遠乗りと砦の竜騎士達

 森は、目にも鮮やかな新緑の季節を迎えていた。

 春の農作業が一段落したこの日、皆で森へ遠乗りに出掛ける事にしたのだ。

 すっかり元気になったヤンとオットーにタキスとニコスが乗り、ポリーにレイが、ベラにはギードが乗る。

 いつもより念入りに鞍と手綱を装着して、しっかり確認した。

 背中のリュックには、お茶とおやつが、腰のベルトには追加してもらったのど飴も入っている。

「さて、それでは行きましょう。先頭は私が行きますから、後について来てくださいね」

 タキスがヤンに乗って振り返ってそう言うので、レイは少し緊張しながら頷いた。

「それじゃあよろしくね。ポリー」

 もう一度、首元を軽く撫でてから騎乗した。

 ゆっくりと、タキスについて厩舎を出る。最後に出たギードが、厩舎の扉を閉めた。

 四騎は一列になって坂道を登って行った。



 少しゆっくりと林の中に入る。

「シルフ、皆を守って下さい」

 タキスの声に、肩の上にシルフが現れて座った。

「そっか、枝から守ってくれるんだね。よろしくね」

 声をかけると、笑って頷いてくれた。

「レイ、この辺りは少し足場が悪くなります。気を付けてください。無理に手綱を取る必要はありません。ポリーに任せて大丈夫ですよ」

 止まったタキスが、振り返って教えてくれた。

「分かった。よろしくね」

 少し、手綱を緩めてポリーの首を叩いた。

 タキスの後について早足で走るポリーは、確かに右に左に大きく体を揺らしてバランスを取っている。

 その度に何とか堪えて揺れる体を支えながら、レイは、またぶり返してきた喉の痛みを我慢していた。



「お疲れ様です。うまく岩場を乗り切れましたね。ここで少し休憩しましょう」

 タキスがヤンを止めたのは、小さな草地になった湧き水のある場所だった。

「ここの湧き水は、蒼竜様の泉の水と繋がっとるぞ」

 水筒に湧き水を入れながら、ギードが教えてくれた。

「それで、ブルーが来たんだね」

 手渡された水筒の水でうがいしていたレイが、空を見上げて笑う。

 視線の先には、見慣れた大きな影が旋回していた。

「おはようブルー!」

 水筒を返してから笑って上を向き、手を振った。

「うむ、おはよう。それで今日はどこまで行くのだ?」

 上空で止まったまま、ブルーが皆を見下ろして尋ねる。

「レイの練習を兼ねておりますので、ギードの鉱山の手前まで行きます。あの周りには、走るのに良い草原がございますから」

「成る程、確かにあの辺りは平らな草原がいくつかあるな。それでは先に草原へ向かっていよう。レイ、気を付けて来るが良い」

「待っててね!直ぐに行くから」

 飛び去るブルーに手を振って、レイは笑った。

「それでは行きましょう。この先も、何箇所か足場の悪い箇所がありますから、十分に気をつけるように。不意に揺れた時に備えてください」

「分かった、気をつける」

 のど飴を口に入れたレイが、真剣な顔で答えた。

 大人達は、目を見交わし合って笑った。

 本当に彼の成長は素晴らしい。教えた事を、確実に自分のものにしている。

 きっとあっという間に、付き添いなしでも森に入れるようになるだろう。

 走り始めたタキスに、次々と皆付いて行った。




「竜の姿を確認しました。蒼の森の北西方向です!」

 まだ補修工事が始まったばかりの西の古砦で、竜騎士からの進言により、急遽設置された見張りの塔にいた兵士が叫んだ。

「報告にある通り、相当巨大な竜です。直ぐに竜騎士様に報告を!」

 何人かが慌ただしく動き、精霊を通じて、直ぐに竜騎士に野生の竜発見の報告が届いた。



「見つかった?何処だ。分かった、直ぐに向かう」

 肩に座ったシルフから伝言を聞き、ルークとタドラはすぐに発見場所へ向かった。

 今日までの五日間、蒼の森上空に行くたびにあの視線を何度も感じ、怯えるシルフにも、あの森には近づかないようにと止められて、止むを得ず捜索範囲を北の竜の背山脈方面まで広げていたところだった。

