砦の攻防戦とタガルノの竜
出発から僅か数刻で国境にある第十六番砦の上空に到着した時、ヴィゴ達三人の竜騎士が見たのは、目を疑うような光景だった。
国境の緩衝帯である、何も無い筈の平地を駆け抜けて来る黒い軍服を着たタガルノの軍勢は、さながら砦の城壁に群がる蟻の群れのようだ。
一部が崩れかけた砦の城壁に、梯子をかけてよじ登ろうとするタガルノの軍勢、そうはさせじと砦の守備隊の者達も内側から奮闘していた。
しかし、確かに救援要請にあったように、かなりの劣勢なのが見て取れる。
そして、何よりも驚いたのは、上空から砦を攻撃している一頭の竜の姿だった。
タガルノには、現在、竜騎士はいないはずだ。
となると、新たな竜の主を得だのだろう。
「成る程、この騒ぎは竜騎士様の初陣と言う訳か」
思わず、ヴィゴはそれを見て苦々しく呟いた。
突然のタガルノの猛攻は、竜騎士を得た自信から来ているのだろう。
しかし、砦を攻撃しているその竜と主は、精霊魔法を使う訳でも無く、竜の爪と牙で力任せに砦の城壁を崩しにかかっているだけの、それは余りにもお粗末な攻撃だった。
「奴らには、俺達の攻撃を見て学ぶって頭は無いのかよ」
ルークの怒りの篭った怒鳴り声に、ヴィゴは頷く。
そして、強い怒りと共に、あの竜騎士に対する憐れみの感情を抱いていた。
「可哀想な奴だ。我が国に生まれていれば大切にされたろうに。タガルノに産まれた己の不運を精霊王の御許で嘆くがいい」
言い捨てると、王より賜った腰の剣を抜いた。
やや薄い緑色の光を放つ白銀のその剣は、純粋なミスリルの、竜騎士の為に作られた特別製の剣だ。
「シルフ、我が剣に集まれ!」
大声でそう言い放つと、一気に城壁を壊さんとする竜に向かって突進して行く。その後ろを、同じくミスリルの剣を抜き放ったタドラとルークが続く。
ヴィゴの持つ剣を中心に、一気に風が吹き荒れて渦を巻く。
彼が剣を振り下ろした瞬間、剣から発生した
まだ若い、少年と言ってもいいようなその小柄な兵士は、悲鳴をあげる事も出来ずに、血飛沫をあげて竜の背から転がり落ちた。
あの高さから落ちれば到底無事ではいられまいが、ヴィゴは黙ってそれを見ていた。
色々と思う所が無い訳ではないが、今は考えてはいけない。ここは戦場なのだ。
上空から見下ろした黒蟻の群れに、ポッカリと空間が開いている。その真ん中に不自然な姿勢で地面に叩きつけられた少年兵は、僅かにもがいていたが、もう起き上がる事は出来無かった。
それを見たタガルノの兵士達は、明らかに怯む。
「お前の主は落ちた。大人しく国へ帰れ」
主を落とされ呆然としている竜には、攻撃する事無くそれだけを言う。
しかし、完全に戦意を喪失したその竜はゆっくりと地面に降り立つと、身動き出来ない主を庇うように側に寄り添い、翼を広げてその姿を隠して
「行くぞ、奴らを国境まで押し返す」
後ろで攻撃の補助をしてくれていたルークとタドラを振り返って、それだけを言う。
ミスリルの剣を手にした二人も、その声に無言で頷いた。
三頭の竜は、砦に群がる黒蟻達の元へ向かう。
もう、地面にいる竜とその主には見向きもしなかった。
「竜騎士様だ!」
「来てくださったぞ!」
「押し返せ!」
「砦を守れ!」
「敵の竜騎士は落ちたぞ!」
「砦を守れ!」
ファンラーゼンの兵士達が、皆口々に叫びながら一気に反撃に出る。
たった三人の竜騎士が来ただけで、戦局は呆気なくひっくり返った。
敗走するタガルノの兵を国境方面へ追い立てていた時、ルークはユージンとロベリオの乗った竜が近づいてくるのに気付いた。思わず振り返った瞬間、風を切る音が耳元でする。
「危ないルーク! 左だ!」
ヴィゴの叫び声が聞こえたのと、左上腕部に矢が深々と突き刺さったのは殆ど同時だった。
激痛に腕が痺れ、手綱を持つ手の力が抜ける。
「シルフ、支えてくれ!」
咄嗟に叫んで、両足に力を入れて跨った竜の身体を挟む。
一瞬、落ちるのが止まり身体が前に起こされる。
「ありがとうシルフ……」
守ってくれたシルフに礼を言い、右手に持った剣で、突き刺さった矢を真ん中あたりで切り落とす。
見下ろすと、黒いタガルノの軍服とは違う服を着たラプトルに乗った男が顔をしかめてこちらを見上げているのと目が合った。
