降誕祭の始まりとタキスの誓い

 降誕祭の最初の日は、ひどい吹雪だった。

 朝食の後片付けを終えると、まずはいつもの広場のお掃除を、皆で手分けして済ませる。

「昨日の香炉を片付けますから、これが終わったら手伝ってくださいね」

 家畜達にブラシをかけてやりながら、タキスがそう言ってレイを振り返った。

「香炉を何に使ったの?」

 ラプトルの背中を拭いてやりながら、レイが顔を上げて不思議そうにタキスを見る。

「昨日、家の中の邪気を祓うために、特別に調合したハーブを家中に焚いたんですよ。部屋のあちこちに置きましたから全部忘れず回収しないとね。それが終わったら、今夜から、日が暮れる前にランプに火を入れて窓や扉に吊るしますよ。これもあちこちに吊るしますから一仕事ですよ」

「やる! 手伝う手伝う!」

 楽しみでたまらなくて、その場で飛び跳ねながら、笑ってラプトルに抱きついた。

 いきなり抱きつかれたポリーは、まるでしょうがないな、とでも言わんばかりに踏ん反り返って相手をしている。明らかに保護者目線だ。

 それに気付いたタキスは、密かに笑いをこらえるのに苦労していた。



 家中に置かれた香炉を回収して回るのはかなり大変で、タキスと一緒にワゴンを押しながら、レイは昨日、彼等にどれほど心配をかけたのかをまた改めて思い知らされていた。

「ねえ、聞いてもいい?」

 ワゴンの下の段に集めた香炉を並べながら、レイは勇気を出して聞いてみることにした。

「ええ、もちろん。なんですか?」

 蓋を開けて香炉の火が消えているのを確認していたタキスは、驚いて顔を上げた。

「昨日の事なんだけど……実はあの時、一番最初に森の雪の中に人が見えたの」

「なんですって?」

 驚くタキスを見て、レイは首を振った。

「今なら、それはあいつの罠だって分かるんだけど、あの時は本当に驚いたの。それで、そっちに行こうとしたら……」

「奴の術中に、はまってしまった訳ですね」

「うん、あんなのって、気を付けて何とかなるもの? それとも、狙われたらどうしようもない?」

 タキスは少し考えてから、レイの前にしゃがんて震える手を取った。

「正直言って、昨日の奴には……私達は無力です。あれは闇の冥王の眷属のなかでも、かなりの高位の存在だと言われています。おそらく蒼竜様程でなければ……抵抗する事は難しいでしょうね」

「奴らはどこにでも出るの?」

 正直、昨夜は怖くてほとんど眠れなかったのだ。

 何処かから、あんな奴がまた自分を見る事が出来るのかもしれない。そう考えただけで足が震えた。

「大丈夫ですよ。奴らとて万能なわけではありません」

 励ますように、腕を軽く叩いて抱きしめる。

「まず、家の中と言うのは、我々にとっては砦と同じで安全です。奴らも簡単には入ってこれません。逆に言えば、森の中は自由地帯です。奴らも、ある程度の力のあるものなら、場合によっては出てくる事も可能でしょう」

「そんな……」

 もう怖くて森に行けない。怯えるレイを見て、タキスは首を振った。

「落ち着いて下さい。闇の眷属達が暴れていた精霊王の伝説の時代ではありません。今はもう、冥王は地の底深くに精霊王と英雄達によって封印されました。昨日は、降誕祭の前で、精霊王の力が強くなる時期でもありますが、逆に言えば、闇の力も一番強くなっていた時期でもあったんです」

「そっか、冥王の誕生を知って、精霊王が人の世界に産まれたんだもんね」

「そんな時期に、貴方のような子供を連れて森へ入った私達も迂闊でした。おそらく貴方が無防備に眠っている時に目をつけられたのでしょう。ある程度の守護の術は私達も張っていましたが、奴には……そんなもの、薄紙よりも簡単に破れる程度のものだったのでしょうね。時期的な事も含めて、分かった上で慎重に行動すれば特別な危険はありませんよ」

「昨日、戻ってくる時にブルーが守りを僕にもくれたって言ってたけど、守護の術ってそれの事?」

「それは心強い。蒼竜様の守りの術ならば、恐らくこの世に破れる者はおりませんね」

 驚くレイに、タキスは笑った。

「蒼竜様も、今回の事で心配なされたのでしょう。守りと言っても、普段の生活には何の影響もありませんよ。普通に生活している上での、ちょっとした怪我や病気までは、さすがに守ってくれません。あくまでも、今回の奴のように、悪意を持った魔法の術や罠に対するものです」

