ラプトルに乗って
翌日早朝、王都へ戻る第四部隊と一緒に、マークも出発した。
早朝にも関わらず、隊長を始めとする旧砦の部隊員全員とフィルが整列して見送ってくれた。
「本当にありがとうございました。皆様もどうか体には気をつけて。それでは、いってまいります」
与えられたラプトルに乗って、鞍上から敬礼した。
こんなに心を込めてした敬礼は、軍に入隊してから初めての事だった。
きっと、ここでの事は一生忘れないだろう。
他にも早朝勤務の兵士達が何人もいて、作業の手を止めて手を振って見送ってくれた。
進み始めた荷馬車の後ろについて、ゆっくりとラプトルを進ませる。
街道へ出ると、なぜか涙があふれて止まらなくなり、何度もしゃくりあげた。
泣きながら鼻をすすって袖で涙を拭いていると、隣にいたラプトルに乗った年配の兵士が、笑って手拭き布を差し出してくれた。
「そんなに泣いたら干からびちまうぞ。王都からここまで半日もかからない竜騎士様と違って、俺たちは六日もかけて地上を行くんだから、水分は大事にしろよ」
「あ、ありがとう、ござ、い、ます」
しゃくりあげながら必死に礼を言うと、また笑われた。
「そうか、初めての勤務地だったのか。そりゃあ思い入れもあるよな。俺だってもう何十年も前の事だけど、初めての勤務地の部屋の、壁の染みまで思い出せるぞ」
「どうなんでしょうか? 毎日、退屈ばかりだったんですけど……でも、俺も、汗まみれで働いた、納屋の柱の木目なら思い出せそうです」
仲良くなった年配の曹長と、ラプトルを並べて街道を進みながら全体を見回して、王都へ帰る人数が思っていたよりも少ない事にマークは密かに驚いていた。
ラプトルに乗った士官や兵士が、自分を入れても二十一名、荷運び用の荷車を引いたトリケラトプスが五匹で、それぞれの荷馬車に二人ずつ乗っている。徒歩の者がいないので、移動速度はかなり早い。
訓練所があったブレンウッドの北にあるハマーの街から、勤務地である北の砦に来た時は、輸送部隊の荷車に一緒に乗せてもらって来たのだが、殆ど歩く速度と変わらなかった為、ハマーの街からブレンウッドを経由して何日もかかった記憶がある。
「王都って、遠いんですか?」
「ブレンウッドの街から王都のオルダムまで、街道沿いに行って580キルト位だからな、歩きだと相当かかるぞ。良かったな、ラプトルに乗せてもらえて」
自分の乗ったラプトルの首を叩きながら、曹長は笑った。
自分に与えられたラプトルの首を撫でてやり、マークは鞍上で器用に伸びをして首を回した。
さすがに、一日中それなりの速さで走るラプトルに乗っていると、乗れなくなる程では無いが、身体が緊張して硬くなっている。
訓練所時代、農家出身の者は、ほぼ全員がラプトルに乗る訓練に苦労していた。彼もラプトルに乗るのは初めてだったのだが、何故か簡単に乗ることが出来て教官に驚かれたのだ。
何故だ、どうしてそんなに簡単に乗れるんだと、皆に驚いて言われたが、そんなの自分が一番知りたかった。乗ってみたら出来ただけだ。
考えてみれば訓練所時代に苦労したのは算術だけで、それだって、居残ってしっかり教えてもらったら最後には暗算だって簡単に出来るようになった。
体を動かす格闘訓練や騎乗訓練は、基礎さえ覚えれば全くと言っていい程苦労しなかったのだ。
「そっか、俺だって、ちょっとは自信持っても良いのかもな」
晴れた春の空を見上げて、照れた様に独り言を言って笑った。
その肩に、シルフが座って一緒に頷いているのに気付いていないのは、第四部隊の中ではマークだけだった。
何とかベラの背に乗ることが出来たレイは、タキスと一緒にエイベルのお墓詣りに来ていた。
タキスについて先ほどの草原から森の境目に沿って東に進むと、また別の広い草原に出た。
