綿兎の毛を梳くのは大仕事

「お腹空いた! なのにまだまだいるよ。これって一体何匹いるの?」

 次々と、休み無く膝に乗ってくる綿兎達の毛を休む間も無く取ってやりながら、レイは始めた頃とは違い涙目になっている。

「はい終わり……ってうわあ、もう次が来た」

 早くやれとばかりに、キラキラした大きな瞳に見つめられ、更に小さな丸い尻尾を可愛らしく振っているのを見て、ため息を吐いた。

「分かった、分かった、やるよ」

 肩を落としてもう一度ため息を一つ吐くと、顔を上げてまた毛を取り始めた。



「気持ち良いの、良かったね。でも僕はお腹空いたよ」

 苦笑いしながらせっせと手を動かしていると、開いた口の前にパンを差し出された。

「ほれ、今ニコスが茶を入れてくれておるからな、慌てずゆっくり食べなされ。ただし、手は止めてはならぬぞ」

「今日だけは、行儀作法の勉強はお休みだ。とにかく手を動かしながらでもいいから食べてくれ」

 ニコスが、笑いながらギードにコップを渡した。

 見渡す限りのもふもふの海を見て、隣で、片手で食べながらもう片方の手で毛を梳いているタキスを見て、もう一度ため息を吐くと、大きく口を開けて差し出されたパンに遠慮無く齧りついた。




 そんな感じで、ろくに休憩も出来ないまま作業を続け、荷車に積んだ袋が山になる頃、ようやく綿兎達が目に見えて減ってきた。

「よし、かなり減ったぞ」

 ギードに休憩のお茶を飲ませてもらって、一息ついた時に、周りを見渡し思わず声を上げた。

「もう、終わりが見えて来ましたね。日が暮れるまでに終わりそうです」

 タキスとニコスは、最初は二人で組んで作業をしていたのだが、間に合いそうに無いと見ると、それぞれ一人で作業を続けた。これは手慣れた彼等だから出来る事であって、レイには到底出来ない。

 何しろ綿兎の毛はふわふわで軽いのだ。ちょっと櫛を動かしただけで、ふわふわと辺りに飛び散ってまとまらない。なので、梳いた時に出る塊を手早く取らなければならないのだ。

「ギードが手伝ってくれないと、これは一人じゃ出来ないよ」

 終わりが見えて来たので、ようやく余裕が出て、近くで見ているシルフに話しかけた。

「ブルーは、これは見た事ある?」

 すると、肩に座ったシルフが、ブルーの声で喋り始めた。

『綿兎はもちろん知っておるが、あれは我を怖がって近くに来ぬからな。こんなに近くで見たのは初めてだ。綿兎の毛が、人の技で布や毛布になるのは知っておったが、なるほど、このようにして取るのだな』

 感心したように話す声を聞きながら、まだ残った子の毛を梳いてやる。



「ねえギード。ちょっと思ったんだけど……」

「どうした?」

 毛の塊を取りながら、ギードがレイの顔を見る。

「いま、残ってる子達って……皆小さいね。最初の頃の子達は、膝に乗り切らないくらい大きかったのに」

「よく気がついたな。こいつらは、まあまだ若い子達だよ。綿兎の寿命は大体、十年から十五年程度と言われておる。一番元気なのが五才から十才辺り。当然、身体も大きいし力も強いからな、最初の頃の跳ね回っておった彼奴らがまさしくその年齢だ。二、三才の若いのや、年老いて弱ってきた子達は、どうしても押しのけられて後回しになる訳だ。まあ、仕方あるまい」

