大切な主と竜騎士達のその後
「ブルー! ほら見て! もう、全力で走らせても大丈夫だよ」
笑いながら、草原を走るラプトルの上で手を振るレイの姿に、ブルーは、先程まで身体中からあふれそうだった怒りが、急速に消えていくのを感じていた。
「やはり、主は偉大だ。我の感情をこうも容易く鎮めてくれるとはな」
「え? 何の事?」
側へ来て、不思議そうに見上げる大切な主に、ブルーはそっと頬擦りをした。
ここ数日、森の上空を何度も飛び回っていた竜騎士達が、知らぬ事とはいえ、エントの大爺のいる森の上空に近づき過ぎていたのだ。
その上、大爺の眠る場所を守る結界を超えそうになっている。
それまでは、何でも好きにすれば良いと放っておいたが、さすがにこれは見逃せない。
万一にでも、不用意に大爺の眠りの邪魔をされては、森の結界にどんな影響が出るか知れやしれないからだ。
怒りのままに怒気をぶつけて警告したら、まともにそれを受けた一人の竜騎士が失神してしまった。
どうやら、精霊の力に同調しやすい人間だったらしい。
さすがに死なれては困るかと思ったが、もう一人が即座に彼を保護して撤退し、事なきを得た。
無事に二人が砦に戻ったことを確認して、草原へ急ぎ戻ったのだ。
込み上げる、愛しい感情のままに何度も頬擦りしていると、突然、レイの悲鳴が聞こえた。
何事かと顔を上げると、鞍からずり落ちて、地面に尻餅をついてこっちを睨んでいるレイと目があった。その背をノーム達が受け止めている。
「す、すまぬ」
何が起こったか分かり咄嗟に謝ったが、レイは半分涙目でそっぽを向いてしまった。
「もう、せっかく今日は一度も落ちなかったのに! タキス! 今のは数えちゃ駄目だよ! あれは無し!」
尻餅をついたまま、両手で大きくバツ印を作ってタキスに向かって叫んでいる。
側ではタキスが、必死になって笑いを堪えていた。
「ええ、まあそうですね。数えないでおいてあげます。さすがに今のは、貴方に非は有りませんでしたからね」
その隣では、同じ様にニコスも必死で笑いを堪えていた。
「しかし、まあ見事に落っこちたな。ある意味、あんなに綺麗に落ちるのも技術がいるぞ」
「酷いよ二人とも! ああ痛い痛い、もう駄目。僕、もう動けない。あ、有難うね、君達は優しいもんね」
受け止めてくれたノーム達にお礼を言いながら、お尻を押さえて泣くふりをする。しかし堪えきれずに声を上げて笑い出して、そのまま地面に転がった。
「ブルー、今度から頬摺りする時は状況を見て! さすがにラプトルの上は無しだよ! 危ないって!」
「う、うむ。気を付けよう」
焦って大真面目に謝ったら、起き上がったレイに笑われた。
無邪気に笑うレイの笑顔を見ているだけで、こんなにも幸せになれる。
ブルーは、主と共にいられるこんなささやかな日常が、永遠に続けば良いのにと、心からそう願わずにはいられなかった。
負傷した竜騎士の戻った北の砦では、もう一人の、無事な竜騎士までが皆の目の前で倒れて大騒ぎになっていた。
すぐに彼も砦の医療棟に運び込まれたが、それっきり何の動きも無い。
他の兵達には、彼らがどうなったのか知ることも出来ず、ただ心配する事しか出来なかった。
その日、非番だったマークは、朝から荷物整理をしたが元々身軽な独り者、はっきり言って大した荷物はない。
昼迄には、引き継ぎも片付けも全て終わってしまったので、する事も無くのんびり休息を兼ねて昼寝をしていた。
ところが、中庭から皆の騒ぐ声が聞こえて目が覚めた。
何事かと急いで着替えてから廊下に顔を出すと、丁度、フィルが荷物を運んでいるところに出くわした。
「なあ、どうした。表で何かあったのか?」
しかし、即座に直立して敬礼されてしまい、仕方なく敬礼を返す。
「あの……」
