ヴィゴと砦の竜騎士達

 マークが王都へ向けて出発する前日、 日が暮れる少し前にヴィゴが北の砦に到着した。

 タドラとルークが倒れてから僅か半日、どれだけ彼ら竜騎士の存在が、国にとって貴重なものであるか、知らしめる早さだった。

「すまぬ、かなり無理をさせた。よく労ってやってくれ」

 中庭に降りたヴィゴは、第二部隊の兵士にシリルを託すと、駆け寄って来た兵士と共に早足に砦の中へ入って行った。

 周りにいた砦の兵士達が、呆気にとられる程の素早さだった。




「二人の容体は?」

 砦の中で待ち構えていたハン先生に、挨拶も無く、顔を見るなり尋ねる。

 敬礼したハン先生も、それ咎める事もなく背を向けて歩き出す。無言でヴィゴも後に続いた。

 無言まま廊下を早足で歩いて、入院棟への角を曲がる。

 廊下に二人、第四部隊の兵士が見張りの為に立っている。直立して敬礼され、無言で敬礼を返してそのまま部屋に入った。

 広い部屋には、机と椅子が並べて置いてあり、医療スタッフが、薬の調合を行なっていた。

 入ってきたヴィゴに、敬礼しようとするのを手を挙げて止める。

「構わん、続けてくれ」

 会釈した彼らが作業を続けるのを確認して、ハン先生を見る。

「ルークは先程、意識を取り戻しました。彼の報告のお陰で、現場で何があったのか分かりましたよ」

 椅子に座りながら、隣の椅子を手で勧める。

 無言で立ったまま座ろうとしないヴィゴに、諦めて話し始める。

「まず、タドラですが、竜熱症ではありませんので、ご安心を」

 恐らく、一番心配していたであろう事を、先ずは報告する。

 無言で頷き、ようやく椅子に座った。

「それは何よりだ。それで、一体何があった?」

 ハン先生は、竜騎士部隊直属の医療班の主任医師だが、今回のような平時の遠征の際には、後方部隊の指揮も行う。

「当日、北西の砦から野生の竜発見の報告を受けて、二人は現場へ急行しました。まあ当然、現地に着いた時には、もう竜はいなかった訳ですが、二人はそのまま付近の捜索を行いました。その際に、向こうから接触してきたそうです。ルークはこう言っていました。格の違いって言葉の意味を思い知らされたと……」

 ヴィゴは、唸り声をあげて天井を見上げる。

「攻撃を受けた訳ではなく、警告をされたそうです。これ以上近寄るなと。その際に、彼らだけでなく、竜達まで動けなくなる程の物凄い威圧感を感じた、と」

 ハン先生も首を振ってヴィゴを見上げた。

「タドラの急な吐血と失神は、恐らくその竜の怒りに同調してしまった事による、一時的な竜射線の暴走が原因かと、その証拠に、砦に戻った後は出血も無く容体は落ち着いています。未だに意識が戻らないのは……如何に、彼の体が受けた負荷が大きかったかを証明するものですね」

「老竜か……一方的とは言え、警告してくれただけまだ良しと思わねばな。本気で攻撃されていたら、我が国は貴重な竜騎士と竜を二人と二頭、同時に失うところであったのか」

「全く同感です。別に擁護する訳ではありませんが、今回の彼らの行動に、無茶や無謀な点はありませんでしたよ。毎日報告を受けていましたが、相当慎重に行動していました」

「分かっております。私も日々の報告は聞いておりました。慎重に過ぎる程だと思っておりましたが、現場の彼らには、当然の行動だった訳だ。それで、ルークと話は出来ますか?」

 立ち上がった巨漢のヴィゴを見上げて、ハン先生も頷いて立ち上がった。

「それは大丈夫かと。ただ、留意してください。意識を取り戻した直後、彼の身体は震えていました。恐らく、理屈では無い本能的な恐怖心でね。念の為同席しても?」

「勿論です。それでは行きましょう」

 王都からここまでの距離を、数刻で飛んで来た疲労も見せず、ヴィゴはハン先生の後についてルークの休む部屋へ向かった。




 ルークの部屋の扉の前にいた第二部隊の兵士が、ヴィゴの姿に敬礼して横に移動する。敬礼を返してハン先生に続いて部屋に入る。

 閉じられた扉の前には、兵士がまた元の位置へ戻った。



 扉の開く音に、ルークは目を覚ました。

 入って来た二人を見て、ベッドから身体を起こし敬礼する。

「ヴィゴ……お手間を取らせてしまい申し訳ありません」

 ヴィゴは、大きく頷いてから無言で駆け寄り、自分を見つめるルークを抱きしめた。

「報告を受けて、心臓が止まるかと思ったぞ。本当に、二人とも無事で良かった」

「ヴィゴ……すみません、すみません」

 唸るように何度も謝り、大きな背に手を回して縋り付いた。

 未だに僅かに震えている身体を、ヴィゴは無言で優しく抱きしめた。

 彼の震えが完全に止まるまで、ずっと抱きしめたままその背を撫で続けていた。




「落ち着いたか?」

 震えが止まったことを確認してから、静かに話しかける。

「ええ、もう大丈夫です……醜態を晒しました、忘れてください」

 恥ずかしそうに俯いて、小さな声で呟く。

「詳しく聞こう。何があった」

 休ませてやりたいが、心を鬼にして報告を優先させる。

「本日午前、野生の竜の発見の報告を受けて、現地に急行しましたが、既に移動した後で、その姿は確認出来ませんでした。その後、北西方向を中心に付近を、上空からの目視にて捜索を展開。半刻程経った頃……突然動けなくなったんです」