「外したか」
その男はそう呟くと、もう一度弓に矢を
「させるか!」
突進して来たヴィゴが、上空から風の攻撃魔法のカマイタチを放ったのだ。
「おっと危ない」
男が矢を放り投げ、右手を上げて掌を向けると、ヴィゴの放ったカマイタチを受け止めた。
物凄い轟音が響き渡り、止められたカマイタチが地面に突き刺さり、大量の砂埃を舞い上げる。
「うおお、噂以上だな。こりゃ凄い」
痺れる右手を振りながら、もの凄い威力のカマイタチを受け止めた衝撃で跳ねるラプトルを御した男は笑っている。
「こりゃ駄目だ。今回は仕える相手を間違えたな」
首を振ってそう呟くと、なんと、さっさと戦場を放棄して逃げ出したのだ。
「逃がすか!」
怒りに燃えるヴィゴが後を追う。
ラプトルの足を狙った攻撃に、男は走るラプトルごと勢い良く地面に放り出された。
ところが、受け身を取って地面を数回転がった男は、起き上がり様に上空のヴィゴに向かって笑って手を振ったのだ。
「またな、竜騎士さんよ」
マントを翻して己の身体を包み込んだ瞬間、忽然とその男の姿は消え失せていた。
「なっ……転移の術だと?」
呆然とあたりを見回したが、もうその姿は何処にも見当たらなかった。
吹っ切るように首を振ると、振り返ってルークの様子を確認する。
シルフに支えられ、左腕を押さえて真っ青な顔のルークを見て、側にいたタドラに指示を出した。
「お前達は一旦砦に戻れ。ルークの怪我の処置が最優先だ」
「了解です」
頷いたタドラに付き添われて、二頭の竜はゆっくりと砦に戻って行った。
「国境まで追い返せば良い。それ以上の深追いは無用だ」
ヴィゴが上空で大声で叫ぶと、地上に展開した兵士達から大きな歓声が上がった。
追いついて来たユージンとロベリオが、その追撃戦に加わった。
戦いは、一方的な敗走者とそれを追う者とに分かれていた。
「何だ、もう終わったのか」
呆れたようなマイリーの声に、上空を旋回して警戒していたヴィゴは振り返った。
アルス皇子と、マイリーが到着した時には、もう大方の戦いは終わっていた。
「我らは、後始末をする為に来たようなもんだな」
隣では、アルス皇子も苦笑いしている。
しかし、ヴィゴは笑わなかった。
「ルークが左腕に矢を受けて怪我をしました。今、タドラが付き添って砦で手当てを受けております」
二人は驚いて目を見開いた。
「矢を受けた? シルフ達は一体何をしていたのだ。守らせていなかったのか」
怒ったようにマイリーが言うのを、ヴィゴは首を振って否定した。
「いや、しっかりと守っておりました。相手の方が一枚上手だっただけの事」
「どう言う事だ?」
不審そうに目を細めるマイリーに、ヴィゴは首を振って言った。
「ルークを射た男に、俺のカマイタチを受け止められた。はっきり言って……これは屈辱だな」
無言で地面を指差す。そこは、地面が抉れて辺り中に土が撒き散らかされていた。
「跳ね返したカマイタチが
「どうやって、空にいる竜騎士から逃げられる?」
驚く二人に、ヴィゴは更に驚く事実を告げた。
「あれは、間違いなく転移の魔法です。目の前で、一瞬で姿が消え失せました」
「……一体何者だ?其奴は」
顔を見合わせた二人が、呆然と呟く。
「恐らく傭兵でしょう。タガルノの軍服とは違う服を着ていました。もし、もう一度会うような事があれば……次は遠慮無く行かせてもらう」
ヴィゴはため息を吐き、地面に
「今回の騒動の原因です。あの竜が庇っているのは、あの竜の主です。まだ若い少年兵でした。死んではおらぬようだが……果たして捕らえられるかな?」
タガルノの軍人は、そのほとんどが捕虜になる事を受け入れずに自害してしまう。
以前、目の前で、助けるつもりのタガルノの竜の主に自害された時には、さすがのヴィゴも、しばらく眠れない程の衝撃を受けた。
以来、出来る限り一撃で葬る事が、相手への敬意であると考えていた。
しかし、自分の娘よりも若いであろうあの少年を、彼は殺す事が出来なかったのだ。
三人は、無言で下を見下ろす。ユージンとロベリオも、少し離れて様子を伺っている。
「とにかく降りてみよう。あの竜を説得出来るなら、我が国へ招き入れることも不可能では無い」
少し離れた場所に、三人は竜を下ろした。
