十二の月の最後の日
翌朝、シルフ達が起こしてくれた時間はいつもより少し遅めだった。
「おはよう……あれ? 僕、また寝坊した?」
以前ほどではないが、いつもより窓から入る日差しが高い。
『今日はのんびり』
『おやすみおやすみ』
『ゆっくりゆっくり』
現れたシルフ達が、次々にお休みだと言って笑う。
「そっか、今日は十二の月の最後の日だもんね。でももう起きるよ」
そう言うと、ベッドから降りて、寒いので急いで着替えて洗面所へ向かった。
「おや、おはようございます」
洗面所には、髭を剃っているニコスがいて、鏡越しに挨拶してくれた。
「おはようございます。今日はニコスもゆっくりなんだね」
「今日と明日は、堂々と寝坊出来る貴重な日だからな。そうそう、この二日間は家畜達の世話もしなくて良いんだぞ」
顔を洗っていると、隣で同じように顔を洗っていたニコスが、笑いながら不思議な事を言った。
「え? 寝坊は良いけど、そんなはず無いでしょ? だって、二日も家畜達のお世話をしなかったら、大変な事になるよ」
柔らかな布で濡れた顔を拭きながら、慌てて抗議した。
大好きな家畜達や騎竜達を、世話もせずに放っておくなんてとんでもない。
「ところが大丈夫なんだよな。この家は、本当にすごいよ」
意味がわからなくて困っていると、頭を撫でて笑われた。
「ま、見ればわかるよ。お先に」
呆然としている彼をおいて、ニコスは先に居間へ行ってしまった。
「えっと……うん、ニコスにはお休みしてもらって、僕だけでも働いた方が良いよね」
無理矢理自分を納得させて居間へ行こうとすると、入れ違いに洗面所にタキスが入ってきた。
彼もどうやら今起きたらしく、柔らかな黄色い髪が寝癖であちこち跳ねている。
「おはようございます。タキスの寝癖って初めて見たよ」
思わず髪に手をやり、跳ねた髪を撫でながら笑った。
「おや、おはようございます。だって、今日は堂々と寝坊出来る貴重な日ですからね」
笑ってそう言われて、納得した。彼らの朝は、いつも早い。
髪を濡らして寝癖を取ってから、顔を洗っているタキスに、さっきのニコスに言われた事を聞いてみた。
「あのね、さっきニコスが言ってたんだけど、今日と明日は、家畜と騎竜達のお世話をしなくて良いんだって、そんなの駄目だよね?」
「ああ、もう聞いたんですね。ええ、今日と明日はお世話しなくて良いんですよ」
にっこり笑って言われても、やっぱり納得出来なかった。
髭を剃り始めたタキスを置いて先に居間へ行くと、居間にはギードがニコスと一緒に台所にいるのが見えた。
「おはようございます、ギード……えっと、何をしてるの?」
お料理は全然出来ないと聞いていたのに、台所でギードは何をしてるんだろう?