大きな岩と何本かの大きな木があちこちに点在する、段差のかなりある起伏に富んだ場所だ。
「ここなの?」
前を行くタキスに声をかけると、彼は振り返って頷いた。
「あの一番大きな白い花が咲いている木が見えるでしょう。あの根元ですよ」
そう言って、段差のある岩があちこちにある足場をゆっくりと進んで行った。
「足元に気をつけてくださいね。ああ、そう言えばここを渡るのは丁度良い訓練になりますね」
段差を軽々と超えたタキスが、振り返って先で待ってくれているので、ちょっと怖かったけれど、その後を頑張って追いかけた。
「力の抜き具合が、かなり慣れて来ましたね。でも、慣れて来た時の方が油断して落ちやすいので、気をつけるんですよ」
岩場を上手に移動して来たレイに、タキスは注意したが、顔は笑っている。控え目に見ても、彼のラプトルを御する技は上出来だった。上達具合は、本当に素晴らしい。
元々の反射神経や運動能力も高かったのだろうが、乗り始めてからの期間を考えると、驚異的な上達ぶりだった。
「さすがは蒼竜様の主ですね」
感心して呟くと、目的の木に向かってポリーを進ませた。
タキスに続いて、レイもベラから降りて木の根元へ近づいた。
足元には、歪な形の白い石が不自然にポツリと置いてあるだけだ。
「……これ?」
墓と呼ぶにはあまりに粗末なそれに、思わずタキスを振り返る。
「この墓を作った時、私は全てに絶望して自暴自棄になっていました。でも……でもエイベルを弔う事だけは、絶対に私がしなければいけないと思って……ノームの祝福を強く受けるこの土地なら、僅かな髪の毛だけの埋葬であったとしてもあの子が輪廻の輪への道を見つけられるのでは、と、そう思ったんです」
白い石の周りに茂った草を抜きながら、タキスはとても優しい顔をしていた。
「ドワーフの家に残されていたわずかな道具でこの墓を掘り、石を割って墓石にしたんです。でもその後の事は、実はよく覚えていません。見兼ねたシルフ達が家まで連れて帰ってくれて……
恥ずかしそうに笑って、綺麗になった白い石をそっと優しく撫でる。
「この辺りには、野の花はあまり咲かないんですね。春なのに寂しいですよね。花でも摘んでくれば良かった」
「それなら、僕が摘んでくるよ! タキスはここにいてあげて」
そう言うと、さっき森の道沿いに見た春の花の群生地へ行く為に、急いでベラの所へ走った。
「レイ、気をつけてくださいよ。摘んだ花は、鞍の後ろに籠が付いてますからそこに入れてください。決して物を手に持ったまま乗らないように」
「分かった!」
振り返って返事すると、ベラの鞍に一気に飛び乗った。
「やった!一度で乗れたよ」
鞍上で笑うその笑顔が、タキスには命の輝きそのものに見えた。
先ほどの岩場を、落ち着いてゆっくりと乗り越えたレイは、心配そうにまだ自分を見ているタキスに手を振ってから、ベラを走らせて花の咲いていた場所へ急いだ。
「よしここだ。待っててねベラ、お花を摘んでくるから」
森を大回りした先に広がる目的の場所に到着すると、軽々とベラの背から飛び降りる。
辺り一面に咲き乱れる花達から、目に付いた茎の長そうな花を次々と摘んでいった。彩りも考えて色んな色の花を摘み、両手いっぱいに花を抱えて満足してベラの所へ戻った。
肘を使って、器用に鞍の横に取り付けられた畳んだ籠を開く。
傷まないようにそこに優しく束ねた花を入れる。
それからちょっと考えてノームを呼び出し、白い小さな花の株とピンクの花の株を願いして土ごと掘り出してもらった。
「これってこのまま持って行って、タキスがいる向こうの岩のある草原に植えても大丈夫?」
『大丈夫ですぞ』
『向こうで植える時にまた呼んでくだされ』