 納得したように頷いて言った。

「そっか、それならいいや。狙われてしまったら防ぎようが無い事もあるのかも知れないけど、ブルーがちゃんと守ってくれてるんだ」

 照れたように笑って、タキスを見上げた。

 その時、タキスが膝をつきレイの額にキスをした。そして、右手をそのキスした額に当て、真剣な顔で祈り始めた。

「我。ここに宣誓する。我の一部をこの者に留め置く。この者の苦しみの一部を、この者の穢れの一部を、共に我の身に戻すべし。精霊王よ、この愛し子を守り給え」

 それは、精霊王への誓いの中でも、簡単に戯れで誓うものではない。

 それくらい、無知なレイでも知ってる。

 その誓いは言葉の通り、痛みや苦しみの一部を、身代わりになって負担すると精霊王に宣誓する事なのだ。

「ダメだよそんなこと言っちゃ。僕なんかに……」

 慌てて止めようとする少年に、タキスは笑って首を振った。

「今の私にとっては、こうする事が正しい事なんです。貴方の負担はありません。私が、ただそうしたかっただけなんですよ」

 何と言って良いのか分からずに、固まっていると、タキスは立ち上がって、何事も無かったかのように、ワゴンを押して移動し始めた。

 慌てて、レイも付いていく。

「タキス、駄目だよそんなの……」

 もう一度、レイの額にキスすると顔を見て笑った。

「貴方が元気にしてくれていれば、何の問題ありませんよ。私はもう、充分に生きました。残りは、自分の好きに使う事にしたんですよ。蒼竜様が、悪しき者達から貴方を守って下さるのなら、私は日常の貴方を守ります。好きにさせてください」

 何かを吹っ切ったように笑うタキスに、それ以上何も言えなかった。




「俺の家の香炉はこれだけだ。すまんが片付けを頼むよ」

 その時、ギードが別のワゴンにいくつもの香炉を入れて持って来た。

「ああ、そっちの部屋の分は持って来てくれたんですね。ありがとうございます。では、片付けますからそれを持ってついて来てください」

 何事も無かったかのようにそう言うと、ワゴンを押してさっさと薬草庫へ戻っていく。

 ギードからワゴンを受け取ると、大急ぎで後を追った。

「待ってよタキス! まだ、話は終わってないよ」

 置き去りにされたギードは、呆気にとられて少年の後ろ姿を見送った。

「何だ?喧嘩でもしおったか?」

 追いかけようとしたが、振り返ったタキスの嬉しそうな顔を見て、心配するのも馬鹿馬鹿しくなった。

「何か知らんが、仲が良くて結構な事だな」

 苦笑いすると、肩をすくめて仕事部屋へ戻って行った。

 結局、この話は香炉の後片付けでそのままになってしまい、レイは、絶対、大きな怪我も病気もするもんかと、密かに心に誓ったのだった。




 昼食の後は、ギードの家へ行き、仕事部屋から持って来た沢山のランプを、皆で磨いて綺麗にした。

 オイルを入れてセットすると、これも二台のワゴンに並べていく。

「それでは、順に火を入れて吊るすとするか」

 ギードがそう言うと、ワゴンを押して玄関へ向かった。

 普段出入りする、家の扉の内側に最初のランプを吊るす。

 ギードの肩に現れた火蜥蜴が、ランプに火を灯した。

 花の種から絞った油は、柔らかい色で辺りを照らす。それから外に面した窓の内側に、順にランプを吊るしていった。

 最後に、今は雪の為に閉められている、三人の家の扉の内側にも、ランプを吊るして火を灯した。

「綺麗だね。この灯りを見ると何故か安心するね」

 扉に飾られたランプと柊とセージの束を見て、レイが笑った。

「これが、森で切って来た柊だね。こんな風にするんだ。村では丸いリースを一つ作って、扉に飾っただけだったよ」

「ああ、こっちは古いやり方だからな。最近はリース一つで代用するのがほとんどだろ」

 ニコスが笑ってそう言う。

「だって、これだと、ありとあらゆる窓や扉に飾らなきゃダメだからな。そりゃ大変だから、普通はやらないよ。今年はまあ……本気で邪気を祓う必要があったから、本格的に作ったんだよ」

「……ごめんなさい」

 本気で謝ったが、三人には笑われてしまった。

「謝る事はありませぬぞ。まあ、これも良い記念です」

「まあ、これ位徹底しておけば、邪な者達も入ってこれませんからね」

「厳重にする分には、何も問題ありませんでしょ?」

 顔を見合わせて笑うと、四人揃って居間に戻った。

 夕食までの時間に、レイは、精霊王へのお手紙を書いた。

 これは、12の月の3日、つまり降誕祭の最後の日までツリーに飾っておき、窓辺に灯した最後のランプの火で、それを燃やして精霊王に届けるのだ。

 大抵は、将来何になりたいとか、何か欲しいものを願ったりする他愛ない内容だ。

 でも、今年はたくさんのお礼と感謝を書いた。そして、母さんとエイベルの安らかな眠りと、輪廻の輪への帰還を願った。

 気がすむまで沢山書くと、貰った封筒に入れて蝋で封をする。端に小さな穴を開けて、紐を通してツリーに結んだ。

 きっと、精霊王の元へ届くだろう。

「レイ、手紙は書き終わりましたか? もう、食事の用意が出来ましたよ」

 ニコスの呼ぶ声に返事をして振り返った。

 楽しい降誕祭の1日目は、こうして過ぎて行った。

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