「いいよいつもと同じで。公式の場ならいざ知らず、友達に普段から敬語なんか使われたくないよ」
情けなくなってそう言うと、苦笑いされた。
「で、何があったんだ?」
中庭を指差しながら聞くと、知らなかった事を驚かれたが教えてくれた。
「捜索に出ていた竜騎士様が、お怪我をなさったらしいんだ。俺は見なかったけど、戻ってこられた時には意識が無くて、胸元にものすごい量の血が付いてたって」
驚きのあまり声も無い。
「もう一人の茶色の髪の竜騎士様も、戻られた後、中庭で倒れてしまわれて、第二部隊の兵士に抱えられて砦へ戻られたんだ。皆心配してるんだけど、まさか聞きに行くわけにも行かなくて……」
「怪我をされたのは、黒髪の竜騎士様、って事はタドラ様か」
気安く話しかけてくれた、人懐っこい笑顔を思い出した。
平和な日常の隣に、非日常が、突然紛れ込む。
誰かが怪我をしたり、倒れたりするような。
あまりに平和過ぎて忘れそうになっていたが、此処が軍の砦である事を改めて思い知らされて、マークは思わず身震いした。
ベッドの上で目を覚ました時、まずルークが思ったのは、
「ああ、やっちまった」
と言う、苦い後悔だった。
戦闘状態でも無い辺境の地で、一人が明らかに意識不明の血まみれで戻り、もう一人も皆の前で倒れた。
絶対、あの後大騒ぎになった筈だ。
「これ、絶対不味いよな。本部に知らせ……間違いなくいってるよな。うわあ、どうしよう」
唸り声をあげて両手で顔を覆う。
出来れば、もう一度気を失いたい気分だが、残念ながらもう意識は戻ってしまった。
ベッドから見る部屋は、ここで寝泊まりしている士官用の部屋では無く、どうやら医務室か入院棟の部屋の様だ。
無言で横になったまま、まず自分の体の状態を確認する。
どこにも異常が無い事を確認してから、ゆっくりとベッドから起き上がった。
目眩や貧血が無い事を確認してから、黙って着せられていた医療用の服を脱いで、側の壁に掛けられていた竜騎士の制服を着る。
上着を着てマントを横に置き、膝下まであるブーツを履いたところでノックの音がして、いつも世話になっている第二部隊の兵が入ってきた。
彼は、今回の遠征の為に、オルダムから来てくれた彼の従卒だ。
「ああジル、すまなかったな。タドラの容体は?」
出来るだけ平静を装って話しかける。
着替えているルークを見た彼は、慌てて駆け寄ってきた。
「まだ、起きてはいけません。せめて今日一日はお休みください」
心配そうに言われて首を振る。
「大丈夫だよ。倒れたのはただの貧血だ」
笑って誤魔化そうとしたが、医術の心得もある彼の目は誤魔化せなかった。
無言で手を握られた。まだ、震えの残る手を。
「では、これは何ですか? 誤魔化さないでください。何のために我々がお側にいると?」
握りしめてくれたジルの手は暖かかった。
その時初めて、ルークは自分の身体が、氷の様に冷え切っている事に気付いた。
「タドラ様の意識はまだ戻っておりませんが、ハン先生によると、もう出血も無く落ち着いているとの事です。間も無く意識も戻るだろうと」
それを聞いて、頷いて大きなため息を吐いた。
「そうか、それは何よりだ。じゃあハン先生はタドラについておられるんだな」
「今から貴方を診ますけどね」
開いたままの扉から、女性と見紛うばかりの美貌の銀髪の男性が顔を出した。
ニコニコしているが、グレーの目は笑っていない。
「いや、あの、もう大丈夫ですから……」
「それを決めるのは、貴方では無く医者である私の仕事です」
入ってきたハン先生に膝を小突かれて、仕方なくベッドに座り、履いたばかりのブーツを脱いだ。
無言でジルが横から上着を脱がせ、手早く剣帯もベルトも抜き取る。
「手慣れてるな、おい」
「誰かさん達が、心配ばかりかけてくれるもので」
剣を横に置き、制服と剣帯を手にしたジルに真顔で言われる。