やや躊躇った後、後ろの二人もゆっくりと地面に降り立った。
近づいて来る見知らぬ人間の気配に、蹲った竜は唸り声をあげ、顔を向けて牙をむき出しにした。
この竜は、まだごく幼い若竜で、ほんのひと月ほど前に主と出会ったばかりだった。
主に出会えてただ嬉しかったのに、何も分からないままにいきなり前線に送られて、これからここで戦えと言われたのだ。
主は昨夜、自分の首に縋り付いて、ごめんねと何度も謝ってずっと泣いていた。
その涙を見て、何があっても絶対に守るつもりだったのに、反撃すら出来ずに主を自分の背から落とされてしまった。
地面に倒れたきり、返事をしてくれない主の事が心配で堪らない。
その時、竜の目の前に何人ものシルフが現れた。
『大丈夫大丈夫』
『怒らないで』
『貴方の主を助けたいの』
『あの人達を信じて』
『怖く無いよ』
『怖く無いよ』
皆が一斉に話しかけてきた。
「嘘だ! ここの奴らは、竜と主を殺して食べるんだろ! そんな事、絶対にさせない! あっちへ行け!」
精霊魔法さえ、まだ殆ど使うことの出来無い幼い竜は、蹲ったまま、泣き叫ぶ事しか出来なかった。
頭を動かすと、地面がぐらぐらと揺れているようで目が回る。竜は広げた翼で揺れる地面にしがみついた。
主はそれでも目を覚まさない。
悲しくて悲しくて、どうしたら良いのか分からなくなって声を上げて泣いた。
「タガルノの竜よ。どうか落ち着いてくれ。我々は、其方にも其方の主にもそんな事はしない」
マイリーが、ゆっくりと優しい声で話しかけながら近寄って行く。
「嘘だ……あいつは主を落としたではないか!」
「しかし、主を殺さなかったぞ」
即座に言い返されて、竜は絶句する。
「あの竜、紫根草の匂いがぷんぷんする。間違い無く紫根草の中毒にされているぞ。若そうだが、果たして助けられるか……」
後ろでヴィゴが、小さく呟く。
『お願い信じて』
『助けたいの』
『主は怪我をしてる』
『お願いお願い』
「……だって、だってここは……あってはいけない所なんだよ。だから、やっつけないといけないんだって言われたんだ」
まだ、たどたどしい言葉で必死に叫ぶ竜は、今にも倒れそうな程に揺れている。
『大丈夫』
『側にいるよ』
『貴方の主を助けるから』
『お願いだからそこを退いて』
シルフ達に優しく翼を叩かれて、従ってしまいそうになる。
「駄目だ! 主を守るんだ」
そう言って、翼の中に頭を差し込み丸くなってしまった。
「お願いだ、タガルノの竜よ。其方の主の手当てをさせてくれ。このままでは、命すら危うい」
マイリーが、優しく声を掛ける。
実際には、ここにいるどの竜であってもこの竜よりも上位なのだから、そこを退け、と、命令すれば逆らうことは出来無い。
しかし、それではもう二度とこの竜は、自分達の事を信じてくれないだろう。
マイリーは、根気強く竜の説得を続けていた。
側で見守るヴィゴ達も、竜が説得に応じるのを無言で待っている。
「……本当に、食べたりしない?」
ようやく、掠れるような声で竜が尋ねた。
「しない。約束する。其方の主に、出来る限りの手当てをしよう。お願いだからそこを退いてくれ」
ゆっくりと竜の翼が畳まれ、地面に倒れた主の姿が見えた。
恐らくまだ十代半ばだろう小さな体の少年は、左足が完全に折れて不自然な方向に曲がっている。右腕は、ヴィゴの攻撃で受けた時の大きな切り傷があり、しかしそこからの出血はもう殆ど止まっていた。
駆け寄ったマイリーが、血で汚れるのも構わずにそっと抱き上げる。小さな呻き声を上げたが、その少年は目を覚ます気配は無い。
「竜の事を考えると、砦の中に連れて行くよりは、外に天幕を張る方が良いだろう。そこで彼の手当てを」
アルス皇子の提案に、ユージンとロベリオが頷いて、準備の為に竜の背に乗り砦へ向かった。
「聞き分けてくれてありがとう、タガルノの竜よ。砦の外に其方の主の為の天幕を張る故、其方は側で付き添うが良い」
しかし、マイリーのかけた言葉は竜の耳には届かなかった。
揺れ動く地面に立っていられず、気が遠くなったタガルノの竜は、地面に音を立てて倒れ伏したのだった。
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