笑って頷いてくれたので、お礼を言って消えるノームを見送った。それから掘り出した花の株を、反対側の籠にそっと並べて入れた。
自分の仕事ぶりに満足し、さあ戻ろうとベラの手綱を取って上を向いた時、突然、差し込むような強い胸の痛みに息が出来なくなった。
「え……な……なに……」
堪えきれず、咄嗟にしゃがみ込んで胸を押さえる。
もの凄い勢いで脈打つ自分の心臓の音が、耳の奥で、まるで嵐のように暴れまわっている。
あまりの胸の痛みに、身体が強張って息が出来ない。
ところが、唐突に痛みが引いた。
安堵して立ち上がった時、今度は腹が
「かはっ……」
堪えきれずに、込み上げてきたものを地面に吐きだす。
しかし、吐いても吐いても込み上げる吐き気は治らず、立っていられずに膝から崩れるように倒れ込み、咄嗟に地面に膝と両手をついて、更に何度も嘔吐した。
結局、先程食べた腹の中のものを全部吐いてしまった。
地面に這いつくばって何とか息を整える。しかし、力が抜けて立つ事が出来ない。
目の前が暗くなって気が遠くなる。
「駄目だ、こんな所で……心配かける……」
必死で己を叱咤し、体を起こす。
ところが、無理をして体を起こして立ち上がると、吐き気も、腹の痛みも嘘のように引いて無くなった。
まだ少し目眩はするが、さっきの胸の痛みと吐き気は夢だったのかと思う程に、もう何とも無い。
しかし、夢では無い証拠の草地に散った自分の吐いたものを見て、無言で周りの土を被せてそれを隠した。
胸の痛みも吐き気も治まったが、まだ口の中が苦くて堪らない。残った苦い唾液が口の中にあふれそうになって、また吐きそうになる。
「
現れた姫にお願いして、掌に少しずつ水を出してもらい何度も口をゆすいだ。それでもまだ、喉の奥が火がついたように痛む。
思い出して、ベルトに付けた鞄からのど飴を取り出して口に入れてみる。
「あ、苦いのも痛いのも無くなったや。凄いぞ、のど飴の威力」
大きく深呼吸して身体をゆっくりと伸ばす。拍子抜けする程に、本当にもう何とも無い。
「……戻ろう。ゆっくりねベラ」
言葉通り、ゆっくりとベラに乗る。鞍上でもう一度深呼吸して、大丈夫な事を確認してからタキスのいる場所へ戻った。
足場の悪い岩場は、先程よりもかなりゆっくり進んで、何とか渡りきった。
「お帰りなさい。遅かったので、何処かで転がり落ちたんじゃ無いかと、心配していたところですよ」
近くの岩に座っていたタキスが、笑って立ち上がって出迎えてくれた。
「たくさん摘んできたよ。それから、ノームにお願いして花の株を持って来たの。そこに植えたら根付いてくれるよ。そうしたら、毎年花が咲いて賑やかになるでしょう」
「それは……ありがとうございます。花を植えるなんて、私は考えもしなかったです」
笑って白い花の株を手渡した。
「花があれば、エイベルも寂しく無いよ。今度はキリルの株も持って来て植えてあげようよ。きっと、森から、キリルの実を目当てに色んな子達が遊びに来てくれるよ」
そう言って、摘んで来た花を白い石の前に並べる。
ノームを呼んでお願いし、白い石の両側に持ってきた花を植えた。
『根付くまでしばらく面倒みますぞ』
『ご心配無く』
『ここもいずれ花畑になりましょうぞ』
ノームの言葉に、タキスが顔を覆って座り込み、子供のように泣きだした。
「ありがとうございます……もっと早く、こうしてあげれば良かった……本当に、本当に……ありがとう……ござい……ます」
「皆、泣き虫さん」
レイが笑って、うずくまるタキスを優しく抱きしめた。
第二の異変の進行は、レイの身体の中で次第に大きく膨れ上がりその牙を剥く準備を進めていた。
しかし、その危険な事実に、まだ、誰も気付かない。
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