力仕事と人事異動
「おはよう、今朝も良いお天気だね」
『おはよう』
『おはよう』
いつものように、起こしてくれたシルフ達に挨拶しながら、レイは窓の外を見た。少し霞のかかった春の日差しが、窓から斜めに入ってくる。
「さて、今日は何をするのかな?」
急いで着替えると、顔を洗って居間へ行く。
畑の畝起こしも、種蒔きも一通り終わった。
後の、日々の畑のお世話は一日中かかる程では無いらしい。
何しろ、この畑にはノーム達がいて、作物につく虫を払ったり、モグラを追い出したりしてくれるそうだ。
もう一つ驚いた事が、畑の端の土手の上の部分にも、小さな畑があり、幾つかの種を蒔いていたのだが、それは虫達のための畑だと言う。
「だって、彼らだって生きているんですから、食べる物は必要でしょ」
不思議がるレイに、タキスが笑って教えてくれた。
作物に虫がついたら、ノーム達がここに連れてきて、他の畑に入らないようにしているのだと言う。
「そっか。その畑は虫達にあげるから、こっちには来ないでね、って事だね」
「そうですよ。変に虫を殺す薬を撒くよりも、ずっと平和的解決方法でしょ」
理由を聞いて、納得して感心した。
そんなやり方があったなんて、レイは考えた事もなかった。
「おはようございます。今日も良いお天気だね」
居間にいる皆に挨拶する。
「おはようさん、今日は納屋や厩舎の屋根を戻すぞ」
「おはようございます。ギードの言う通り、今日は納屋や厩舎の屋根を戻しますから、一日中力仕事ですよ。頼りにしてますからね」
「そっか、もう雪も無くなったし、皆を元の場所に戻すんだね」
お皿を出しながら、すっかり雪の無くなった外の景色を思い出した。
いつもの豪華な朝ご飯の後、食後のお茶を飲んでいた時に、久しぶりに急に咳が出た。
軽い咳だったが、なかなか止まらない。
しばらくして咳は収まったが、皆に酷く心配をかけた。
それに、いつもなら咳が出た後は普通に戻るのに、今日は喉の痛みが酷い。喉の奥の方が火がついたみたいに熱を持っている。
ところが、残っていたのど飴を舐めてみたら、痛みも熱も嘘みたいに治まった。
「もう大丈夫だって。ほら元気元気!」
心配して寝かしつけようとするタキスに、笑って両手を広げて飛び跳ねてみせる。
「本当に大丈夫ですか?」
「だから大丈夫だって」
「本当に?」
「だ、か、ら、大丈夫だって!」
外に出て、納屋の前まで行っても二人は同じ事を言い合っていた。
「ほれ、作業を始めるぞ。レイは、もし具合が悪くなったら、遠慮せずに絶対に言う事! 良いな!」
ギードに真顔で言われて、何度も頷いた。
でも、のど飴のおかげでもう痛みも咳も綺麗に治っていた。
いつものように、庭に降りてきたブルーに挨拶して、今日の作業を報告する。
「ほう、厩舎や納屋は組み立て式なのか。それは見てみたい」
そう言って横の坂道に座ったブルーは、レイがせっせと働いているのをずっと楽しそうに眺めていた。
作業を始めて、冬の間の訓練の成果が目に見えて分かった。
何しろ、片付けた時には持つ事が出来なかった梁に使う太い棒を、軽々と一人で持つ事が出来たのだ。
屋根に使う大きな板も、簡単に一人で持てる。
脚立に乗ったギードに梁や屋根の板を渡しながら、レイは一人で出来る事が嬉しかった。
皆の力になれるくらいに大きくなった自分が、少しだけ誇らしかった。
午前中いっぱいかかって、まずは騎竜達の厩舎の屋根と壁を設置した。
一旦、昼食の為に家へ戻り、午後からは家畜達の厩舎の屋根と壁を設置し、夕方までには、納屋の屋根と壁も設置することが出来た。
それから、上の草原に放していた家畜や騎竜達を、元の厩舎にそれぞれ戻してやる。
久しぶりの厩舎に、皆嬉しそうだった。
中の広場は確かに広いが、どうしても天井と壁が近くて、かなりの圧迫感を感じるし、空気の流れはあるが、やはり外に面している方が開放感はある。
「良かったね。冬までここでのんびりだよ」
嬉しそうなラプトル達を撫でながら、またぶり返してきた喉の痛みに、皆に隠れてこっそりのど飴を舐めた。
「レイ、明日はお天気のようですから、ラプトルに乗って遠乗りに出掛けましょうか。帰りに、久しぶりにお母上のお墓に行きましょう。もうあの辺りの雪も、溶けているでしょうしね」
タキスにそう言われて、嬉しくて飛び跳ねた。
少し、咳の再発が不安だったが、森でラプトルに乗れると言われて、そんな事はもう何処かへ消えてしまった。
「おいマーク、隊長がお呼びだぞ」
いつものように交代でラプトルの世話をしていたら、先輩が呼びにきてくれた。
「代わってやるから行ってこい。二階の会議室に至急来いってさ」
礼を言って交代して、手を洗ってから言われた通りに急いで会議室へ行った。
そこには隊長と、何故か増援部隊の部隊長のマーティン大佐が待っていた。その隣には先日の適性検査の時の最初に会った文官が立っていた。
「マークス・ウィルモット、先日の適性検査の結果を報告する」
