適性検査
「マーク二等兵、参りました」
一点鐘の鐘が鳴る少し前に、マークは言われた通りに会議室に来ていた。
返事を聞いてから会議室に入ると、そこには、また色の違う軍服を着た人が二人立っていた。
「君がマーク二等兵だね。今日はよろしく。それじゃあ行こうか」
書類を手にした文官と思われる背の高い青年と、その横のマークの母親ほどの年齢の恰幅の良い女性兵士が、揃ってマークを見て頷いた。
二人はマークを伴って、隣の別の会議室に入った。
その部屋には、彼と同じ色の軍服を着た文官や士官が何人もいて、それぞれ設置された机に座っている
案内してくれた文官は、部屋にいた彼らに軽く挨拶すると、端にあった空いた机に行きそこに座った。机の反対側に一脚だけ置かれた椅子を示す。
「マーク二等兵、まずはここに座りたまえ。楽にして良い」
「はい、失礼します」
正直言って、こんな時にどうしたら良いのか全く分からない。
とりあえず、勧められるままに、文官と向かい合う形で椅子に軽く腰掛けた。
「それでは適性検査を始めよう。とは言っても、通常の試験のように、文字を書いたり読んだり計算問題をする訳ではない。ここにいる者達と順番に話をして、質問された事に君の分かる範囲で答えてくれれば良い。
「はあ、話、でありますか?」
ますます意味が分からない。
しかし、とにかく背筋を伸ばしてまっすぐに自分を見ている文官に向き合った。
「では、まず最初の質問だ。この籠の中に何か見えるかね?」
掌を広げたほどの大きさの籐で編まれた蓋付の籠が、机の上に置いてある。
目の前でゆっくり蓋を開ける。
中には、先日見たのと同じ小さな少女が座っていた。
「……あの、その……」
小さな少女が入ってるなんて答えたら、絶対に変な奴だと思われる。
それより、俺の頭は本気でおかしくなったのかもしれない。
そう思って不安でいっぱいになり、何度も目をこすって見たがやっぱり少女が見える。
困って口籠っていると、振り返ったその少女は笑って手を振ってくれた。
思わず小さく手を振り返す。
「何が見えるかね? 大丈夫だ。おかしいなどと思わずに、視えたままを答えてくれれば良い」
その言葉を聞いて、勇気を出して顔を上げた。
「あの……籠の中には、先日、竜騎士様の肩の上で見たのと同じような、小さな透き通った少女が座っているのが視えます。その……こちらに向かって、笑って手を振ってくれました」
普通なら、こんな事を言ったら笑われるしかないだろうが、此処にいる誰一人笑わなかった。それどころか、感心したような声があちこちから聞こえる。
「よろしい。隣の机に行ってくれ」
先程の女性兵士が、横に立って案内してくれた。
隣の椅子に、同じ様に勧められて座った。
「何が見えるかね?」
強面の白髪の壮年の士官が取り出したのは、半分程水の入った二つの桶だ。
何となく、この検査の意味が分かってきた気がして、桶を覗き込んだ。
左側は水が入っているだけの桶だが、右側の桶の中には、水色の小さな少女が二人、並んで立ってこっちを見ている。
「こんにちは」
目が合ったので挨拶してみた。
『こんにちは』
『こんにちは』
二人の少女は、嬉しそうに笑って挨拶を返してくれた。
「あの……」
顔を上げると、満面の笑みの男性と目が合った。
「こっちの桶に、並んで立っている水色の小さな少女が二人見えます。挨拶したら、返してくれました」
右側の桶を指差しながら、見えたままを答えた。
「声は聞こえたかね?」
さらに笑みが深くなった。
「あの……こんにちはって、言ってくれました」
「二人とも? それとも、どちらか一人かね?」
「あの、二人ともです」
さらに笑みが深くなった、
強面の満面の笑みは、はっきり言って怖い。相当怖い。急いで隣の机に逃げるように移動した。
隣の机には、三本の大きな蝋燭に火が灯されていた。
「何か見えたら教えてくれたまえ」
向かい側に座った壮年の士官にそう言われて、蝋燭を順に見つめてみる。
すると、真ん中の小さな炎の中から、はみ出した小さな尻尾が見えた。
「え? 何だこれ?」
思わず呟いて、もっと顔を近づけた。
前髪が焦げる寸前の距離だが、構わなかった。
よく見ていると、火の中には小さな赤い蜥蜴が丸くなって眠っていた。
「ええと……こいつ、寝てるのかな?」
そっと指を出して、燭台を軽く突いて蝋燭を揺らす。
揺れる炎の中で、赤い蜥蜴は眠そうに顔を上げると、欠伸を一つしてまた丸くなって眠ってしまった。
「あの……真ん中の蝋燭の炎の中に赤い蜥蜴が見えます。丸くなって寝ていますね。かなり眠いようで、突いて起こしても欠伸をしてまたすぐに寝てしまいました」
「素晴らしい」
壮年の士官は、そう言って笑って頷くと書類に何か書き込み始めた。
次の席には、机の上に土の入った植木鉢が置いてあった。
覗き込んでみたが、新芽も生えていないし、特に誰か座ってもいない。
「あの、土の入った植木鉢が見えるだけです」
申し訳なさそうに言うと、特に何も言われずにその隣の席に案内された。
その机にも、同じように土の入った植木鉢が置いてある。