不思議に思い後ろから見ていると、どうやら竃を覗き込んでいるらしい。
「特に問題はないな。それなら昼のうちに片付けて、夜は休ませるか」
「そうですね。いくつか作り置きの準備をしてますから、後はそれを食べます」
「よろしく頼む。なら後は、火蜥蜴達にやって貰おう」
ギードが立ち上がって振り返った。
「おう、おはようさん。なんだなんだ、もっとゆっくり寝坊してても良いんだぞ」
豪快に笑いながら、レイの背中を叩く。
「痛いよギード。それより、今、何をしてたの?」
ニコスの後ろに逃げながら、竃を覗き込んでみる。
火の入った竃には、いつもの平たい鍋と、もう一つ別の鍋が並んで置かれていた。
「あれ? いつものスープのお鍋じゃないね」
何を作っているのか気になって尋ねると、ニコスが鍋の具合を見ながら教えてくれた。
「これは今日の昼に食べるのを仕込んでるんですよ。そうそう、レイは、火送りと火迎えの儀式って聞いたことはありますか?」
「そんな事を昨日言ってたね、えっと、知らないし聞いた事も無いよ。村にいた時は、十二の月の最後の日は、村長の家に皆で集まって、精霊王にお祈りしたぐらいだよ」
「まあ普通はそうじゃろうな。この儀式は、火の精霊魔法を使う者しか、知らぬだろうからな」
ギードが肩をすくめてそう言うと、いつもの席に座った。
「えっと、いつものお皿でいいの?」
急いで食器棚の前に行き、ニコスに確認する。
「ええ、いつものお皿とスープカップをお願いします」
「おはようございます」
すっかり寝癖の直った、いつものタキスが居間に入ってきた。
「おはようさん。お主が最後とは珍しい」
「昨夜、ちょっと
そう言うと、小さな欠伸をする。いつもしっかりしているタキスの、気の抜けた表情に、レイはなんだか嬉しくなった。
「じゃあ、僕がいっぱい働くから、タキスはお昼寝しててよ」
「それは素敵な提案ですが、お昼寝するなら皆一緒にしましょう。さすがに今の時期は、外では無理ですけどね」
嬉しそうに笑うと、頬にキスしてくれた。
「お待たせしました。まずは食べてしまいましょう」
ニコスがそう言うと、焼き立てのパンを窯から出してくれた。
「ご馳走様でした。それで今日はこの後どうするの?」
いつもの豪華な朝食の後、入れてもらったお茶を飲みながら尋ねると、やっぱり今日はお休みだと言う。
「さっきも聞いたけど、皆のお世話をどうするの?」
これはいよいよ一人でもするべきなのかと覚悟していたら、ニコスが立ち上がった。
「じゃあ、心配性のレイのために、まずは家畜達のところへ行きますか」
「そうだな、あいつらも楽しみにしとるだろうからな」
ギードもそう言って立ち上がった。
「さあ、行きましょう。貴方がどんな反応をするか楽しみですね。この後の火の儀式も楽しいですよ」
タキスにもそう言われて、レイも残りのお茶を飲みながら席を立った。
「レイ、それは駄目だって言いましたよね」
振り返ったニコスに注意された。
「あ、はい」
慌ててもう一度座り直して、残りのお茶をゆっくりと頂く。
「はい、よろしい」
にっこり笑いながら頷いてくれたニコスに、照れて笑った。
最近、食事の時や、ちょっとした動作に、時々ニコスの注意が入るのだ。でも、大抵、よく考えたら、お行儀の悪い事をしていると分かるので、気をつけるようにしている。
家畜や騎竜達のいる広場へ行って驚いた。それはもう、声も出ないくらいに驚いた。
いつもなら汚れて壁際に固まっている干し草が、一つの汚れもなくふわふわの山盛りだったし、皆の体も、たった今ブラシをかけましたと、言わんばかりに艶々のピカピカなのだ。
「えっと、僕が寝ている間に……違うよね。皆、寝起きだったもんね」
すると、トケラの足元から見たことのないノームのような精霊が何人も顔を出した。
『おお今年も一年ご苦労でありましたな』
『ご苦労ご苦労』
『そしてこの子が新しい雛鳥じゃ』
『良い子じゃ良い子じゃ』
『可愛や可愛や』
タキスがしゃがむと、彼らと目線を合わせて笑った。
「お久しぶりです。今日と明日の二日間、どうかよろしくお願い致します」
そういうと、隣のレイを見て教えてくれた。
「彼らはブラウニーですよ」
「ブラウニー!」
思わず大きな声で出してしまい、慌てて口を塞いだ。
『ほっほっほっ雛鳥はブラウニーを見るのは初めてらしい』
『良い良い』
