怪我

 ユージンとロベリオからの連絡を受けて、砦から、天幕を設置するための荷物を持った兵士達が走り出て来た。

 しかし、側にいる倒れた竜を見て皆、驚いた様に立ち止まる。

「……あの、天幕は何処に……」

「ここに設置してくれ。急ぎで頼む」

 マイリーがそう答えて、抱いていた意識の無い少年兵を、駆け寄ってきた医療兵の持つ担架に乗せた。

「よろしく頼む。念の為、監視の兵を付けるように」

「了解しました」

 敬礼をした医療兵達は、一旦担架を地面に降ろすと、天幕が出来上がるまでの間に、折れた足と腕の怪我に応急処置を施し始めた。

「ルークの容体は?」

 側にいた顔馴染みの医療兵に、小さな声で尋ねる。

「今、矢の摘出処置をしていますが、その……かなり深いらしくて……」

 それを聞いて、マイリーは目を閉じて首を振った。

「我ら竜の主は、竜射線の影響で薬が殆ど効かないからな、痛み止めや麻酔まで効かないのは……毎回、本気でやめて欲しいと思うぞ」

「じゃあ今頃、ルークは……」

 それを聞いたアルス皇子は、両手で体を抱く様にして身震いした。

「うう、こっちまで痛くなってきたぞ」

 本気で痛そうにする皇子の様子を見ると、後ろを振り返った。

「ヴィゴ、こっちは我らに任せてルークの所に行ってやれ」

 苦笑いしながら、マイリーが少し離れたところにいたヴィゴに話しかけた。

「しかし、こいつをこのままには出来ぬだろう」

 マイリーの言葉に、ヴィゴは首を振ると倒れて動かない竜を指した。

「今から至急王都まで戻って、ガンディを連れて戻って来よう。紫根草中毒の竜なら、彼に任せるのが一番だからな」

「大丈夫か?お前、休み無しだろうに」

 自分が行く気だったマイリーは、驚いてヴィゴを見上げた。

「お前は、今は殿下のお側を離れるな。なに、この程度の事で倒れる程、柔な鍛え方はしておらんよ」

 そう言って笑うと、シリルの所に戻って行った。

「何度もすまんなシリル。王都まで頼む。ガンディを連れてそのまま戻って来るぞ」

「了解です。でも無理はしないで」

 自分の首を撫でるヴィゴにそう言って頬擦りすると、シリルは屈んで主が背に乗るのを助けた。

「ガンディへの連絡を頼む。それではすぐに戻って来る」

 ヴィゴは手を挙げてそう言うと、そのままあっという間に飛び去ってしまった。

「シルフ、ガンディへの伝言を大至急頼む」

 それを見送ると、急いで目の前に現れて並んだシルフ達に、話しかける。

「マイリーです。国境の十六番砦にて、紫根草の中毒にされたタガルノの竜を保護しました、まだかなり幼い若竜です。ヴィゴがそちらに向かったので、一緒に治療の為にこちらへ来てください」

 しばらくの間があってから、シルフが話し出した。


『了解した』

『すぐに行けるように準備しておく』


「それから念の為、カナエ草のお茶と薬の追加もお願いします」


『薬とお茶の件了解だ』

『儂がそちらに行くまで竜は支配下に置いておくように以上』


「了解した。無理を言いますがよろしくお願いします。以上」

 シルフが消えたのを見てから、マイリーはアルス皇子を振り返った。



 彼は、老竜フレアと共に倒れた竜の側にいた。

 老竜フレアは、その名の通り燃えるような真っ赤な鱗と薄い黄色のたてがみを持つ、巨大な竜だ。

 完全に意識を失って地面に倒れている竜は、薄紅色の鱗と灰色の鬣を持っている。その体はとても小さく、この国ならばまだ、子竜として大切に保護されているだろう大きさだった。