どうせ何も見えない。そう思って覗き込むと、今度は小さな小人が植木鉢の縁に座っていた。
目が合ってしまい、しばらく見つめ合う。
「ええと、こんにちは」
挨拶すると、その小人は笑って手を振っていなくなってしまった。
「あの、小人が見えました。多分さっきまでとは違う男性の……それで、挨拶したら手を振ってくれました」
「声は聞こえたかね?」
先程の机にいた男性が、横に来ていた。
「いえ、声は聞こえなかったです」
「よろしい。それでは隣の部屋へ行きなさい」
先程の女性兵士に案内されて、隣の部屋へ行った。
「マーク二等兵、入ります」
促されて、ノックして入ってみる。付き添ってくれた女性兵士は、廊下に立ったまま入ってこない。静かに背後の扉が閉まる音がした。
入った部屋の中は、真っ暗で何も見えない。
「あの、灯りは……」
「そのままでいい。今、君の目に何か見えるかね?」
扉を閉めた真っ暗な部屋の奥から、男性の声が聞こえる。
「いえ、あの、真っ暗で……」
その時、小さな光の玉が三個、目の前を飛び回り始めた。
それは、子供の頃に見た記憶そのままの光景だった。
「やあ、久しぶりだね。そっか、君達も精霊だったんだね」
自分の手も見えない真っ暗な闇の中で、三個の光がくるりくるりと目の前を、楽しそうに飛び回っている。
そっと差し出した掌に、光の玉が一つ止まった。
まるで笑ったように小さく震えて、そのままふわりと浮き上がり彼の鼻の頭に止まった。
「おいおい、やっぱりそこなのか。俺の鼻は休憩場所なのかい」
笑いながらそのまま好きにさせて、飛び回る他の光を目で追った。
「えっと、三個の小さな虫みたいな大きさの光の玉が飛び回っています。手の上や俺の鼻の頭に止まってくれた子もいます」
「久しぶりと言ったね。彼らとどこかで会った事があるのかね?」
暗闇の中から尋ねる声に、子供の頃、寝る前に見た夢だと思っていた光景を話した。
「成る程、それで久しぶり、か。よろしい。試験は以上だ。自分の配置場所へ戻りたまえ。結果は後日連絡する」
敬礼してから振り返り、僅かに光が漏れている扉を開いて真っ暗な部屋から出ると、思った以上の廊下の明るさに、暗闇に慣れた目が痛くなった。
「うわっ、眩しい」
目を閉じて、なんとかそのままで光に慣らしていく。
「大丈夫ですか、そこに座ってください」
女性兵士が、肩を叩いて廊下に用意してくれていた椅子に座らせてくれた。
眩しくて俯いて目を覆っていると、その間に書類を膝の上に渡されて、落ち着いたらサインをする様に言われた。
しばらく目をこすっていたが、なんとか見える様になったので手に取って読んでみると、適性検査を受けたことを上司に報告する書類だったので、素直にサインをして返した。
「ご苦労様でした。それではこれで適性検査は以上になります。配置場所へ戻ってください」
書類を受け取った女性兵士にそう言われて、解放されたので、午後からの仕事である厩舎の掃除に向かった。
「ああ、なんだかよく分からないけど疲れたよ。仕事が終わったら今日は早めに休もう」
そう呟きながらぼんやりと廊下を歩いていると、目の前にあの小さな少女が現れた。
『遊ぼ遊ぼ』
ふわりと側へ来ると、嬉しそうにそう言って前髪を引っ張る。
「駄目だよ、俺はこれからまだ仕事だからね、会議室へ帰りな」
軽く手で払い髪を解く。
『遊ぼ遊ぼ』
また前髪を引っ張られる。
「駄目だって言ってるだろ。ごめんね、良い子だから会議室に帰りなって」
もう一度、目の前で手を振る。
彼女はまだ何か言いたげに周りを飛び回っていたが、しばらくすると諦めたのか、くるりと回っていなくなった。
彼は、ごく自然に自分が精霊と会話していた事実に気付いていない。
「素晴らしいですね。全ての精霊に対して、一定以上の反応があった。シルフ達も強い力を感じると言っています。まだ未知数な部分も多いですが、これは期待できそうです」
「すぐに配属変更の手続きをしよう。まさかこんな辺境にこれほどの人材が眠っていたとは、まさに奇跡だ」
「野生の竜の発見も、何か関係があるのでしょうか?」
「視える人間の方が幻獣を見つけやすい、と言うのはあるからな。全くの無関係ではなかろう」
マークが出て行った部屋では、試験官役の士官達が、皆揃って大興奮していた。
「おい! 彼は凄いぞ! 光の精霊が見えていた!」
隣の部屋にいた士官が飛び込んで来た。彼は竜人だ。
「素晴らしい! あれは確実に見えていたぞ。まさか、人間が光の精霊に反応するとは。まさに奇跡だ! なんとしても、絶対に我が部隊で確保して育てるんだ!」
その言葉を聞いて、彼らの興奮は最高潮に達した。
辺境の田舎の砦で、のんびりと新人時代を過ごしていたマーク二等兵の人生は、この日を境に一変する事が確実になった。
しかし、厩舎でせっせとラプトルの汚物を集めて運んでいる彼は、まだそれを知る由も無い。
そして、彼が生涯の友となる人物と出会う事になるのは、まだ、もう少し先の話。
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