「やはり、あの視線は例の竜のものだったか」

「となると、老竜である事はほぼ確実ですね」

 急いで戻りながら、二人は声を飛ばして話をしている。

「老竜なら、俺たちの竜より確実に上の位なんだから、迂闊な事はさせられないな」

「どうしますか、接触するんですか?」

「まずは、様子見だ。本当はあちらから接触して来てくれたら一番良いんだがな」

「それは、かなりの希望的意見ですね」

「そうでも思わないとやってられるか。正直……この森は怖いよ」

 ルークの零した弱気の発言を、タドラは笑わなかった。彼も全くの同意見だったからだ。




 精霊竜は、年齢に応じて変わっていく位があり、それに準じた呼び名がある。

 具体的に何歳からと言った、きっちりとした決まりがある訳では無いが、基本的に自分よりも上位の竜には、下位の竜は逆らえない。

 これはもう本能的なものだ。

 五十年程度なら誤差の範囲だが、それ以上だと確実に実力に差が付く。

 ルークの相棒である白竜パティが、成竜で二百歳、成竜は概ね五百歳頃までだと言われている。

 タドラの相棒である緑竜ベリルは、まだ六十歳程だから、精霊竜としてはまだとても若い。

 百歳程度までは、若竜と呼ばれている。

 もしも、この森にいる野生の竜が、本当に老竜であるなら、彼らの竜では絶対に太刀打ち出来ない。

 事実、普段なら簡単に何でも調べて来てくれるシルフ達が、揃ってこの森は駄目だと繰り返すばかりで、全く役に立たない。

 間違いなく、彼らよりも高位の存在が邪魔をしている。



「この辺りの筈だが……」

 伝言で聞いた森の西側に来たが、既に竜の姿はどこにも無かった。

「ま、大人しくその場で待っててくれるなら、誰も苦労しないよな」

 思わずルークがそう零し、タドラも苦笑いして頷いた。

「もう少し奥まで見てみよう」

 ルークの提案にタドラも頷き、そのまま北西に捜索範囲を広げていった。

 西の古砦が見えなくなってからしばらくした頃、突然の異変が彼らを襲った。

 二人は心臓を掴まれたように金縛りにあい、全く動けなくなってしまったのだ。

 相棒である竜も、怯えて口を開け、固まったまま動かない。

 精霊の加護がある為、羽ばたかなくても落ちる事はないが、これは明らかに異常事態だ。

「な……な、んだ……」

 わずかに動く目で、隣にいるタドラを見たが、彼も全く同じ状態だ。



『この森は戯れに暴いてはならぬ。要石にこれ以上近寄るなら、我は容赦はせぬ。其方らのいるべき場所へ帰れ。警告は一度きりだ』



 耳元で、はっきりとした、怒りのこもった声が聞こえた。

 更に威圧感が強まり息が苦しくなる。

 目の前が暗くなり、落ちる寸前で一気に解放された。

「かはっ!」

 必死に息を吸い込んだが、その後何度も咳き込む。隣からも悲鳴のような声と共に、ひどく咳き込む音が聞こえた。

 手足が氷のように冷たくなって、全身の震えが止まらない。

「タ、タドラ……無事か?」

 なんとか必死に息を整えて、横を見たルークは悲鳴を止められなかった。

 タドラがひどく嘔吐して血を吐いている。そのまま身体を起こしていられずに、竜の首にすがりつくようにして倒れてしまった。

 このままでは、竜の背から落下してしまう。

 何人かのシルフが、慌てて彼の身体を支えようとしているが、パニックになっているらしく上手くいかない。

「シルフ、タドラを支えるのを手伝え! 決して落とすな!」

 パニックになりそうな自分を叱咤して、大声でシルフに指示を出す。

 何人ものシルフが現れて、今にも竜の背からずり落ちそうなタドラを支えた。

「シルフ、砦の第二部隊のハン先生に至急伝えてくれ! こちらルーク、緊急事態発生! タドラが吐血した。ドクター! すぐに戻りますので、受け入れお願いします!」

 タドラは、感応能力が竜騎士の中でも抜群に高い。

 恐らく、あの野生の竜からの威圧感と圧倒的な力に無意識に同調してしまったのだろう。そしてその結果、あの圧倒的な迄の力を彼の身体が受け止めきれなかったのだ。

「エメラルド……いや、ベリル、 緊急事態だ! 今は俺の指示で動け。お前の主を守るぞ!」