「う……いつもすみません」
心当たりがあり過ぎて、謝るしか出来なかった。
前に座ったハン先生が、脈を取るためにルークの手を取る。
正面から顔を見られ、思わず目を逸らした。
絶対に震えている事に気付かれた。
「ルーク、一体何があったんですか?」
震えている事については何も言わず、手を温める様に握られて心配そうに聞かれた。
「……格の違いって言葉の意味を、思い知らされましたよ」
あの、圧倒的な威圧感をまともに浴びた身では、もう、そうとしか言えなかった。
「まさか、例の竜と接触したんですか?」
驚いたハン先生とジルに、苦笑いして頷くしかなかった。
「そのまさかです。と言っても、向こうからの一方的な接触でしたけどね」
「こ、攻撃されたんですか?」
ジルが顔色を変えて叫ぶ様に言う。
「違う、そうじゃ無い。これ以上近寄るなと警告されたんだよ。ただし、竜達まで動けなくなる程の、物凄い威圧感と共にね」
納得した様にハン先生が頷いた。
「タドラの状態は、その竜の怒りに同調してしまった事による、一時的に暴走した竜射線による組織の崩壊ですね。それで分かりました。急に嘔吐して吐血したと聞かされて、竜熱症だとばかり思って慌てたんですが、どうやら違う様だし……正直、原因が分からなかったんですよ」
「すみません。俺がもっとしっかりしていれば、すぐに報告できたのに」
情けなくて俯いて謝ると、ハン先生に慰める様に背中を撫でられた。
「とにかく、今日は安静にしていてください。明日以降は、もう一度診察してから判断します」
「すみません……」
結局ベッドに逆戻りになり、ジルに毛布をかけられた。
もう、己のあまりの情けなさに涙が出そうだ。
「ああ、それから一つ報告がありました。お二人の負傷を聞いて、ヴィゴが急遽ここに来られるそうですよ。マイリーとどちらが来るかで、大騒ぎだったそうですけどね。報告を聞いた後、すぐに出発されたそうですから、もう間も無く到着されるのでは?」
それを聞いた瞬間、腹筋だけでベッドから飛び起きた。
「待って! ハン先生! 一体、一体本部に何て報告したんですか!」
叫ぶ様な声に振り返ったハン先生は、にっこり笑ったが、やはり目は笑っていない。
「捜索に出たお二人の内、タドラが吐血して意識不明、ルークも帰還直後に意識を喪失。報告した当時、両名未だ意識戻らず、ですよ」
声も無く、手を貸してくれたジルに無意識ですがりついた。
本気で泣きたくなった。
「冗談では無く。此処は明らかに他の現場とは違います。今回の件も、あなた方が無謀だったとは全く思っていません。慎重に行動した結果がこれなら、一から対応を見直す必要があるでしょう?」
真顔のハン先生の言う事は、的を射ている。
「うわあ、もう俺、二度と目覚めたく無い」
顔を覆って泣くふりをするルークに、ハン先生は笑って顔を近づけた。
「現実逃避がご希望なら、永遠に眠らせて差し上げましょうか?」
優しげな笑みなのに、怖さしか無い。
「うう、すみません、遠慮します」
そのまま毛布に潜り込んだ。
ため息が降ってきた。
「とにかく、貴方は、今は体調を元に戻す事だけを考えてください。タドラは、最低でも後二日は絶対安静が必要です」
「そうですよ。とにかく、後は我々に任せて貴方は休んでください」
ジルにもそう言われて、毛布から顔を出して頷くしかなかった。
ふざけている場合では無い。やらなければならない事は沢山ある。
今は休息を取り、身体を元の状態に戻すのが自分の仕事だ。
ルークはため息を吐いて、諦めて目を閉じた。
ヴィゴが来るまでの間の、暫しの休憩時間だ。彼が来たその後に起こるであろうあれやこれやは……今は考えない事にした。
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