「動けなくなった?」

「ええ、まるで心臓を掴まれたようでしたね。完全に硬直して身動き出来ませんでした。俺だけでなくタドラも、竜達も全く同じ状態でした。そして……警告を受けたんです」

 その時の事を思い出して、ルークは身震いした。ヴィゴが、しっかりと手を握ってくれる。

「恐らく、タドラは覚えていないでしょうが、俺は覚えています。一語一句違わずに……」

「なんと言われた?」

 もう一度手を握り、左手をその上に重ねる。

「この森は戯れに暴いてはならぬ。要石かなめいしにこれ以上近寄るなら、我は容赦せぬ。其方らのいるべき場所へ帰れ。警告は一度きりだ。と……」

「警告は一度きり」

「ええ、そう言われました。ヴィゴ、もう奴との接触は危険すぎます。あれは駄目だ……我々で、どうにか出来るような存在ではありません」

 首を振り、縋るように言うルークに、落ち着かせるように肩を叩き、その背を撫でる。

「要石だと?」

「そう言われました。何かの比喩でしょうが、具体的な言葉は、他にはありませんでした」

「分かった。ご苦労だったな。ところでハン先生、タドラの意識はまだ戻らないんですか?」

 ルークの背を撫でながら、振り返ってハン先生に尋ねる。

「今のところまだですね。でも、容体は落ち着いていますから、間も無く戻るかと……」

 その時、ノックの音がしてハン先生が振り返った。

「何でしょう」

「お話し中恐れ入ります。タドラ様の意識が戻りました」

 入って来た医療班の助手の言葉に、三人は顔を見合わせる。

「俺も行きますから、お二人は先に行ってください」

 ルークがベッドから降りて、手早く服を着替えながら二人を見た。

「分かった。ジル、すまぬがルークの面倒を見てやってくれ」

 側に控えていた、世話係のジルに声をかけると、二人は助手と共に早足で部屋を出て行った。

「それを返してくれるか?」

 ブーツを履きながら、ジルの後ろにある上着と剣帯とベルトを見る。

「お願いですから、無理はしないでください」

 諦めたように言うと、着替えの終わった彼に、まずベルトと剣帯を渡した。

「分かってるよ。でもごめん、約束は出来ない」

 上着のボタンを留めながら、苦笑いしたルークは、俯くジルの肩を叩いた。




 目を覚ましたタドラは、自分が生きている事に本気で驚いていた。

「うわあ、ルーク……ごめんなさい」

 どれだけ彼に苦労をかけたのか、想像したら気が遠くなりそうだ。

 側にいた医療班の診察を受けていると、扉が開きハン先生が入って来た。その後ろには、見間違えようの無い巨漢の姿があった。

「ど、どうして……貴方がここにいるんですか」

 思わず言ってしまったが、間違い無く彼がここに来たのは自分が原因だろう。

 ベッドから身を起こしかけて、二人に止められた。

「まだ貴方は絶対安静が必要です。起きてはいけません」

「うう……ヴィゴ、すみません」

 そう言うと、思わず毛布を引き揚げて顔を隠した。

「構わぬ、楽にしていろ」

 そう言って、頭を軽く叩かれた。



「タドラ! 具合は!」

 その時、開いたままだった扉からルークが駆け込んで来た。

「ルーク! 貴方は大丈夫なんですか!」

 差し出された手を握り返し、叫ぶような声で尋ねる。

「良かった。本当に良かった。本気で心配したんだぞ。もう勘弁してくれ……」

 泣きそうな声でそう言うと、ベッドに覆いかぶさるように、抱きついて来た。

「すみません。それから、ありがとうございます。あの……ベリルは?」

「大丈夫だよ。無事に砦に戻ってる。怪我も無くね」

 胸元に頭を軽く乗せたまま、ルークが大きなため息を吐いた。

「お前が一番重症だよ。俺も怪我はない。ちょっとショックで倒れたけどね」

 驚いて目を見張るタドラに、片目を閉じて笑った。

「貸し一つな。でも……エメラルドに無礼をしたから、貸し借り無しだな」

 その言葉だけで、もう何があったのか察してしまった。

「ありがとうございます。貴方の働きに心からの感謝を。お陰で死なずにすみました」

「……うん、本当に良かったよ」

 それを聞いて、泣きそうな顔でルークは笑った。




「やはり何も覚えておらぬか」

 タドラには途中からの記憶が全く無く、結局、ルークの報告以上の事は分からなかった。

「一度本部へ報告しよう。それから我々は夕食だな。明日、例の警告を受けたと言う場所へ行ってみよう。俺に考えがある。大丈夫だ。無茶はせぬ」

 慌てて何か言おうとする二人を制して、ヴィゴは笑った。

「大丈夫だよ。とにかくタドラは今は大人しく寝ていろ。ルーク、食事は食べられそうか?」

 タドラの毛布を直しながら、振り返って尋ねる。

「ええ、正直言って腹減ってますよ。俺は別にどこも悪くないですから、食べられますよ」

 不思議そうに言う彼を見て頷くと、肩を叩いた。

「なら一緒に行こう。とにかくお前だけでも大丈夫な姿を砦の皆に見せてやれ。恐らく大騒ぎだったろうからな」

 苦笑いしながら、ルークの胸を突く。

 ハン先生も、後ろで笑って頷いた。

「そうですね。そう言ったある種の演技も、貴方達には必要ですよね」

 何を求められているのか察して、ルークは笑うしか無かった。

「自分で蒔いた種は自分で刈り取れって事ですね。たとえ中身が空であっても」

 情けなさそうに言うと、ため息を吐いて天井を見上げた。

「よく分かってるじゃないか、諦めろ。常に人目があるって事を忘れるなよ」

 そう言って笑うと、先ずは本部に報告する為のシルフを呼び出した。

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