「この家には、彼らがいてくれます。とは言っても、普段は、私達がし忘れたことや、壊れそうな道具をこっそり直しておいてくれたりするくらいで、何でもしてくれる訳ではないんですよ」
「彼らが、今日と明日の二日間、家畜達の世話をしてくれるんだよ。以前、何を手伝って欲しいかって聞かれてね。それなら家畜達や騎竜の世話をって、お願いしたんだよ。だって、こいつらの世話は休みなしだろ。二日だけでもしなくていいと思うだけで、ずいぶんと気が楽になるからな」
ニコスも笑ってそう教えてくれた。
「そうだったんだね。えっと、皆のお世話をありがとうございます。僕はレイです。今日と明日の二日間、よろしくお願いしますね」
ブラウニーに挨拶したが、彼らはトケラの陰に隠れてしまった。
『これは堪らぬ』
『可愛や可愛や』
『何と愛らしや』
『噂以上じゃ』
『誠に可愛や』
小さな声で囁き合っている。
何やら聞き逃せない言葉を聞いた気がしたが、尋ねようとするとタキスの声がした。
「それでは、皆様、よろしくお願いしますね」
そう言って、タキス達はさっさと部屋へ戻ってしまった。
「あ、待ってよ」
慌てて後を追う。
扉を閉めながら振り返り、トケラの陰にいるブラウニー達に手を振った。
「それじゃあ部屋へ戻るね。皆の事よろしくお願いします」
すると、ブラウニー達は、トケラの陰から出てきて笑顔で手を振り返してくれた。
廊下を歩くタキスとニコスに追いついたが、ギードの姿がない。
「あれ? ギードは? 一緒じゃなかったの?」
ニコスが振り返って教えてくれた。
「ギードは台所で窯の様子を見てくれてます。毎日使っていますからね。年に一度くらいは、面倒見てもらわないとね」
窯の面倒を見るって、何をするんだろう。と、不思議に思っているうちに居間に到着した。
部屋へ入ると、ギードは窯の蓋を閉めた所だった。
「おお、お帰り。どうであった? 驚いたろう」
「うん、僕ブラウニーって初めて会ったよ」
嬉しそうに言うと、ギードの横に並んだ。
「何をしてたの?窯は空だね」
覗き込んだ窯の中は、煤も取り払われていて、綺麗なものだ。
「火蜥蜴の道を見ておったんだが、大丈夫なようだな」
「火蜥蜴の道?」
また、知らない言葉が出た。
「窯を温めるのに、奴らは中を走り回るんだが、一番効率良く温める道があってな。それが上手くいっとると窯の温度が安定して良い窯になる。その道が乱れると、まあ、温度の安定せぬ良くない窯になるんじゃ」
「そうなんだ。確かにパンを焼いてる時って走り回ってたね。それで、この窯は大丈夫なんだね」
「おお、良い窯じゃぞ」
そう言って笑うと、もう一度窯を覗き込んだ。
「それでは、私は昼まで部屋で休ませてもらいますね。もう眠くて」
タキスはそう言うと、欠伸をしながら部屋を出て行った。
「それではワシもゆっくりするとするか」
そう言うと、ギードは奥のソファに横になってしまった。
「レイ、貴方もゆっくりして、好きな事してて良いんですよ」
ニコスに笑って言われたが、普段、朝から晩まで働くのが当たり前だったし、お休みだって出掛けたりしていたので、全く何もする事が無いと言うとは、恐らく生まれて初めての経験だ。
「えっと……何をしたら良いんだろう?」
不安になってきた。ギードはもう、ソファで寝息を立てている。
困ってニコスを振り返ると、彼は笑って弁当箱を上げた。
「俺は今から二日分の弁当を詰めるけど、する事が無いなら手伝ってくれるか?」
「うん! やるやる! 僕、お弁当を作るの初めてだよ」
台所で、大急ぎで手を洗った。
「中身はもう出来上がってるから、綺麗に盛り合わせてくれよな」
そう言って笑うと、大きな弁当箱を並べて机に置いた。
先程の大きな鍋の中には、鶏肉の塊が入っている。
「これは鶏ハム。昨日から仕込んであるから、もう火は通ってるよ。これを切って、たっぷりパンに挟むんだ。それは俺が作るから、レイは出来上がったのを詰めてくれ。そっちのワゴンに、おかずがあるから、彩り良く詰めてくれよ」
「責任重大だね。頑張るよ」
ワゴンから、サラダの入ったお皿を出しながら、振り返って笑う。
やっぱり、何かしている方が好きだし楽しい。
パンを切り分けているニコスを見ながら、まずは何を詰めるか考える事にした。
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