 マイリーが急いで側に駆け寄ると、アルス皇子は小さな竜の身体にそっと手を触れて目を閉じた。

「シルフ、この竜の名は?」

 しかし、肩に現れたシルフが首を振った。


『この子にまだ名は無い』

『主は竜よって呼んでる』

『守護石はロードクロサイト』


 二人は思わず顔を見合わせた。

「名をつけていない?」

「それで絆を結び、人間が背に乗ることを許している?」

「そんな筈はあるまい……まあ良い、ならばクロサイトと呼ぶ事にしよう」

「フレア、この竜、クロサイトを支配下に。今だけは絶対に逆らえないように完全に制御しておいてくれ」

 ややきつい口調でそう言う。

「了解した。クロサイトよ我が命に従え」

 クロサイトに触れたアルス皇子の背に、自分の額を押し付けると、重々しい声で静かに言った。

「我が命に背く事成らず。全ての振る舞いは我が命に沿うべし。我が解き放つまで逃げる事は決して敵わぬ」

 その時、一瞬だけ倒れた竜が光って震えた。

「もう大丈夫だ。この子は完全に支配下に置いた」

 フレアの声に、アルス皇子は手を離した。

「可哀想に、愛情を一切与えられずに育つと、これ程に空虚な心を持った竜になるのだな。いつも思うが、彼の国に生まれる竜は本当に不幸だ。哀れでならぬ」

 フレアは、倒れた竜の身体にそっと鼻先を近付けてしみじみと呟いた。

「あの国では、竜は奴隷と同じ扱いなんだよ。本当に何故そんな事が出来るんだろうな、身近に接していれば、竜の優しさや偉大さを、身を以て知る事になるだろうに」

 悲しそうに首を振って、アルス皇子が小さな声でそう呟いた。




 一方、砦に怪我の手当てのために戻ったルークは、まさに地獄を見ていた。



 城壁に近い中庭は、全て怪我人の手当ての為に使われており、二頭の竜は、兵士達の案内で砦の裏側に当たる、西側の物見の塔の横に降り立った。

 竜から降りたルークの腕に突き刺さった矢を見た医療兵が、顔色を変えてルークを支えると建物の中へ連れて行った。タドラが急いでその後を追う。

 ここの砦には、竜騎士専用の棟があり、そこの医務室に案内されたルークは、有無を言わさずベッドに寝かされて左側の袖を切り取られた。

「矢の摘出処置を行います。あの……」

 言い淀む医療兵に、ルークは青い顔のまま笑った。

「構わないから、サクッと切ってくれて良いよ。焦らされる方が痛い」

「すみません、失礼します」

 一言謝ると、うつ伏せにしたルークの腕を取り、両腕をそれぞれベッドの横にある柵に布を使ってしっかりと括り付けた。

 その時、部屋に竜騎士隊専任の医師が入って来て室内が慌ただしくなる。

「ルーク様、気休めかもしれませんがこれを噛んでいて下さい。麻酔代わりの紫根草の葉です」

 医療兵の一人が、濡らした小さな袋を手にそう言って、ルークの目の前に見せた。袋には、飲み込み防止の為に、細い紐が付いていた。

「それも俺、余り効かないんだけどな。でもまあ、無いよりはましかな」

 笑って大人しく口を開く。

 それを口に入れてもらったルークは、何度も噛んで唾を飲み込むのを繰り返した。

 紐の先を手にして付き添ったタドラが、ルークに時々少しだけ匙を使って水を飲ませた。

「うん……ちょっとは効いて来たかも」

 真っ青な顔色のくせに、タドラを見て強がって笑った。



 摘出処置は困難を極めた。



 突き刺さった矢には、先の部分に返しと呼ばれる小さな逆向きの歯が何本もついた凶悪なもので、骨まで到達していたそれを取り出す為に、相当深くまで切る必要があった。

 しかし、竜騎士は竜熱症の原因でもある竜射線に常にさらされている為、副作用として、薬の効きが極端に悪くなるのだ。当然痛み止めや麻酔の類も同じ事。

 うつ伏せにベッドに縛り付けられた状態で、屈強な兵士が五人がかりで押さえ付けて、麻酔無しで矢の摘出処置は行われた。



 紫根草の袋を噛み締めたままのルークは、処置の間中、悲鳴一つあげなかった。



 ユージンとロベリオが駆けつけて来た時、矢の摘出処置はもう終わっていた。

「カシム先生、ルークの容体は?」

