニコスとギードが話している中に、知らない言葉が出て来た。
「えっと、書付けって何?」
水筒を入れたリュックを背負いながら質問すると、振り返ったギードが教えてくれた。
「正確には、信用書付けと言ってな、ギルドや大手の商家などで、大口の取引をする時に使われるお金の代わりになる書面の事だ。金貨何百枚とかだと、その場で貰っても困ることがあるだろう? そう言った時に、信用書付けを渡して金の代わりにするんじゃ。後日発行元に持って行くと金と交換してくれる。分割して受け取る事も出来るので、旅をする時なども安心じゃ。精霊の管理印が押されているから、本人か、きちんと委託を受けた者でないと、仮に第三者の手に渡っても現金化出来ない仕組みになっておる。な、便利じゃろ」
「へえ、すごいね……って言うか、これ全部買い取って貰ったら、そんな金額になるの?」
荷馬車を見上げながら尋ねると、ニコスとギードは、苦笑いして顔を見合わせた。
「まあ、今回はミスリル鉱石にダイヤモンドの原石、綿兎の毛だからな」
「タキスの薬も、特別製だしな」
呆然とするレイの肩を叩いてギードは笑った。
「覚えておけよ。金は大事だぞ。もしかしたら、山を買うような事があるかも知れんからな」
「そうだね、大事だよね」
真剣な顔で何度も頷くレイを見て、三人はまた吹き出した。
ポリーにニコスが乗り、クッションを括り付けた御者台に、ギードと並んでレイも座った。
「それじゃあ、行って来るわい」
ギードの声に、一歩下がったタキスが笑って手を振ってくれた。
「い、いってきます!」
何て言ったらいいのか分からなくて、やっぱりこれしか言えなかった。
「楽しんで来てくださいね。土産話、楽しみにしてますよ」
笑ったタキスが、レイの顔を見て頷いてくれた。
動き始めたトケラの引く荷馬車は、力強く坂道を登り、あっと言う間に、庭で手を振るタキスの姿は見えなくなってしまった。
「さあ、レイの楽しみにしてる、花祭りのブレンウッドへ行こう!」
ポリーに乗って横を走るニコスの声に、ちょっと感傷的になっていたレイは顔を上げた。
夢にまで見た花祭り。一体どんな風なんだろう。
手摺にしがみ付いて、流れる風景を見ながら、レイの心はもうブレンウッドの街まで一足早く飛んで行っていた。
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