 それを聞いて、膝の上で精一杯伸びをして、体を大きく見せている綿兎に笑いかけた。

「そっか、君は僕と同じくらいかな? よろしくね」

 そう言って、優しく撫でてからまた毛を梳き始めた。

 レイの肩に乗っていたシルフが、楽しそうに飛び上がると、くるりと回って綿兎の頭の上にふわりと座った。ふかふかの毛に潜り込む。

「気持ち良さそう! それなら僕もやりたいよ。でも残念でした。今度はお腹だから、シルフはどいてください」

 声を上げて笑うと、そう言ってシルフを突いた。


『残念残念』

『ふかふかふわふわ』

『お昼寝最高』


「ほんとだね。この子達に埋もれてお昼寝出来たら最高だと思うよ」

 もう一度声を上げて笑ってから、また せっせと手を動かした。




「終わったー!」

 最後の一匹が終わり、膝から降りて茂みの中に走って行った後、しばしの沈黙の後、四人同時に両手を上げて歓声をあげた。

「あはは、本当に凄い数だったね。もう腕が痺れて痛いよ。それに鼻がムズムズする」

 肩を回しながらレイがしみじみ言う声に、他の三人も何度も頷いて、同じように背中を伸ばしたり肩を伸ばしたりしている。

「ここ最近では最高の量だぞこれは。しかし……後の手入れを考えると、気が遠くなるな」

 荷車に積まれた大量の袋は、予備の袋まで使い切り、しかも、どの袋も今にもはち切れそうだ。

「シルフ、大丈夫だとは思うが、一応、袋が破れぬように守っておいてくれよな」

『了解了解』

『大丈夫大丈夫』

 袋に座ったシルフ達が、請け負ってくれた。

「なら安心だな。さて、片付けて帰るとするか。シルフ、風を起こして皆の体に着いた毛を払ってくれ」

 ニコスの声に、何人ものシルフが現れて、軽いつむじ風を起こした。

「あ、痒かったのが無くなったや。ありがとうねシルフ」

 レイが嬉しそうに体を叩いて、シルフに礼を言った。

『では気を付けて戻るが良い。念の為、家までシルフに付き添わせる故、安心して帰れ』

「おお、それは心強い。ありがとうこざいます」

 ギードの声に、二人も口々に礼を言った。

「ブルー。それじゃあ帰るから、またお天気の日は草原に来てね」

 シルフに向かって、笑って手を振る。

『うむ、気を付けてな。元気になったようで、本当に安心した』

 そう言うと、シルフがふわりと飛んできて、レイの頬と、それから右手親指の先にキスを贈った。



「さあ、帰りましょう。蒼竜様が守ってくれているとは言っても、まだ冬の気配の残るこの森に、夜までいたいとは思いませんからね」

 タキスの言葉にレイも頷いて立ち上がり、椅子を手に荷車に持って行った。

 そして、乗せようとして……困ってしまった。袋が隙間なく山盛りに荷馬車一杯まで乗せられていて、とても椅子や道具を置く場所が無い。

「えっと、どうしたら良い?」

 振り返って尋ねると、ギードが荷車の後ろで何かの箱を組み立てている。

 でも、そんな材料を持って来ていただろうか?

 不思議に思って見ていると、横には小さいが車輪も付いている。

「それ、どこから出したの?これも魔法?」

 タキスが荷車の下を指差しながら教えてくれた。

「荷車の底に、普段は折り畳んだ状態で積んであるんです。こうやって、荷物が増えてしまって乗らない時に、荷車の後ろに、もう一台繋ぐんですよ。ただし、あの箱は騎竜にはつけられない大きさなので、荷車の後ろにつける専用の荷車、ってところですね」

「凄いや、これもドワーフの技?」

 感心していると、箱型荷車を組み立てたギードが、顔を上げて笑った。

「そうじゃよ、この予備の荷車は、ブレンウッドの街のドワーフのギルドでも売っとるが、大人気の売れ筋品なんじゃぞ。あ、もちろん、これはワシが作ったぞ」

 そう言って、自慢げに笑った。

「ほれ、ここに椅子を積むぞ。持って来なされ」

 急いで、椅子を運び、空になったお弁当とお茶の道具の入った籠や、櫛の入った籠も入れる。

「よし、忘れ物はないな。では戻ると致そう」

 ギードが服を叩きながらそう言って、荷車の前の御者台に、袋の山を背にして座った。

「ほら、あなたはここに座ってください」

 タキスが、荷車の横で、袋を押し込んで少し場所を作ってくれた。

「後ろ向きに、ここに座ってください。嫌なら歩きです」

「乗る乗る! 待ってね、後ろからだよね」

 そう言うと、マントを羽織ってから後ろ向きに飛び上がり、なんとか荷馬車の縁に座った。

「うわ、ふかふかだ」

 後ろの積み上がった袋にもたれたら、最高級のクッションのような弾力だ。

「落ちないでくださいね。それから、疲れてるでしょうが、絶対寝ないでください」

「大丈夫。この状態で寝たら、絶対顔から落ちるよ」

 レイの言葉に皆吹き出した。



 その時、不意に顔を上げてレイが森の方を見た。



「どうしたんですか?」

 急いで、タキスがレイの肩に手をかけて尋ねる。

「鳴き声が聞こえたよ。あ、ほらまた!」

 タキスが森を見た時、確かに赤ん坊のような鳴き声が聞こえた。

「何だ?こんな所に赤子がおるわけ無かろう」

「でも、もし、僕みたいに何処かから逃げて来た人だったら……」



 どうしても気になるが、怖くて森には入れない。



 困っていると、タキスがシルフに声をかけた。

「シルフ、念の為見て来てもらえますか。魔獣や妖魔の類なら、絶対に相手にしないでください。もしも助けを求めている誰かなら、至急保護して知らせてください」

 頷いたシルフが、くるりと回って消える。すると、すぐに戻って来た。

 しかも、数人がかりで何か連れて来た。



「猫だ! どうしてこんな所に?」

 レイが喜んで手を出そうとした時、凄い力でタキスに抱きとめられた。

「駄目ですレイ、近寄ってはいけません」

「ええ、どうして? ただの猫だよ」

 シルフに連れてこられて、怯えているのか、ぶら下がった体勢のまま体を縮めて丸くなっている。

 不満気なレイを捕まえたままでタキスは、大きなため息を吐いて言った。

 「これは、ただの猫ではありません。これは……ケットシー、猫の幻獣です」

 驚きのあまり、声も無くシルフに抱えられた猫を見る。どこからどう見ても、全くのただの猫だ。しかも体は大きいが子猫のようだ。



 呆然と見ているレイと目が合うと、その猫は甘えたような声で小さく鳴いた。


 助けて、と、レイにはそう聞こえた。

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