 あの竜の一般呼称である、エメラルド、ではなく、本来その竜の主しか呼ばない名前、ベリル、とあえて呼ぶ。

 それは言ってみれば、寄り添う二人の間に土足で踏み込むような侮辱的な行為であり、それが出来るのは、その竜よりも上位の竜の主だけだ。

「砦までこのまま引き返す。シルフ達に守らせているが、絶対にタドラを落とすなよ。いいな。落ち着いて俺の後について来い」

 突然の主の状態にパニックになっていたまだ若いベリルは、上位の竜の主からの冷静な指示にようやく我に返った。

「分かりました。今はあなたの指示に従います」

 震えるような声で答えると、翼を震わせてパティの後ろについた。

 弾かれたように二匹の竜は砦を目指して飛び去って行った。




 捜索に出ていた竜騎士が、負傷したとの知らせを受けた砦の中庭は、大騒ぎになっていた。

 第二部隊の医療班の医者が三名、緊張した面持ちで担架を持って中庭で待機している。

 彼らは、竜騎士の行くところには必ず付いてくる、第二部隊の中でも竜騎士専属の特別編成の部隊だ。

 仕事の内容は、事務的な事から竜騎士達の身の回りの世話、もちろん竜の世話まで多岐に渡る。そして必ず複数の医者がいる。

 代わりのきかない、竜の主である竜騎士を絶対に守る為だ。



「もう少しだ、頑張れ」

 二匹の竜は、ルークの竜が下に回って寄り添うようにして飛行している。

 万一、意識の無いタドラが落下しても、その下で受け止めるためだ。

 何度呼びかけても、ぐったりしたタドラの反応は無い。

「俺が降りたら、すぐそばに降りろ。いいな、降りるまで絶対にタドラを落とすなよ」

 砦の上空に到着したルークは、大きく深呼吸すると真っ直ぐに中庭の端に降り立った。

 そのままの勢いで竜の背から一気に飛び降り、パティのすぐ横に降りて来る緑竜に駆け寄った。

 両手を広げて、竜の背からずり落ちてきたタドラを受け止める。

 胸元が真っ赤に染まった意識の無い彼を、一度抱きしめると、駆け寄ってきた医療班の担架に託した。

「お願いします。嘔吐の後吐血しました」

 頷いて、早足に砦の中へ駆け込む担架を見送った。

「よく彼を守ってここまで来てくれた。ありがとうエメラルド。先程の俺の無礼を許してくれ」

 震えるように小さく鳴いて、その場にうずくまってしまったエメラルドの額に手を当てて、静かな声でルークは話しかけた。

「大丈夫だ。タドラはすぐに元気になる。お前に怪我はないか?」

 そう言いながら、優しく首筋を撫でる

「大丈夫、私に怪我はありません。適切な指示を感謝します。ありがとうごさいました。お陰で主を守ることが出来ました」

 エメラルドが小さな声でそう答えると、静かに喉を鳴らしながら頬擦りしてきた。

 ゆっくりと額を撫でて、その頭を抱きしめてやる。

 その彼の背を、パティが同じように喉を鳴らしながら頬擦りした。

「ルーク様。エメラルドとオパールのお世話をいたします。竜に怪我はありませんか?」

 駆け寄ってきた第二部隊の者の声が聞こえても、彼はすぐには動かなかった。

 エメラルドが自ら頭を引くまで、ルークは静かに抱きしめ続けた。

「すまなかった、よろしく頼むよ」

 交互に二匹の頭を撫でながら、落ち着いた竜達からルークは静かに離れた。



「タドラの容体は?」

 顔を上げると、側に来た別の第二部隊の者に尋ねる。

「まだ処置中ですが、先生の話では命に関わるような事はないだろうと」

 それを聞き、安堵のため息を吐いた。

「あの、一体何が……」

 心配そうな周りの者達に、無理に笑ってみせると首を振った。

「後ほど、皆にも報告する。しばらく待ってくれ……」

 一旦部屋へ戻ろうと歩き出した瞬間、目の前が真っ暗になり膝から崩れるように倒れた。

 それを咄嗟に抱きとめた側にいた兵士が、耳元で何か叫んでいたが、もう、ルークにはその声は聞こえなかった。



 倒れた彼は、そのまま意識を失ってしまった。

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