「処置はもう終わったんですか?」

 顔馴染みの先生を見て、駆け寄って来た二人の矢継ぎ早の質問に、疲れ切った様子のカシム先生は顔を上げた。

「おお、もう表の騒ぎは静まった様ですな。ご苦労様です」

 二人を見てそう言うと、手にした入れ物から、たった今摘出したばかりの血に染まった矢を取り出して見せた。

「はい、処置は無事に終わりましたが……見て下さい。返しの付いた凶悪な代物です。人間相手に打つ様なもんじゃ無いですぞ。これは」

 二人は無言で顔を覆った。ロベリオは唸り声を上げて天井を向き、ユージンはその場に座り込んでしまった。

「気絶したのが、処置が全部終わってからと言うのもあの方らしい。とにかく、しばらくは絶対安静ですな」

「毒矢では無い?」

 ロベリオの問いに、カシム先生は頷いた。

「一番の心配はそれでしたが、シルフもウィンディーネも皆、それは大丈夫だと言っておるそうです」

 立ち直った二人は、先生に礼を言うとルークのいる部屋へ走って行った。

 それを見送ったカシム先生は、手にした血に塗れた矢をもう一度見て、首を振り、しみじみと呟いた。

「麻酔無しであの摘出処置、よく心臓が止まらなかったもんだ。本当に……さすがは竜騎士様だな」




 東の国境で、そんな騒ぎが起こっている事など露知らず、蒼の森では、レイ達が毎日のんびりと農作業と家畜や騎竜達の世話に追われていた。

 薬草園で、タキスの手伝いをしていたレイは、シルフが急に目の前に現れたのに気付いて顔を上げた。

「あれ? どうしたの?」


『帰って来た帰って来た』

『お帰りお帰り』


 シルフの声に振り返ると、小さな荷車を引いたギードが坂道から手を振っている。

「おかえりギード! 呼んでくれたら迎えに行ったのに!」

 籠を足元に置くと、両手を広げて坂を下りて来たギードに抱きついた。

「ただいま戻りましたぞ。いや、実りの多い日々でしたな」

 しっかり抱き返して笑って言うと、後ろの荷車をレイに見せる。

「今回なんと、ミスリルの鉱脈を見つけましてな。さすがにこれは、ドワーフのギルドに届けを出さなくてはなりませぬ。街へ行ったら忙しいですわい」

 心底嬉しそうに笑うギードの手元には、見たことのない色の鉱石がある。

「綺麗な色だね、これがミスリルなの?」

 初めて見る鉱石に、レイは興味津々だった。

「綺麗でしょう。中々に良い色が出ております。これはレイに土産に差し上げましょう」

「でも、ミスリルって高いんでしょ?」

「沢山あります故、遠慮はいりませぬぞ。そうそう、美味い弁当の差し入れ有難うございました。皆で来てくれたそうですな」

 そんな話をしながら、皆で家へ戻った。

「お帰り、それからお疲れさん。計った様に、花祭りの前に帰って来たな」

 芋の皮をむいていたニコスが、入って来たギードを見て笑った。

「おお、美味い弁当ご馳走様じゃった。有り難かったのう、すぐに食べられる弁当と言うのは」

 ギードは、空になった弁当箱を荷車から取り出し、机に出しながら笑った。

「それで、どんな成果があったんだ?」

 気軽に聞いたが、ギードの返事にニコスとタキスは固まってしまった。

「今回、未採掘だった横穴に手をつけたんだが、何と、ミスリルの鉱脈を発見してのう。もう掘っておる間中、至福の時間であったわい」

 レイの手にした鉱石を見て、ニコスが恐る恐る聞いた。

「……レイ、もしかしてそれって……」

「ギードがくれたんだよ。ミスリルの鉱石なんだって」

 それ一つで、どれほどの価値があるものなのか、恐らくレイは知らないのだろう。街の住民ならば、数年は余裕で遊んで暮らせる程の金額になるのは確実だった。

「まあいいや。ここにあれば、ただの綺麗な石ころだよな」

 ニコスは、タキスと顔を見合わせて笑うと、また芋の皮を剥き始めた。

「それで、他には何があるの?」

 興味津々で荷車を覗き込むレイに、ギードが嬉しそうに、持って帰って来た鉱石や原石を取り出して解説していた。

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