文官が書類を片手に、マークを洗礼名である正式名称で呼んだ。
「はい!」
思わず、返事と同時に直立した。
「楽にしてよろしい。検査の結果、貴君は精霊魔法に対して非常に適性が高く、有能である事が確認された。よって本日付けで、君はオルダムの第四部隊の本部付きに配置換えとなる。訓練後の正式な配置先は訓練の成績次第だ。それから、野生の竜の発見、及び第四部隊への配置換えに伴い、同じく本日付けで上等兵へ昇進が決まった。おめでとう。しっかり頑張ってくれたまえ」
最後の言葉は、にっこり笑って言われた。
「あ、ありがとうございます!」
反射的に敬礼を返しながら、頭の中はパニックになっていた。
第四部隊は、王都勤務である第二部隊や、独立部隊である竜騎士隊と行動を共にする事が多い。別名精霊魔法部隊。実働部隊である武官や一般兵士達だけでなく、後方支援の文官や事務員に至るまで全員が精霊魔法使いだ。
希望したからといって、絶対に入る事の出来ない特殊部隊でもある。
自分がまさか、その第四部隊に配属されるなんて。ましてや、一等兵を飛び抜かしての二階級特進。普通では絶対にありえない人事だ。
それだけ、精霊魔法に対して適性のある人物への配慮と期待が感じられ、本気で胃が痛くなった。
「どうしよう……先輩より階級が上になったよ」
思わず呟いて隊長を見ると、にっこり笑って手を差し出された。
「ここから、第四部隊への人材が出るとは誇らしい事だ。王都へ行ってもしっかり頑張るんだぞ」
「た、隊長、お世話になりました」
思わず涙ぐんで、出された手を両手で握り返した。
「明後日、我々は王都へ戻る。君も一緒に行くから、すぐに出発の準備をしたまえ」
いくつかの書類を渡されて、文官にそう言われた。
「今夜は、送別会だな」
少し寂しそうな隊長が、手を離しながら笑った。
「今日の仕事が終わったら食堂へ来たまえ。引き継ぎがあれば本日中に連絡するように。明日は非番にしておくから、自分の出発準備をしなさい」
優しく背中を叩かれて、ただお礼を言う事しか出来なかった。
「お前、なんだよ。俺より偉くなりやがって」
食堂で急遽催された旧砦部隊だけのささやかな送別会は、途中からただの飲み会になっていた。
赤くなった顔の先輩に肩を叩かれて、マークは苦笑いするしか出来なかった。
「だって、俺にも何がどうしてどうなったのか、未だによく分からないんですから。でもすみません。これからもまだ忙しくなるのに、俺だけ抜けるみたいで申し訳ないです」
頭をかきながら謝ると、周り中からその頭を叩かれた。
「何言ってやがる。これからどんどん砦は綺麗になって人も増えるんだぞ。最後まで見届けられなくて残念だったな!」
「そうだそうだ! あ、でも偉くなって返り咲くなんてものありかもな」
「そんなの絶対ありえませんよ」
髪を引っ張られて、逃げながら叫んだ。皆、赤い顔で泣きながら笑った。
下戸なマークは、最初に入れてもらった酒を、まだちびちび舐めるように飲んでいる。目の前に置かれたつまみのクラッカーとチーズを食べながら感極まって泣いていると、また周り中から頭を叩かれた。
「待って、痛いっす」
いつも以上に荒っぽい先輩達に、別れの寂しさと優しさを感じて、こっそり涙を拭いたマークだった。
「そんな、せっかく仲良くなれたのに……いや、仲良くしていただき、今日までありがとうございました」
朝の食堂でフィルに会えたので、人事異動と二階級特進した事。それから、明日には王都へ帰る第四部隊の方と一緒に出発する事も話をした。
呆然と聞いていたが、最後には笑って送り出してくれた。
「手紙書くよ。俺、訓練所時代も、ど田舎出身だからってなんとなく避けられてて、友達出来なかったんだ。こっち来ても、皆、年上で階級も上だったし。だから、同い年の友達って嬉しかったんだ」
照れたようにそう言うと、フィルに泣かれた。
「お、俺だって、お前は軍に入って出来た大事な友達なんだからな。こんなに早く別れるなんて聞いてないよ」
食べ終わった食器を横へやり、互いの肩を抱き合い、その背を何度も撫でた。
「聞いたよ。二階級特進の上、王都の第四部隊に配属なんだってな。おめでとう、王都へ行ってもしっかりやれよ」
そうしていると、食堂にいる何人もに背中を叩かれてそう言われた。
昨日の、食堂の前での騒ぎのおかげで、マークはすっかり有名人になってしまったらしい。
フィルと二人して肩を抱き合ったまま、泣きながら笑った。
最後には、食堂の皆が拍手で送り出してくれた。
「ありがとうございます。皆さんも頑張って下さい。って、待ってください! まだ明日までは俺、ここにいるんですけど! これだと、今すぐ王都へ出発するみたいです!」
感激して挨拶した後、我に返って思わず叫ぶと、食堂中がまた大爆笑になった。
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